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春昼後刻 - 泉 鏡花 ( いずみ きょうか )

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  • 泉鏡花 ★ 豪華版 日本現代文学全集 泉鏡花集 ★ 講談社
  • 泉鏡花 『泉鏡花集成 6』 (ちくま文庫)
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  • 図録★番町の家・慶応義塾図書館所蔵泉鏡花遺品展★09年
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       二十四  この雨は間(ま)もなく霽(は)れて、庭も山も青き天鵞絨(びろうど)に蝶花(ちょうはな)の刺繍(ぬいとり)ある霞(かすみ)を落した。何んの余波(なごり)やら、庵(いおり)にも、座にも、袖(そで)にも、菜種(なたね)の薫(かおり)が染(し)みたのである。
 出家は、さて日(ひ)が出口(でぐち)から、裏山のその蛇(じゃ)の矢倉(やぐら)を案内しよう、と老実(まめ)やかに勧めたけれども、この際、観音(かんおん)の御堂(みどう)の背後(うしろ)へ通り越す心持(こころもち)はしなかったので、挨拶(あいさつ)も後日(ごじつ)を期して、散策子は、やがて庵(いおり)を辞した。
 差当(さしあた)り、出家物語について、何んの思慮もなく、批評出来ず、感想も陳(の)べられなかったので、言われた事、話されただけを、不残(のこらず)鵜呑(うの)みにして、天窓(あたま)から詰込(つめこ)んで、胸が膨(ふく)れるまでになったから、独(ひと)り静(しずか)に歩行(ある)きながら、消化(こな)して胃の腑(ふ)に落ちつけようと思ったから。
 対手(あいて)も出家だから仔細(しさい)はあるまい、(さようなら)が些(ち)と唐突(だしぬけ)であったかも知れぬ。
 ところで、石段を背後(うしろ)にして、行手(ゆくて)へ例の二階を置いて、吻(ほっ)と息をすると……、
「転寐(うたたね)に……」
 と先(ま)ず口の裏(うち)でいって見て、小首を傾けた。杖(ステッキ)が邪魔なので腕(かいな)の処(ところ)へ揺(ゆす)り上げて、引包(ひきつつ)んだその袖(そで)ともに腕組をした。菜種花道(はなみち)、幕の外の引込(ひっこ)みには引立(ひった)たない野郎姿(やろうすがた)。雨上りで照々(てかてか)と日が射すのに、薄く一面にねんばりした足許(あしもと)、辷(すべ)って転ばねば可(よ)い。
「恋しき人を見てしより……夢てふものは、」
 とちょいと顔を上げて見ると、左の崕(がけ)から椎(しい)の樹が横に出ている――遠くから視(なが)めると、これが石段の根を仕切る緑なので、――庵室(あんじつ)はもう右手(めて)の背後(うしろ)になった。
 見たばかりで、すぐにまた、
「夢と言えば、これ、自分も何んだか夢を見ているようだ。やがて目が覚(さ)めて、ああ、転寐(うたたね)だったと思えば夢だが、このまま、覚めなければ夢ではなかろう。何時(いつ)か聞いた事がある、狂人(きちがい)と真人間(まにんげん)は、唯(ただ)時間の長短だけのもので、風が立つと時々波が荒れるように、誰でもちょいちょいは狂気(きちがい)だけれど、直ぐ、凪(な)ぎになって、のたりのたりかなで済む。もしそれが静まらないと、浮世の波に乗っかってる我々、ふらふらと脳が揺れる、木(き)静まらんと欲すれども風やまずと来た日にゃ、船に酔(え)う、その浮世の波に浮んだ船に酔うのが、たちどころに狂人(きちがい)なんだと。
 危険々々(けんのんけんのん)。
 ト来た日にゃ夢もまた同一(おんなじ)だろう。目が覚めるから、夢だけれど、いつまでも覚めなけりゃ、夢じゃあるまい。
 夢になら恋人に逢えると極(きま)れば、こりゃ一層(いっそ)夢にしてしまって、世間で、誰某(たれそれ)は? と尋ねた時、はい、とか何んとか言って、蝶々(ちょうちょう)二つで、ひらひらなんぞは悟ったものだ。
 庵室(あんじつ)の客人なんざ、今聞いたようだと、夢てふものを頼(たの)み切りにしたのかな。」
 と考えが道草(みちくさ)の蝶に誘(さそ)われて、ふわふわと玉(たま)の緒(お)が菜の花ぞいに伸びた処(ところ)を、風もないのに、颯(さっ)とばかり、横合(よこあい)から雪の腕(かいな)、緋(ひ)の襟(えり)で、つと爪尖(つまさき)を反らして足を踏伸(ふみの)ばした姿が、真黒(まっくろ)な馬に乗って、蒼空(あおぞら)を飜然(ひらり)と飛び、帽子の廂(ひさし)を掠(かす)めるばかり、大波を乗って、一跨(ひとまた)ぎに紅(くれない)の虹を躍(おど)り越えたものがある。
 はたと、これに空想の前途(ゆくて)を遮(さえぎ)られて、驚いて心付(こころづ)くと、赤楝蛇(やまかがし)のあとを過ぎて、機(はた)を織る婦人(おんな)の小家(こいえ)も通り越していたのであった。
 音はと思うに、きりはたりする声は聞えず、山越えた停車場(ステイション)の笛太鼓(ふえたいこ)、大きな時計のセコンドの如く、胸に響いてトトンと鳴る。
 筋向(すじむか)いの垣根(かきね)の際(きわ)に、こなたを待ち受けたものらしい、鍬(くわ)を杖(つ)いて立って、莞爾(にこ)ついて、のっそりと親仁(おやじ)あり。
「はあ、もし今帰らせえますかね。」
「や、先刻は。」

       二十

 その莞爾々々(にこにこ)の顔のまま、鍬(くわ)を離した手を揉(も)んで、
「何んともハイ御(ご)しんせつに言わっせえて下せえやして、お庇様(かげさま)で、私(わし)、えれえ手柄(てがら)して礼を聞いたでござりやすよ。」
「別に迷惑にもならなかったかい。」
 と悠々(ゆうゆう)としていった時、少なからず風采(ふうさい)が立上(たちあが)って見えた。勿論(もちろん)、対手(あいて)は件(くだん)の親仁だけれど。
「迷惑|処(どころ)ではござりましねえ、かさねがさね礼を言われて、私(わし)大(でっか)くありがたがられました。」
「じゃ、むだにならなかったかい、お前さんが始末をしたんだね。」
「竹ン尖(さき)で圧(おさ)えつけてハイ、山の根っこさ藪(やぶ)の中へ棄てたでごぜえます。女中たちが殺すなと言うけえ。」
「その方が心持(こころもち)が可(い)い、命を取ったんだと、そんなにせずともの事を、私(わたし)が訴人(そにん)したんだから、怨(うら)みがあれば、こっちへ取付(とッつ)くかも分らずさ。」
「はははは、旦那様の前だが、やっぱりお好きではねえでがすな。奥にいた女中は、蛇がと聞いただけでアレソレ打騒(ぶっさわ)いで戸障子(としょうじ)へ当(あた)っただよ。
 私(わし)先ず庭口(にわぐち)から入って、其処(そこ)さ縁側(えんがわ)で案内(あんねえ)して、それから台所口(だいどこぐち)に行ってあっちこっち探索のした処(ところ)、何が、お前様|御勘考(ごかんこう)さ違わねえ、湯殿(ゆどの)に西の隅(すみ)に、べいらべいら舌さあ吐(は)いとるだ。
 思ったより大(でっこ)うがした。
 畜生め。われさ行水(ぎょうずい)するだら蛙(かえる)飛込(とびこ)む古池(ふるいけ)というへ行けさ。化粧部屋|覗(のぞ)きおって白粉(おしろい)つけてどうしるだい。白鷺(しらさぎ)にでも押惚(おっぽ)れたかと、ぐいとなやして動かさねえ。どうしべいな、長アくして思案のしていりゃ、遠くから足の尖(さき)を爪立(つまだ)って、お殺しでない、打棄(うっちゃ)っておくれ、御新姐(ごしんぞ)は病気のせいで物事(ものごと)気にしてなんねえから、と女中たちが口を揃(そろ)えていうもんだでね、芸(げえ)もねえ、殺生(せっしょう)するにゃ当らねえでがすから、藪畳(やぶだた)みへ潜(もぐ)らして退(の)けました。
 御新姐(ごしんぞ)は、気分が勝(すぐ)れねえとって、二階に寝てござらしけえ。
 今しがた小雨(こさめ)が降って、お天気が上ると、お前様(めえさま)、雨よりは大きい紅色(べにいろ)の露がぽったりぽったりする、あの桃の木の下の許(とこ)さ、背戸口(せどぐち)から御新姐(ごしんぞ)が、紫色蝙蝠傘(こうもりがさ)さして出てござって、(爺(じい)やさん、今ほどはありがとう。その厭(いや)なもののいた事を、通りがかりに知らして下すったお方は、巌殿(いわど)の方へおいでなすったというが、まだお帰りになった様子はないかい。)ッて聞かしった。
(どうだかね、私(わし)、内方(うちかた)へ参ったは些(ちい)との間(ま)だし、雨に駈出(かけだ)しても来さっしゃらねえもんだで、まだ帰らっしゃらねえでごぜえましょう。
 それとも身軽でハイずんずん行かっせえたもんだで、山越しに名越(なごえ)の方さ出(だ)さっしゃったかも知れましねえ、)言うたらばの。
(お見上げ申したら、よくお礼を申して下さいよ。


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