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月世界跋渉記 - 江見 水蔭 ( えみ すいいん )

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    引力に因り月世界墜落探検者の気絶 「どうしよう。」
と思うまもなく、六人の月世界探検者を乗せた空中飛行船|翔鷲号(しょうしゅうごう)は非常な速力で突進して月に落ち大地震でも揺ったような激しい衝動をうけたと思うと、一行は悉(ことごと)く気絶して終(しま)った。
 そもそもこの探検隊は目下日本有名な否(いな)世界中に誰知らぬ者もないほどに有名な桂田(かつらだ)工学博士と、これもその道にかけては頗(すこぶ)る評判の月野(つきの)理学博士とによって主唱され、それに両博士助手が二名、及び星岡光雄、空知晴次といういずれも中学四年生少年とで組織されているので、一行は桂田博士発明した最新式の空中飛行船に乗じて、この試運転第一着手として、吾が地球から最も近い月世界探検を思い立ったのである。しかしこんな冒険な一命を賭するような事業に加わるのは実に乱暴極まった話だが、この二人はいずれも月野理学博士親戚少年博士の家に厄介になって、その監督をうけつつ通学しているのだが、いつの間に聞き出したか、桂田博士と月野博士計画を知って、是非にお伴をさせてくれるようにと、蒼蠅(うるさ)く頼んで何といっても肯(き)かないので、博士も遂に承諾して一行の中(うち)に加えたのだ。それから助手というのは一人山本広一人は卯山飛達(うやまとびたつ)といって、ともに博士の手足となって数年来この事業のために尽瘁(じんすい)しているという、至極忠実なる人々だ。日本東京出発してから十六日目、いよいよ月に近いた時に、不意に飛行器に狂いが生じて遂々(とうとう)こんな珍事が出来したのだ。
 将碁(しょうぎ)倒しになって気絶していた一行の中で、最先(まっさき)に桂田博士正気に返ってムクムクと起き上った。半ば身を立てて四辺(あたり)を見ると実に何ともいわれない悲惨な有様だ。
 自分らの這入(はい)っていた一室はどうにか壊れずにいるが、部屋の中は宛然(まるで)玩具箱を引繰り返したように、種々(いろいろ)の道具が何一つとして正しく位置を保っているのはなく、悉く転倒して、そこら一面に散在(ちらば)っている中に、月野博士を初め助手も二少年も、折り重って気絶している。
 博士は立ち上ろうとしたが、先刻(さっき)の衝突で酷(ひど)く身体を打ったと見えて、腰の関節が痛んで中々立てそうもない。やっと我慢して這いながら室の隅まで行って、壊れた棚から一つの薬箱を取り出して呑むと、少しは心地よくなったので、まず一番手近な山本を抱き起して薬を呑ませると、暫(しばら)くしてようよう息を吹き返した。二人ながらまだ半病人だが互に協力してほかの一同に同じように薬を呑ませると幸にも皆正気に復したが、いずれもいずれも死人のような真蒼な顔をしている。
 暫時(しばらく)は誰も無言でいたが、少し元気を回復すると、桂田博士は、
「やどうも大変な目に逢ったね。」
と最先に口を切った。
「実に酷い目に逢った。僕はあの時はもう駄目だと思ったが、それでもよく気が付いた。」
と月野博士が答える。
 今迄|喘(あえ)ぐように苦しげに呼吸していた晴次はこの時ようよう口を開いて、
叔父さん。(月野博士の事を二人ながら叔父さんと呼んでいるのだ。)今迄何でもなかったのが一体どうしてあんなになったんでしょう。」
と如何(いか)にも不思議気に尋ねる。
「それは。」と桂田博士が横から引取って、「始めの中はそうでもないが、飛行船が月に近くなるとともに、今迄は地球引力左右されていたのが、俄(にわか)に月の引力に曳かれたからで。」……と苦笑しつつ「僕も勿論始めにこの研究もして充分の設備はしておいたつもりなんだけれど、まだ設備が足りなかったと見えて、遂々(とうとう)こんな目にあわされたんだ。これは全く僕の手落なんだ。」
と半分は晴次への説明、半分はほかの者への申訳のようにいった。
 莞爾莞爾(にこにこ)しながら聞いていた月野博士は、
「ここまでは桂田君の尽力でまず無事に到着したからこれから僕の働く番だ。」
と、いいながら立ち上って、厚い硝子(ガラス)を張った窓から外を覗(のぞ)いて、
「実に荒涼たるもんだなあ。」
と感じ入ったようにいったので、ほかの人々もこの時始めて外を見た。
 実(げ)に見渡す限り磊々(らいらい)塁々たる石塊の山野のみで、聞ゆるものは鳥の鳴く音(ね)すらなく満目ただ荒涼、宛然(さながら)話しに聞いている黄泉(よみ)の国を目のあたり見る心地である。

    空気は皆無

 先刻から大分元気付いて来た晴次と光雄はこの光景(ありさま)を見ると、
「やあ酷(ひど)いなあ。さあいよいよ出かけようじゃないか。」
と、喜び勇んで最先に窓から飛び出したが、出たと思うと、真蒼になって這入って来て、再びそこに仆(たお)れて終った。
 助手はこの有様に驚いて、早速介抱に取り懸ったが、月野博士笑いながら、今二人の開けた窓を手早く閉めて少年の側に立ち寄って、
「あんまりばたばたするから不可(いけ)ない。僕の思った通りいよいよこの月世界にはもう空気が全くなくなって終っているんだ。」
といったが、急に思い出したように、傍の助手の方を振り向いて、
「おい山本一寸(ちょっと)あちらの貯蔵庫を検べて見てくれないか。先刻(さっき)の騒ぎで悉皆(すっかり)壊れているかもしれない。あれが使えなくなってはそれこそ大変だ。」
「ハ。」と助手は隣の室へ行ったが直ぐ帰って来て、
先生大丈夫です。あちらは後部にあったもんですから、それほどの損害はありません。」
「そうか。それは何より難有(ありがた)い。」
と、今度は自分でその室に這入ったが、暫くして再び出て来たのを見ると大変な恰好だ。

    新式空気自発

 各自(めいめい)の家によくある赤く塗った消火器のような恰好をした円筒を背にかけ、その下端に続いている一条のゴム管を左の脇下から廻して、その端は、仮面(めん)になっていて鼻と口とを塞いで、一見すると宛然(さながら)潜水夫の出来損いのような恰好だ。これは博士非常な苦心の末に発見した新式空気自発器で、予め今日の用意のために整えておいたのだ。
 訳を知らない二少年はこの様子を見ると病気を忘れて手を打って、
「やあ面白い恰好だなあ。どうしてそんなものを被るんです。


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