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村々の祭り - 折口 信夫 ( おりくち しのぶ )

  • ウサギ柄青色パンツ夏祭り!花火!うちわ!お祭り!盆踊り!
  • お祭りシリーズ・秩父祭り
  • 記念切手 高山祭り 祇園祭り 未使用 
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  • Whiteberry ◆ 夏祭り
  • ◇ ≪行事切手001≫ ひな祭り
  • 未使用日本の祭りシリーズ(祇園/高山/秩父/相馬野馬追)4種4枚完
  • 「能登の祭り」の記念切手です
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一 今宮の自慢話 ことしの夏は、そんな間(マ)がなくて、とう/\見はづして了うたので、残念に思うてゐる。毎年、どつかで見ない事のない「夏祭浪花鑑」の芝居である。音羽屋と言ふ人の、今度久しぶりで、院本に拠つた団七九郎兵衛は、見たかつたけれども、今更どうにもならない。でも、其演出原作に忠実であつたと言ふだけに、一个処見て置きたい場面があつた。「祇園囃しの祭り太鼓。ちようや、ようさ。ようさや、ちようさ。……」かう言ふ調子づいた原文の、祭りの日の気分の写生が、十分に出たかどうかゞ触れて見たかつたのである。どうも、あれを思ひ出させられると、たまらない。大阪少年期を過して、今、四五十になつて居る人たちの胸は、底からゆすり揚げられる気がする。義平次殺しの日は難波祭(ナンバマツ)りらしく書いてあるが、私の育つたのは、おなじ「八阪(ヤサカ)さま」を祀つても、社は別々の隣村であつた。でも、日もおなじければ、曳く飾り山もおなじだいがくと言ふ大きな鉾(ホコ)であつた。此だいがくは、大阪南方の近在では皆舁いたものらしいが、最後まで執著を残してゐたのは、私の生れ里であつた。何でも五六年息まつて居て、最後に舁いたのが、日露戦争の済んだ年であつたと思ふ。
天王寺今宮も、早く止めたが、やはりだいがくを舁いた村である。産土神から言へば、難波木津祇園なのに適当だが、村の歴史から言へば、今宮が一等此に縁深さうに見えるのである。今宮は小西来山の十万堂の残つてゐる処で、果して真作かどうか疑はしいけれど、「今宮は、虫どころなり。つんぼなり。」と言ふ句が、諺の様に、いまだに旧住民の子孫には伝はつて居る。その没風流に比興した聾の夷神で名高くもなつた。村の氏神と祀られて居るのは、夷の社ではなく、おさき次郎兵衛心中のあつた杜にあつた広田の社である。それで居て、土地旧家書き物にも、村人の自慢話にも京の八阪社との深い関係を説いてゐる。「祇園のお御輿(ミコシ)も、今宮が出んなら、びり/″\動きもせん。」かう信じもし、言ひふらしもした。隣村の我々などは、さうした由緒のないことを肩身狭く感じた事さへある。これは嘘でも、ま違ひでもなかつた。大阪の旧地誌は固より、京都側の書き物にも、其通りに伝へて居るのが段々ある。八阪の駕輿丁の出る村だから、京の山鉾を似せて、舁き出したと言ふ事もなり立つかも知れぬ。だが、此小話では、そんな点迄かたづけて居る事は出来ぬ。
二 夏祓へから生れた祭り
広田氏子が、祇園神人(ジンニン)であるといふ事は、一体、どうした事であらう。だが、此は不思議でも何でもない。かうした例なら、幾らでも挙つて来る。
日吉神輿は、京方へおりると、きまつて加茂河原の細工(皮)の家|群(ムラ)に立ちよられた。さうして権現人間の世に、世話を申した「小次郎」の子孫のもてなしを受けられるのだと説明してゐる。此は、固より仮りの説明であつた。山王神人として、遠く離れ住んだ奴隷村なのであつた。其が、何時からか、卑人の渡世として我人共に認めた馬具細工をする様になつてゐたのである。謂はゞ此は、神輿洗ひであり、麓川の贄(ニヘ)を献る事を職として居たものであつたらしいのである。今宮の村は、元、祇園神輿浪花の海まで舁き下つて、神の禊(ミソ)ぎの助けをし、海の御調(ミツギ)を搬ぶ様になつて居たらしい証拠がある。今宮の駕輿丁の話は、祇園の神の召使ひであつた俤を示すと共に、広田や西の宮(夷神)と引つかゝりを見せてくれるのである。
元々、禊ぎの神でもないのに、広田・西の宮は古くから、住吉・※売(ミヌメ)の神々とごつちやに考へられて来た。禊ぎ助手である海辺の民が、其方面の神を主神とするのは、不思議のない話である。一体祇園は、古い「夏|祓(ハラ)へ」の形をがらりと変らした神であつた。行疫神自身であつた天王が、夏の季に、新来の邪悪の霊を圧服して、海の彼方へ還つて行かれるものと考へ出したのは、平安の都がやつと落ちついた頃からの事である。其に結びついたのは、在来の夏の禊ぎ行事であつた。川社を設け、八十瀬の祓へを行ひ、夏|神楽(カグラ)を奏する。皆、帰化人将来の祇園信仰が、民間伝承の上に結びついて来てからの事であつた。
其を早めるのには、卜部陰陽師の手助けが非常にあつた。陰陽師の唱へる祭文と言へば、大祓詞の抜き読みと言つてよい「中臣祓」の外に、殆ど祝詞らしいものゝなくてすむ様になつて行つた。江戸時代神道者と言へば、唯、禊ぎ祓へばかりを掌つてゐた様に見える。


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