日本の秋色 世相寸評 関連リンク

宮本 百合子 のオススメ作品

作家別索引

作品別索引

日本の秋色 世相寸評 - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

  • ★日本の外交史 2冊★ 近代日本外交史・現代日本外交史
  • Ξ/日本製美術刀剣日本刀◇白石目 小刀 日本刀(模造刀)
  • 日本軍、日本海軍、日本陸軍、飛行眼鏡、ゴーグル
  • 日本軍、日本陸軍、日本海軍、恩賜の煙草入れ
  • 日本軍、日本陸軍、日本海軍、30年式銃剣、合法品
  • 格安!!日本語教師必見/日本語初歩/日本語国際センター
  • 佳景日本・秘境と仙境の旅(東日本編・西日本編)
  • ■蛇蔵&海野凪子 日本人の知らない日本語 笑える日本語バトル
  • P34#日本語2冊◆常識として知っておきたい日本語◆問題な日本語
  • 日本軍、日本陸軍、38式クリップ日本海軍、
次のページ
日本の秋色 ――世相寸評――  きのう、用事があって出かけ、バスの停留場に立っていたら、向う側の酒屋の横の「英語、タイプライチング教授」とペンキ塗の看板のわきに、もう一つ今まで見当らなかった広告が出ているのに心付いた。とりいそいでこしらえたらしい紙の広告で「オリンピックにそなえよ!」と上の方に横書きされ、下に「速成ガイド資格準備、速成オリンピック会話教授」と大書されたわきに、それぞれ赤インクで線がひいてある。二三日前の雨のせいで、赤インクは侘しく流れ滲んでいるのであるが、この自宅英語塾主は、それ程の積極性をこの広告効果に認めていないと見え、よごれた特別広告はそのまま、錆のふいた門の鉄扉の外ではためいている。

 四年後のオリンピック東京招致に亢奮した感情や、今回のベルリンオリンピック出場した日本選手に対する感情、又一般にひきくるめて日本役人たちがオリンピックに対して一般民衆感情を向けようとして煽り立てたその方向や現実結果について、今日民衆常識は、どのような判断を加えているであろうか。苦々しいものが、めいめいの胸にのこされた。スポーツスポーツとして朗らかに若者らしく愛すものの心に、或る憤りが生れた。四年後のオリンピックに、この民衆の真の感情がどのように反映し、生かされるであろうか。
 私は一人市民として、オリンピック準備の成りゆきを、ごく皮相的にではあるが注目している。そして、既に少なからぬ無理が生じていること、或る特定の思想で、現実がきりこまざかれはじめていることを感じる。例えば、オリンピック村の敷地が成城学園の附近に選定されるらしいが、その敷地は寄附という形で、無代でとりあげられるらしい。オリンピック村の建物競技がすんだ後も残るから、それを下附すればアパートメントとして収入を得られる。だから、それで償いは十分につく、という説の上に立てられた計画であるらしい。話したひとは、眉のところに独特の表情を泛べて口元を曲げながら、でもねえ、そんなに何年ももつような建物が果して建てられるだけたっぷりした予算がとれるんでしょうか。よしんば、書類の上ではそれだけの予算があったって、ねえ、と更に意味ふかく笑った。出来上るのはどうせバラックでしょう? と極め現実にふれた洞察で云うのであった。
 一九四〇年のオリンピック東京へ来るときまった時、新聞首都の美醜を写真にして対比したことがあった。醜と目された部分を四年の間に何とかせよという意味がふくまれていた。ところが、醜として撮影された部分が人生の情景として、感情をもって見れば常に必しも醜ではなく、首都の美観の標本として示されたものの中には、却って東洋における後進資本主義の凡庸なオフィスビルディングの羅列のみしかないのもあった。都市の美醜、人生の美醜をどう眺めるかということについて、一つの永い論議がなり立つ問題であるが、ここでは、その方向へは赴かず、私は、一つの熱い心をもって、なぜさように、一部の人たちは日本民衆生活をあるがままに示すことを恐れるのか、という質問を提出したいのである。私たちは、窮屈な、窮乏化す日本民衆として、日々それぞれの形で実に営々として生きている。この姿を外にして私達一般人人生はないのであるのに、それが抹殺されて、何のためにマダム・バタアフライのサクラ・バナやゲイシャや、フジサンのみを卑屈に修飾して提供しなければならないのであろうか。人民戦線勝利して以来、フランス出版物輸入をきびしく制限しつつ、何のために志賀高原てっぺん国際観光ホテルを建てて、外務省がそのために尽力しなければならないのであろうか。

 国威ということが、昨今新しい内容でとりあげられている。それを発揚した時代への思慕は、女の服飾流行桃山時代好みとして再現されている。国威というものの普通解釈されている内容によって、それを或る尊厳、確信ある出処進退という風に理解すると、今回のオリンピックに関しては勿論、四年後のためにされている準備そのものの中に、主としてそういう抽象名詞を愛好する人の立場から見ても何か本質的にそれと撞着する観念が潜入しつつあることが感じられるのである。
 大体、外国人案内して、外見的には、生活系統が全然ちがう日本を、現実的に、私共があそこをこそ観て欲しかったと思うように、観察させることは、日本の事情に於て難事中の難事である。又一方からいうと、そういう目をもった外国人が果して何人来るであろうか、とも考えられる。このことはジャン・コクトオが日本へ来て、詩人堀口大学氏にあちこち案内せられ、後(のち)かえって発表した日本印象記をよんで痛感した。コクトオがたった一人で足にまかせて東京を歩いたとしたら、或はもう少し彼の生きた目が生きた日常現実にぶつかり、日本民衆の姿が映ったかもしれない。コクトオは或る意味才能をもった詩人と云われているのであるが、彼の日本印象記は、おさだまりの日本印象記であった。彼は、自身のカリケチュアを私共に示した。私共は私共の現実の中に生き、その悲喜を生きている。コクトオやスタンバアグが大川端待合で、或る気分を日本的と陶酔する姿を、苦しい笑いでこちらから見物せざるを得ないではないか。
 日本芸術家が、いつしか外国人が目して日本的と称する範囲の中に一九三〇年代の複雑な日本を単純化して、外来客に見せる追随主義は、例えば、アメリカ戯曲家エルマー・ライスを山本有三氏邸に招待した饗応ぶりにも現れていたと思う。そこではすべてが善意礼儀ぶかさからとり行われ、京都からの生香魚料理万端よろしいのであるが、有三氏は、どちらかというと片苦しげに想像される客間での会話で、この麗わしき天然日本では、彼自身の長篇小説が数年前朝日新聞へ続載不可能となったことがあった、それについて芸術家同士らしく語ったであろうか?
 宮城道雄氏は、彼の琴に対して、謂わば必死芸術態度を持しているひとであろうと感じられる。いつの間にやら、その自分芸術が形なき日本のトゥリスト・ビューロウの定例的余興番組に入れられていたとしたら、彼の熱心は果して如何に感じるであろうか。痛ましくも興味あることに思うのである。

 やはり、オリンピックに関してであるが、女学生のサインを求める傾向について、要路お歴々の座談記事がのったことがあった。オリンピック東京へ来た各国選手にのぼせて、サインを強要したり、恋愛事件をおこしたりしては国の恥であるから、そういう怪(け)しからん娘は断然取締るべしという方針に立っての談話なのであった。けれども、恥の考えようもおのずから深浅ありと云おうか。私共には、前司法大臣破廉恥罪で下獄すると報道されている同日の新聞に、前鉄相が五万円の収賄で召喚されることを読む方が、恥といえば何か恥に近いものがあると感じられるのである。
 外国人の男に対して、日本の女が概して無防禦であり、惚れっぽいということについて、私は自分が女という点もあり、日本の女の生活にある様々問題がその原因をなしていることがわかる。よく、日本の女は一寸した親切にもほだされるといわれているが、女に対する劬(いたわ)りというものが、欠けている日本の習俗の中では、外国人の男のそういう礼の表面的な、或る場合偽善的な謂わば折りかがみさえ、感情の上に何か甘味を落すのであろう。
 映画音楽で、今日日本の女はそういうエティケットの世界架空的に自身の空想の中に吸収している。身ぶりの端々にときめく心を目ざまされている。それでいて、日常現実の間では、誰も彼もがヨーロッパ風の躾をもった青年を自身のまわりに持っているのではないから、一旦、将に生きて体臭をはなって、映画の中にあるように自動車ののり降りに軽く肱を支えてくれる碧眼の男があらわれると、気分が先ず空想世界へとび入ってしまい、素朴に日本の女の本質的には至って古風な受動性変形である恍惚境にとけ込んで、計らざる結果になるのではないだろうか。
 日本の女の今日感情の特質は、「夢見る唇」で、ベルクナアが示したような表面技法で、内実は父権制のもとにある家庭の娘、戸主万能制のもとにある妻、母の、つながれた女の昔ながらの傷心が物を云っているところにある。女の過ちの実に多くが、感情飢餓から生じている。その点にふれて見れば、女の悲しみ国境なしとさえいえる有様である。

 近頃、『新青年』『婦人画報』その他沢山の雑誌が、男のエティケットについて書くこと流行している。


次のページ

宮本 百合子 (みやもと ゆりこ) 以外のオススメ作品

日本の秋色 世相寸評 のリンク元

「日本の秋色 世相寸評-宮本 百合子」の関連ページ


関連ページ
Web Services by Yahoo! JAPAN