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映画の普及力とは - 伊丹 万作 ( いたみ まんさく )

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  • ■山口百恵 写真集 別冊近代映画 引退記念映画特集 ポスター付■
  • あしたのジョー 日本ヘラルド映画 富士映画 共同配給 ポスター
  • 『映画技術』 日本映画技術協会 昭和30年から11冊/SA1
  • 即決 SFX映画の時代 中子真治 特撮映画
  • 映画069/即決/おかしな夫婦・大逆転!?/日本未公開/映画
 現在映画はまるで植物のようだ。それは歩かない。こちらが出かけて行かねばならぬ。したがつて我々病人にはまつたく無関係のものだ。
 何年かまえ松竹座を除いてはまだ京都中の映画館にも映画会社にもトーキー再生装置がなかつたとき、本願寺大谷さんのおやしきの一隅にはちやんとトーキー映写室がありウェスタン再生機がすわつていた。
 本願寺は寺であるが、いわゆる寺ではない。試みにその事務所をのぞいてみよ。規模からいつて大都会市役所くらいはある。なぜこんなことを知つているかというと、私は映写室を探して迷宮のような本願寺中をさまよい歩いたのである。
 こんな所にトーキー映写室くらいあつても我々の家に犬小舎が置いてあるほどの感じしかない。しかし本願寺さんほどのクラスは日本の中に何パーセントもありはしないからトーキーというものは家庭単位とする場合その普及率はゼロにちかい。
 しかし映画は元来館を単位として成長を遂げてきたものであるから、何もわざわざ家庭の中にまで侵入して行かなくても、毎日館を掃除して待つてさえいれば老若男女がどこからともなく賽銭(さいせん)を持つて集まつてくる仕組みになつている。
 ところが館を単位としての映画企業があまりにも高度発達を遂げてしまつた現在ではもはや館以外で映画を見ることはまつたく不可能(といつてよかろう)となつてしまつた。
 かくて我々病人は朝は新聞に目を通し、昼は新刊書を読み、夜はラジオのスウィッチをひねり、興いたれば蓄音機のちりを払つて古今の名曲をたのしむこともできるが、映画だけはまだそのにおいすらもかぐことができないのである。してみると他のものと比較して映画の普及力とはいつたい何を意味するのかと今さらその言葉空虚さにあきれてしまうのである。
 特定の場所へ行かなければ見られないという苛酷な制限映画本質であるかどうかはまだ疑問としておきたいが、残念ながら現在のところでは映画の普及率は新聞雑誌やラジオの浸透性には及びもつかないのだという簡単事実に今さら私は眼を見張つているのである。
 もつとも将来においてはこの問題はたぶん解消するはずである。というのはテレビと映画結合予想することは現在においてはもはや単なる空想とはいいきれないからである。そして、そうなつたあかつき一般家庭においていながら映画を観賞する風景想像することは楽しいというよりもむしろ少々そらおそろしい感じをさえ伴う。我々日本人大部分は家庭という文字内容静寂観念を要求しているようだ。ラジオでその観念はかなり破壊せられたが、このうえさらに映画のような濃厚な娯楽家庭静か時間攪拌しはじめたら、そのときこそは我々が従来の家庭という言葉概念を改めなければならぬときかもしれない。しかし特殊の場所において見せるものと家庭内部において見せるものとでは選択検閲の標準が違つてくることは当然であるから、その意味では日本家庭は昔ながらの清浄を保つであろう。何よりも嬉しいことはその時代病人たちの生活がずつと楽しくなることだ。どうも私は少し早く病気をしすぎたようだ。
 そんな時代がきたら映画館は不要になりはしないかという心配は一応もつともだが、しかしその心配はいらない。第一映画は館で見るのが一番おもしろいものだ。私はあるとき試写室でフェデの「女だけの都」をただ一人で孤影悄然として観賞した経験があるがおもしろくもおかしくもなかつた。第二に前述のごとく検閲関係から、館へ行けば家庭で見られない映画が見られる。第三に画面の大きさや鮮明度など我々の観賞欲を満足せしめる諸条件において館と家庭では著しい径庭があることが予想される。だから映画館経営者は決してびくびくすることなく安心して現在の業務に精励するがよろしい。
 要するに映画はテレビと結びついたとき初めて十分なる普及力を獲得するのであつて、現在はまだ半分しか可能性を発揮していないものと考えられる。
(『アサヒグラフ昭和十五年五月二十九日号。原題「映画普遍性とは」)



底本:「新装版 伊丹万作全集1」筑摩書房
   1961(昭和36)年7月10日初版発行
   1982(昭和57)年5月25日3版発行
初出:「アサヒグラフ
   1940(昭和15)年5月29日号
入力鈴木厚司
校正:土屋隆
2007年7月25日作成
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