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木の芽だち 地方文化発展の意義 - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

  • かわせ貴石 ブラック・オパール・PH、2.90ct、木の芽
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木の芽だち ――地方文化発展の意義――  この頃は、日本じゅうのあちらこちらの都会中心として、文化的な動きが著しくなって来ている。  これ迄、その町から一冊の雑誌も出ていなかったようなところからも、かなり念の入った出版物が発行されるようになった。東京そのほかの大都会破壊された。地方の小都市は、その犠牲からまぬがれた。そこには様々理由から紙がある。印刷所がある。民主日本の新らしい潮はそれらの条件にさし加って、若い世代中心とした文化動きが見られるようになって来たというのが、一応の事情である。
 けれども、この文化中心全国的な散開という新しい事実には、それだけの現象にとどまらず、明日日本にとって、私たちの明日のよろこばしい生活にとって、深甚な意味をもっていると考えられる。
 アメリカは勿論のこと、イギリスでもフランスでも、文化中心は決してただ一ヵ所の首都に集注されてはいない。ボストンだけが文化中心ではないし、パリだけが文化の中軸をなしていると云えない。それぞれの国は、各地方に、独自的な伝統特色とをゆたかにもちながら全体としてその国の人民の宝として十分評価されるだけの文化をもって来ている。それは、昔のヨーロッパが、封建諸王によって分割統治されていた時代首都が、既に一定の文化水準に達していたということも原因である。けれども、もっと重大なことは、それらの封建都市は、やがて近代社会発達とともに次第に市民都市となって行ったという歴史である。経済の上に、従って政治権力の上に、自分たちの意志を明瞭に反映しはじめた近代第三階級ブルジョア)としての市民たちが、自身の活溌な精神表現として、自分たちの市に、大学を建て、大図書館を建て、劇場を建てた。例えば、アムステルダムの大市場は、世界の物資を集散して目を瞠らせる壮観を呈した。同時にその市場運営していたアムステルダム市民は、ルーベンスレンブラント芸術を生む母胎ともなった。ハンザ同盟に加っていたヨーロッパのいくつかの自由都市は、それぞれのわが市から出発して商業の上で世界を一まわりしていたばかりでなく、当時の文化を、めいめいのところで最高にまで開花させていたのであった。
 寧ろ、現代資本主義が強く文化分野を支配するようになってから、その取引場としてパリ、ロンドンニューヨークという風な首都が、文化芸術の成果を集中しはじめた。文化芸術の結実は、そのものとして人民に愛され、貴ばれる本質から変化させられて商品化し、投資の対象と化して来ているのである。
 第二次世界大戦まで、パリは芸術の都と云われて来た。それは、ヨーロッパにおいてのフランスが、封建時代からより進んだ文化をもちつづけて今日に到ったからでもあるが、他面には、パリというものがもちつづけたその伝統的な地位によって、おのずから文化において世界最大取引市場の一つとなっていることからも来ている。ヨーロッパアメリカ文化芸術の純文化的、芸術価値は、パリという関所通過して、初めて存在を確実にされると思われた。同時に、世界文化商業の面から、パリで売れる、ということが一つの商品価値証明のようになった。ウィーン有名だった藤田嗣治、というのと、パリで有名だった藤田嗣治というのとでは、一般のうける印象がちがう。日本において彼の作品商品価値がちがう。戦時に、軍部がこの画家利用することにおいての熱心さまでが違ったのである。
 アメリカでもヨーロッパでも、真実文化人芸術家たちは、文化芸術の悪質な商業化に対して、いつも戦って来た。科学者たちも、この闘いには参加している。これらの人々は、自分たちの国の経済事情に、民主主義というもののより高い発展がもたらされなければ、文化商品化は払拭されないことを知っている。資本というものの天性は、一つの悪鬼に似ている。人間の労力から生まれた資本はためこまれて、やがて人間を喰いはじめ、その精神的所産までを貪婪に食いつくそうとする。それに対して、ヨーロッパは、自身の流血をもって闘った。第二次世界戦争結果は、こういう意味で、疑いなくこれからのヨーロッパ文化を或る程度まで変えようとしているのである。
 日本では、この間の事情が大分、異っていると思う。
 第一封建時代日本大名たちは、自身低い文化しかもたない軍事的な支配者であった。日本封建性は世界に類がないほど狭い国土の中でしめつけられて発達し、諸大名徳川とは君臣というきびしい身分関係にしばられていた。ヨーロッパにおける諸王と国王との対等に近い関係とはまるで性質がちがっていた。諸大名に対する密偵制度抑圧制度は実にゆき届いていたから、分別のある諸大名は、世襲領地徳川から奪われないために、中傷をさけるための工夫に、自分たちの分別の最も優秀な部分を浪費した。余り賢くあること、余り英邁であること、それさえも脅威をもたらした。殿様馬鹿でなければならなかった。そういう日本封建の気風の中では、一つの藩が、とびぬけて卓抜な学者芸術家をもっているということさえも不安であった。
 東北伊達一族は、その胆力と智略とで、徳川から特別の関心をもたれた。聰明な伊達家長たちは、その危険を十分に洞察した。伊達政宗がわざと大酔して空寝入りをし、自分大刀に錆の出ていることを盗見させた逸話有名である。伊達模様という一つの流行語が作られ、今日までそれは日本の生きた言葉としてのこっている。その源泉は、やはりこの伊達智慧であった。浪費と軽薄の表徴として、それによって、徳川警戒心をゆるめようとして途方もなく派手な大模様衣類をつけて登城した伊達に対して、伊達模様という云いかたが出来たのであった。しかし、これらの逆用されている智慧は、文化のひろびろとした開花をうながすには、暗く寒くありすぎた。
 前田家のような大大名の藩で発達した文化が、能・茶の湯宗教では禅であるということも意味がある。当時の社会生活から一応は游離して、精神と富との避難所としての文化が辛うじて生きのびた。


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