暗号数字 - 海野 十三 ( うんの じゅうざ )
帆村探偵現る
ちかごろ例の青年探偵|帆村荘六(ほむらそうろく)の活躍をあまり耳にしないので、先生一体どうしたのかと不審に思っていたところ、某方面からの依頼で、面倒な事件に忙しい身の上だったと知れた。最近にいたって、彼はずっと自分の事務所にいるようである。某方面の仕事も一段落ついたので、それで休養かたがた当分某方面の仕事を休ませてもらうことに話がついたといっていた。
僕は、実はきのう、久しぶりで或るところで帆村荘六に会った。
彼は例の長身を地味な背広に包んで、なんだか急に年齢(とし)がふけたように見えた。顔色もたいへん黒く焦げて、例の胃弱らしい青さがどこかへ行ってしまった。色眼鏡を捨てて縁の太い眼鏡にかえ、どこから見てもじじむさくなった。そのことを僕が揶揄(からか)うと、彼は例の大きな口をぎゅっと曲げてにやりと笑い、
「ふふふふ、ちかごろはこれでなくちゃいけないんだ。街へ出ても田舎へ行っても、どこにでも行きあうようなオッサンに見えなくちゃ、御用がつとまらないんだよ。そういう連中の中に交って、こっちの身分をさとられずに眼を光らせていなくちゃならないんだからね。昔のように自分の趣味から割りだしたおしゃれの服装をしていたんじゃ、魚がみな逃げてしまう」
と、俗っぽい服装の弁を一くさりやった。
そこで僕は、彼がちかごろ取扱った探偵事件のなかで、特に面白いやつを話して聞かせろとねだったのであるが、帆村はあっさり僕の要求を一蹴(いっしゅう)した。
「諜報事件に面白いのがあるがね、しかし僕がどんな風にしてそれを曝(あば)いたかなんてことを公表しようものなら、これから捕えようとしている大切な魚がみな逃げてしまうよ」
と、彼は同じことをくりかえし云った。
そのような事件におどる魚は、そんなにはしっこいものであるのか。そういう問にたいして帆村荘六は、
「そういう事件に登場する相手は非常に智的な人物ばかりなんだ。だから若(も)しちょっとこっちが油断をしていれば、たちまち逆に利用されてしまう。全く油断も隙もならないとはこのことだ。そして相手はみんな生命がけなんだから、あぶないったらないよ。しかも相手の人数は多いし、組織はすばらしくりっぱで、あらゆる力を持っている。そういう相手に対し、われわれ少人数でぶつかって行くんだから、本当に骨が折れる」
「なんかその辺で、差支(さしつか)えない話でも出てきそうなものじゃないか」
と僕がすかさず水を向けると、彼は新しい莨(たばこ)に火をつけながら、
「うん、一つだけ話をきかせようかな。これは八、九年前に僕自身が自演した失敗談だ。例の手剛(てごわ)い相手どもが如何に物を考えてやっているかという一つの材料になると思うよ。しかも僕としては、いまだかつて、これほど頭をひねった事件はなかったのだ。脳細胞がばらばらに分解しやしないかと思ったほど、いやもう頭をつかった。――しかも後でふりかえってみると、実に腹が立って腹が立ってたまらないくらい、僕ひとりで独楽(こま)のようにくるくる廻っていたという莫迦莫迦(ばかばか)しい精力浪費事件なのさ」
帆村はそういって、心外でたまらぬという風に大きな脣(くちびる)をぐっと曲げた。
ぜひ聞かせてもらいたいというと、彼は、
「うん、話をするが、この事件は結局いくら莫迦莫迦しくったって、さっきもいうとおり僕が取扱った事件の中で一番骨身をけずって苦しんだ事件なんだから、そこに深甚なる同情を持って君もゆっくり考えながら終りまで黙って聞いてくれなくちゃ困るよ」
と、いつになく彼は僕に聞き手としての熱意を強いるのであった。
もちろん僕は大いに謹聴すると誓ったが、これから思うと、その事件において帆村は、よほど、にがにがしい苦杯を嘗(な)めたものらしい。
以下、帆村の物語となる。
秘密の人
恐らく、あの頃から後の数年が、一番多種多様の諜報機関が、国内で活動した時期だと思う。国際関係のものは勿論のこと、営利専門のものもあるし、情報通信のもの、経済関係のものなどと、ずいぶんいろいろの諜者(ちょうじゃ)が活躍をしていた。時には同士討(どうしうち)もあって面白いこともあった。
およそ相手方の諜者にやらせてならぬことは、こっちの秘密を知られることと、これを相手方の本部へ通達されることの二つである。なかでも後者に属する通信であるが、これに対しては、水も洩らさぬ警戒をしなければならなかった。
あらゆる秘密通信機関を探しだして、これを諜報者の手から取上げることも、焦眉(しょうび)の急を要することだった。幸いわが国の通信事業は官庁の独占または監督下にあったため、比較的取締に都合がよかったし、また秘密通信機がコツコツとモールス符号を送りだしてもすぐそれを探しあてるほどの監督技術をもっていたから、これも都合がよかった。その当時、そういう秘密通信機関で摘発され、或いは発見されたものの数はすこぶる多い。
帆村荘六が事務所に備えつけていた最新式の短波通信機も当局の臨検にあい、もちろんのこと押収の議題にのぼったけれど、当時彼は既にもう某方面の仕事を命ぜられていたので、その方に必要なる道具であるとして幸いにも押収を免れた。そのとき帆村は、この短波通信機が此処(ここ)へ来てそれほど貴重なものとなったとは認識していなかったけれど、後から聞いた話によると、民間機でその当時押収を喰わなかったものとては、帆村機の外に殆んどなかったとのことである。当時帆村はそういう事態を、それほどまで深刻に認識していなかったのだ。もちろん誰かからそういう説明を聞けばよく分って警戒もしたであろうが、事実説明はなかったとのことである。
さて或る日、帆村の事務所へ電話がかかってきた。大辻(おおつじ)という助手が出て、相手の名前を訊ねたところ、貴方は帆村氏かという。大辻助手が、私は主人の帆村ではないと応えると、相手は帆村氏を電話口へ出してくれといって、なかなか身柄を明かさない。そこで大辻はその由を帆村に伝えたが、まあこんな風な電話のかかって来方は事件依頼主が身柄を秘したいときによくやる手で、それほど大したことではなかった。
入れかわって帆村が電話口に出てみると、相手はまた入念に帆村であることを確かめた上で、
「――実は、こっちは内務省なんですが、秘密に貴下の御力を借りたいのです」
と、始めて身柄を明かした。
そういう官庁とは、はじめての交渉であったけれど、官庁のことゆえ、帆村は助力をしてもいいが、と一応承諾の用意があることを明らかにし、その依頼事件の内容について訊ねた。
すると相手は、
「いや、もちろん電話ではお話できませんから、お会いしたい」
という。
「ではいつそちらへ伺いましょうか」
と帆村が訊ねると、
「なるべく早いことを希望します。しかしこっちへお出でになると、いろいろな人物も出入していることだしするから、目に立っていけません。だから外でお目に懸りましょう。
僕は、実はきのう、久しぶりで或るところで帆村荘六に会った。
彼は例の長身を地味な背広に包んで、なんだか急に年齢(とし)がふけたように見えた。顔色もたいへん黒く焦げて、例の胃弱らしい青さがどこかへ行ってしまった。色眼鏡を捨てて縁の太い眼鏡にかえ、どこから見てもじじむさくなった。そのことを僕が揶揄(からか)うと、彼は例の大きな口をぎゅっと曲げてにやりと笑い、
「ふふふふ、ちかごろはこれでなくちゃいけないんだ。街へ出ても田舎へ行っても、どこにでも行きあうようなオッサンに見えなくちゃ、御用がつとまらないんだよ。そういう連中の中に交って、こっちの身分をさとられずに眼を光らせていなくちゃならないんだからね。昔のように自分の趣味から割りだしたおしゃれの服装をしていたんじゃ、魚がみな逃げてしまう」
と、俗っぽい服装の弁を一くさりやった。
そこで僕は、彼がちかごろ取扱った探偵事件のなかで、特に面白いやつを話して聞かせろとねだったのであるが、帆村はあっさり僕の要求を一蹴(いっしゅう)した。
「諜報事件に面白いのがあるがね、しかし僕がどんな風にしてそれを曝(あば)いたかなんてことを公表しようものなら、これから捕えようとしている大切な魚がみな逃げてしまうよ」
と、彼は同じことをくりかえし云った。
そのような事件におどる魚は、そんなにはしっこいものであるのか。そういう問にたいして帆村荘六は、
「そういう事件に登場する相手は非常に智的な人物ばかりなんだ。だから若(も)しちょっとこっちが油断をしていれば、たちまち逆に利用されてしまう。全く油断も隙もならないとはこのことだ。そして相手はみんな生命がけなんだから、あぶないったらないよ。しかも相手の人数は多いし、組織はすばらしくりっぱで、あらゆる力を持っている。そういう相手に対し、われわれ少人数でぶつかって行くんだから、本当に骨が折れる」
「なんかその辺で、差支(さしつか)えない話でも出てきそうなものじゃないか」
と僕がすかさず水を向けると、彼は新しい莨(たばこ)に火をつけながら、
「うん、一つだけ話をきかせようかな。これは八、九年前に僕自身が自演した失敗談だ。例の手剛(てごわ)い相手どもが如何に物を考えてやっているかという一つの材料になると思うよ。しかも僕としては、いまだかつて、これほど頭をひねった事件はなかったのだ。脳細胞がばらばらに分解しやしないかと思ったほど、いやもう頭をつかった。――しかも後でふりかえってみると、実に腹が立って腹が立ってたまらないくらい、僕ひとりで独楽(こま)のようにくるくる廻っていたという莫迦莫迦(ばかばか)しい精力浪費事件なのさ」
帆村はそういって、心外でたまらぬという風に大きな脣(くちびる)をぐっと曲げた。
ぜひ聞かせてもらいたいというと、彼は、
「うん、話をするが、この事件は結局いくら莫迦莫迦しくったって、さっきもいうとおり僕が取扱った事件の中で一番骨身をけずって苦しんだ事件なんだから、そこに深甚なる同情を持って君もゆっくり考えながら終りまで黙って聞いてくれなくちゃ困るよ」
と、いつになく彼は僕に聞き手としての熱意を強いるのであった。
もちろん僕は大いに謹聴すると誓ったが、これから思うと、その事件において帆村は、よほど、にがにがしい苦杯を嘗(な)めたものらしい。
以下、帆村の物語となる。
秘密の人
恐らく、あの頃から後の数年が、一番多種多様の諜報機関が、国内で活動した時期だと思う。国際関係のものは勿論のこと、営利専門のものもあるし、情報通信のもの、経済関係のものなどと、ずいぶんいろいろの諜者(ちょうじゃ)が活躍をしていた。時には同士討(どうしうち)もあって面白いこともあった。
およそ相手方の諜者にやらせてならぬことは、こっちの秘密を知られることと、これを相手方の本部へ通達されることの二つである。なかでも後者に属する通信であるが、これに対しては、水も洩らさぬ警戒をしなければならなかった。
あらゆる秘密通信機関を探しだして、これを諜報者の手から取上げることも、焦眉(しょうび)の急を要することだった。幸いわが国の通信事業は官庁の独占または監督下にあったため、比較的取締に都合がよかったし、また秘密通信機がコツコツとモールス符号を送りだしてもすぐそれを探しあてるほどの監督技術をもっていたから、これも都合がよかった。その当時、そういう秘密通信機関で摘発され、或いは発見されたものの数はすこぶる多い。
帆村荘六が事務所に備えつけていた最新式の短波通信機も当局の臨検にあい、もちろんのこと押収の議題にのぼったけれど、当時彼は既にもう某方面の仕事を命ぜられていたので、その方に必要なる道具であるとして幸いにも押収を免れた。そのとき帆村は、この短波通信機が此処(ここ)へ来てそれほど貴重なものとなったとは認識していなかったけれど、後から聞いた話によると、民間機でその当時押収を喰わなかったものとては、帆村機の外に殆んどなかったとのことである。当時帆村はそういう事態を、それほどまで深刻に認識していなかったのだ。もちろん誰かからそういう説明を聞けばよく分って警戒もしたであろうが、事実説明はなかったとのことである。
さて或る日、帆村の事務所へ電話がかかってきた。大辻(おおつじ)という助手が出て、相手の名前を訊ねたところ、貴方は帆村氏かという。大辻助手が、私は主人の帆村ではないと応えると、相手は帆村氏を電話口へ出してくれといって、なかなか身柄を明かさない。そこで大辻はその由を帆村に伝えたが、まあこんな風な電話のかかって来方は事件依頼主が身柄を秘したいときによくやる手で、それほど大したことではなかった。
入れかわって帆村が電話口に出てみると、相手はまた入念に帆村であることを確かめた上で、
「――実は、こっちは内務省なんですが、秘密に貴下の御力を借りたいのです」
と、始めて身柄を明かした。
そういう官庁とは、はじめての交渉であったけれど、官庁のことゆえ、帆村は助力をしてもいいが、と一応承諾の用意があることを明らかにし、その依頼事件の内容について訊ねた。
すると相手は、
「いや、もちろん電話ではお話できませんから、お会いしたい」
という。
「ではいつそちらへ伺いましょうか」
と帆村が訊ねると、
「なるべく早いことを希望します。しかしこっちへお出でになると、いろいろな人物も出入していることだしするから、目に立っていけません。だから外でお目に懸りましょう。
海野 十三 (うんの じゅうざ) 以外のオススメ作品
暗号数字 (あんごうすうじ) のリンク元
- http://atpedia.jp/word/%E5%87%A6%E7%90%86
- http://atpedia.jp/word/%E5%8D%8A%E8%A7%92
- http://atpedia.jp/word/%E5%8F%97%E4%BF%A1
- http://atpedia.jp/word/%E5%AE%9D%E6%8E%A2%E3%81%97
- http://atpedia.jp/word/%E6%83%85%E5%A0%B1
- http://atpedia.jp/word/%E6%95%B0%E5%BC%8F
- http://atpedia.jp/word/%E6%9A%97%E5%8F%B7
- http://atpedia.jp/word/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E9%A7%85
- http://atpedia.jp/word/%E7%99%BB%E9%8C%B2
- http://atpedia.jp/word/%e9%95%b7%e8%ba%ab
「暗号数字-海野 十三」の関連ページ
-
第十三倉庫 - kimohatafumiaki @ ウィキ - kimohatafumiaki @ ウィキ
てs -
タ行/ト/所十三 - 漫画家くちこみリンク&掲示板 - 漫画家くちこみリンク&掲示板
qwerタ行/ト/所十三 -
十三の神殿 - アルヴニア世界観WIKI - アルヴニア世界観WIKI
トラペーズ十三神殿の項を参照。 -
2008年度 - 青学野宿愛好会のHP(3個め) - 青学野宿愛好会のHP(3個め)
ここに2008年度の活動をまとめたい気がする4月新歓鹿沼公園鍋20086月樹海野宿、**樹海野宿記(中尾)8月水戸ママチャリレース10月京都ヒッチハイクレース12月歌舞伎町で愚痴聞きます -
2009 - あんどれ うぃき - あんどれ うぃき
◆2009 WORLDS「The Tempest」「十三夜」 -
十三龍門(真) - 麻雀ローカルルールWiki - 麻雀ローカルルールWiki
読みシーサンロンメン正式名称別名和了り飜トリプル役満(門前のみ)牌例解説国士無双を天和または地和で和了る。本来国士無双は作るものではなく、十三不塔に近い性格の役だったとされる。成分分析十三龍門の35 -
自作キャラでバトルロワイアル - 2chパロロワ事典@Wiki - 2chパロロワ事典@Wiki
夫 一番 麻倉美意子 壱里塚徳人 二番 卜部悠 W・N・スペンサー 三番 エヴィアン 海野裕也 四番 エルフィ 追原弾 五番 貝町ト子 太田 -
アスラクライン - 倉庫 - 倉庫
リンク名?一話?二話?三話?四話?五話?六話?七話?八話?九話?十話?十一話?十二話?十三話? -
海野 ミンポ - KUCC@Wiki - KUCC@Wiki
絵の下手さをネタで誤魔化すことにした部室出現日 木曜・休日以外後期になって朝起きれなくなった 目覚ましがいつの間にか切れてる\(^o^)/改名実は大学生になって初めてジャンプを読んだ -
トップページ - Look the same 海野弘の目次を旅する - Look the same 海野弘の目次を旅する
文化史家・評論家の海野弘さんに関する情報をまとめております。タイトルの「Look thesame(ルック・ザ・セイム)」は、『海野弘コレクション3 歩いて、見て、書いて 私の一〇〇冊の本の旅』(右文
