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明治美人伝 - 長谷川 時雨 ( はせがわ しぐれ )

  • 二銭銅貨 2銭銅貨 明治13年 明治14年 明治16年 古銭
  • Ω 図録『明治天皇と明治美術の名宝』展*明治神宮*平成14年
  • 1円~ 明治貨幣 1厘銅貨3枚(明治15年×2枚、明治16年×1枚)
  • 明治大正期手彩色絵葉書【日本橋】明治44年落成
  • 美品 東京人 2005年10月 明治東京「お雇い外国人」明治建築
  • ☆純銀 明治天皇御肖像牌 明治百年記念メダル/13
  • !219  半銭 明治6年&明治7年  2枚 上品
  • ★☆竜1銭/明治10年/竜2銭/明治15年/2枚セット☆★
  • 〔初心だし〕 古銭 明治一円銀貨 明治二十銭 寛永通宝
  • LG21 ギフト券 明治プロビオヨーグルト 明治乳業 4個分
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       一  空の麗(うるわ)しさ、地の美しさ、万象の妙(たえ)なる中に、あまりにいみじき人間美は永遠を誓えぬだけに、脆(もろ)き命に激(はげ)しき情熱の魂をこめて、たとえしもない刹那(せつな)の美を感じさせる。  美は一切の道徳(どうとく)規矩(きく)を超越して、ひとり誇(ほこ)らかに生きる力を許されている。古来美女たちのその実際生活が、当時の人々からいかに罪され、蔑(さげ)すまれ、下(おと)しめられたとしても、その事実は、すこしも彼女たちの個性的|価値(ねうち)を抹殺(まっさつ)する事は出来なかった。かえって伝説化された彼女らの面影は、永劫(えいごう)にわたって人間生活に夢と詩とを寄与(きよ)している。
 小さき夢想家であり、美の探求者(たんきゅうしゃ)であるわたしは、古今の美女のおもばせを慕ってもろもろの書史(ふみ)から、語草(かたりぐさ)から、途上の邂逅(かいこう)からまで、かずかずの女人をさがしいだし、その女(ひと)たちの生涯の片影(へんえい)を記(しる)しとどめ、折にふれて世の人に、紹介することを忘れなかった。美しき彼女たちの(小伝)は幾つかの巻となって世の中に読まれている。
 そしてわたしの美女に対する細(こま)かしい観賞、きりきざんだ小論はそうした書にしるしておいた。ここには総論的な観方(みかた)で現代女性を生んだ母の「明治美人」を記して見よう。

 それに先だって、わたしは此処(ここ)にすこしばかり、現代女性の美の特質を幾分書いて見なければならない。それはあまりに急激に、世の中の美人観が変ったからである。古来、各時期に、特殊な美人型があるのはいうまでもないが、「現代は驚異である」とある人がいったように、美人に対してもまたそういうことがいえる。
 現代では度外(どはず)れということや、突飛(とっぴ)ということが辞典から取消されて、どんなこともあたり前のこととなってしまった。実に「驚異」横行時代であり、爆発時代である。各自の心のうちには、空さえ飛び得るという自信をもちもする。まして最近、檻(おり)を蹴破り、桎梏(しっこく)をかなぐりすてた女性は、当然ある昂(たか)ぶりを胸に抱く、そこで古い意味の(調和)古い意味の(諧音)それらの一切は考えなくともよいとされ、現代女性は(不調和)のうちに調和を示し、音楽を夾雑音のうちに聴くことを得意とする。女性の胸に燃えつつある自由思想は、各階級を通じて(化粧)(服装)(装身)という方面の伝統蹴り去り、外形的に(破壊)と(解放)とを宣言した。調(ととの)わない複雑、出来そくなった変化メチャメチャな混乱――いかにも時代にふさわしい異色を示している。
 時代精神の中枢は自由である。束縛は敵であり跳躍は味方である。各自の気分によって女性は、おつくりをしだした。美の形式はあらゆる種類のものが認識される。
 黒狐の毛皮の、剥製標本(はくせいひょうほん)のような獣の顔が紋服の上にあっても、その不調和を何人(なんぴと)も怪しまない。十年前、メエテルリンク夫人の豹(ひょう)の外套(がいとう)は、仏蘭西(フランス)においても、亜米利加(アメリカ)においても珍重されたといわれるが、現代日本においては、気分的想像の上ですでにそんなものをば通り越してしまっている。
 その奔放な心持ちは、いまや、行きつくところを知らずに混沌(こんとん)としている。けれども、この思い切った突飛(とっぴ)の時代粧をわたしは愛し尊敬する。なぜならば進化はいつも混沌をへなければならないし、改革第一歩は勇気に根ざすほかはない。いかに馴化(じゅんか)された美でも、古くなり気が抜けては、生気に充ちみちた時代の気分と合わなくなってしまう。混沌たる中から新様式の美の発見をしなければならない。そこに新日本女性美が表現されるのであるから――

 なごやかな、そして湿(しめ)やかな、噛(か)みしめた味をよろこぶ追懐的情緒は、かなり急進論者のように見えるわたしを、また時代とは逆行させもするが、過激な生活は動的の美を欲求させ、現代女性美は現代の美の標準の方向を表示しているともいえるし、現代人間一般的に、どんな生き方を欲しているかという問題をも、痛切に表現しているともいえる。で、その時代を醸(かも)した、前期の美人観をといえば、一口に、明治の初期は、美人もまた英雄的であったともいえるし、現今のように一般的の――おしなべて美女に見える――そうしたのではなかった。「とても昔なら醜女(しこめ)とよばれるのだが、当世では美人なのか。」と、今日の目をもたない、古い美人観にとらわれているものは歎声を発しるが、徳川末期と明治期とは、美人の標準の度があまりかけはなれてはいなかった。
 無論明治期にはいって、丸顔がよろこばれてきていた。「色白の丸ポチャ」という言葉出来た。女の眼には鈴を張れという前代からの言いならわしが、力強く表現されてきている。けれど、やはり瓜実顔(うりざねがお)の下(しも)ぶくれ――鶏卵形が尊重され、角(かく)ばったのや、額(ひたい)の出たのや、顎(あご)の突出たのをも異国情緒――個性美の現われと悦ぶようなことはなかった。
 瓜実顔は勿論徳川期から美人の標型になっていた。その点で明治期美人の型を破り、革命をなし遂(と)げたとはいえない。そして瓜実顔は上流貴人の相である。その点で明治美人伝統的なものであり、やはり因習にとらわれていたともいえる。維新政変はお百姓出世時(しゅっせどき)というようなことを、都会に生れたものは口にしていたが、「お百姓出世」とは、幕府|直参(じきさん)でない、地方|侍(ざむらい)の出世という意味で、決して今日のように民衆時代ではなかった。美人の型もおのずから法則があった。
 とはいえ、徳川三百年の時世にも、美人は必ずしも同じ型とはいえない。浮世絵の名手が描き残したのを見てもその推移は知れる。春信(はるのぶ)、春章(しゅんしょう)、歌麿(うたまろ)、国貞(くにさだ)と、豊満な肉体、丸顔から、すらりとした姿、脚と腕の肉附きから腰の丸味――富士額(ふじびたい)――触覚からいえば柔らかい慈味(じみ)のしたたる味から、幕末へ来ては歯あたりのある苦みを含んだものになっている。多少骨っぽくなって、頭髪などもさらりと粗(あら)っぽい感じがする。羽二重や、絖(ぬめ)や、芦手(あしで)模様や匹田鹿(ひったが)の子(こ)の手ざわりではなく、ゴリゴリする浜ちりめん透綾(すきや)、または浴衣(ゆかた)の感触となった。しかしこれは主(おも)に江戸芸術であり、風俗である。京阪(けいはん)移殖(いしょく)の美人型が、漸(ようや)く、江戸|根生(ねおい)の個性あるものとなったのだった。錦絵芝居から見ても、洗いだしの木目(もくめ)をこのんだような、江戸系の素質を磨(みが)き出そうとした文化文政以後の好みといえもする。


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