星あかり - 泉 鏡花 ( いずみ きょうか )
もとより何故(なにゆえ)という理(わけ)はないので、墓石の倒れたのを引摺寄(ひきずりよ)せて、二ツばかり重ねて台にした。
その上に乗って、雨戸(あまど)の引合(ひきあわ)せの上の方を、ガタガタ動かして見たが、開(あ)きそうにもない。雨戸の中(うち)は、相州西鎌倉|乱橋(みだればし)の妙長寺(みょうちょうじ)という、法華(ほっけ)宗の寺の、本堂に隣(とな)った八畳の、横に長い置床(おきどこ)の附いた座敷で、向って左手(ゆんで)に、葛籠(つづら)、革鞄(かばん)などを置いた際(きわ)に、山科(やましな)という医学生が、四六(しろく)の借蚊帳(かりかや)を釣って寝て居るのである。
声を懸けて、戸(と)を敲(たた)いて、開けておくれと言えば、何の造作(ぞうさ)はないのだけれども、止(よ)せ、と留(と)めるのを肯(き)かないで、墓原(はかはら)を夜中に徘徊(はいかい)するのは好(いい)心持(こころもち)のものだと、二ツ三ツ言争(いいあらそ)って出(で)た、いまのさき、内(うち)で心張棒(しんばりぼう)を構えたのは、自分を閉出(しめだ)したのだと思うから、我慢にも恃(たの)むまい。……
冷(つめた)い石塔(せきとう)に手を載せたり、湿臭(しめりくさ)い塔婆(とうば)を掴(つか)んだり、花筒(はなづつ)の腐水(くされみず)に星の映るのを覗(のぞ)いたり、漫歩(そぞろあるき)をして居たが、藪(やぶ)が近く、蚊(か)が酷(ひど)いから、座敷の蚊帳が懐しくなって、内へ入ろうと思ったので、戸を開けようとすると閉出されたことに気がついた。
それから墓石に乗って推(お)して見たが、原(もと)より然(そ)うすれば開(あ)くであろうという望(のぞみ)があったのではなく、唯(ただ)居(い)るよりもと、徒(いたず)らに試みたばかりなのであった。
何(なん)にもならないで、ばたりと力なく墓石から下りて、腕を拱(こまぬ)き、差俯向(さしうつむ)いて、じっとして立って居ると、しっきりなしに蚊が集(たか)る。毒虫が苦しいから、もっと樹立(こだち)の少い、広々とした、うるさくない処をと、寺の境内(けいだい)に気がついたから、歩き出して、卵塔場(らんとうば)の開戸(ひらきど)から出て、本堂の前に行った。
然(さ)まで大きくもない寺で、和尚と婆(ばあ)さんと二人で住む。門まで僅(わず)か三四|間(けん)、左手(ゆんで)は祠(ほこら)の前を一坪ばかり花壇にして、松葉牡丹(まつばぼたん)、鬼百合(おにゆり)、夏菊(なつぎく)など雑植(まぜうえ)の繁った中に、向日葵(ひまわり)の花は高く蓮(はす)の葉の如(ごと)く押被(おっかぶ)さって、何時(いつ)の間(ま)にか星は隠れた。鼠色(ねずみいろ)の空はどんよりとして、流るる雲も何(なん)にもない。なかなか気が晴々(せいせい)しないから、一層(いっそ)海端(うみばた)へ行って見ようと思って、さて、ぶらぶら。
門の左側に、井戸が一個(ひとつ)。飲水(のみみず)ではないので、極(きわ)めて塩ッ辛いが、底は浅い、屈(かが)んでざぶざぶ、さるぼうで汲(く)み得(え)らるる。石畳(いしだたみ)で穿下(ほりおろ)した合目(あわせめ)には、このあたりに産する何とかいう蟹(かに)、甲良(こうら)が黄色で、足の赤い、小さなのが数(かず)限(かぎり)なく群(むらが)って動いて居る。毎朝この水で顔を洗う、一杯頭から浴びようとしたけれども、あんな蟹は、夜中に何をするか分らぬと思ってやめた。
門を出ると、右左、二畝(ふたうね)ばかり慰みに植えた青田(あおた)があって、向う正面の畦中(あぜなか)に、琴弾松(ことひきまつ)というのがある。一昨日(おとつい)の晩(ばん)宵(よい)の口に、その松のうらおもてに、ちらちら灯(ともしび)が見(み)えたのを、海浜(かいひん)の別荘で花火を焚(た)くのだといい、否(いや)、狐火(きつねび)だともいった。その時(とき)は濡(ぬ)れたような真黒な暗夜(やみよ)だったから、その灯(ひ)で松の葉もすらすらと透通(すきとお)るように青く見えたが、今(いま)は、恰(あたか)も曇った一面の銀泥(ぎんでい)に描いた墨絵のようだと、熟(じっ)と見ながら、敷石(しきいし)を蹈(ふ)んだが、カラリカラリと日和下駄(ひよりげた)の音の冴(さ)えるのが耳に入って、フと立留(たちとま)った。
門外(おもて)の道は、弓形(ゆみなり)に一条(ひとすじ)、ほのぼのと白く、比企(ひき)ヶ|谷(やつ)の山(やま)から由井(ゆい)ヶ|浜(はま)の磯際(いそぎわ)まで、斜(ななめ)に鵲(かささぎ)の橋を渡したよう也(なり)。
ハヤ浪の音が聞えて来た。
浜の方へ五六間進むと、土橋が一架(ひとつ)、並の小さなのだけれども、滑川(なめりがわ)に架(かか)ったのだの、長谷(はせ)の行合橋(ゆきあいばし)だのと、おなじ名に聞えた乱橋(みだればし)というのである。
この上で又(ま)た立停(たちとま)って前途(ゆくて)を見ながら、由井ヶ浜までは、未(ま)だ三町ばかりあると、つくづく然(そ)う考(かんが)えた。三町は蓋(けだ)し遠い道ではないが、身体(からだ)も精神も共に太(いた)く疲れて居たからで。
しかしそのまま素直(まっすぐ)に立ってるのが、余り辛(つら)かったから又た歩いた。
路(みち)の両側しばらくのあいだ、人家(じんか)が断(た)えては続いたが、いずれも寝静まって、白(しら)けた藁屋(わらや)の中に、何家(どこ)も何家(どこ)も人の気勢(けはい)がせぬ。
その寂寞(せきばく)を破(やぶ)る、跫音(あしおと)が高いので、夜更(よふけ)に里人(さとびと)の懐疑(うたがい)を受けはしないかという懸念から、誰(たれ)も咎(とが)めはせぬのに、抜足(ぬきあし)、差足(さしあし)、音は立てまいと思うほど、なお下駄(げた)の響(ひびき)が胸を打って、耳を貫(つらぬ)く。
何(なに)か、自分は世の中の一切(すべて)のものに、現在(いま)、恁(か)く、悄然(しょんぼり)、夜露(よつゆ)で重(おも)ッくるしい、白地(しろじ)の浴衣(ゆかた)の、しおたれた、細い姿で、首(こうべ)を垂れて、唯一人、由井ヶ浜へ通ずる砂道を辿(たど)ることを、見(み)られてはならぬ、知られてはならぬ、気取(けど)られてはならぬというような思(おもい)であるのに、まあ! 廂(ひさし)も、屋根も、居酒屋の軒(のき)にかかった杉の葉も、百姓屋の土間(どま)に据(す)えてある粉挽臼(こなひきうす)も、皆目を以て、じろじろ睨(ね)めるようで、身(み)の置処(おきどころ)ないまでに、右から、左から、路(みち)をせばめられて、しめつけられて、小さく、堅くなつて、おどおどして、その癖、駆(か)け出そうとする勇気はなく、凡(およ)そ人間の歩行に、ありッたけの遅さで、汗になりながら、人家のある処(ところ)をすり抜けて、ようよう石地蔵の立つ処。
ほッと息をすると、びょうびょうと、頻(しきり)に犬の吠(ほ)えるのが聞えた。
一つでない、二つでもない。三頭(みつ)も四頭(よつ)も一斉に吠え立てるのは、丁(ちょう)ど前途(ゆくて)の浜際(はまぎわ)に、また人家が七八軒、浴場、荒物屋(あらものや)など一廓(ひとくるわ)になって居(い)るそのあたり。彼処(あすこ)を通抜(とおりぬ)けねばならないと思うと、今度は寒気(さむけ)がした。我ながら、自分を怪(あやし)むほどであるから、恐ろしく犬を憚(はばか)ったものである。進まれもせず、引返(ひきかえ)せば再び石臼(いしうす)だの、松の葉だの、屋根にも廂(ひさし)にも睨(にら)まれる、あの、この上(うえ)もない厭(いや)な思(おもい)をしなければならぬの歟(か)と、それもならず。静(じっ)と立ってると、天窓(あたま)がふらふら、おしつけられるような、しめつけられるような、犇々(ひしひし)と重いものでおされるような、切(せつ)ない、堪(たま)らない気がして、もはや! 横に倒れようかと思った。
処へ、荷車が一台、前方(むこう)から押寄せるが如くに動いて、来たのは頬被(ほおかぶり)をした百姓である。
これに夢が覚めたようになって、少し元気がつく。
曳(ひ)いて来たは空車(からぐるま)で、青菜(あおな)も、藁(わら)も乗って居はしなかったが、何故(なぜ)か、雪の下の朝市に行くのであろうと見て取ったので、なるほど、星の消えたのも、空が淀(よど)んで居るのも、夜明に間(ま)のない所為(せい)であろう。墓原(はかはら)へ出たのは十二時|過(すぎ)、それから、ああして、ああして、と此処(ここ)まで来(き)た間(あいだ)のことを心に繰返して、大分(だいぶん)の時間が経(た)ったから。
と思う内に、車は自分の前、ものの二三|間(げん)隔たる処から、左の山道(やまみち)の方へ曲った。雪の下へ行くには、来て、自分と摺(す)れ違って後方(うしろ)へ通り抜けねばならないのに、と怪(あやし)みながら見ると、ぼやけた色で、夜の色よりも少し白く見えた、車も、人も、山道(やまみち)の半(なかば)あたりでツイ目のさきにあるような、大きな、鮮(あざやか)な形で、ありのまま衝(つ)と消えた。
今は最(も)う、さっきから荷車が唯(ただ)辷(すべ)ってあるいて、少しも轣轆(れきろく)の音の聞えなかったことも念頭に置かないで、早くこの懊悩(おうのう)を洗い流そうと、一直線に、夜明に間もないと考えたから、人憚(ひとはばか)らず足早(あしばや)に進んだ。荒物屋(あらものや)の軒下(のきした)の薄暗(うすくら)い処に、斑犬(ぶちいぬ)が一頭、うしろ向(むき)に、長く伸びて寝て居たばかり、事なく着いたのは由井ヶ浜である。
碧水金砂(へきすいきんさ)、昼の趣(おもむき)とは違って、霊山(りょうぜん)ヶ|崎(さき)の突端(とっぱな)と小坪(こつぼ)の浜でおしまわした遠浅(とおあさ)は、暗黒の色を帯び、伊豆の七島も見ゆるという蒼海原(あおうなばら)は、ささ濁(にごり)に濁(にご)って、果(はて)なくおっかぶさったように堆(うずだか)い水面は、おなじ色に空に連(つらな)って居る。浪打際(なみうちぎわ)は綿(わた)をば束(つか)ねたような白い波、波頭(なみがしら)に泡(あわ)を立てて、どうと寄(よ)せては、ざっと、おうように、重々(おもおも)しゅう、飜(ひるがえ)ると、ひたひたと押寄せるが如くに来る。これは、一秒に砂一|粒(りゅう)、幾億万年の後(のち)には、この大陸を浸(ひた)し尽そうとする処の水で、いまも、瞬間の後(のち)も、咄嗟(とっさ)のさきも、正(まさ)に然(しか)なすべく働いて居るのであるが、自分は余り大陸の一端が浪のために喰欠(くいか)かれることの疾(はや)いのを、心細く感ずるばかりであった。
妙長寺に寄宿してから三十日ばかりになるが、先に来た時分とは浜が著(いちじる)しく縮まって居る。町を離れてから浪打際(なみうちぎわ)まで、凡(およ)そ二百歩もあった筈なのが、白砂(しらすな)に足を踏掛(ふみか)けたと思うと、早(は)や爪先(つまさき)が冷(つめた)く浪のさきに触れたので、昼間は鉄の鍋(なべ)で煮上げたような砂が、皆ずぶずぶに濡(ぬ)れて、冷(ひやっ)こく、宛然(さながら)網の下を、水が潜(くぐ)って寄せ来るよう、砂地に立ってても身体(からだ)が揺(ゆら)ぎそうに思われて、不安心でならぬから、浪が襲うとすたすたと後(あと)へ退(の)き、浪が返るとすたすたと前へ進んで、砂の上に唯一人やがて星一つない下に、果のない蒼海(あおうみ)の浪に、あわれ果敢(はかな)い、弱い、力のない、身体|単個(ひとつ)弄(もてあそ)ばれて、刎返(はねかえ)されて居るのだ、と心着(こころづ)いて悚然(ぞっ)とした。
時に大浪が、一(ひと)あて推寄(おしよ)せたのに足を打たれて、気も上(うわ)ずって蹌踉(よろ)けかかった。手が、砂地に引上(ひきあ)げてある難破船の、纔(わず)かにその形を留(とど)めて居る、三十|石積(こくづみ)と見覚えのある、その舷(ふなばた)にかかって、五寸釘をヒヤヒヤと掴(つか)んで、また身震(みぶるい)をした。
声を懸けて、戸(と)を敲(たた)いて、開けておくれと言えば、何の造作(ぞうさ)はないのだけれども、止(よ)せ、と留(と)めるのを肯(き)かないで、墓原(はかはら)を夜中に徘徊(はいかい)するのは好(いい)心持(こころもち)のものだと、二ツ三ツ言争(いいあらそ)って出(で)た、いまのさき、内(うち)で心張棒(しんばりぼう)を構えたのは、自分を閉出(しめだ)したのだと思うから、我慢にも恃(たの)むまい。……
冷(つめた)い石塔(せきとう)に手を載せたり、湿臭(しめりくさ)い塔婆(とうば)を掴(つか)んだり、花筒(はなづつ)の腐水(くされみず)に星の映るのを覗(のぞ)いたり、漫歩(そぞろあるき)をして居たが、藪(やぶ)が近く、蚊(か)が酷(ひど)いから、座敷の蚊帳が懐しくなって、内へ入ろうと思ったので、戸を開けようとすると閉出されたことに気がついた。
それから墓石に乗って推(お)して見たが、原(もと)より然(そ)うすれば開(あ)くであろうという望(のぞみ)があったのではなく、唯(ただ)居(い)るよりもと、徒(いたず)らに試みたばかりなのであった。
何(なん)にもならないで、ばたりと力なく墓石から下りて、腕を拱(こまぬ)き、差俯向(さしうつむ)いて、じっとして立って居ると、しっきりなしに蚊が集(たか)る。毒虫が苦しいから、もっと樹立(こだち)の少い、広々とした、うるさくない処をと、寺の境内(けいだい)に気がついたから、歩き出して、卵塔場(らんとうば)の開戸(ひらきど)から出て、本堂の前に行った。
然(さ)まで大きくもない寺で、和尚と婆(ばあ)さんと二人で住む。門まで僅(わず)か三四|間(けん)、左手(ゆんで)は祠(ほこら)の前を一坪ばかり花壇にして、松葉牡丹(まつばぼたん)、鬼百合(おにゆり)、夏菊(なつぎく)など雑植(まぜうえ)の繁った中に、向日葵(ひまわり)の花は高く蓮(はす)の葉の如(ごと)く押被(おっかぶ)さって、何時(いつ)の間(ま)にか星は隠れた。鼠色(ねずみいろ)の空はどんよりとして、流るる雲も何(なん)にもない。なかなか気が晴々(せいせい)しないから、一層(いっそ)海端(うみばた)へ行って見ようと思って、さて、ぶらぶら。
門の左側に、井戸が一個(ひとつ)。飲水(のみみず)ではないので、極(きわ)めて塩ッ辛いが、底は浅い、屈(かが)んでざぶざぶ、さるぼうで汲(く)み得(え)らるる。石畳(いしだたみ)で穿下(ほりおろ)した合目(あわせめ)には、このあたりに産する何とかいう蟹(かに)、甲良(こうら)が黄色で、足の赤い、小さなのが数(かず)限(かぎり)なく群(むらが)って動いて居る。毎朝この水で顔を洗う、一杯頭から浴びようとしたけれども、あんな蟹は、夜中に何をするか分らぬと思ってやめた。
門を出ると、右左、二畝(ふたうね)ばかり慰みに植えた青田(あおた)があって、向う正面の畦中(あぜなか)に、琴弾松(ことひきまつ)というのがある。一昨日(おとつい)の晩(ばん)宵(よい)の口に、その松のうらおもてに、ちらちら灯(ともしび)が見(み)えたのを、海浜(かいひん)の別荘で花火を焚(た)くのだといい、否(いや)、狐火(きつねび)だともいった。その時(とき)は濡(ぬ)れたような真黒な暗夜(やみよ)だったから、その灯(ひ)で松の葉もすらすらと透通(すきとお)るように青く見えたが、今(いま)は、恰(あたか)も曇った一面の銀泥(ぎんでい)に描いた墨絵のようだと、熟(じっ)と見ながら、敷石(しきいし)を蹈(ふ)んだが、カラリカラリと日和下駄(ひよりげた)の音の冴(さ)えるのが耳に入って、フと立留(たちとま)った。
門外(おもて)の道は、弓形(ゆみなり)に一条(ひとすじ)、ほのぼのと白く、比企(ひき)ヶ|谷(やつ)の山(やま)から由井(ゆい)ヶ|浜(はま)の磯際(いそぎわ)まで、斜(ななめ)に鵲(かささぎ)の橋を渡したよう也(なり)。
ハヤ浪の音が聞えて来た。
浜の方へ五六間進むと、土橋が一架(ひとつ)、並の小さなのだけれども、滑川(なめりがわ)に架(かか)ったのだの、長谷(はせ)の行合橋(ゆきあいばし)だのと、おなじ名に聞えた乱橋(みだればし)というのである。
この上で又(ま)た立停(たちとま)って前途(ゆくて)を見ながら、由井ヶ浜までは、未(ま)だ三町ばかりあると、つくづく然(そ)う考(かんが)えた。三町は蓋(けだ)し遠い道ではないが、身体(からだ)も精神も共に太(いた)く疲れて居たからで。
しかしそのまま素直(まっすぐ)に立ってるのが、余り辛(つら)かったから又た歩いた。
路(みち)の両側しばらくのあいだ、人家(じんか)が断(た)えては続いたが、いずれも寝静まって、白(しら)けた藁屋(わらや)の中に、何家(どこ)も何家(どこ)も人の気勢(けはい)がせぬ。
その寂寞(せきばく)を破(やぶ)る、跫音(あしおと)が高いので、夜更(よふけ)に里人(さとびと)の懐疑(うたがい)を受けはしないかという懸念から、誰(たれ)も咎(とが)めはせぬのに、抜足(ぬきあし)、差足(さしあし)、音は立てまいと思うほど、なお下駄(げた)の響(ひびき)が胸を打って、耳を貫(つらぬ)く。
何(なに)か、自分は世の中の一切(すべて)のものに、現在(いま)、恁(か)く、悄然(しょんぼり)、夜露(よつゆ)で重(おも)ッくるしい、白地(しろじ)の浴衣(ゆかた)の、しおたれた、細い姿で、首(こうべ)を垂れて、唯一人、由井ヶ浜へ通ずる砂道を辿(たど)ることを、見(み)られてはならぬ、知られてはならぬ、気取(けど)られてはならぬというような思(おもい)であるのに、まあ! 廂(ひさし)も、屋根も、居酒屋の軒(のき)にかかった杉の葉も、百姓屋の土間(どま)に据(す)えてある粉挽臼(こなひきうす)も、皆目を以て、じろじろ睨(ね)めるようで、身(み)の置処(おきどころ)ないまでに、右から、左から、路(みち)をせばめられて、しめつけられて、小さく、堅くなつて、おどおどして、その癖、駆(か)け出そうとする勇気はなく、凡(およ)そ人間の歩行に、ありッたけの遅さで、汗になりながら、人家のある処(ところ)をすり抜けて、ようよう石地蔵の立つ処。
ほッと息をすると、びょうびょうと、頻(しきり)に犬の吠(ほ)えるのが聞えた。
一つでない、二つでもない。三頭(みつ)も四頭(よつ)も一斉に吠え立てるのは、丁(ちょう)ど前途(ゆくて)の浜際(はまぎわ)に、また人家が七八軒、浴場、荒物屋(あらものや)など一廓(ひとくるわ)になって居(い)るそのあたり。彼処(あすこ)を通抜(とおりぬ)けねばならないと思うと、今度は寒気(さむけ)がした。我ながら、自分を怪(あやし)むほどであるから、恐ろしく犬を憚(はばか)ったものである。進まれもせず、引返(ひきかえ)せば再び石臼(いしうす)だの、松の葉だの、屋根にも廂(ひさし)にも睨(にら)まれる、あの、この上(うえ)もない厭(いや)な思(おもい)をしなければならぬの歟(か)と、それもならず。静(じっ)と立ってると、天窓(あたま)がふらふら、おしつけられるような、しめつけられるような、犇々(ひしひし)と重いものでおされるような、切(せつ)ない、堪(たま)らない気がして、もはや! 横に倒れようかと思った。
処へ、荷車が一台、前方(むこう)から押寄せるが如くに動いて、来たのは頬被(ほおかぶり)をした百姓である。
これに夢が覚めたようになって、少し元気がつく。
曳(ひ)いて来たは空車(からぐるま)で、青菜(あおな)も、藁(わら)も乗って居はしなかったが、何故(なぜ)か、雪の下の朝市に行くのであろうと見て取ったので、なるほど、星の消えたのも、空が淀(よど)んで居るのも、夜明に間(ま)のない所為(せい)であろう。墓原(はかはら)へ出たのは十二時|過(すぎ)、それから、ああして、ああして、と此処(ここ)まで来(き)た間(あいだ)のことを心に繰返して、大分(だいぶん)の時間が経(た)ったから。
と思う内に、車は自分の前、ものの二三|間(げん)隔たる処から、左の山道(やまみち)の方へ曲った。雪の下へ行くには、来て、自分と摺(す)れ違って後方(うしろ)へ通り抜けねばならないのに、と怪(あやし)みながら見ると、ぼやけた色で、夜の色よりも少し白く見えた、車も、人も、山道(やまみち)の半(なかば)あたりでツイ目のさきにあるような、大きな、鮮(あざやか)な形で、ありのまま衝(つ)と消えた。
今は最(も)う、さっきから荷車が唯(ただ)辷(すべ)ってあるいて、少しも轣轆(れきろく)の音の聞えなかったことも念頭に置かないで、早くこの懊悩(おうのう)を洗い流そうと、一直線に、夜明に間もないと考えたから、人憚(ひとはばか)らず足早(あしばや)に進んだ。荒物屋(あらものや)の軒下(のきした)の薄暗(うすくら)い処に、斑犬(ぶちいぬ)が一頭、うしろ向(むき)に、長く伸びて寝て居たばかり、事なく着いたのは由井ヶ浜である。
碧水金砂(へきすいきんさ)、昼の趣(おもむき)とは違って、霊山(りょうぜん)ヶ|崎(さき)の突端(とっぱな)と小坪(こつぼ)の浜でおしまわした遠浅(とおあさ)は、暗黒の色を帯び、伊豆の七島も見ゆるという蒼海原(あおうなばら)は、ささ濁(にごり)に濁(にご)って、果(はて)なくおっかぶさったように堆(うずだか)い水面は、おなじ色に空に連(つらな)って居る。浪打際(なみうちぎわ)は綿(わた)をば束(つか)ねたような白い波、波頭(なみがしら)に泡(あわ)を立てて、どうと寄(よ)せては、ざっと、おうように、重々(おもおも)しゅう、飜(ひるがえ)ると、ひたひたと押寄せるが如くに来る。これは、一秒に砂一|粒(りゅう)、幾億万年の後(のち)には、この大陸を浸(ひた)し尽そうとする処の水で、いまも、瞬間の後(のち)も、咄嗟(とっさ)のさきも、正(まさ)に然(しか)なすべく働いて居るのであるが、自分は余り大陸の一端が浪のために喰欠(くいか)かれることの疾(はや)いのを、心細く感ずるばかりであった。
妙長寺に寄宿してから三十日ばかりになるが、先に来た時分とは浜が著(いちじる)しく縮まって居る。町を離れてから浪打際(なみうちぎわ)まで、凡(およ)そ二百歩もあった筈なのが、白砂(しらすな)に足を踏掛(ふみか)けたと思うと、早(は)や爪先(つまさき)が冷(つめた)く浪のさきに触れたので、昼間は鉄の鍋(なべ)で煮上げたような砂が、皆ずぶずぶに濡(ぬ)れて、冷(ひやっ)こく、宛然(さながら)網の下を、水が潜(くぐ)って寄せ来るよう、砂地に立ってても身体(からだ)が揺(ゆら)ぎそうに思われて、不安心でならぬから、浪が襲うとすたすたと後(あと)へ退(の)き、浪が返るとすたすたと前へ進んで、砂の上に唯一人やがて星一つない下に、果のない蒼海(あおうみ)の浪に、あわれ果敢(はかな)い、弱い、力のない、身体|単個(ひとつ)弄(もてあそ)ばれて、刎返(はねかえ)されて居るのだ、と心着(こころづ)いて悚然(ぞっ)とした。
時に大浪が、一(ひと)あて推寄(おしよ)せたのに足を打たれて、気も上(うわ)ずって蹌踉(よろ)けかかった。手が、砂地に引上(ひきあ)げてある難破船の、纔(わず)かにその形を留(とど)めて居る、三十|石積(こくづみ)と見覚えのある、その舷(ふなばた)にかかって、五寸釘をヒヤヒヤと掴(つか)んで、また身震(みぶるい)をした。
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- [[biglobe]] 立向居勇気 夢小説
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- http://docomo.ne.jp/cp/as-rslt.cgi?pno=1&key=%8b%d5%92e%8f%bc&sid=000
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- http://docomo.ne.jp/cp/as-rslt.cgi?pno=1&key=%90%af%82%a0%82%a9%82%e8+%90%f2%8b%be%89%d4&sid=00
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単行本:い行-11 - 古書 吉祥寺書店 - 古書 吉祥寺書店
夜の太鼓筑摩書房詩1989.05.251刷1,000 Ai0832石垣 りん ユーモアの鎖国講談社詩1981.05.201刷1,000 Ai0841泉 鏡太郎 鏡花 小説・戯曲選 第二 -
Riverside - 東方同人CDwiki - 東方同人CDwiki
鏡花風月 レビュー有永夜の理 -
なるみや - Tales Weaver トラバチェス専用toralist - Tales Weaver トラバチェス専用toralist
なるみや所属クラブ:鏡花水月桜 -
あかり - ファンタジーアースゼロ実況wiki - ファンタジーアースゼロ実況wiki
; y' `ヽ/ / | | | | ヽ ヽ '´ イ 所属鯖&キャラクターB鯖ゲブランドアカリーマンD鯖ネツァワル夜星あかり -
石川県/辰口温泉 - 温泉くちこみリンク&掲示板 - 温泉くちこみリンク&掲示板
日(木)泉 鏡花ゆかりの宿 まつさき(辰口温泉) 肩こりがつらい人達のこんな声!泉 鏡花ゆかりの宿 まつさき(辰口温泉)2009年01月28日(水)歎異抄に学ぶ まつさき(辰口温泉)2009年09月 -
みんなの常田 泉 - 豊田中学校wiki - 豊田中学校wiki
深夜の中庭によく出没する よく裸で街をうろついてることがある -
遠野鏡花 - Believe in death @ wiki - Believe in death @ wiki
遠野鏡花(とおのきょうか)は、Believe in Deathに登場する架空の人物である。外見金のような茶色い長髪に、黒い瞳をしている。赤い花と黒いリボンの髪飾りをつけている。ワイ -
泉 - 桶川Wiki - 桶川Wiki
いずみ【泉】桶川市の町名。高崎線の西側にあり桶川市役所本庁舎の所在地である。一丁目と二丁目がある。概略面積:人口:人口密度:郵便番号:地理 -
LadderMAP - Warcraft3-SoloLadder-Document - Warcraft3-SoloLadder-Document
○ ○ ○ ○ - (2)SecretValley ○ × ○ - 泉 (2)TerenasStand ○ ○ ○ ○ - (4)CentaurGrove ○ ☆ ○ ○ 泉,MAP固有 -
泉 - ぐぬコラWiki - ぐぬコラWiki
泉(いずみ)作品名:ニニンがシノブ伝作者名:二代目まとめあき投稿日:2008年11月3日画像情報:640×480,99645Bジャンル:アニメ,漫画
