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旧聞日本橋 01 序文/自序 - 三上 於菟吉 ( みかみ おときち )

  • 古書「名著複刻全集 日本橋 泉鏡花」
  • 明治大正期手彩色絵葉書【日本橋】明治44年落成
  • ■日本橋トライアンフ■絵画 油絵 イギリス風景画 プレストン
  • 柴田練三郎★お江戸日本橋 上下巻 講談社文庫
  • ■日本橋トライアンフ■富士山 絵画 風景画 版画・水彩
  • ■日本橋トライアンフ■藤井良則 東京風景 水彩 額付・送込
  • 国際文通週間 日本橋 1シート 未使用 NH美品 額面~
  • ■レア■古地図/日本橋ヨリ諸方参詣所道程大概■天台宗・真言宗
  • ◎R-25335 国際文通週間 京師 桑名 蒲原 箱根 日本橋 バラ5枚
  • ■日本橋トライアンフ■絵画 油絵 イギリス風景画 プレストン
旧聞日本橋 序文/自序 長谷川時雨    序文  長谷川時雨(しぐれ)は、生粋(きっすい)の江戸ッ子ということが出来なければ、生(はえ)抜きの東京女だとは言えるであろう。彼女明治初期の首都中心日本橋|油町(あぶらちょう)に法律家を父として生れて、最も東京風な家庭教育の下に育って来た女だ。彼女寺小屋風が多分に遺(のこ)った小学校に学んだり、三味線、二絃琴(にげんきん)の師匠にも其処(そこ)で就いた。時雨現在では、さまざまの思想生活との推移から複雑な人になっているが、内心にはいつも過去日本橋ッ子としての気魄(きはく)が残映して、微妙にその感情を操作しているように見える。
 とにかく、この『旧聞日本橋』は、きわめて素直に、少女期以来彼女が見聞した、過ぎし日の現象に関する記録である。人文史的に見るも意義なしとせぬと思う。

昭和十年一月

三上於菟吉(みかみおときち)


   自序

 ここにまとめた『日本橋』は、『女人芸術』に載せた分だけで、その書きはじめには、こんなことが記してあります。

――事実談がはやるからの思いつきでもない。といって半自叙伝というものだとも思っていない。あまりに日本橋といえばいなせに、有福(ゆうふく)に、立派伝統を語られている。が、ものには裏がある。私の知る日本橋区住居者は――いわゆる江戸ッ児は、美化されて伝わったそんな小意気(こいき)なものでもなければ、洗練された模範的都会人でもない。かなりみじめなプロレタリヤが多い。というよりも、ほろびゆく江戸の滓(かす)でそれがあったのかも知れない。私はただ忠実に、私の幼少な眼にうつった町の人を記して見るにすぎない。もとより、その生活内部を知っているものではないし、面白くもなんともないかもしれないが、信実に生(いき)ていた一面で、決して作ったものではないというだけはいえる――

 打明けていえば、『女人芸術』の頁数の都合で、いつも締切りすぎに短時間書き、二枚五枚と工場へはこび、しかも編輯(へんしゅう)の都合で伸縮自在のうきめにあったもので、そのために一層ありのままで文飾などありません。私の生れたうまや新道、または、小伝馬町(こでんまちょう)、大伝馬(おおでんま)町、馬喰(ばくろ)町、鞍掛橋(くらかけばし)、旅籠(はたご)町などは、旧江戸|宿(しゅく)の伝馬(てんま)駅送に関係がある名です。文中にもある馬込(まごめ)氏は、江戸宿の里長馬込|勘解由(かげゆ)の家柄で、徳川氏江戸に来たとき、駄馬人夫を率いて迎えた名望家で、下平河の宝田村――現在丸の内――から土地替に伝馬町へ移され名主となった由緒があるのです。大伝馬町大丸の下男が、旅籠町となったのをかなしんで、町札をはがしたことも書きましたが、旅籠町とはずっと昔にも一度つけてあった町名で、旅籠とは、馬の食を盛る籠(かご)、馬飼(うまかい)の籠から、旅人食物を入れる器(うつわ)となり、やがて旅人食事まかないとなり、客舎となり、駅つぎの伝馬旅舎として縁のふかい名であり、うまや新道の名も、厩(うまや)も、小伝馬町|大牢(たいろう)の御用のようにばかり書きましたが、それも幼時の感じを申述(もうしの)べただけです。
 伝馬町大牢は明治八年まで在存し、牢屋の原の各寺院は、明治十五年ごろから出来たことを、文中には書洩(かきもら)しましたからここに記入いたしおきます。
 我見(がけん)『日本橋』は、まだもっと書きつづけるつもりでおりますが、この集には、近親のものが重に書かれたため、したがって挿入した写真など、親(しん)に厚ききらいがありますが、これは当時の風俗を知るため、手許(てもと)にあって、年月に間違いのないものゆえに、私事を捨てて入れました。挿絵(さしえ)は天保(てんぽう)十四年に生れた故父|渓石深造(けいせきしんぞう)が六歳のころから明治四年までの見聞を「実見画録」として百五十図書残しおいてくれましたなかから、すこしばかり選び入れました。装幀(そうてい)は烏丸光康卿(からすまみつやすきょう)『後撰集(ごせんしゅう)』表紙裏のうつし、見返しは朱が赤すぎましたが、古画中|直垂紋(ひたたれもん)であります。
 この書は書肆(しょし)の熱意にて、極めて速(すみやか)に出来ふりがな一度失いしためにあるいは校正の麁洩(そせつ)もあらんかとそれのみをおそれます。

昭和十年一月十四日

時雨



底本:「旧聞日本橋岩波文庫岩波書店
   1983(昭和58)年8月16日第1刷発行
   2000(平成12)年8月17日第6刷発行
底本の親本:「旧聞日本橋」岡倉書房
   1935(昭和10)年刊行
入力:門田裕志
校正小林繁
2003年5月17日作成
2006年11月13日修正
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