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明治開化 安吾捕物 07 その六 血を見る真珠 - 坂口 安吾 ( さかぐち あんご )

  • 二銭銅貨 2銭銅貨 明治13年 明治14年 明治16年 古銭
  • Ω 図録『明治天皇と明治美術の名宝』展*明治神宮*平成14年
  • 1円~ 明治貨幣 1厘銅貨3枚(明治15年×2枚、明治16年×1枚)
  • 明治大正期手彩色絵葉書【日本橋】明治44年落成
  • 美品 東京人 2005年10月 明治東京「お雇い外国人」明治建築
  • ☆純銀 明治天皇御肖像牌 明治百年記念メダル/13
  • !219  半銭 明治6年&明治7年  2枚 上品
  • ★☆竜1銭/明治10年/竜2銭/明治15年/2枚セット☆★
  • 〔初心だし〕 古銭 明治一円銀貨 明治二十銭 寛永通宝
  • LG21 ギフト券 明治プロビオヨーグルト 明治乳業 4個分
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明治開化 安吾捕物 その六 血を見る真珠  明治十六年一月のことである。東京木工船会社新造した百八十トンの機帆船昇龍丸が試運転をかねて濠洲に初航海した。日本国名も聞きなれぬ当時のことで、非常に珍しがられて、港々に盛大なモテナシをうけた。そのとき、木曜島近海暗礁にのりあげて船体を破損し、修理のために一ヶ月ほど木曜島にとどまったのである。
 折しも木曜島では、明治十二三年に優秀な真珠貝の産地であることが発見されて、諸国から真珠貝採取船や、仲買人が雲集し、銀行出張して、真珠景気の盛大なこと。明治十八年には日本潜水夫もこの島へ稼ぎに出たということだが、それは後日の話。昇龍丸の乗組員偶然その地に長逗留して、徒然なるまゝに、真珠採取事業をつぶさに見学するに至った。
 船長畑中利平は房州の産で、日本近海の小粒な真珠採取には多少の経験を持っていたから、特に興味をもって業態学び、自得するところがあった。これがそもそも彼の奇怪にして不幸な運命の元をなすに至ったのである。
 昇龍丸の修理成って、木曜島を出帆、シンガポールから大陸沿いの航路をすてて、ボルネオセレベスにはさまれたマカッサル海峡を、ボルネオ沿いに北上した。今やボルネオの北端に達してスールー海に近づいた折、又しても暗礁に乗りあげてしまった。船員たちの一両日にわたる忍耐強い努力結果、ついに満潮を見て自力で離礁することができたが、この悪戦苦闘の最中に、そこの海底木曜島にも遥かにまさって白蝶貝、黒蝶貝の老貝の密集地帯であることを発見したのである。
 後日に至って、スールー海真珠貝の大産地であることは世界に知られるに至ったが、当時は全く知る人のない秘められた宝庫だ。のみならず、船長畑中利平、通辞今村善光らの手記によれば、この秘境今日真珠の産地たるスールー海のどの地点でもなく、ボルネオの無人の陸地に沿うたサンゴ礁海底で、今日もその名を知られず所在を知られぬ未開の秘境であるらしい。
 昇龍丸は無事故国に帰りついたが、帰国の途次、畑中船員にはかって、
木曜島で坐礁して白蝶貝の採取を見学しての帰路に又坐礁して白蝶貝黒蝶貝の無数にしきつらねた海底発見するとは、海神の導きと云うよりほかにないようなものではないか。オレは幸い房州小湊の産で、そこの海には八十吉に清松という二人の潜水名人が居て、その技術木曜島で見た潜水夫の誰よりも秀でているのをこの目で見て知っている。木曜島では二十|尋(ひろ)から三十尋の海底だったが、あそこの海では十尋から十五尋の浅海に差しわたし一尺の余もあろうという老貝がギッシリしきつらねてあるのだ。その上、附近の陸地は全くの無人の地、通る船舶も殆どなく、密漁を見破られるという心配は百に一ツもないようだ。一つ八十吉と清松を仲間にひきいれて、真珠採りとシャレてみようではないか。呉れ呉れも、秘密、々々」
 と、畑中は無類に豪気の海の強者(つわもの)、実際は慾心よりも冒険心にうずかれたのだ。正直のところが、真珠採りとシャレてみようじゃないかという豪快な遊び魂が頭をもたげての話であった。
 木曜島で盛大な真珠景気一見して大いに煽られてきた一同に異存のあろう筈はない。船長畑中の気風に心服している一同でもあるから、たちまち雄心ボツボツ、はやる胸をジッと抑えて、何食わぬ顔で祖国上陸したが、手筈は充分に打ち合せてあるから、船を修理に入れると、それぞれ受け持ちの任務を果して、畑中からの報知を待っていた。
 畑中印度洋からセイロンボンベイへの航路調査願いでて、再度の就航の許可を得た。さっそく密々に小湊へ走って、八十吉、清松両名に相談を持ちかけた。
 八十吉は二十八、清松は二十六。先祖代々海で育ち、海で働く男の中でも特にアワビ採りの名人だ。三十|米(メートル)ぐらいの海底なら裸潜水で楽にやる。潜水服はつとに英国シーベ会社の兜(ヘルメット)式潜水器が輸入され、日本でも和製のものが明治五年にはすでに月島の民間会社製造されていたのである。主としてアワビ採りに用いられていたのだ。
 潜水夫の最も優秀なるものはアラブ人で、これに次ぐ者は沖縄人であるという。ペルシャ湾のアラビヤ沿岸が世界最良の真珠産地で、アラブ人先祖代々真珠採りが主要な業務、今も尚機械を用いず、裸潜水一点張りでやっている。沖縄人も裸潜水をよくし、特に秀でた者は三十尋の海底まで裸で達すると云われている。
 八十吉に清松はそれ程の深海まで裸で潜るのは不可能であるが、アワビ採りでは抜群の巧者。機械潜水ならば三十尋から四十尋の海底で一時間近い作業をつづけて、殆ど潜水病も経験したことがない。それには体躯に於て恵まれているばかりでなく、用心堅固で、良く身を慎しみ、かりそめにも海を侮ることがないせいである。
 八十吉、清松も血気の若者、海に生れ、海に生きるからには、魔魚毒蛇の棲みかともはかられぬ遠く南海の底をさぐって、白色サンゼンたる大きな真珠を採ってみせたい。畑中の巧みな弁舌に説得されて、雄心やる方なく、協力を承諾したが、海底勇者は細心である。十尋から十五尋なら裸潜水不可能ではないが、未知の海ではどういう障碍に会うかも分らない。機械潜水の万全の用意を申しでた。
 八十吉も清松も息綱持ちに各々の細君を使っていた。一般深海作業になると、とても非力な女などでは綱持ちの大役はつとまらないと云われているが、彼らの妻女はいずれも海女で育ちあがった海底の熟練家。海の底を近所の街よりも良く呑みこんでいる。息綱を握って加減をはかり、海底の良人(おっと)の様子を手にとるように知り分ける名手であった。二人の潜水夫にとっては、かけ代えのない綱持ちなのだ。
 次には呼吸の合った潜水船の船頭が必要だ。綱持ちの要求に応じて敏活に船をさばく両者の馴れが必要なのである。
 又、二十尋の海底で作業するとなると、ポンプ押しに十五六名の屈強な若者を必要とする。これらの人数を全て揃えると、又、使い馴れた潜水船を積みこんで行くことも必要だ。ポンプ押しには船員を代用することが出来るが、船頭の竹造と、八十吉の妻キン、清松の妻トクの三名はどうしても連れで行かねばならぬ。


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