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春永話 - 折口 信夫 ( おりくち しのぶ )

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  • 死者の書,春のことぶれ 他「折口信夫集」日本近代文学大系46
  • ●歌舞伎●『仮名手本忠臣蔵』演劇界増刊●折口信夫 木村荘八 他
  • ◆:折口信夫全集 第13巻 國文學篇7 中公文庫 初版
  • 「折口信夫全集 第一五巻 民俗学篇1」中央公論社 昭和30
  • 「折口信夫全集 第一巻古代研究(國文学篇)」中央公論社 昭和29
  • ◆:折口信夫全集 第14巻 國文學篇8 中公文庫 初版
  • ◆:折口信夫全集 第12巻 國文學篇6 中公文庫 初版
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むら/\と見えて たなびく顔見世の幟のほどを 過ぎて来にけり 昭和十年三月、私の作る所である。歌は誇るに値せぬが、之に関聯して私ひとり思ひ出の禁じ難いものがある。京の顔見世は、近年十二月行ふことになつてゐる。十一月末にさし迫つて初める為、十二月興行と謂つた形をとることになつてしまつた。此は全く、明治中頃からの新しい為来りに過ぎない。明治の末、大正初年頃、京の顔見世と言へば、大阪からも見に行く風がはやり出した。ある年の顔見世に、口上の幕がついて鴈治郎正座にすわつた。……「京の御見物様。毎度よんで頂きましてあり難い為合せに存じます。では御座りますが、ならうことなら、顔見世たつた一度でなく、ほかの時にもよんで頂けますやうお願ひ申し上げます。」まあかう言ふ言ひまはしであつた。そんな事にかけてはちつとも神経を動かさぬ京の見物はおもしろさうに「えへら、えへら」笑うてゐた。京のつましい生活を衝いてゐる、極めて無遠慮な、後味のわるい口上だが、言ふ役者役者なら、聴いてゐて、「うまいことぬかしよる」と、何でもない顔をしてゐる見物も与し易い群衆であつた。外へ出ると暗い河原鳴く千鳥、堰塞を溢れる水の音、其さへ、記憶といふ程には残つてゐない。其後東京へ移つて、稍久しくなつた頃、――南座三浦介の舞台でたふれた。――さう東京へは聞えて来た――役者の上を特に想望しての歌としては、動機が、大分薄いやうな気がする。芝居へ連れて行かれて、自分も迷惑せず、人をも困らさなくなつた頃はもう鴈治郎・我当――後、仁左衛門――対立して人気を争うてゐる時期であつた。どうして覚えてゐるのか知らんが、角か弁天座の竪看板に、我当の兄我童の、仁左衛門襲名の披露狂言大和橋の絵組みがあつて、此に向つて、片手をひろげ片手を地面について、驚いた恰好の馬方の袖に右団治――後、斎入――の紋の松かは菱に蔦の葉がついてゐた。此右団治が役変替を言ひ出したことから、我童狂死、我童びいきの東京の車屋が下阪して、右団治をつけねらつて居ると言つた様な噂まで耳に残つて居る。どこまでが記憶で、何処からが知識のつけ足しやら、今日になつては、甚心もとない。其より少し前、鴈治郎弄花事件と言ふやうな警察事故が起つて、縫物屋通ひの娘たちを驚倒させた。角の芝居朝日座との間に後、石川呉服店となつた同じ家で、役者写真を売つて居た。蔀戸をあげ、障子囲ひにした店床を卸した落ちついた家で、手札型の台紙にはつた舞台姿や、豆写真を張りつけた糸巻などが、そこの商品であつた。町々の縫物子が、其を買うては、護り魂のやうに秘めて居たものである。さう言ふ鴈治郎びいきの娘たちが、どんなにかたみ狭く案じ暮したことだらうと思ふと、昔のあほらしい程ののどかさに笑ひがこみあげて来る。
誰の芝居よりも、右団治一座の狂言によくなじんで居た。此人は、鴈治郎と一座する事が尠く、我当を書き出しに、座頭を勤めたことが続いて後、きつぱり座頭渡しの式をして、我当を押し出した。此は折り目正しい為方だと、今から見れば、そんな何でもない事に感心した世の中だつた。斎入右団治が、そんなさばけたとりしまりをしたのも、原因があつた。老齢に向つて、彼の嗜んだ「茶」が、ものを言ひ出した所もあつた。書き物の「石川五右衛門」で、茶の宗匠になつてゐる隠れがの五右衛門を見たが、彼の得意だつた葛籠抜けや、釜煎りの五右衛門よりは、性根をよく表現して、こんな名人が世にあらうかと思はせた。少年期を出たばかりの鑑識を、今更保持する自信も薄くなつたが、ともかくよい役者であつた。高安の老先生芝居ずきであつた事は聞いてゐたが、近年月郊――老先生長男――さんの「高安の里?」を読んだら、斎入を認めないやうにとれる文章があつて、私の記憶の為に悲観した。斎入は下品な顔の男であつたと言ふやうに書いてあつたので驚いた。月郊さんは、斎入の顔を一まはり大きくした時蔵――後歌六――と、記憶をふり替へて居られるのではないかと思つた事である。東京でもさうだが、上方でもはつきり、座頭脇役者とでは格が違ひ、育ちの違ふことを思はせて居た。時蔵朝日座あたりでは、座頭格に居て、芸も技巧的でおもしろかつたが、中芝居、角芝居座頭の勤まる柄ではなかつた。寧、勤めなかつたから、その柄が出来てゐなかつたといふ方が当つてゐる。璃※などでも今では、喜多村氏などが、神様見たいに言ふが、――さう言つて、あの不幸な達人を伝へてやつてくれることはあり難いが、――やはり浜芝居座頭か、書き出しで、長い腕を磨いて来たので、大芝居座頭相談役には此以上の人はないが、芸格は低かつたと思ふ。時蔵と似た輪廓だが、長い座頭経験が、斎入の顔に、芝居長者らしい品格を置いてゐた。まことに大阪芝居錦絵――その物は、美しさの真の準拠とはならぬが――をそのまゝの顔姿であつた。だから大阪錦絵の持つよさ――と言ふより醜さ――が、そのまゝ彼の舞台姿に出てゐた。月郊さんは、芝居擁護者としての伝統に列つた人だが、あの人一代だけは、どうも東京舞妓のよさが、喰ひこんで来て居る。あの人の作や評には、凡心服してゐるが、斎入の容貌評については甘心する事が出来ない。六郎先生などに聞いて、高安家の正しい判断を知りたいと思うてゐる。

我童は、前に姉を失つてゐる。此人も、井戸何かに這入つて死んでゐる。そこへ、先々代家橘――先代羽左衛門父――を失つた東京劇壇では、彼の上に其幻影を感じて、其身替りに据ゑかけてゐた我童が、姉と同じ病気になつた。その第十一代目仁左衛門気随気まゝと思はれた生活も、一つは思ひつめない為、随時発散を心がけての気まぐれだつたことを思ふと、其一生に理会がつく。我当は大阪の低い知識の導くまゝに、大和桜井から一里も奥の城島(シキシマ)村まで行つて、「忍阪内ノ陵」――舒明天皇陵――に参つて家兄の平癒を祈つてゐる。


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