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杉子 - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

  • 宮本百合子選集第一巻・小説集 ☆宮本百合子
  • 【本】 宮本百合子研究・宮本百合子批評 関係書 6冊 N21078
  • 宮本百合子全集 補巻一 習作一 函・月報付 新日本出版社
  • 現代日本文学全集35 宮本百合子集 筑摩書房
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  • 【切手OK】宮本百合子『伸子 上巻』岩波版ほるぷ図書館文庫
  • 日本文学全集22 宮本百合子 伸子/二つの庭 河出書房新社
  • ●「新版 宮本百合子全集」第10巻 定価6000円
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  • 宮本百合子全集 28巻セット■新日本出版社■1980/82年
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 ふた足み足階段下りかけたところへ、日曜日割合閑散なプラットフォーム日光をふるわすような勢で下り山の手が突進して来た。柔かな緑色の服の裾だのいくらか栗色っぽいゆたかな髪の毛だのを自分の躯がおこす風でうしろへ生々と吹きなびかせながら、は矢のように段々を駈け下り、真先の車へ乗ろうとした。が、近づいた一瞥でドアのそばに酔っ払いの顔を見つけると、そのまま若い娘の敏捷さでそこをかけぬけ、自動扉本能的な片手をかけて抑えながら次の車へのりこんだ。
 同時に動き出して、杉子はほっとすると一緒に、あらとおかしそうな眼色を輝かした。左の手首へかけていた帛紗(ふくさ)の包が駈け出した拍子にひとまわりして、あぶなくなかみがはみ出しそうになっているのであった。それはお煎餠で、姉の糸子が、
「ここまで来たのにからてでかえったりすると怨まれてよ、お母さん全くお好きなのねえ」
と、自分の煎餠ぎらいにひきくらべて感服しながら、近所の名物を持たせてよこした。杉子が玄関でその帛紗づつみを手首に通すのを、わきから八つの甥の行一が見守っていたが、やがて口を尖らすような熱心な声で、
「ね、そのお煎餠ね、外米が入っていないんだよ」
と云った。居合わせたものは思わずふき出して、杉子は、
「じゃ、忘れないでおばあちゃまにそう云うわ」
 行一の日焦けした小さいかたい男の子の手を約束のしるしのように握って来た。
 電車の中も降りた駅の附近も今日子供づれが多くて、天気の好い日曜のそんな四辺の空気誘い出されたように、ずっと遠くまで見晴らしのきく線路沿いの堤の黒い柵のところで子供電車を見せている兵児帯姿のいい年輩の男の人もいる。その下駄の足許には短いけれど青々とした草も萌え立っているのである。
 道すがらのいろんな光景平凡なりに杉子の心に溌剌と映って、杉子はのんきなような何処かちょっと気にかけている思いもあって、春らしい艶の桜の枝の下を歩いている自分の気持も面白く感じられた。
 友雄は留守の間に来てしまったかしら。杉子は歩きながら手頸の時計を見た。三時すこしまわっている。
 今朝神戸の二番目の姉のところから味噌漬の牛肉が届いた。母の毬子は日づけを見ると急に忙しそうな顔になって、
「おや、きょうあたりがたべ頃よ。困ったのね。準次さんの大好物だから、どうせわけるなら漬けすぎにならないうちにたべさせたい」
 鍵のてになった四畳半の濡縁に立ってこっちの葉の間を眺めていた杉子に、
「どうお、杉ちゃん。あなたちょっと行っておいて来てくれると、さぞおよろこびなんだがねえ」
と云った。
 男二人の間に女が三人もあって、杉子のほかはみんなそれぞれに家庭をもっている。荻窪の糸子の家は、杉子の学校にも近いし、姉夫婦と気も合って、杉子はちょくちょく書物鞄のほかに、この節ではメリケン粉のつつみを出がけに持たされたりする。
 今母からそう云われて、杉子は何となしすぐ返事しなかった。そしてひとりでに程よく波うっている髪にふちどられた大柄な瑞々(みずみず)しい顔だちの上で目を瞬くような表情をした。
「――午後からでいい?」
「結構さ」
「そんなら一時すぎたら。――ね」
 くるりと踵でまわってスカートをふくらませたなり杉子は机の前へ引っこんだ。先週、一緒にやっている劇研究会のかえり、友雄は日曜の一時ごろ芸術座のカチャーロフの科白(せりふ)を吹込んだレコードを持って寄るかもしれないと云った。寄るかもしれないと不確に云われた言葉が、妙にはっきり杉子の心に刻まれていて、杉子は一時半までは家に居ようときめた。だって、それ以上待つわけがあるかしら?
 自分できめた時刻になると、さあ、一時半! というような勢で立って支度して家を出たのであった。
 ふっと速まりそうになる足どりを心附くような気持で杉子は帰って来た。玄関には母のふだん履きが置いてあるぎりだ。
「ただいまア」
 杉子は、少しひっぱって甘えたいつもの声をかけながら、
「はい」
と手首にとおしたままの帛紗包を毬子の前へのばした。それが好物であるということも、お土産なことも知りぬいた様子で母は黙って帛紗づつみをぬきながら、
「準次さんいなすったかい?」
と、きいた。
夕方はおかえりだって。――行ちゃんがね、このお煎餠には外米が入ってないんだよって云ってよ」
「この頃の子供はねえ。……麗子が、これジュンメンよって云うんだもの……種痘したのどうしたかしら、ついたって?」
「訊かなかった」
 杉子は楽な横坐りで、母の手許を見ている。鑵を出して、丹念に煎餠をしまっている毬子は、
「そう、そう」
と、顔を鑵へ向けたなり、
「伊田さんが見えたよ」
「ふーん」
 そういう返事が、母の云いようから誘い出された。やっぱり来たのだった。いつ頃来たのかしら。杉子は、自然につづく筈の母の話を待った。が、毬子はそれきり黙っている。杉子は、次第に焦立たしい心持がして来た。
何か置いて行かなかったかしら」
「格別用もないらしかったよ」
 また母はそれきりで黙っている。
 不自然な苦しい気がこみあげて、杉子はそこに放り出してあった帛紗をとりあげ、端っこでふりまわしながら自分部屋へ出て行った。
 伊田が上って行ったのかどうか、そんな謂わば下らないことだって、母はほかのひとのことなら、自分で知らず識らず話す。そういうひとなのに、伊田のことについてはいつも特別口数少く、冷淡らしくした。
 去年の秋、従姉の雪枝の新婚早々の誕生日の集りで杉子は初めて伊田に会った。雪枝の良人と同じ会社後輩で、政経を出たのに劇に興味をもっていて、そういうグループをもっていた。雪枝は半分からかうような派手な口調で、
杉ちゃんは、グレゴリー夫人みたいな仕事がしたいんですって」
と、紹介した。杉子は思わず赧くなって、
「いやだわ、そんな。私そんなこと云ったことないじゃないの」
 むきに否定した。


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