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早春 - 芥川 竜之介 ( あくたがわ りゅうのすけ )

  • テレカ 早春の支笏湖 50度数
  • ◇ ≪歌の切手 B92≫ 早春賦
  • ☆わたしの愛唱歌シリーズ第9集/早春賦 シート☆
  • 希少価値 1981年 早春号 別冊 平凡パンチ 太田あや子 汚有
  • ■■わたしの愛唱歌第9集【早春賦】 切手シート■■ 
  • 藩校早春賦
  • 昭和32年 千曲川のスケッチ 早春-後編 島崎藤村 新潮文庫
  • ◆ フライの雑誌 季刊早春号 64 2004 EARLY SPRING ISSUE
  • ◇ ≪歌の切手 B92≫ 早春賦
  • 南沙織「早春のハーモニー+1」紙ジャケCD ボーナス曲つき高音質
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芥川龍之介  大学生中村(なかむら)は薄(うす)い春のオヴァ・コオトの下に彼自身の体温を感じながら、仄暗(ほのぐら)い石の階段博物館の二階へ登っていった。階段を登りつめた左にあるのは爬虫類(はちゅうるい)の標本室(ひょうほんしつ)である。中村はそこへはいる前に、ちょっと金の腕時計を眺めた。腕時計の針は幸いにもまだ二時になっていない。存外(ぞんがい)遅れずにすんだものだ、――中村はこう思ううちにも、ほっとすると言うよりは損をした気もちに近いものを感じた。
 爬虫類標本室はひっそりしている。看守(かんしゅ)さえ今日(きょう)は歩いていない。その中にただ薄ら寒い防虫剤(ぼうちゅうざい)の臭(にお)いばかり漂(ただよ)っている。中村は室内を見渡した後(のち)、深呼吸をするように体を伸ばした。それから大きい硝子戸棚(ガラスとだな)の中に太い枯れ木をまいている南洋の大蛇(だいじゃ)の前に立った。この爬虫類標本室はちょうど去年の夏以来、三重子(みえこ)と出合う場所に定(さだ)められている。これは何も彼等の好みの病的だったためではない。ただ人目(ひとめ)を避けるためにやむを得ずここを選んだのである。公園、カフェ、ステエション――それ等はいずれも気の弱い彼等に当惑(とうわく)を与えるばかりだった。殊に肩上(かたあ)げをおろしたばかりの三重子は当惑以上に思ったかも知れない。彼等は無数の人々の視線の彼等の背中に集まるのを感じた。いや、彼等の心臓さえはっきりと人目に映(えい)ずるのを感じた。しかしこの標本室へ来れば、剥製(はくせい)の蛇(へび)や蜥蝪(とかげ)のほかに誰|一人(ひとり)彼等を見るものはない。たまに看守や観覧人に遇(あ)っても、じろじろ顔を見られるのはほんの数秒の間だけである。……
 落ち合う時間は二時である。腕時計の針もいつのまにかちょうど二時を示していた。きょうも十分と待たせるはずはない。――中村はこう考えながら、爬虫類標本を眺めて行った。しかし生憎(あいにく)彼の心は少しも喜びに躍っていない。むしろ何か義務に対する諦(あき)らめに似たものに充たされている。彼もあらゆる男性のように三重子に倦怠(けんたい)を感じ出したのであろうか? けれども捲怠を生ずるためには同一のものに面しなければならぬ。今日三重子は幸か不幸か全然昨日(きのう)の三重子ではない。昨日三重子は、――山手(やまのて)線の電車の中に彼と目礼だけ交換(こうかん)した三重子はいかにもしとやかな女学生だった。いや、最初に彼と一しょに井(い)の頭(かしら)公園へ出かけた三重子もまだどこかもの優(やさ)しい寂しさを帯びていたものである。……
 中村はもう一度腕時計を眺めた。腕時計は二時五分過ぎである。彼はちょっとためらった後(のち)、隣り合った鳥類(ちょうるい)の標本室へはいった。カナリヤ、錦鶏鳥(きんけいちょう)、蜂雀(はちすずめ)、――美しい大小剥製(はくせい)の鳥は硝子越(ガラスご)しに彼を眺めている。三重子もこう言う鳥のように形骸(けいがい)だけを残したまま、魂(たましい)の美しさを失ってしまった。彼ははっきり覚えている。三重子はこの前会った時にはチュウイン・ガムばかりしゃぶっていた。そのまた前に会った時にもオペラの唄ばかり歌っていた。殊に彼を驚かせたのは一月(ひとつき)ほど前(まえ)に会った三重子である。三重子はさんざんにふざけた揚句(あげく)、フット・ボオルと称しながら、枕を天井(てんじょう)へ蹴上(けあ)げたりした。……
 腕時計は二時十五分である。中村ため息を洩(も)らしながら、爬虫類(はちゅうるい)の標本室(ひょうほんしつ)へ引返した。が、三重子はどこにも見えない。彼は何か気軽になり、目の前の大蜥蜴(おおとかげ)に「失敬」をした。大蜥蜴明治何年か以来、永久に小蛇(こへび)を啣(くわ)えている。永久に――しかし彼は永久にではない。腕時計の二時半になったが最後、さっさと博物館を出るつもりである。桜はまださいていない。が、両大師前(りょうだいしまえ)にある木などは曇天を透(す)かせた枝々に赤い蕾(つぼみ)を綴(つづ)っている。こういう公園散歩するのは三重子とどこかへ出かけるよりも数等(すうとう)幸福といわなければならぬ。……
 二時二十分! もう十分待ちさえすれば好(い)い。


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