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明日の知性 - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

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          一  第二次ヨーロッパ大戦は、私たち現世紀の人間にさまざまの深刻な教訓をあたえた。そのもっとも根本的な点は国際間の複雑な利害矛盾調整は、封建的で、また資本主義的な強圧であるナチズムファシズムでは、できなかったという事実である。もっと進歩した、もっと合理的な方法でなくては――ただ殺戮侵略武力では、国際間の問題解決しないということを血をもって学んだ。
 このたびの大戦結果は、二十五年以前の第一次世界大戦のときよりも、いっそうまざまざと人間理性勝利意味民主社会価値を教えたのだが、それにつれて、世界女性のうごきも、独特の飛躍発展を示してきている。日本はこの十数年間、鎖国状態で、世界事情は知られなかった。そのために、スペイン民主戦線有名なパッショナリーアと呼ばれた婦人がいたことも知らなければ、大戦フランス大学卒業した知識階級婦人たちの団体が、どんなにフランス自由解放のためにナチス政権の下で勇敢な地下運動国際的に展開したかということも知らなかった。耳も掩われ、眼もかくされ、日本女性戦争の犠牲とされた。
 去年の春ごろ、内山敏氏が、ある雑誌トーマス・マンの長女のエリカ・マンが、弟のクラウス・マンと共著した「生への逃亡」について、エリカ・マンの活動紹介しておられた。この短い伝記は、感銘のふかいものであった。知識階級の若い聰明な女性が、そのすこやかな肉体のあらゆる精力と、精神の活力の全幅をかたむけて、兇暴なナチズムに対して人間理性の明るさをまもり、民主精神をまもったはたらきぶりは、私たち日本知識階級女性に、自分たちの生の可能について考えさせる多くのものをもっているとおもう。
 トーマス・マンというドイツの民主精神をもつ作家の名は、日本にもよく知られている。「ブッテン・ブーローク」や「魔の山」「ロッテかえりぬ」などは翻訳でひろくよまれている。マンには六人の子供たちがある。長女エリカ・マン。そのつぎのクラウス・マン。この人は反ナチ作家で、ヒトラー政権確立させてからはオランダで、『ザンムルング』という反ナチの文学雑誌を発行していた。ロシアの作曲家チャイコフスキーを題材とした「悲愴交響曲(パセティックシムフォニー)」という作品がある。二男は歴史家であるゴロ・マン。次女モニカはハンガリー美術史家の妻。三男ミハエルヴァイオリニスト。末娘のエリザベート・マンがピアニストで、イタリーの反ファシスト評論家ボルゲーゼと結婚しているそうである。
 内山氏の紹介によると、エリカ・マンは一九〇五年生れで、日本流にかぞえれば四十四歳になっている。幼年時代を、たのしく愛と芸術的な空気にみちたトーマス・マンの家庭に育って、十八歳で学校卒業すると、ベルリンへ出て、マックスラインハルト弟子になった。ラインハルトといえばドイツの近代劇と演出の泰斗である。(ナチスきっての芝居気の多かった男ゲーリングも、ひところ門下に加っていた。ナチスの大がかりな舞台効果は、はからずもゲーリングのこの経歴が役立ったといわれている。)
 ラインハルトの下で女優となったエリカ・マンは、やがてハンブルグでおなじ俳優であるグリュントゲンスと結婚した。グリュントゲンスは才能はあったが、あとではナチスに加って、ベルリン国立劇場支配人と立身したような性格であったため、エリカの結婚生活はながくつづかず、離婚して故郷ミュンヘンにかえった。そして、国立劇場小劇場に出演した。ショウの「セント・ジョン」でジャンヌ・ダークを演じたりして好評をえている。
 エリカ・マンには、女性にめずらしい特長があり、疲れを知らない行動力、強靭運動神経がある。ヘンリーフォード催しヨーロッパ早まわり競争参加して、十日間六千マイルを突破して一等になり、フォードより自動車を一台おくられたことがある。この早まわり競争の道づれも弟のクラウスであり、しかも早まわり記事新聞におくり、あとから一冊にまとめて「欧洲一周」として本にした。
 一九三〇年に入ってから、ヒトラーのナチスは総選挙で多数党となり、ドイツの全人民知識階級をもこめて、その野蛮な軛(くびき)の下に苦しむ第一歩がふみ出された。どうして、第一ヨーロッパ大戦後のドイツに、ヒトラー運命が、そんな人気を博したのであったろうか。内山氏の紹介は、「まったく敗戦後のドイツの姿は、今日日本を彷彿させるものがある」と当時の事情にふれている。大戦後の混乱は有名なマークの暴落をひきおこし、一方にすさまじい成りあがりを生み出しながら、中産階級は没落して、エリカ・マンさえ靴のない春から秋までをすごさねばならぬ状態におちいった。絶望し、分別を失ったドイツの民衆は、それがなんであろうと目前に希望をあたえ、気休めをあたえるものにすがりつき、いかがわしい予言者だの、小政党だのが続々頭をもたげた。
 ヒトラーのナチスも、はじめはまったくその一としてあらわれた。当時のドイツは軍国主義教育でやしなわれていたから、戦争に敗けさえしなかったなら、という感情民衆の心につよくのこっていた。そこへ巧みにつけ入って、ドイツ民族の優秀なことや、将来の世界覇権夢想や、生産復興描き出したヒトラー運動は、地主軍人の古手、急に零落した保守的中流人の心をつかんで、しだいに勢力をえ、せっかくドイツ帝政崩壊後にできたワイマール憲法を逆転させる力となったのである。
 アメリカにわたってから、エリカ・マンが語った意味ふかい警告が、内山氏の紹介に録されている。それはエリカ・マンが「私はドイツにいるあいだ(中略)政治のことは政治家にまかせておけばよいというあやまった見解でした。私ども多くのものがそう考えたために、ヒトラー権力を握ったのです」そして「事実上ドイツ文化代表するすべてのものが亡命する」結果になったのであるといっている点である。ドイツの知識人たちは、ナチスの運動がその背後にどんな大きいドイツの軍国主義者資本家の大群をひかえているかということを洞察せず、馬鹿にしていたために、祖国とその文化とをナチスに蹂躙(じゅうりん)されつくした。
 一九二〇年代のドイツは、左翼が活躍し、ドイツ共産党も公然と存在していた時代であった。その時代に育ったエリカ・マンが民主主義精神をもち、日に日につのるナチスの暴圧に反抗を感じたのは自然であった。エリカ・マンは、はじめ小論文諷刺物語を書いて反ナチの闘争をはじめたが、一九三三年一月一日ミュンヘンに「胡椒小屋」(ペッパー・ミル)という政治キャバレーをひらいて、おなじ名の諷刺劇を上演したり、娯楽宣伝とをかねた政治的集会を催し演劇才能行動性とを溌剌と発揮して活動しはじめた。
 ところが二月二十七日の夜、ドイツ国放火事件がおこった。真の犯人はナチスであるが、それを口実に共産党への大弾圧を加えるために、計画された陰謀であった。


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