晶子詩篇全集拾遺 - 与謝野 晶子 ( よさの あきこ )
與謝野晶子
明治三十二年
春月
別れてながき君とわれ
今宵あひみし嬉しさを
汲てもつきぬうま酒に
薄くれなゐの染いでし
君が片頬にびんの毛の
春風ゆるくそよぐかな。」
たのしからずやこの夕
はるはゆふべの薄雲に
二人のこひもさとる哉
おぼろに匂ふ月のもと
きみ心なきほゝゑみに
わかき命やさゝぐべき。」
わがをひ
やよをさなこよなれが目の
さやけき色をたとふれば
夕のそらの明星か
たわゝに肥えし頬の色は
濃染の梅に白ゆきの
かゝれる色か唇の
深紅の色は汝をば
はてなくめづる此をばの
ま心にしも似たるかな
かたことまじり※」の「木」に代えて「女」、9巻-305-下-12]様と
我が名よばるゝそのたびに
あゝわがむねに浪ぞ立つ。
あゝさるにても幼子よ
恋故くちし此をばが
よきいましめぞ忘れても
枯野か原をひとりゆく
かなしき恋をなすなかれ
千草八千草さきみてる
そのはなぞのにぬる蝶の
たのしき夢は見るもよし
あゝそれとてもつかのまよ
思へばはかなをさな子よ
など人の世にうまれ来し
いつ迄くさのいつ迄も
かくてぞあらんすべもがな
神のすがたをそのまゝに
後の身
生きての後ののちの身は
何にならんと君は思ふ
恋しき人はほゝゑみて
我は花咲く木とならむ
さらばゆかしき桜木か
朝日に匂ふさま見れば
君が心にふさはしき
すがたは外にあらじかし
さかりいみじき一ときの
夢は昨日とすぎされば
今日はとひこん人もなき
心のうらを見んもうし
さらば軒端のたちばなか
しづかふせやのうち迄も
香あまねき匂ひこそ
君が心のそれならめ
昔の恋を思ひねの
夢のまくらに香りゆき
たまも消ゆべくわび人の
なげく涙を我は見じ
されば深山の楓にか
千入にそむるくれなゐの
もゆる思ひのある君と
頼める我の違へりや
きみがかごとぞおかしさよ
秋のもみぢと我ならじ
立田の姫の御心に
淡きと濃きの恨あり
うつろひやすき人の世に
ときめく木々ぞうたてかる
松の千年はたのまねど
ゆるがぬ色のなつかしや
ミユーズの神のすべ給ふ
岩間の清水わくほとり
枝をかはして君と我
松の大樹とならんかな
夏の山行く旅人に
涼しき影をつくるべく
いろうるはしき乙女子が
恋のさはりをなげく時
うき世のうさ蔽ふべく
若き詩人の木のもとに
恋のうたはむ夕あらば
清きしらべをともに合さん
明治三十三年
わかれ
君埋れ木の時を得て
花もみもあるかの君に
とつぎますなるよろこびを
ことほぐことば我れもてど
別れの今のかなしさに
おつる涙をいかにせむ
心弱きを今さらに
あやしむ勿れ我が友よ
雲のよそなる西の京
祇園あたりの高楼の
おばしま近く彼の君と
春を惜まん夕あらば
忘れ草生ふ住吉の
松原つゞき茅渟の浦
つらはなれたる雁金の
音になくあたり忍べ君
あれかさのみ多き世に
人の心のつらき時
同じ思ひに泣く友の
はるかにありと知れよかし
松の葉ごしの夕月に
君が片ほの青きかな
かのあづまやのともしびは
我がまたゝきに似たらんか
ふたりのたてる袖がきに
絶えず散り来る白梅の
再びさかむその春に
我は逢ふとも思ほえず
忘るゝなかれこの夕
忘れ給ふな此夕
鴨の流れは清くとも
さがの桜はいみじかるとも
紅情紫根
(人の『山蓼』の詩にそへて友におくれる)
ほそ筆もつ子
え堪へんや
友の終(つひ)の身
調(てう)を問ふな
長き詩みじかき歌
ある日ある時
ねたしと見し
そのゑすがた
手筥に今
後(のち)も秘めむ
理想の友
姉と謂ひて
うなじまくに
このかひな
あまりかよわし
とかば髪
四尺はあらむ
胸により
わななくたけなが
あゝ裏くれなゐ
真玉に似たる
涙のおもて
ぬぐはんいざ君
朱(あけ)の袖口
われも少女(をとめ)
日はいつ六日(むいか)
理想(おもひ)わかき子
葬り終んぬ
霧ふかき京の山
あゝ恨み
明治三十四年
きのふ
平調の琴柱(ことぢ)のくばり
月うすき今宵の春の
おもひにあはず歌のりかぬる
神こよひ人恋ひそめし
子の指にふれて立つ音と
ゑみかたぶけて聴きますらむか
手はすががき琴よ忘るな
海棠の紅(べに)をしぼりて
のらぬこの歌絹に染めおかむ
まぼろし
ともしび危し
河風おほはむ
紫の袖
そがひを許せ暫し
ともし火ようなし
鬢いとへとや
君その小指(をゆび)
かりに労をとれな
あな消えぬともし火
君いづこ
またも風
ちらば恨みむ情(なさけ)の歌
御手か君ゆるせ
あつきは何とや
わかき唇
君われ切(せつ)な
わが魂(たま)あな君
変化(へんげ)今
奪ひ去(い)なんぞ
ともし火よばむ
河づらの宿
朝がすみ
欄により
人もの云はぬ朝あけ
大ひえの山
すそ紫なり
岡崎の里
霜のあした
ゆきし三人(みたり)
あゝいつの秋
君を兄とよびて
紅葉かざせし二人
やゝひくかりき
合がさのひと
黒谷の坂
石おほきみち
何れにかさむ手と
まどひしは誰れ
うさぎに見とれし
わかきまなざし
忘れず牧塲(まきば)かど
君歌ありき
おもへばその時
恋をもかたりぬ
あゝ罪しらんや
をさなかりし
はらからのおもひ
それなりき
そのひとも
今とてあゝ神
住の江の浦
蝶のむくろそへて
わすれ草つみぬ
ちさきその人
すゝめしは何
秋赤き花
いのると泣きぬ
わがおもはるゝ恋
涙なからんや
われ少女(をとめ)なり
歌なからんや
西の京の山
明治三十五年
宵寝
盗人に宵寝の春を怨じけり
盗人に雛を誇る寝顔かな
雛の灯に盗人を追ふ夜半の春
戸まで具して雛を捨てし盗人か
雛の句は袂ながらに盗まれし
盗まれし紫繻子や節句の帯
つみびと
わかきをよびてつみ人と
君よび給ふつみ人が
五つのゆびはふるる緒に
ものゝ音(ね)をひくちからあり
とけては朝のみづうみに
むらさきながすわが髪や
みだれてもゆるくちびるは
ここにまた見る花のいろ
君よ火かげにすかし見よ
君がぬかづく神いづこ
寺に古りたるしらかべの
声なき畫(ゑ)とは何れぞや
かくもいみじきつみ人の
ふるさとこそは君しるや
はたまた美(よき)をつみ人と
名づくる国へつれこしや誰
ひとぢ琴
もとより琴の緒にしあれど
うらみにひくき音もこもり
のろひにたかきおともせむ
ほそ緒しら木のひと柱(ぢ)琴
君ふれ給ふことなかれ
もとより恋の琴なれば
はだやはらかういだかれて
きくべき胸のささやきを
あこがるるともしたふとも
あゝ君ふるることなかれ
ひと緒の琴のわが恋は
ひとりの人にふれてより
やむよしもなき音(ね)は高う
恋にうらみにある時は
人をのろひにやすきひまなき
明治三十六年
玉の小櫛
一
竜神うろくづ海のつかひ女(め)
肩さし手さし供奉(ぐぶ)しまつるは
管(すが)だたみ八つ皮だたみ八つ
数へおよばぬ帛(きぬ)うはだたみ
三重(みへ)の御輿(みこし)に花とこぼれて
赤(あけ)の御袴(みはかま)ましら大御衣(おほみぞ)
おん正身(さうじみ)のみじろぐたびに
小波わきて飾る黒髪
潮(うしほ)の音(ね)こそ四方(よも)には通へ
前(さき)追ふ魚が頭頭(かしらかしら)の
瑠璃の燭(ひ)を吹く風も有らねば
水晶に描(か)く是れや蒔絵か
大わだつみの底の御啓(いでまし)
時に金色(こんじき)上より曳きて
清(すゞ)しきひゞき最(いと)も※々(さや/\)
星の七つぞ深く落ちくる
『美はしきもの悉(こと/″\)ねたむ
いまし竜神おそれ思はず
やまと美童(をぐな)の大皇子(おほみこ)奪(と)ると
相摸の海や走水(はしりみづ)の海
巨浪(おほなみ)ゆすりて詭計(たばか)りけりな
犠牲(にへ)に汝(な)が獲し弟橘(おとたちばな)は
光環(ひかりわ)かざす天(あめ)の幸姫(さちひめ)
清らの恋のいきみすだまよ
星の御座(みくら)へいざ疾く具せむ』
天(あめ)の使に御手(みて)とられまし
いま上げませるおん容顔(かんばせ)や
『相摸の小野(をぬ)に燃ゆる凶火(まがび)の
火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも』
とぞ御涙(おんなみだ)この界(よ)に一つ
※く落ちぬと落ちぬと見しは
あなや刺櫛珠の刺櫛
櫛に尾を曳き星は昇りて
二
天ざかる鄙の上総に
藻をかづき勇魚(いさな)とる男(を)は
天がした今さわげるも
よそに聴く安き伏屋(ふせや)よ
めざむれば海は和(な)ぎたり
はしきやし美くし妻(づま)の
昨夜(よべ)磯に得たる刺櫛
床に敷き寝(い)ねてし夢ぞ
上※や星や竜神
めづらかに尊かりしな
あな愚(うつ)け此櫛こそは
昨(きそ)の朝七日七夜を
御方(おんかた)の御裳(みも)の端だに
得ばやとて相摸七浦
上総(かづさ)潟長柄(かたながら)の辺(へ)にも
寄らずやと尋ねわびたる
纒向(まきむく)の日代(ひしろ)の宮の
御舎人(みとねり)が詞(ことば)の御櫛(みくし)
さらば妻帆岡の方(かた)に
御軍(みいくさ)の跡を追はまし
明治三十八年
〔無題〕
あさはかにものいふ君よ、
うまびとは耳もて聴かず、
いとふかき心に聴きぬ。
世はみな君をあざむとも、
とまれ、千とせのいちにんに
うなづかれまくものはのたまへ。
恋ふるとて
恋ふるとて君にはよりぬ、
君はしも恋は知らずも、
恋をただ歌はむすべに
こころ燃え、すがた※せつる。
いかが語らむ
いかが語らむ、おもふこと、
そはいと長きこゝろなれ、
いま相むかふひとときに
つくしがたなき心なれ。
わが世のかぎり思ふとも、
われさへ知るは難からし、
君はた君がいのちをも
かけて知らむと願はずや。
夢のまどひか、よろこびか、
狂ひごこちか、はた※か、
なべて詞に云ひがたし、
心ただ知れ、ふかき心に。
皷いだけば
皷いだけば、うらわかき
姉のこゑこそうかびくれ、
袿(うちぎ)かづけば、華やぎし
姉のおもこそにほひくれ、
桜がなかに簾(すだれ)して
宇治の河見るたかどのに、
姉とやどれる春の夜の
まばゆかりしを忘れめや、
もとより君は、ことばらに
うまれ給へば、十四まで、
父のなさけを身に知らず、
家に帰れる五つとせも
わが家ながら心おき、
さては穂に出ぬ初恋や
したに焦るる胸秘めて
おもはぬかたの人に添ひ、
泣く音をだにも憚れば
あえかの人はほほゑみて
うらはかなげにものいひぬ、
あゝさは夢か、短命の
二十八にてみまかりし
姉をしのべば、更にまた
そのすくせこそ泣かれぬれ。
しら玉の
しら玉の清らに透る
うるはしきすがたを見れば、
せきあへず涙わしりぬ、
しら玉は常ににほひて
ほこりかに世にもあるかな。
人のなかなるしら玉の
をとめ心は、わりなくも、
ひとりの君に染みてより、
命みじかき、いともろき
よろこびにしもまかせはてぬる。
冥府のくら戸は
よみのくら戸はひらかれて
恋びとよよといだきよれ、
かの天(あめ)に住む八百星(やほぼし)は
かたみに目路(めぢ)をなげかはせ、
土にかくれし石屑は
皆よりあひて玉と凝れ、
わが胸こがす恋の息
今つく熱きひと息に。
ほそまゆ
(絶句九章)
つづみうち扇とりては、みづいろの袖ふる京の人形を、おもしとわびぬ。円山や、雪見る家をたづねきて、扶けおろすと同車の人の。
よしのがは、下市(しもいち)ゆくと橋こえず、かなたはるかに上市(かみいち)の、川ぞひ家並(やなみ)絵とかすむ、車峠の大坂や、車にちりぬ、山ざくら花。
いかだしは歌うてくだる川ぎしの、濃花(こばな)つつじとしら藤と、山吹わけて阿伽くむに、よべ夢みたる黒髪を、うつさぬ水のただにうらめし。
うつくしき君が御歌を画といはば、このみますなる御画題の、われのすがたは舞すがた、ふり袖きせて花櫛を添へたまふこそ今はをかしき。
髪すけば、君すむかたの山あをくわれに笑む日か、さくらさく君があたりの朝の雲、きて春雨とわが髪に油のごとくそそぐらむ日か。
われぞ病む、愛憎度なきおん神のしもべとなのるわかうどの、祝詞(のりと)か咒詛か、ほそごゑのふしをかしきを戸にききて、うしろ姿を見たるものゆゑ。
ききたまへ、扇に似たる前髪にふさふとあへて云ふならば、われは后(きさい)のおん料の牡丹もきらむ、おほきみの花もぬすまむ。食まじ、木(こ)の果(み)は。
細眉や、こき前髪や、まろき頬や、姉によう似る我なれば、春ひねもすを小机の、はしに肘して人おもふ御病(みやまひ)さへも得つと申さむ。
おん髪はむすばず結はず、土に曳き尋(ひろ)する藤を挿してゆけ、かぐろの髪と紫と大路に浪をなさむ時、みやこをとめはさうぐるひ、千人(ちたり)にわけて与へよと、おん跡おはむそのなかに、われもまじりて西鶴の経師(きやうじ)が妻のふりに似る、よき人得よと祝ぎて帰らむ。
明治四十年
親の家
目にこそ浮べ、ふるさとの
堺の街の角の家、
帳塲づくゑと、水いろの
電気のほやのかがやきと、
店のあちこち積み箱の
かげに居睡る二三人。
この時黒き暖簾(のれん)より
衣ずれもせぬ忍び足
かいま見すなる中の間(ま)の
なでしこ色の帯のぬし、
あな、うら若きわが影は
そとのみ消えて奥寄(あうよ)りぬ。
ほとつく息はいと苦し、
はたいと※し、さはいへど
ふた親いますわが家を
捨てむとすなる前の宵
しづかに更くる刻刻の
時計の音ぞ凍りたる。
一番頭と父母と
茶ばなしするを安しと見、
こなたの隅にわが影は、
親を捨つると恋すると
繁き思(おもひ)をする我を
あはれと歎き涙しぬ。
よよとし泣けば鈴(べる)鳴りぬ、
電話の室のくらがりに
つとわが影は馳せ入りて
茶の間を見つつ受話器とる。
すてむとすなるふるさとの
和泉なまりの聞きをさめ。
人の声とは聞きしかど、
ただわがための忘れぬ日
楽しき日のみ作るとて、
なにの用とも誰ぞとも
知らず終りき。明日の日は
長久(とは)に帰らぬ親の家。
明治四十一年
赤とんぼ
酒屋の庫(くら)のうら通り、
二間(にけん)にたらぬ細通り、
向ひの側の屋根火の見
釣半鐘やものほしの
曲(ゆが)みてうつる影の上、
二間ばかりを初秋の
日はしら壁につぶと照る。
ゆききとだえし細通り、
少女(をとめ)二人は学校の
おやつ下りを帰りきぬ。
十四と十二髪さげし
その幼きはわれなりき。
一人の髪は今しらず。
評判者のいぢわるの
しげをの君は隣の子、
五町ばかりのゆきかへり
つれだつことを悲みぬ。
この日は何か先生に
しげをの君はしかられて
腹立泣(はらだちなき)に泣きしあと。
しげをの君はもの云はず、
何を云ひてもいらへせず、
いとおそろしき化(ばけ)ものと
肩ならべゆくここちして
われは死ぬべく思ほえぬ。
酒屋の庫のうら通り。
庫の下なる焼板に
あまたとまれる赤とんぼ
しげをの君の肩にきぬ。
一つと思ふにまた一つ
帯にとまりぬ、また一つ
裾にもとまる、赤とんぼ。
つと足とめて、あなをかし
とんぼの衣(きぬ)とわれ云ひぬ。
とんぼの衣とその人も
はじめてものを云ふものか。
酒屋の庫のうら通り、
初秋の日は黄に照りき。
明治四十二年
宿屋
八番の客人(まらうど)の室(ま)に
行き給へ、われに用なき
君なりと、いとあらゝかに
云ふめるは、この朝日屋の
中二階赤ら顔なる
宿ぬしの住ふ部屋より
もるゝ声、腹立ちの声。
小田原の小住(こすみ)と云ひし
宿の妻、夕方ときし
洗ひ髪しづくのたるを
いとへれば椽にたゝずみ
大嶋の灯など見るらし。
水いろの絽の染裕衣(そめゆかた)
繻子(しゆす)の帯風に吹かるゝ。
いまだなほ去(い)にをらずやと
蚊帳(かや)の人云ふのゝしれど、
もの云はず蚊うつ団扇の
はた/\と音するばかり。
若い衆(しゆ)の風呂仕まひする
唄の声何を云ひしか
この女闇にほゝ笑む。
わがをひ
やよをさなこよなれが目の
さやけき色をたとふれば
夕のそらの明星か
たわゝに肥えし頬の色は
濃染の梅に白ゆきの
かゝれる色か唇の
深紅の色は汝をば
はてなくめづる此をばの
ま心にしも似たるかな
かたことまじり※」の「木」に代えて「女」、9巻-305-下-12]様と
我が名よばるゝそのたびに
あゝわがむねに浪ぞ立つ。
あゝさるにても幼子よ
恋故くちし此をばが
よきいましめぞ忘れても
枯野か原をひとりゆく
かなしき恋をなすなかれ
千草八千草さきみてる
そのはなぞのにぬる蝶の
たのしき夢は見るもよし
あゝそれとてもつかのまよ
思へばはかなをさな子よ
など人の世にうまれ来し
いつ迄くさのいつ迄も
かくてぞあらんすべもがな
神のすがたをそのまゝに
後の身
生きての後ののちの身は
何にならんと君は思ふ
恋しき人はほゝゑみて
我は花咲く木とならむ
さらばゆかしき桜木か
朝日に匂ふさま見れば
君が心にふさはしき
すがたは外にあらじかし
さかりいみじき一ときの
夢は昨日とすぎされば
今日はとひこん人もなき
心のうらを見んもうし
さらば軒端のたちばなか
しづかふせやのうち迄も
香あまねき匂ひこそ
君が心のそれならめ
昔の恋を思ひねの
夢のまくらに香りゆき
たまも消ゆべくわび人の
なげく涙を我は見じ
されば深山の楓にか
千入にそむるくれなゐの
もゆる思ひのある君と
頼める我の違へりや
きみがかごとぞおかしさよ
秋のもみぢと我ならじ
立田の姫の御心に
淡きと濃きの恨あり
うつろひやすき人の世に
ときめく木々ぞうたてかる
松の千年はたのまねど
ゆるがぬ色のなつかしや
ミユーズの神のすべ給ふ
岩間の清水わくほとり
枝をかはして君と我
松の大樹とならんかな
夏の山行く旅人に
涼しき影をつくるべく
いろうるはしき乙女子が
恋のさはりをなげく時
うき世のうさ蔽ふべく
若き詩人の木のもとに
恋のうたはむ夕あらば
清きしらべをともに合さん
明治三十三年
わかれ
君埋れ木の時を得て
花もみもあるかの君に
とつぎますなるよろこびを
ことほぐことば我れもてど
別れの今のかなしさに
おつる涙をいかにせむ
心弱きを今さらに
あやしむ勿れ我が友よ
雲のよそなる西の京
祇園あたりの高楼の
おばしま近く彼の君と
春を惜まん夕あらば
忘れ草生ふ住吉の
松原つゞき茅渟の浦
つらはなれたる雁金の
音になくあたり忍べ君
あれかさのみ多き世に
人の心のつらき時
同じ思ひに泣く友の
はるかにありと知れよかし
松の葉ごしの夕月に
君が片ほの青きかな
かのあづまやのともしびは
我がまたゝきに似たらんか
ふたりのたてる袖がきに
絶えず散り来る白梅の
再びさかむその春に
我は逢ふとも思ほえず
忘るゝなかれこの夕
忘れ給ふな此夕
鴨の流れは清くとも
さがの桜はいみじかるとも
紅情紫根
(人の『山蓼』の詩にそへて友におくれる)
ほそ筆もつ子
え堪へんや
友の終(つひ)の身
調(てう)を問ふな
長き詩みじかき歌
ある日ある時
ねたしと見し
そのゑすがた
手筥に今
後(のち)も秘めむ
理想の友
姉と謂ひて
うなじまくに
このかひな
あまりかよわし
とかば髪
四尺はあらむ
胸により
わななくたけなが
あゝ裏くれなゐ
真玉に似たる
涙のおもて
ぬぐはんいざ君
朱(あけ)の袖口
われも少女(をとめ)
日はいつ六日(むいか)
理想(おもひ)わかき子
葬り終んぬ
霧ふかき京の山
あゝ恨み
明治三十四年
きのふ
平調の琴柱(ことぢ)のくばり
月うすき今宵の春の
おもひにあはず歌のりかぬる
神こよひ人恋ひそめし
子の指にふれて立つ音と
ゑみかたぶけて聴きますらむか
手はすががき琴よ忘るな
海棠の紅(べに)をしぼりて
のらぬこの歌絹に染めおかむ
まぼろし
ともしび危し
河風おほはむ
紫の袖
そがひを許せ暫し
ともし火ようなし
鬢いとへとや
君その小指(をゆび)
かりに労をとれな
あな消えぬともし火
君いづこ
またも風
ちらば恨みむ情(なさけ)の歌
御手か君ゆるせ
あつきは何とや
わかき唇
君われ切(せつ)な
わが魂(たま)あな君
変化(へんげ)今
奪ひ去(い)なんぞ
ともし火よばむ
河づらの宿
朝がすみ
欄により
人もの云はぬ朝あけ
大ひえの山
すそ紫なり
岡崎の里
霜のあした
ゆきし三人(みたり)
あゝいつの秋
君を兄とよびて
紅葉かざせし二人
やゝひくかりき
合がさのひと
黒谷の坂
石おほきみち
何れにかさむ手と
まどひしは誰れ
うさぎに見とれし
わかきまなざし
忘れず牧塲(まきば)かど
君歌ありき
おもへばその時
恋をもかたりぬ
あゝ罪しらんや
をさなかりし
はらからのおもひ
それなりき
そのひとも
今とてあゝ神
住の江の浦
蝶のむくろそへて
わすれ草つみぬ
ちさきその人
すゝめしは何
秋赤き花
いのると泣きぬ
わがおもはるゝ恋
涙なからんや
われ少女(をとめ)なり
歌なからんや
西の京の山
明治三十五年
宵寝
盗人に宵寝の春を怨じけり
盗人に雛を誇る寝顔かな
雛の灯に盗人を追ふ夜半の春
戸まで具して雛を捨てし盗人か
雛の句は袂ながらに盗まれし
盗まれし紫繻子や節句の帯
つみびと
わかきをよびてつみ人と
君よび給ふつみ人が
五つのゆびはふるる緒に
ものゝ音(ね)をひくちからあり
とけては朝のみづうみに
むらさきながすわが髪や
みだれてもゆるくちびるは
ここにまた見る花のいろ
君よ火かげにすかし見よ
君がぬかづく神いづこ
寺に古りたるしらかべの
声なき畫(ゑ)とは何れぞや
かくもいみじきつみ人の
ふるさとこそは君しるや
はたまた美(よき)をつみ人と
名づくる国へつれこしや誰
ひとぢ琴
もとより琴の緒にしあれど
うらみにひくき音もこもり
のろひにたかきおともせむ
ほそ緒しら木のひと柱(ぢ)琴
君ふれ給ふことなかれ
もとより恋の琴なれば
はだやはらかういだかれて
きくべき胸のささやきを
あこがるるともしたふとも
あゝ君ふるることなかれ
ひと緒の琴のわが恋は
ひとりの人にふれてより
やむよしもなき音(ね)は高う
恋にうらみにある時は
人をのろひにやすきひまなき
明治三十六年
玉の小櫛
一
竜神うろくづ海のつかひ女(め)
肩さし手さし供奉(ぐぶ)しまつるは
管(すが)だたみ八つ皮だたみ八つ
数へおよばぬ帛(きぬ)うはだたみ
三重(みへ)の御輿(みこし)に花とこぼれて
赤(あけ)の御袴(みはかま)ましら大御衣(おほみぞ)
おん正身(さうじみ)のみじろぐたびに
小波わきて飾る黒髪
潮(うしほ)の音(ね)こそ四方(よも)には通へ
前(さき)追ふ魚が頭頭(かしらかしら)の
瑠璃の燭(ひ)を吹く風も有らねば
水晶に描(か)く是れや蒔絵か
大わだつみの底の御啓(いでまし)
時に金色(こんじき)上より曳きて
清(すゞ)しきひゞき最(いと)も※々(さや/\)
星の七つぞ深く落ちくる
『美はしきもの悉(こと/″\)ねたむ
いまし竜神おそれ思はず
やまと美童(をぐな)の大皇子(おほみこ)奪(と)ると
相摸の海や走水(はしりみづ)の海
巨浪(おほなみ)ゆすりて詭計(たばか)りけりな
犠牲(にへ)に汝(な)が獲し弟橘(おとたちばな)は
光環(ひかりわ)かざす天(あめ)の幸姫(さちひめ)
清らの恋のいきみすだまよ
星の御座(みくら)へいざ疾く具せむ』
天(あめ)の使に御手(みて)とられまし
いま上げませるおん容顔(かんばせ)や
『相摸の小野(をぬ)に燃ゆる凶火(まがび)の
火中(ほなか)に立ちて問ひし君はも』
とぞ御涙(おんなみだ)この界(よ)に一つ
※く落ちぬと落ちぬと見しは
あなや刺櫛珠の刺櫛
櫛に尾を曳き星は昇りて
二
天ざかる鄙の上総に
藻をかづき勇魚(いさな)とる男(を)は
天がした今さわげるも
よそに聴く安き伏屋(ふせや)よ
めざむれば海は和(な)ぎたり
はしきやし美くし妻(づま)の
昨夜(よべ)磯に得たる刺櫛
床に敷き寝(い)ねてし夢ぞ
上※や星や竜神
めづらかに尊かりしな
あな愚(うつ)け此櫛こそは
昨(きそ)の朝七日七夜を
御方(おんかた)の御裳(みも)の端だに
得ばやとて相摸七浦
上総(かづさ)潟長柄(かたながら)の辺(へ)にも
寄らずやと尋ねわびたる
纒向(まきむく)の日代(ひしろ)の宮の
御舎人(みとねり)が詞(ことば)の御櫛(みくし)
さらば妻帆岡の方(かた)に
御軍(みいくさ)の跡を追はまし
明治三十八年
〔無題〕
あさはかにものいふ君よ、
うまびとは耳もて聴かず、
いとふかき心に聴きぬ。
世はみな君をあざむとも、
とまれ、千とせのいちにんに
うなづかれまくものはのたまへ。
恋ふるとて
恋ふるとて君にはよりぬ、
君はしも恋は知らずも、
恋をただ歌はむすべに
こころ燃え、すがた※せつる。
いかが語らむ
いかが語らむ、おもふこと、
そはいと長きこゝろなれ、
いま相むかふひとときに
つくしがたなき心なれ。
わが世のかぎり思ふとも、
われさへ知るは難からし、
君はた君がいのちをも
かけて知らむと願はずや。
夢のまどひか、よろこびか、
狂ひごこちか、はた※か、
なべて詞に云ひがたし、
心ただ知れ、ふかき心に。
皷いだけば
皷いだけば、うらわかき
姉のこゑこそうかびくれ、
袿(うちぎ)かづけば、華やぎし
姉のおもこそにほひくれ、
桜がなかに簾(すだれ)して
宇治の河見るたかどのに、
姉とやどれる春の夜の
まばゆかりしを忘れめや、
もとより君は、ことばらに
うまれ給へば、十四まで、
父のなさけを身に知らず、
家に帰れる五つとせも
わが家ながら心おき、
さては穂に出ぬ初恋や
したに焦るる胸秘めて
おもはぬかたの人に添ひ、
泣く音をだにも憚れば
あえかの人はほほゑみて
うらはかなげにものいひぬ、
あゝさは夢か、短命の
二十八にてみまかりし
姉をしのべば、更にまた
そのすくせこそ泣かれぬれ。
しら玉の
しら玉の清らに透る
うるはしきすがたを見れば、
せきあへず涙わしりぬ、
しら玉は常ににほひて
ほこりかに世にもあるかな。
人のなかなるしら玉の
をとめ心は、わりなくも、
ひとりの君に染みてより、
命みじかき、いともろき
よろこびにしもまかせはてぬる。
冥府のくら戸は
よみのくら戸はひらかれて
恋びとよよといだきよれ、
かの天(あめ)に住む八百星(やほぼし)は
かたみに目路(めぢ)をなげかはせ、
土にかくれし石屑は
皆よりあひて玉と凝れ、
わが胸こがす恋の息
今つく熱きひと息に。
ほそまゆ
(絶句九章)
つづみうち扇とりては、みづいろの袖ふる京の人形を、おもしとわびぬ。円山や、雪見る家をたづねきて、扶けおろすと同車の人の。
よしのがは、下市(しもいち)ゆくと橋こえず、かなたはるかに上市(かみいち)の、川ぞひ家並(やなみ)絵とかすむ、車峠の大坂や、車にちりぬ、山ざくら花。
いかだしは歌うてくだる川ぎしの、濃花(こばな)つつじとしら藤と、山吹わけて阿伽くむに、よべ夢みたる黒髪を、うつさぬ水のただにうらめし。
うつくしき君が御歌を画といはば、このみますなる御画題の、われのすがたは舞すがた、ふり袖きせて花櫛を添へたまふこそ今はをかしき。
髪すけば、君すむかたの山あをくわれに笑む日か、さくらさく君があたりの朝の雲、きて春雨とわが髪に油のごとくそそぐらむ日か。
われぞ病む、愛憎度なきおん神のしもべとなのるわかうどの、祝詞(のりと)か咒詛か、ほそごゑのふしをかしきを戸にききて、うしろ姿を見たるものゆゑ。
ききたまへ、扇に似たる前髪にふさふとあへて云ふならば、われは后(きさい)のおん料の牡丹もきらむ、おほきみの花もぬすまむ。食まじ、木(こ)の果(み)は。
細眉や、こき前髪や、まろき頬や、姉によう似る我なれば、春ひねもすを小机の、はしに肘して人おもふ御病(みやまひ)さへも得つと申さむ。
おん髪はむすばず結はず、土に曳き尋(ひろ)する藤を挿してゆけ、かぐろの髪と紫と大路に浪をなさむ時、みやこをとめはさうぐるひ、千人(ちたり)にわけて与へよと、おん跡おはむそのなかに、われもまじりて西鶴の経師(きやうじ)が妻のふりに似る、よき人得よと祝ぎて帰らむ。
明治四十年
親の家
目にこそ浮べ、ふるさとの
堺の街の角の家、
帳塲づくゑと、水いろの
電気のほやのかがやきと、
店のあちこち積み箱の
かげに居睡る二三人。
この時黒き暖簾(のれん)より
衣ずれもせぬ忍び足
かいま見すなる中の間(ま)の
なでしこ色の帯のぬし、
あな、うら若きわが影は
そとのみ消えて奥寄(あうよ)りぬ。
ほとつく息はいと苦し、
はたいと※し、さはいへど
ふた親いますわが家を
捨てむとすなる前の宵
しづかに更くる刻刻の
時計の音ぞ凍りたる。
一番頭と父母と
茶ばなしするを安しと見、
こなたの隅にわが影は、
親を捨つると恋すると
繁き思(おもひ)をする我を
あはれと歎き涙しぬ。
よよとし泣けば鈴(べる)鳴りぬ、
電話の室のくらがりに
つとわが影は馳せ入りて
茶の間を見つつ受話器とる。
すてむとすなるふるさとの
和泉なまりの聞きをさめ。
人の声とは聞きしかど、
ただわがための忘れぬ日
楽しき日のみ作るとて、
なにの用とも誰ぞとも
知らず終りき。明日の日は
長久(とは)に帰らぬ親の家。
明治四十一年
赤とんぼ
酒屋の庫(くら)のうら通り、
二間(にけん)にたらぬ細通り、
向ひの側の屋根火の見
釣半鐘やものほしの
曲(ゆが)みてうつる影の上、
二間ばかりを初秋の
日はしら壁につぶと照る。
ゆききとだえし細通り、
少女(をとめ)二人は学校の
おやつ下りを帰りきぬ。
十四と十二髪さげし
その幼きはわれなりき。
一人の髪は今しらず。
評判者のいぢわるの
しげをの君は隣の子、
五町ばかりのゆきかへり
つれだつことを悲みぬ。
この日は何か先生に
しげをの君はしかられて
腹立泣(はらだちなき)に泣きしあと。
しげをの君はもの云はず、
何を云ひてもいらへせず、
いとおそろしき化(ばけ)ものと
肩ならべゆくここちして
われは死ぬべく思ほえぬ。
酒屋の庫のうら通り。
庫の下なる焼板に
あまたとまれる赤とんぼ
しげをの君の肩にきぬ。
一つと思ふにまた一つ
帯にとまりぬ、また一つ
裾にもとまる、赤とんぼ。
つと足とめて、あなをかし
とんぼの衣(きぬ)とわれ云ひぬ。
とんぼの衣とその人も
はじめてものを云ふものか。
酒屋の庫のうら通り、
初秋の日は黄に照りき。
明治四十二年
宿屋
八番の客人(まらうど)の室(ま)に
行き給へ、われに用なき
君なりと、いとあらゝかに
云ふめるは、この朝日屋の
中二階赤ら顔なる
宿ぬしの住ふ部屋より
もるゝ声、腹立ちの声。
小田原の小住(こすみ)と云ひし
宿の妻、夕方ときし
洗ひ髪しづくのたるを
いとへれば椽にたゝずみ
大嶋の灯など見るらし。
水いろの絽の染裕衣(そめゆかた)
繻子(しゆす)の帯風に吹かるゝ。
いまだなほ去(い)にをらずやと
蚊帳(かや)の人云ふのゝしれど、
もの云はず蚊うつ団扇の
はた/\と音するばかり。
若い衆(しゆ)の風呂仕まひする
唄の声何を云ひしか
この女闇にほゝ笑む。
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