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条件反射 - 豊島 与志雄 ( とよしま よしお )

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      煙草  煙草の好きな某大学教授が、軽い肺尖カタルにかかった。煙草は何よりも病気にさわるというので、医者禁煙か然らずんば節煙を命じ、家人たちもそれを懇望し、本人もその決心をした。ところが彼は、多年の習慣で、煙草の煙が濛々と立罩めた中でなければ勉強出来ない。節煙の決心で書斎に坐っていると、うまいまずいの問題ではなく、殆ど無意識的に、いつしかやたらに煙草をふかしては、苦しい咳をしている。――然るに彼は、学校で、二時間講義の間、煙草を吸いたいなどという気は毫も起ったことがない。教室では全然煙草を忘れてしまうのである。
 彼は嘆じて云う。「煙草を節するには、朝から晩まで立続けに講義をするか、或は書斎教室改造するかより、他に方法はない。」
 彼にとっては、教室煙草を吸わないことと、書斎煙草を吸うこととは、全く同一の条件らしい。

      接客

 父祖数代江戸生れで、本当の江戸児――東京児――だということを誇りにしてる、老婦人がある。意地っぱりで気はしっかりしているが、数年来病弱で、始終医薬に親しみ、家の中でぶらぶら暮している。そして一度来客に接すると、態度から表情から言葉付まで、全く健康者と変りがなく、数時間の応対にも疲労の色さえ見せない。然し客が帰るや否や、気の張りが一時に弛んで、ぐったりと半病人状態になってしまう。如何なる時如何なる来客に対しても、そうなのである。それが彼女の心身にどんな無理を来してるか、彼女自身でもよく分っていながら、どうにもならないのである。まして、家人忠告など何の役にも立たない。
 野人の不愛想もさることながら、都会人のそうした性癖も困りものである。馬は死ぬまで立っている、と云ったら、彼女は快心の笑みを浮べるかも知れない。然し、芸妓は如何に心に屈託があろうともお座敷に出ては朗かに笑うものだ、と云ったら、彼女はどういう顔をするであろうか。

      議会

 柔道三段の腕前を持っていて、赭顔肥大、而も平素は温厚な好々爺である、某代議士が云う。「議会というものは、そんなものではない。堂々たる政見を発表し、高遠なる経綸抱負を披瀝するのは、そしてそれに対して神聖公平な討議を行うのは、平素のことだ。一度議場に臨めば、党争が凡てを支配する。ただ戦術あるのみだ。戦術は直接法現在を基調とする。直接法現在は腕力に帰着する。だから、平穏な議場の空気は、ただ眠気を催させるだけで、ばかばかしくなる。静粛な議会などは、議場心理を知らない痴人の夢想だ。誰でもあの議席についたら、腕がむずむずして、脾肉の歎を感ずるのが当然だ。」
 議会にそういう条件がいつ構成されたかは不明だが、それが真であるとするならば、また何をか言わんやである。境に転ぜられざる底の人士を現代に求むるのは、或は無理かも知れない。

      原稿

 或る文学少女が或る文士に宛てた手紙の一節。――「原稿用紙なんか使って、御免下さい。先生はいつぞや、私の手紙が冗漫でくどくて要領を得ないと、叱るように仰言ったことがございましたわ。あれから、私随分苦心しました。でも駄目ですの。じきにいつもの女学生風の癖がでてしまって……。いろいろ考えた上、原稿用紙を使ってみることに致しましたの。先生が御創作なさる時のように、机の上には不用なものを一切置かないで、そして創作するような緊張した気持で、ペンを執っております。先生のお気に入る手紙が書けるようにと念じながら……。」
 実際、その手紙は、これ迄のとは見違えるように、簡明で要領を得ていて、殊に句読点が整然としていたそうである。然し、妙に作為が多くて真情の流露が乏しかった。彼は唖然として、嘆じて云う。「彼女は真の創作家にはなれそうもない。」

      襯衣の釦

 某君が他の同志たちと共に、懸命に帯封書きをやっていた時のことである。一種の非合法性を持った印刷物の帯封で、その晩のうちに片付けなければならない状勢にあった。その時彼は和服を着ていて、袖口が仕事邪魔になるような気がするので、片肌ぬぎになったところ、襯衣の釦が一つ取れていて、そこから痩せた胸が覗き出す。それが次第に自分で気になって、片手で胸元を押え押え帯封書きをしていたが、またすぐに痩せた胸が覗き出す。彼は右手で懸命にペンを走らせながら、そして左手で夢中に襯衣の胸元をつくろいながら、額から汗を流している……。その様子が、とてもおかしかったと、後で誰かが笑った。


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