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村井長庵記名の傘 - 国枝 史郎 ( くにえだ しろう )

  • 酒道楽〈上の巻〉+食道楽  村井弦斎 村井米子
  • 即決◎詩人の家◎戸川純JoeJackson村井邦彦日向敏文EXPO万博
  • 村井博 / ドルフィン・キック  Dolphin Kick
  • ジャズ構造改革 熱血トリオ座談会 後藤雅洋 中山康樹 村井康司
  • 即決◎詩人の家◎戸川純JoeJackson村井邦彦日向敏文EXPO万博
  • ■改訂版 平家物語の世界  村井康彦  徳間書店 1979年
  • ◆ 図解 バイクエンジン入門 つじつかさ/文 村井真/絵
  • <LP>悪魔の手毬歌★横溝正史/市川昆/村井邦彦/田辺信一/MURO
  • Costalesほか/著 村井 純/訳★sendmail解説★オライリー
  • ●EP●横溝正史【悪魔の手毬唄】サントラ/村井邦彦 哀しみの
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娘を売った血の出る金  今年の初雷の鳴った後をザーッと落して来た夕立の雨、袖を濡らして帰って来たのは村井長庵と義弟(おとうと)十兵衛、十兵衛の眼は泣き濡れている。  年貢の未進も納めねばならず、不義理借金も嵩んでいる、背に腹は代えられぬ。小綺麗に生れたのが娘の因果、その娘のお種(たね)を連れ、駿州江尻大平村から、義兄(あに)の長庵を手頼りにして、江戸へ出て来て今日で五日、義兄の口入れで娘お種を、吉原江戸町一丁目松葉屋半左衛門へ女郎に売り込み、年一杯六十両、金は幸い手に入ったが、可愛い娘とは活き別れ、ひょっとして死別になろうも知れず、これを思えば悲しくて、帰り路中泣いてきたのであった。
「まあまあクヨクヨ思いなさんな。娘が孝行で何より幸い、縹緻はよし気質は優しく、当世珍らしいあのお種、ナーニ年期の済まねえ中に落籍(うけだ)されるのは知れたこと。女氏無くして玉の輿立身出世しようもしれぬ。そうなると差し詰めお前達夫婦は、左|団扇(うちわ)の楽隠居百姓なんか止めっちまってさっさと江戸へ出て来なさるがいい。何とそんなものではあるまいかな」
 長庵は座敷胡座を組み、煙管(きせる)で煙を吹かしながら、旨(うま)いことづくめの大平楽をそれからそれと述べ立てるのであった。
「へえへえそううまく行きますれば、この世に苦の種はござりませぬが、あの子は昔から体が弱く……」
「おっとドッコイそれは大丈夫だ。長庵これでも医者だからな。お種は大事な俺の姪、病気だとでも聞こうものなら、すぐに駆け着け匙加減、アッハハハ癒して見せるよ」
「どうぞお願い致します」と十兵衛は質朴な田舎者、つつましく頭ばかり下げるのであった。
「ところで」と長庵は白い眼でジロジロ相手を見遣ったが、
「こう云っちゃ兄弟の仲で恩にかけるようで気恥かしいが、田舎者のあのお種を、六十両で篏めたのは、この長庵が口を利いたから、これが慶庵の手へかかればこう旨くは行くものでねえ」
ハイハイそれは申すまでもなく、今度の事は義兄(にい)さんのお蔭、仇や疎かには思いませぬ」
「何せ江戸はセチ辛くそれに人間は素ばしっこく、俗に活馬の眼を抜くと云うが、どうしてどうして油断出来ねえ」
ハイハイ左様でございましょうとも」
「近い例が女泥棒だ」
「女泥棒と仰有(おっしゃ)いますと?」
花魁(おいらん)泥棒と云ってもいい」
花魁泥棒と申しますと?」
「なるほどお前は田舎の人、噂を聞かぬはもっともだが、近来江戸女装をしたそれも大籬(おおまがき)の花魁姿、夜な夜な出ては追剥(おいおどし)、武器と云えば銀の簪(かんざし)手裏剣にもなれば匕首(あいくち)にもなる。それに嚇されて大の男が見す見す剥がれると云うことだ」
江戸は恐ろしゅうございますなあ」
「恐ろしいとも恐ろしいとも、だからなかなか容易なことでは、人が人を信じようとはしない。連れて大金の遣り取りなど、滅多にないものと思うがいい」
「いやもうごもっともでござります」
「この長庵が仲に入り、せっかく弁口を尽くしたればこそ、松葉屋半左も信用して、六十両渡したと云うものさな」
「お有難う存じました。もうもう嬉(うれ)しくて嬉しくて」
「そんなにお前嬉しいか?」
「嬉しいどころではござりませぬ」
「ふうむ、しかし、ナア十兵衛、嬉しい有難いと口だけで云っても、形がなけりゃ変なものさな」
 ギロリと眼を剥きズッシリと云う。
「へ、形と申しますと?」
「形は形、それだけよ、他にどうも云いようはねえ」
「へえ」と云ったが田舎者、十兵衛には謎が解けそうもない。
「実はな、お前とこの俺とは義理ある仲の兄弟だ、俺の妹がお前の女房、だからお前が江戸へ出て来て、俺の家で草鞋(わらじ)を脱ぎ、五日と云うもの食い仆し、それ駕籠賃だ、やれ印判料(はんしろ)だ、ちょくちょく使った小使銭、そんな物を返せとは云わねえ。何の俺が云うものか。とは云え楽屋をサラケ出せば、今長庵はご難場なのよ。それはお前にも解(わか)っているはずだ。さてそこでご相談、何とお前の持っている六十両の金の中から、三十両貸してくれめえか」
 これを聞くと十兵衛は、颯とばかりに顔色を変えた。早くも見て取った村井長庵、「ハハア、こいつア貸しそうもないな」……こう思うと悪党だけに、調子を変えて高笑い
「ワッハハハ、嘘だ嘘だ。娘を売った血のでる金、何で俺が借りるものか。ワッハハハ気にしねえがいい」
 ――で、ホッと安心し、顔色を直した十兵衛が、明日は四時(よつ)立ちで帰家(かえ)ると云い、隣室へ引き取って行った後を、長庵胸へ腕を組んだが、さてこれからが大変である。

他人の科を身に引き受け
「飛び込んで来た福の神、六十両の大金を、外へ逃がしちゃ冥利に尽きる。どうがなこっちへ巻き上げてえものだ」
 思案に耽っているその折柄、玄関で訪(おとな)う声がする。
「ご免下され、ご免下され」
 呼吸(いき)苦しそうな声である。長庵方の施療患者浪人藤掛道十郎である。足駄(あしだ)を穿き雨傘を持ちしょんぼりとして立っている。
「藤掛殿か、先ずお上り」
 気が無さそうに長庵が云う。
「ご免下され」と上って来た。三十四五の年格好、顔色青褪め骨突起し、見る影もなく窶れている。目鼻立ちは先ず尋常、才気はどうやらなさそうではあるが、誠実の点では退けを取るまい。孔子のいわゆる仁に近しと云うその朴訥(ぼくとつ)には遺憾がない。
「いかがでござるなご容態は?」
 世間並の医者らしく長庵こんなことも訊いて見る。
「長庵老のお蔭をもち近来めっきり元気付きましてござる」
「それはそれは何より結構。どれお脈拝見しましょうかな」
 などと口では云いながら心の中では反対である。
「この病気が癒るものか。無比の難症労咳だからな」
 形ばかりに脈を見ると。
今日は大いによろしゅうござる。どれ煎薬でも差し上げましょう。……ところで何時(いつ)かお尋ねしようと、窃(ひそ)かに存じて居りましたが、ご貴殿ご旧主は誰人(どなた)様でござるな?」
「おお、拙者の旧主人でござるか」
 旧主のことを尋ねられたことが、道十郎には嬉しかったと見え、影の薄い顔へ笑(えみ)を湛えたが、
信州上田五万三千石、松平伊賀守が旧主人でござるよ」
「おお左様でござりましたか。伊賀守様はご名門、それに知恵者でおわすとのこと、そういう立派のご主人を離れ、どうしてご浪人なされましたかな?」
「それには深い子細がござる」道十郎は暗然としたが、
「実は朋友を救うため好んで浪人したのでござる」
朋友をお救いなさるため? ははあ左様でございますか」
「お話し致そう、お聞き下され。……今から思えば五年の昔、拙者二十九の春のことでござるが殿に一羽の名鶯がござって、ご寵愛遊ばされ居られました所、拙者の朋友|間瀬(ませ)金三郎誤って籠から取り逃がしましてござる」
「やれやれそれはとんでもないこと」
「しかるに金三郎には妻子の他に老いたる父母がござりましてな、もしも浪人することとならば一家たちまち零落し、恩ある父母を養うこともならぬ。これが何より心掛かりと、拙者にむかって掻き口説きましたれば、はなはだ憐れにも気の毒にも思い、拙者金三郎の身代わりとなり、名鶯取り逃がしの罪を負い、殿より永の暇(いとま)を賜わり、さてこそ浪人致したのでござるよ」
「お聞き致せばお気の毒。いや天晴(あっぱれ)の義侠心、何と申してよろしいやら。さような事情のご浪人なれば、ご親友はじめ重役衆まで何とか殿様にお取りなし致し、至急帰参出来ますよう取り計らうが人情でござるに、それを今日まで打ち捨て置くとは、義理知らずではござりませぬかな」
「いやいやそれにも事情がござる。今お話しした金三郎が、一人ヤキモキ気を揉んで、殿へ取りなし致し居る由、しかるに殿にはご明君なれど酒癖あってご癇癖。自然いつもご機嫌悪く、申し出る機会がないとのこと、再三金三郎よりの消息でござる」
「しかしそいつは些(ちと)面妖、疑わしい点でござりますなあ。


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