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- 田山 花袋 ( たやま かたい )

  • 古書「名著複刻全集 田舎教師 田山花袋」近代文学館
  • ■送料160円■ 田山花袋 /  東京の三十年  ■岩波文庫■
  • 東京の三十年 田山花袋=作岩波文庫 小説
  • 旧装版■田山花袋【東京の三十年】岩波文庫■藤村独歩国男-群像
  • 田山花袋 田舎教師他1編 旺文社文庫 昭和52年29刷
  • ◆田舎教師◆田山花袋◆新潮社◆自然主義文学の代表的作品
  • ★田山花袋[日本文学アルバム24]★
  • 田山花袋『東京の三十年』潮文庫
  • ●中古図書●日本文学全集 田山花袋集 集英社
  • 田山花袋■旅から■博文館・大正9年・初版
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     一  家の中(ちう)二|階(かい)は川に臨んで居た。其処(そこ)にこれから発(た)たうとする一家族が船の準備の出来る間を集つて待つて居た。七月暑い日影(ひかげ)は岸の竹藪に偏(かたよ)つて流るゝ碧(あを)い瀬にキラキラと照つた。
 涼しい樹陰(こかげ)に五六艘の和船(わせん)が集つて碇泊して居るさまが絵のやうに下に見えた。帆を舟一杯にひろげて干して居るものもあれば、陸(をか)から一生懸命に荷物を積んで居るものもある。此処等(ここら)で出来る瓦や木材や米や麦や――それ等は総て此川を上下する便船(びんせん)で都に運び出されることになつて居た。その向こうには、某町(なにがしまち)から某町(なにがしまち)に通ずる県道舟橋がかゝつてゐて、駄馬(だば)や荷車の通る処に、橋の板の鳴る音が静か午前空気に轟いて聞えた。
 橋のすぐ下では、船頭が五六人、せつせと竹の筏(いかだ)を組んで居た。
『婆様(ばあさま)、小用(こよう)が出ないか。船に乗つて了(しま)うと面倒だからな』
 七十近い禿頭(はげあたま)の老爺(らうや)が傍(そば)に小さく坐つて居る六十五六の目のひたと盲(し)ひた老婆にかう言ふと、
『それぢや、面倒でも今一度連れて行つて貰うかな』
 やがて婆さん爺さんに手を曳(ひ)かれて静に長い縁側を厠(かはや)の方に行つた。
『よくそれでも世話を見なさるな』
 これを見て居た六十五六の今一人の老爺(らうや)は、傍(そば)に居た五十二三の主婦に話しかけた。
 主婦老人子供の世話に忙殺(ぼうさい)されて居た。荷積の指図もしなければならなかつた。送つて来て呉(く)れた人々の相手にもならなければならなかつた。長い間住んだ土地を別れて来るに就いてのいろ/\の追懐や覊絆(きづな)もあつた。
『中々(なかなか)あの真似は出来ませんよ』
 かう言つたが、丁度(ちやうど)其時|今歳(ことし)十一になる弟(おとと)の方が縁(ふち)の方に駈けて下(お)りて行くを見付けて、
『正(しやう)や、川の方に行くと危ぶないぞ!』
 白絣(しろがすり)を着てメリンスの帯を緊(し)めた子は、それにも頓着せず、急いで川の下(した)の方に下(お)りて行つた。其処(そこ)にはもう十六になる兄が先に行つて居た。岸に繋(つな)がれた一艘の船には、長い間田舎家の茶の間に据ゑられた長火鉢だの、茶箪笥だのがそのまゝ積まれてあつた。
『それ、あの船だぜ!』
 兄はかう弟(おとと)に言つた。
『どれや、どの船?』
『それ、火鉢があるぢやないか』
 其船の船頭は目腐(めくさ)れの中年の男で、今一人の若い方の船頭は頻りに荷物を運んで居た。髪を束ねた上(かみ)さんは苫(とま)やら帆布(ほ)やらをせつせと片付けて居た。
 一家族此処(ここ)から一里ほど離れた昔の城下士族町から来た。老人夫婦に取つても、主婦に取つても、長年(ながねん)住み馴れた土地や親しい人々に別れて来るのは辛かつた。東京に行つて、知らぬ土地の土になるのは厭(いや)だ! かう目の盲(し)ひた婆さんは言つた。長年(ながねん)苦労した種に芽が生えて、十分ではなくても、兎に角子息(むすこ)が月給取になつて、呼んで呉(く)れるのは嬉しいが、東京といふ処は石の上の住居(すまゐ)、一晩でも家賃といふものを出さずには寝られない。それよりはどんなにあばら屋でも、自分の家(うち)で足を長くして寝て居る方が好い。主婦もいざとなつてからかう言ひ出した。しかし月給取になつた子息(むすこ)を一人都に離して置くのも気がかりであつた。それに修業盛(しふげふざかり)の弟達(おととたち)の為めもあつた。
 親類や知人などは一月(ひとつき)も前から、お別れだと言つては、饂飩(うどん)を打つたり肴(さかな)を買つたりして、老夫婦主婦を呼んで御馳走をした。
 一人の娘は去年さる機屋(はたや)に望まれて嫁にやつた。今年の四月頃から懐妊の気味で、其の前から出るの入(はい)るのと言つて居たが、愈々(いよいよ)上京の話が決ると、『私(わたし)ばかり置いて行くのかえ、母(おつか)さん』と言つて泣きに来た。母親は、『まア、何(ど)うにでもするから、兎に角体が二つになるまで辛抱してお出(い)で』かう宥(なだ)めたり賺(すか)したりしたが、今朝(けさ)発(た)つて来る時にも、町の外(はづ)れまで送つて来て、大きな腹をして、垣(かき)の処に寄りかゝつて泣いて居た。
 目の盲(し)ひたお婆さんは、車に乗ると眼が眩(まは)ると言ふので、昔|御国替(おくにが)への時乗つて来たやうな軽尻馬(からしりうま)をわざわざ仕立てゝ、町の通をほつくり/\と遣(や)つて来た。『盲目(めくら)でも眼が廻るのかねえ』と誰かが言つた。
 維新前から船の問屋の爺(おやぢ)を知つて居るお爺さんは、朝から禿頭を光らして出かけて行つて居た。

     二

 船の準備(したく)がやがて出来た。
 長い踏板(ふみいた)が船縁(ふなべり)から岸に渡された。一番先に小さい弟(おとと)が元気よくそれを渡つて、深い船の中に飛んで下(お)りた。其処(そこ)まで送つて来た婿の機屋(はたや)が盲目(めくら)のお婆さんを負(おぶ)つて続いて渡つた。お爺さん主婦それから便船(びんせん)を幸ひに東京まで乗せて行つて貰はうといふ隣のお爺さんも乗つた。
 船の中はちやんと整理がしてあつた。暑くないやうに、一ところ苫(とま)が葺(ふ)いてあつて、其処(そこ)に長火鉢や茶箪笥が置いてある。炭取には炭が入れられてある。いつでも茶位入れられるやうになつて居た。
 酒好きのお爺さんは、徳利(とくり)に上酒を一升ほど入れて来たが、子供に引くりかへされぬやうにと、それを茶箪笥の隅に押附けて置いた。
『お貞(てい)、それは酒だからな……こぼさぬやうにして呉りやれ』
 かう主婦注意もした。
『これさへありや、まア、退屈も凌(しの)げますぢや?』
 隣のお爺さんとこんなことを言つて笑ひ合つた。
 主婦は舅の酒には苦労を仕抜(しぬ)いて来た。夫の生きて居る間は、酒の上で二人はよく親子喧嘩をした。


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