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月の詩情 - 萩原 朔太郎 ( はぎわら さくたろう )

  • 朗読CD 朗読街道8「ラヂオ漫談」萩原朔太郎 旧ジャケ
  • ●萩原朔太郎 三好達治 
  • 署名本・萩原朔太郎・『与謝蕪村』・川上澄生宛・初版・第一書房
  • 文士の筆跡 三 詩人篇/島崎藤村 草野心平 萩原朔太郎 宮沢賢治…
  • ◆本◇現代日本文学全集24 S29発行高村光太郎/萩原朔太郎/宮沢賢
  • 伊藤信吉 第一詩集 『詩集 故郷』 昭和8年  萩原朔太郎
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 昔は多くの詩人たちが、月を題材にして詩を作つた。支那では李白白楽天やが、特に月の詩人として有名だが、日本では西行芭蕉を初め、もつと多くの詩人等が月を歌つた。西洋でも、Moonlight月光を歌つた詩は、東洋に劣らないほど沢山ある。かうした多くの月の詩篇は、すべて皆その情操に、悲しい音楽を聴く時のやうな、無限のノスタルヂアが本質して居り、多くは失恋孤独の悲哀を、その抒情背景に揺曳させてゐる。
 月とその月光が、何故にかくも昔から、多くの詩人の心を傷心せしめたらうか。思ふにその理由は、月光の青白い光が、メランコリツクな詩的な情緒を、人の心に強く呼び起させることにもよる。だがもつと本質的な原因は、それが広茫極みなき天の穹窿で、無限の遠方にあるといふことである。なぜならすべて遠方にある者は、人の心に一種の憧憬郷愁を呼び起し、それ自らが抒情詩のセンチメントになるからである。しかもそれは、単に遠方にあるばかりではない。いつも青白い光を放散して、空の灯火の如く煌々と輝やいてゐるのである。そこで自分は、生物不可思議本能であるところの、向火性といふことに就いて考へてゐる。
 獣類と、鳥類と、昆虫との別を問はず、殆んどすべての生物は、夜の灯火に対して不思議なイメーヂと思慕を持つてゐる。海の魚介類は、漁師の漁る灯火の下に、群をなして集つて来るし、山野に生棲する昆虫類は、人家の灯火(あかり)や弧灯に向つて、蛾群の羽ばたきを騒擾する。鹿のやうな獣類でさへも、遠方の灯火に対して、眼に一ぱいの涙をたたへながら、何時迄も長く凝視してゐるといふことである。思ふに彼等は、夜の灯火といふものに対して、何かの或る神秘的なあこがれ生命の最も深奥な秘密に触れてゐるところの、不思議恋愛に似た思慕(エロス)を感じてゐるにちがひない。今日学者生物学は、まだこの動物秘密を解いてゐない。しかし同じ動物の一種であり、同じ生命本能所有者である人間、そして最も原始的な宗教の起原に、民族共通の拝火教や拝日教を有する我等は、自己の主観から臆測して、殆んど彼等の心理想像することが出来るのである。飛んで火に焼かれる虫の心理は、おそらく彼等が恋愛高潮に達した時や、音楽の魅力が絶頂に高まつた時やの、あのやるせない心の焦躁、何物かの認識できない、或るメタフイヂツクな実在世界に、身も心も投げ捨ててしまひたいと思ふ時のそれと、殆んどよく類似したものであらう。おそらく多くの動物は、美しく燃える火のなかに、彼等の生命の起原であるところの、実在故郷を感じてゐるにちがひない。それはすべての動物に共通する、生命本能の最も原始的な神秘に属してゐる。そして詩や音楽やの芸術は、かかる原始的な生命秘密を、経験以前の純粋記憶から表象して、人の本能的なる感性情緒に訴へるものなのである。
 月とその月光とが、古来詩人の心を強く捉へ、他の何物にもまして好個の詩材とされたのは、その夜天の空に輝やく灯火が、人間の向火性を刺戟し、本能的なリリシズムを詩情させたことは疑ひない。西洋の詩では、月と共に星が最も多く歌はれてゐるが、それもやはり同じ理由に基くのである。日本漢詩人頼山陽は、少年の時に星を見て泣いたと言はれるが、おそらくその少年の日に、星を見て情緒を動かさなかつた人は、すくなくとも文学者の中には無いであらう。星は月よりも光が弱く、メランコリツクな青白い銀光がない。しかし月よりも距離が遠く、さらに尚無限の遠方にあるといふことから、一層及びがたい思慕の郷愁を感じさせる。そして「この及びがたいものへの思慕」といふことは、それ自体が騎士道のプラトニツク・ラヴと関連してゐる。西洋抒情詩に月よりも星の方が多く、星がそれ自ら恋愛表象とさへなつてゐるのはこの故である。しかし日本でも、平安時代貴族文化には、西洋騎士道とやや類似したものがあつた。当時の智識人や武士たちは、自分より身分階級の高い所の、所謂「やんごとなき」貴族の姫君等に対して、心ひそかに思慕の恋情を寄せ、騎士道的崇拝に似たフエミニズムを満足させてゐた。おそらく彼等は、その恋が到底及ばぬものであり、身分ちがひの果敢ないものであるといふことを、自ら卑下して意識することで、一層哀切にやるせないリリシズムを痛感し、物のあはれの行きつめた悲哀の中に、自らその詩操を培養して居たであらう。それ故に日本歌史上に於て、月の歌が最も多く詠まれてゐるのは、実に当時の平安時代であつた。特にさうした失恋動機によつて、山野に漂泊したと言はれる西行には、就中月の歌が極めて多く、且つそれが皆哀切でやるせないフエミニストの思慕を訴へてゐる。
 かくの如く、月は昔の詩人の恋人だつた。しかし近代になつてから、西洋でも日本でも、月の詩が甚だ尠なくなつた。近代詩人は、月を忘れてしまつたのだらうか。思ふにそれには、いろいろな原因があるかも知れない。あまりに数多く、古人によつて歌ひ尽されたことが、その詩材をマンネリズムにしたことなども、おそらく原因の一つであらう。騎士道精神の衰退から、フエミニズムやプラトニツク恋愛の廃つたことなども、同じくその原因の中に入るかも知れない。さらに天文学発達が、月を疱瘡(あばた)面の醜男(ぶをとこ)にし、天女の住む月宮殿連想を、荒涼たる没詩情のものに化したことなども、僕等の時代詩人が、月への思慕(エロス)を失つたことの一理由であるかも知れない。しかしもつと本質的な原因は、近代に於ける照明科学進歩が、地上をあまりに明るくしすぎた為である。
 かつて防空演習のあつた晩、すべての家々の灯火が消されて、東京市中が真の闇になつてゐた時、自分は家路をたどりながら、初めて知つた月光の明るさに驚いた。そして満月に近い空の月を沁々と眺め入つた。その時自分は、真に何年ぶりで月を見たといふ思ひがした。実際自分田舎で育つた少年の時以来、実に十何年もの久しい間、殆んど全く月を忘れて居たのであつた。
「月を忘れてゐた」といふ意味は、何の感動も詩情もなしに、無関心にそれを見て居たといふ意味なのである。そしてその時、自分は久しぶりに月を眺めて、既に長く忘れてゐた数多い古人の歌を思ひ起した。


わが心慰めかねつ更科姨捨山に照る月を見て
月見れば千々に物こそ悲しけれ我身ひとつの秋にはあらねど
中庭地白ウシテ樹ニ鴉棲ム。冷露声ナクシテ桂花ヲ湿ス。今夜月明人尽ク望ム。


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