旧聞日本橋 15 流れた唾き - 長谷川 時雨 ( はせがわ しぐれ )
流れた唾き
神田のクリスチャンの伯母(おば)さんの家(うち)の家風が、あんぽんたんを甚(しど)くよろこばせた。この伯母さんは、女学校を出て、行燈袴(あんどんばかま)を穿(は)いて、四円の月給の小学教師になったので、私の母から姉妹(きょうだい)の縁を切るといわれた女(ひと)だ。でも、当時を風靡(ふうび)した官員さんの細君になったので、また縁がつながったものと見える。思うに私の母はちと癪(しゃく)だったに違いない。家業は自分の夫の方が小粋(こいき)で、モダンなんだが、家風がばかに古くって、伯母の家とはてんでおはなしにならない、違いかただった。
それも八十になるおばあさんがいるからだ――そう思ったことであったろう。今考えると、月琴(げっきん)をかかえたり、眉毛(まゆげ)をたてたりしたのは、時代の風潮ばかりではなく、このおばさんの、近代生活(モダンライフ)にグッとしたのかもしれない。
しかし、その時分のモダンは、四布風呂敷(よのぶろしき)ほどの大きさの肩掛けをかけたり、十八世紀風のボンネットや肩に当(あて)ものをしたり、お乳(ちち)にもあてものをして、胸のところで紐を編上げたりするシミズを着て、腰にはユラユラブカブカする、今なら襁褓(おしめ)干しにつかうような格好のものを入れて洋服を着ていた時代である。江の島か鎌倉へゆくと、近所知己からお留守見舞というものをくれて帰ってくるとあの子は洋行をして来た――嘘(うそ)ではない。洋行という新時代語と、道中とか旅とかいっていたのを、洋行というむずかしい言語(ことば)で言いあらわそうとした間違いを平気で、いってみれば、あの方がダラ幹さんという方? ときく人がある、ああした生(なま)はんかな、物知り――そんな位なところなのだったのだ。もっとあとだって、昨夜(ゆうべ)は大財産をなすったなんて、財産と散財と、とんちんかんなのを、どうしても得(え)とく出来なかったものさえある。
私の家族(うち)は御飯のとき、向側の角が祖母、火鉢をはさんで父、すこしはなれて母、母の横から小さい姉妹が折曲(おりまが)って、祖母の前が丁度私の居場所になる。みんな、各自(めいめい)のお膳を行儀よくひかえる。祖母は何もかも一番早くゆくから一番さきにしまいになる。すると、長い煙管(キセル)をついて監視人と早がわり、御飯粒ひとつでもこぼすと、その始末をしてしまわないうちは食べさせない。あたしは味噌汁(おみおつけ)が嫌いなので、ぽっちりとお椀(わん)の底の方へよそってもらってもつい残す。とにかく祖母の目はあたしにばかりそそがれているからたまらない、最後に、小言(こごと)はいわずに、
「越中立山(えっちゅうたてやま)、無限地獄に堕(おち)るぞよ。」
と、あたしのお残りへ白湯(さゆ)をさして飲んでくれる。あんぽんたんながら、それには恐縮して、老人(としより)の眼は悪かろうからと、だんだん後へさがって座るのだが、お豆腐ぎらいのために母が内密(ないしょ)で半片(はんぺん)にしてくれると、ちゃんと知っている。だから私はすべて襖(ふすま)のそとへ手をついて――只今という機械人形のようなおとなしさだ。この祖母は、ぞんざいな者が傍へくると、近よらないさきから足を踏まれない用心に、あいたあいたと言った。と、いかなぞん気ものでも吃驚(びっくり)して立止まるか静かにあるくかする。一挙両得、叱らずに叱られずにすむ妙諦(みょうてい)である。
そんな家から小官員(こかんいん)さんの新家庭へゆくと、伯母さんは多い毛をお釜敷(かましき)のような束髪にねじって、襟なしの着物で、おかみさんでもひっかけ(帯の結びよう)でなしに、ちりめんの前掛けも締めないで、机のような大きなお膳へ白い布をかけて、夕飯の時には若い牧師さんも来て座って、いろんなお皿が出てもすぐ食べないで、鉄ぶちの眼鏡をかけたその若い牧師さんが、小さな本を開いて、なんだかブツブツ言うと、みんな頭を垂れていて、終(しま)いにアーメンと呟(つぶ)やいて額と胸とに三度十字をきる。でも、大人でも、よっぽど待どおしいと見えて十字は実に早くやる、お茶碗もすぐ口にもってゆく。食物(たべもの)は家のよりまずいが牛乳の缶(かん)は毎朝台所にぶらさがっている。伯母さんは鶏卵(たまご)の黄身(きみ)をまん中にして白身を四角や三角に焼くのが上手だ、駿河台へニコライ堂が建つとき連れてってくれたのもこの伯母さんだ。ヴィオリンの音(ね)や、ピアノや、オルガンの音をはじめて耳にしたのも伯母さんの住居へとまりにいったからだった。そのころ下町でそんな音色(ねいろ)も、楽器も知っているものはなかった。あんぽんたんは外国の匂(にお)いを、ここではじめて嗅(か)いだのだ。なぜなら神田は学問をする書生さんの巣窟(そうくつ)であり、いまでいうインテリゲンチャの群である。帽子をかむった人なんか、めったに見ない下町ッ子は、通る人がみんな白金巾(しろかなきん)の兵児帯(へこおび)をしめているのに溜息(ためいき)した。夕方は下宿屋の二階三階に、書生さんたちが大勢てすりに腰をかけていた。私は女がそういうふうをしているのを新宿(妓楼)で見たことを伯母さんにはなした。
南校(なんこ)の原(はら)でバッタやオートをつかまえて、牛が淵でおたまじゃくしを掬(すく)った。従弟(いとこ)とおまっちゃんと三人で、炎天ぼしになって掬ったが、入(いれ)ものをもたないで、土に掬いあげたのはすぐ消たように乾(ひ)かたまってしまった。三人は唾(つばき)をした。川の水に唾をして唾が散れば肺病ではないと、なにが肺病なのかよく知らないのに、幾度も幾度も唾を吐(は)いた。すぐに散ってしまうと手を叩(たた)いて歓声をあげる。
帰ると盥(たらい)を出して水をあびる。溝(どぶ)に糸みみずのウヨウヨ動いているのを見つけて、家の金魚のおみやげだと掻廻(かきまわ)す。邸町(やしきまち)の昼は静かで、座敷を大きな揚羽蝶(あげはちょう)が舞いぬけてゆく。お砂糖水をこしらえようと砂糖|壺(つぼ)をあけたら、ここにも大きな蝶がじっとして卵をしている――私たちはウワッと叫んだ、なにもかもが珍しいのだった。
だが、ふと、自分の家の午後も思出さないではない。みんなして板塀(へい)がドッと音のするほど水を撒(ま)いて、樹木から金の雫(しずく)がこぼれ、青苔(あおごけ)が生々した庭石の上に、細かく土のはねた、健康そうな素足を揃えて、手拭で胸の汗を拭(ふ)きながら冷たいお茶受けを待っている。女中さんは堀井戸から冷(ひや)っこいのを、これも素足で、天びん棒をギチギチならして両桶に酌(く)んでくる。大きな桶に入れた麩麺(そうめん)が持ちだされる時もあるし、寒天やトコロテンのこともあるし、白玉をすくって白砂糖をかけることもある。
――そのころの人は水の味をよく知っていた。どこの井戸はくせがある。この水は甘い、あそこのは質(たち)が細かい――女中さんは自慢で手桶のふたをとる。
それも八十になるおばあさんがいるからだ――そう思ったことであったろう。今考えると、月琴(げっきん)をかかえたり、眉毛(まゆげ)をたてたりしたのは、時代の風潮ばかりではなく、このおばさんの、近代生活(モダンライフ)にグッとしたのかもしれない。
しかし、その時分のモダンは、四布風呂敷(よのぶろしき)ほどの大きさの肩掛けをかけたり、十八世紀風のボンネットや肩に当(あて)ものをしたり、お乳(ちち)にもあてものをして、胸のところで紐を編上げたりするシミズを着て、腰にはユラユラブカブカする、今なら襁褓(おしめ)干しにつかうような格好のものを入れて洋服を着ていた時代である。江の島か鎌倉へゆくと、近所知己からお留守見舞というものをくれて帰ってくるとあの子は洋行をして来た――嘘(うそ)ではない。洋行という新時代語と、道中とか旅とかいっていたのを、洋行というむずかしい言語(ことば)で言いあらわそうとした間違いを平気で、いってみれば、あの方がダラ幹さんという方? ときく人がある、ああした生(なま)はんかな、物知り――そんな位なところなのだったのだ。もっとあとだって、昨夜(ゆうべ)は大財産をなすったなんて、財産と散財と、とんちんかんなのを、どうしても得(え)とく出来なかったものさえある。
私の家族(うち)は御飯のとき、向側の角が祖母、火鉢をはさんで父、すこしはなれて母、母の横から小さい姉妹が折曲(おりまが)って、祖母の前が丁度私の居場所になる。みんな、各自(めいめい)のお膳を行儀よくひかえる。祖母は何もかも一番早くゆくから一番さきにしまいになる。すると、長い煙管(キセル)をついて監視人と早がわり、御飯粒ひとつでもこぼすと、その始末をしてしまわないうちは食べさせない。あたしは味噌汁(おみおつけ)が嫌いなので、ぽっちりとお椀(わん)の底の方へよそってもらってもつい残す。とにかく祖母の目はあたしにばかりそそがれているからたまらない、最後に、小言(こごと)はいわずに、
「越中立山(えっちゅうたてやま)、無限地獄に堕(おち)るぞよ。」
と、あたしのお残りへ白湯(さゆ)をさして飲んでくれる。あんぽんたんながら、それには恐縮して、老人(としより)の眼は悪かろうからと、だんだん後へさがって座るのだが、お豆腐ぎらいのために母が内密(ないしょ)で半片(はんぺん)にしてくれると、ちゃんと知っている。だから私はすべて襖(ふすま)のそとへ手をついて――只今という機械人形のようなおとなしさだ。この祖母は、ぞんざいな者が傍へくると、近よらないさきから足を踏まれない用心に、あいたあいたと言った。と、いかなぞん気ものでも吃驚(びっくり)して立止まるか静かにあるくかする。一挙両得、叱らずに叱られずにすむ妙諦(みょうてい)である。
そんな家から小官員(こかんいん)さんの新家庭へゆくと、伯母さんは多い毛をお釜敷(かましき)のような束髪にねじって、襟なしの着物で、おかみさんでもひっかけ(帯の結びよう)でなしに、ちりめんの前掛けも締めないで、机のような大きなお膳へ白い布をかけて、夕飯の時には若い牧師さんも来て座って、いろんなお皿が出てもすぐ食べないで、鉄ぶちの眼鏡をかけたその若い牧師さんが、小さな本を開いて、なんだかブツブツ言うと、みんな頭を垂れていて、終(しま)いにアーメンと呟(つぶ)やいて額と胸とに三度十字をきる。でも、大人でも、よっぽど待どおしいと見えて十字は実に早くやる、お茶碗もすぐ口にもってゆく。食物(たべもの)は家のよりまずいが牛乳の缶(かん)は毎朝台所にぶらさがっている。伯母さんは鶏卵(たまご)の黄身(きみ)をまん中にして白身を四角や三角に焼くのが上手だ、駿河台へニコライ堂が建つとき連れてってくれたのもこの伯母さんだ。ヴィオリンの音(ね)や、ピアノや、オルガンの音をはじめて耳にしたのも伯母さんの住居へとまりにいったからだった。そのころ下町でそんな音色(ねいろ)も、楽器も知っているものはなかった。あんぽんたんは外国の匂(にお)いを、ここではじめて嗅(か)いだのだ。なぜなら神田は学問をする書生さんの巣窟(そうくつ)であり、いまでいうインテリゲンチャの群である。帽子をかむった人なんか、めったに見ない下町ッ子は、通る人がみんな白金巾(しろかなきん)の兵児帯(へこおび)をしめているのに溜息(ためいき)した。夕方は下宿屋の二階三階に、書生さんたちが大勢てすりに腰をかけていた。私は女がそういうふうをしているのを新宿(妓楼)で見たことを伯母さんにはなした。
南校(なんこ)の原(はら)でバッタやオートをつかまえて、牛が淵でおたまじゃくしを掬(すく)った。従弟(いとこ)とおまっちゃんと三人で、炎天ぼしになって掬ったが、入(いれ)ものをもたないで、土に掬いあげたのはすぐ消たように乾(ひ)かたまってしまった。三人は唾(つばき)をした。川の水に唾をして唾が散れば肺病ではないと、なにが肺病なのかよく知らないのに、幾度も幾度も唾を吐(は)いた。すぐに散ってしまうと手を叩(たた)いて歓声をあげる。
帰ると盥(たらい)を出して水をあびる。溝(どぶ)に糸みみずのウヨウヨ動いているのを見つけて、家の金魚のおみやげだと掻廻(かきまわ)す。邸町(やしきまち)の昼は静かで、座敷を大きな揚羽蝶(あげはちょう)が舞いぬけてゆく。お砂糖水をこしらえようと砂糖|壺(つぼ)をあけたら、ここにも大きな蝶がじっとして卵をしている――私たちはウワッと叫んだ、なにもかもが珍しいのだった。
だが、ふと、自分の家の午後も思出さないではない。みんなして板塀(へい)がドッと音のするほど水を撒(ま)いて、樹木から金の雫(しずく)がこぼれ、青苔(あおごけ)が生々した庭石の上に、細かく土のはねた、健康そうな素足を揃えて、手拭で胸の汗を拭(ふ)きながら冷たいお茶受けを待っている。女中さんは堀井戸から冷(ひや)っこいのを、これも素足で、天びん棒をギチギチならして両桶に酌(く)んでくる。大きな桶に入れた麩麺(そうめん)が持ちだされる時もあるし、寒天やトコロテンのこともあるし、白玉をすくって白砂糖をかけることもある。
――そのころの人は水の味をよく知っていた。どこの井戸はくせがある。この水は甘い、あそこのは質(たち)が細かい――女中さんは自慢で手桶のふたをとる。
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