映画と民族性 関連リンク

伊丹 万作 のオススメ作品

作家別索引

作品別索引

映画と民族性 - 伊丹 万作 ( いたみ まんさく )

  • 映画ポスター「モンブランは招く」長編記録映画/ドイツ映画
  • 本【幻の怪談映画を追って】山田誠二/新東宝/大蔵映画/映画秘宝
  • 映画109/即決/バーバレラ/ジェーン・フォンダ/映画
  • 映画チラシ「プライスレス」フランス映画オードレイトトゥ
  • 映画パンフ★彡突入せよ!あさま山荘事件/実際の凶悪事件を映画化
  • ■山口百恵 写真集 別冊近代映画 引退記念映画特集 ポスター付■
  • あしたのジョー 日本ヘラルド映画 富士映画 共同配給 ポスター
  • 『映画技術』 日本映画技術協会 昭和30年から11冊/SA1
  • 即決 SFX映画の時代 中子真治 特撮映画
  • 映画069/即決/おかしな夫婦・大逆転!?/日本未公開/映画
次のページ
 すでにある芸術政治利用して有効に役立てるということはいくらも例のあることであるが、政治の必要から新たにある種の芸術を生み出し、しかも短期間にそれを完成するというようなことはほとんど不可能なことで、いまだかつてそのようなことが芸術歴史に記されたためしはない。  太平洋戦争が開始されて以来、外地向け映画問題がやかましく論議せられ、各人各様の説が横行しているが具体的には何の成果もあがらないのは芸術生命政治的要求だけで自由にならないことを証明しているようなものである。
 ある種の芸術昭和二十年代の政治に役立つためには、遅くともそれが昭和初年には完成していなければならぬし、そのためにはすでに明治大正のころに十分なる基礎が与えられていなければならぬ。明治大正のころには我々は何をしていたか。そして君たちは?
 今となつて外地へ持ち出す一本映画もないと叫び、その原因をあげて映画芸術家の無能低劣のゆえに帰し、口を極めてこれをののしる人がある。
 ああ、古来他の責任を説くほどやすいことはない。それで物事が解決するなら私もまたよくそれをすることができる。すなわち、かくも無能低劣なる我々に映画を任せきりにして今まで省みようともしなかつたのはだれの責任であるかと。しかし、かくして互にどろの投げ合いをすればお互がどろまみれになるばかりでついに得るところはない。
 日本映画の進出に関する方策については今までにおびただしい議論がくり返されたが、私の見るところではだいたいにおいてそれを二つの傾向にわかつことができる。すなわち一つは特別にいわゆる外地向きの映画企画製作すべしという意見。他の一つは、ことさらに外地向きなどということを顧慮せず、優秀なる映画さえ製作すれば、進出は期して待つべしとなす議論である。こまかく拾つて行けばなおこのほかにもいくばくかの意見があるであろうが、方針の根幹はおよそ右の二途に尽きるようである。
 順によつてまず最初に外地向き映画特製論を検討してみるが、ここでまず問題になるのはいわゆる外地向きとはいかなる謂かということである。論者は簡単にいう。すなわち取材の範囲を拡張せよと。またいう。雄大なる構想を練れと。もちろんいずれも結構なる議論である。私にはこれらの意見に反対するいささかの理由もない。それらは当然なさねばならぬことであるし、またできるときがあると思う。しかしながら、それは今日いつて今日できることではないのである。私はここでもまた、いうことのあまりにやすきを嘆ぜざるを得ない。
 試みに思え、国民学校一年生でも、今日先生の教えを理解し得るのは過去六年間の家庭の薫陶が基礎をなしているからである。我々の過去に何の薫陶があつたか!
 説くものはまたいう。せりふの多い映画は不向きであるから、極力せりふを少なくし、動きを多くし、あたうべくんば活劇風のものを作れと。
 あるいはそれもよいだろう。しかし、それをなすためには複雑な内容忌避しなければならず、したがつて我々は意識的に一応退化しなければならない。一歩でも半歩でも絶えず前へ進むところに芸術にたずさわるもののよろこびがある。うしろへ進めといわれて熱情を湧かし得るものがあるかどうか。
 説をなすものはさらにいう。畳の上に坐臥する日本風習は彼らのわらいを買うからおもしろくない。百姓生活は見せないほうがよい。貧しい階級生活は見せないほうがよい。あるいはいわく何。いわく何。
 ここにいたつて私は彼らに反問せずにはいられない。そもそも君たちは映画を何と心得ているのかと。国民生活を反映しないような映画はすでに映画ではないのだ。芸術とは民族生活のうえに咲く花なのだ。
 他国の人間のしり馬に乗つて、百姓の姿を醜く感じるようなものはないはずである。百姓の姿は醜く、背広を着た月給取りは美しいというのか。そして、貧しい勤労者生活を描くことは恥辱で、富みてひま多き人種を描くことは光栄なのか。世界のどこに貧者のおらぬ国があろう。世界経済は、そして国家生活力はほとんど彼ら貧しいものの勤労によつて維持されているではないか。
 かくのごとき重要なる国家構成分子生活除外してどこに芸術があろう。日本には百姓もいない。貧者もいない。いるのは軍人と金持だけであり、それが立派洋館に住み、洋服を着て椅子に腰掛け、動けば雄大なる構想をもつて大活躍を演ずるというのが彼らのいう外地向きの映画なのだ。このような映画の作れる人は作るがよい。


次のページ

伊丹 万作 (いたみ まんさく) 以外のオススメ作品

映画と民族性 (えいがとみんぞくせい) のリンク元

「映画と民族性-伊丹 万作」の関連ページ


関連ページ
Web Services by Yahoo! JAPAN