旧主人 関連リンク

島崎 藤村 のオススメ作品

作家別索引

作品別索引

旧主人 - 島崎 藤村 ( しまざき とうそん )

  • ◇ 東方の門・巡禮 島崎藤村著 新潮社刊 2刷
  • 新潮文庫 島崎藤村 「破戒」S60・95刷
  • 島崎藤村集(一)(二) 8,9 現代文学大系 筑摩書房
  • 岩波文庫 『千曲川のスケッチ』島崎藤村
  • ◇夜明け前 第二部 島崎藤村著 藤村長篇小説叢書6 初版本
  • ○古本!!島崎藤村『生い立ちの記』/岩波文庫/昭18年初版!!
  • 島崎藤村集 〔現代日本文学全集 第16編〕 古本 昭和 2年刊
  • 明治大正文学全集 第24巻 島崎藤村 春陽堂版■初版・非売品
  • ☆★岩波文庫  藤村詩抄 (島崎藤村自選)
  •  日本文学全集4 【島崎藤村】
次のページ
    一       今でこそ私もこんなに肥ってはおりますものの、その時分は瘠(やせ)ぎすな小作りな女でした。ですから、隣の大工さんの御世話で小諸(こもろ)へ奉公に出ました時は、人様が十七に見て下さいました。私の生れましたのは柏木(かしわぎ)村――はい、小諸まで一里と申しているのです。
 柏木|界隈(かいわい)の女は佐久(さく)の岡の上に生活(くらし)を営(た)てて、荒い陽気を相手にするのですから、どうでも男を助けて一生|烈(はげ)しい労働(はたらき)を為(し)なければなりません。さあ、その烈しい労働を為(す)るからでも有ましょう、私の叔母でも、母親(おふくろ)でも、強健(つよ)い捷敏(はしこ)い気象です。私は十三の歳(とし)から母親に随(つ)いて田野(のら)へ出ました。同じ年|恰好(かっこう)の娘は未だ鼻を垂して縄飛(なわとび)をして遊ぶ時分に、私はもう世の中の歓(うれ)しいも哀(かな)しいも解り始めましたのです。吾家(うち)では子供も殖(ふえ)る、小商売(こあきない)には手を焼く父親(おやじ)は遊蕩(のらくら)で宛(あて)にもなりませんし、何程(なんぼ)男|勝(まさ)りでも母親の腕一つでは遣切(やりき)れませんから、否(いや)でも応でも私は口を預けることになりました。その頃下女の給金は衣裳(いしょう)此方(こちら)持(もち)の年に十八円位が頂上(とまり)です。然し、私は奥様のお古か何かで着せて頂いて、その外は相応な晴衣の御|宛行(あてがい)という約束(きめ)に願って出ました。
 金銭(おかね)で頂いたら、復(ま)た父親に呑まれはすまいか、という心配母親の腹にありましたのです。
 出るにつけても、母親は独(ひとり)で気を揉(もん)で、「旦那(だんな)様というものは奥様次第でどうにでもなる、と言っては済まないが」から、「御奉公は奥様の御|機嫌(きげん)を取るのが第一だ」まで、縷々(さんざん)寝物語に聞かされました。忘れもしない。母親に連れられて家(うち)を出たのは三月の二日でした――山家(やまが)ではこの日を山替(でがわり)としてあるのです。微(すこ)し風が吹いて土塵(つちぼこり)の起(た)つ日でしたから、乾燥(はしゃ)いだ砂交りの灰色な土を踏(ふん)で、小諸をさして出掛けました。母親は新しい手拭(てぬぐい)を冠(かぶ)って麻裏穿(あさうらばき)。私は萌黄(もえぎ)の地木綿風呂敷包を提(さ)げて随いて参りましたのです。こうして親子連で歩くということが、何故かこの日に限って恥しいような悲しいような気がしました。浅々と青く萌初(もえそ)めた麦畠(むぎばたけ)の側を通りますと、丁度その畠の土と同じ顔色の農夫(ひゃくしょう)が鍬(くわ)を休めて、私共を仰山らしく眺(なが)めるのでした。北国街道小諸へ入る広い一筋道其処(そこ)まで来れば楽なものです。昔の宿場風の休茶屋には旅商人(たびあきんど)の群が居りました。「唐松(からまつ)」という名高い並木は伐(きり)倒される最中で、大木の横倒(よこたおし)になる音や、高い枝の裂ける響や、人足の騒ぐ声は戦闘(いくさ)のよう。私共は親子連の順礼と後(あと)になり前(さき)になりして、松葉の香を履(ふん)で通りました。
 小諸の荒町から赤坂下りて行きますと、右手に当って宏壮(おおき)な鼠色建築物(たてもの)は小学校です。その中の一|棟(むね)は建増(たてまし)の最中で、高い足場の内には塔の形が見えるのでした。その構外(かまえそと)の石垣に添(つい)て突当りました処が袋町(ふくろまち)です。それはだらだら下りの坂になった町で、浅間の方から流れて来る河の支流(わかれ)が浅く町中を通っております。この支流(ながれ)を前に控えて、土塀(どべい)から柿の枝の垂下っている家が、私共の尋ねて参りました荒井様でした。見付(みつき)は小諸風の門構でも、内へ入れば新しい格子作(こうしづくり)で、二階建の閑静な御|住居(すまい)でした。
 丁度、旦那様の御留守、母親(おふくろ)は奥様にばかり御目に懸(かか)ったのです。奥様は未だ御若くって、大(おおき)な丸髷(まるまげ)に結って、桃色の髪飾(てがら)を掛た御方でした。物腰のしおらしい、背のすらりとした、黒目勝の、粧(つく)れば粧るほど見勝(みまさ)りのしそうな御|容貌(かおだち)。地の御生(おうまれ)でないということは美しい言葉で知れました。奥様の白い手に見比べると、母親のは骨太な上に日に焼けて、男の手かと思われる位。
「奥様、これは御恥しい品(もの)でごわすが、ほんの御印ばかりに」
母親手土産(てみやげ)を出して、炉辺(ろばた)に置きました。
「あれ、そんな心配をしておくれだと……それじゃ反(かえっ)て御気毒ですねえ」
「否(いいえ)、どう致しやして。家で造(こしら)えやした味噌漬(みそづけ)で、召上られるような品(もの)じゃごわせんが」
「それは何よりなものを――まあ、御茶一つお上り」
「もう何卒(どうぞ)御構いなすって下さいますな」
「よくまあ、それでも早く来てくれましたねえ。あの、何ですか。名は何と言いますの」
「はい、お定と申しやす。実(まこと)に不調法者でごわして。何卒(どうか)まあ何分|宜(よろ)しく御願申しやす」
 私はつんつるてんの綿入に紺足袋穿(こんたびばき)という体裁(しこう)で、奥様に見られるのが何より気恥しゅう御座(ござい)ました。御傍へ添(よ)れば心持の好い香水が顔へ匂いかかる位、見るものも聞くものも私には新しく思われたのです。御奉公の御約束も纏(まとま)りました。母親は華麗(はで)な御暮(おくらし)や美しい言葉の裡(なか)に私を独(ひとり)残して置いて、柏木へ帰って了(しま)いました。
 御本宅は丸茂(まるも)という暖簾(のれん)を懸(かけ)た塩問屋、これは旦那様の御兄様(おあにいさま)で、私の上りました御家は新宅と申しました。御本宅は大勢様、奉公人も十人の上|遣(つか)っておりましたが、新宅は旦那様に奥様、奉公人といえば爺(じい)さんが一人と、其処へ私が参りましたから、合せて四人暮。御本宅は旧気質(むかしかたぎ)の土地風。新宅は又た東京風。家の構造(つくり)を見比べても解るのです。


次のページ

島崎 藤村 (しまざき とうそん) 以外のオススメ作品

旧主人 (きゅうしゅじん) のリンク元

「旧主人-島崎 藤村」の関連ページ


関連ページ
Web Services by Yahoo! JAPAN