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松と藤芸妓の替紋 - 三遊亭 円朝 ( さんゆうてい えんちょう )

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  • ■佳つ乃の京都案内■人気芸妓が季節感満点の写真と共に名店名所
  • 第69回◆鴨川をどり◆パンフ(昭和27年)京都先斗町歌舞会芸妓舞妓
三遊亭圓朝 鈴木行三校訂・編纂         一  今日(こんにち)より改まりまして雑誌出版になりますので、社中かわる/″\持前(もちまえ)のお話をお聴(きゝ)に入れますが、私(わたくし)だけは相変らず人情余りお長く続きません、三冊|或(あるい)は五冊ぐらいでお解りになりまする、まだ新聞に出ませんお話をお聴に入れます。これは明治四年から六年まで、三ケ年の間お話が続きます、実地あったお話でございます。さて俗語に苦は楽の種、楽しみ極(きわ)まって憂いありと申しますが、苦労をなすったお方でなければ只今、お楽になって入らっしゃるものはございません。大臣参議と雖(いえど)も皆戦争の巷(ちまた)をくゞり抜け、大砲弾丸(たま)にも運好(うんよ)く中(あた)らず、今では堂々たる御方(おんかた)にお成り遊ばして入らっしゃるのでございますがまだ開(ひら)けません時分、亜米利加(アメリカ)という処は何(ど)ういう処か、仏蘭西(フランス)はどんな国だか分らない中(うち)に洋行をなさいまして、然(そ)うしてまた何うも船の機械も只今ほど宜(よ)く分っても居りませんでしたのに、危険を凌(しの)ぎ、風波(ふうは)を冒(おか)して大洋渡りなど遊ばして苦心をなすったから、只今では仮令(たとい)お役所へお出で遊ばさないでも、年金を沢山お取り遊ばすというのも、その苦労をなさいましたお徳でございます、だから余り楽をしようと思うと、却(かえ)って是が苦しみになりますことで、私(わたくし)などは毎日喋って居りますから、ちと楽を為(し)ようと思って、一日喋らずに居たら何うだろうというと、これが苦労の初まりで、一日黙って居るくらい苦しみはありません。何もそんなに黙って居るにも及びませんが、退屈でなりませんから、これは堪らぬ、ちとそろ/\表を歩いたら楽に成るだろうというと、これが苦しみの初まりで、最(も)う寝足(ねあし)になって居りますから歩くと股(もゝ)がすくんでまいり、歩行が叶(かな)いませんから、そこらの車へ乗って家(うち)へ行ったら楽だろうと思って、車へ乗ると腰が痛くなって堪らないから、仰向(あおむけ)に寝たらば楽になるかと思うと、疝気(せんき)が痛くなったりしていけませんから、廊下へ出て躍(おど)ったら宜(よ)かろうというように、実に人は苦の初めを楽しむと云って、苦労の初めばかり楽しみますことを考えますものでございます。「瓶(かめ)に※ (さ)す花見ても知れおしなべてめづるは捨(すつ)る初めなりけり」という歌の心は、詠(なが)めは誠にどうも総々(ふさ/\)とした此の牡丹は何うだい、宜(い)いねえ水を上げたところは、と珍らしがって居りますが、長く活(い)けて置けばばら/\と落ちて来ますから、あゝ穢(きた)ない打棄(うっちゃ)ってしまえと、今度は大山蓮華(おおやまれんげ)の白いのを活けこの花の工合(ぐあい)はまた無いと云ってゝも、末になると黄色くなってぱら/\落ちますから捨てゝ、今度は秋草が宜(よ)いと云った所が、此れもそう何時迄(いつまで)も保ちは致しません、直(すぐ)に萎(しお)れてしまいますから※ 換(さしかえ)るというように、世の中の事は此の通りでございます。マア何でも苦労をなさらんければいかんということで。これは松平肥後(まつだいらひご)様の御家来で、若い中(うち)にさん/″\道楽を致し、青森県の方にお出でがありまして、ちょうど函館戦争に出逢って危(あやう)い処を免(のが)れ、よう/\の事で世界が鎮まってから横浜へ出てまいり、外国人取引を致し、図らざる処の幸福を得ました処から、まだ東京は開けません時分故、洋物店(ようぶつてん)を神田美土代町(かんだみとしろちょう)へ開きましたが、大層繁昌致しました。此のお方は苦労人の果ゆえ、仮令(たとい)芸人を扱っても、芸者を相手にしても、向うの気に入るような事ばかり云います。今日(こんにち)は身装(なり)の拵(こしら)えがくすんでも居ず華美(はで)でも無い様子、ちょっと適当の装(なり)に拵え、旧九月四日の事でございましたが、南部(なんぶ)の藍(あい)の万筋(まんすじ)の下へ、琉球(りゅうきゅう)の変り飛白(がすり)の下著(したぎ)、まだ其の頃は余り兵児帯(へこおび)は締めません時分だから、茶献上(ちゃけんじょう)の帯を締め、象牙(ぞうげ)へ四君子の彫(ほ)ってある烟管筒(きせるづつ)が流行(はや)ったもので、烟草入(たばこい)れは黒桟(くろざん)に金の時代の宜(い)い金物を打ち、少し色は赤過ぎるが、珊瑚の六分半もある緒締(おじめ)で、表付ののめりの駒下駄海虎(らっこ)の耳付の帽子(しゃっぽ)が其の頃流行ったものゆえ、これを冠(かぶ)り上野広小路通り掛ると、大茂(だいも)の家(うち)から出て来ましたのは、其の頃|数寄屋町(すきやちょう)にいた清元三八(きよもとさんぱち)という幇間(たいこもち)でございますが、幇間にも種々(いろ/\)有りまして、野幇間(のだいこ)もあれば吉原の大幇間(おおだいこ)もあります、町の幇間(たいこ)でも一寸(ちょっと)品の宜(よ)いのもあれば、がら/\致して、突然(いきなり)人の処(とこ)へ飛込(とびこ)んで硝子戸へ衝突(ぶツ)かり、障子を打毀(うちこわ)すなどという乱暴なのもありますが、この三八は誠に人の善(よ)い親切な男で、真実(まめ)に世話をするので人に可愛がられますけれども、芸は余り宜くは有りません。四入青梅(よついりおうめ)の小さい紋の付きました羽織を着て、茶献上の帯を締め、ずか/\と飛出(とびで)て来て、三橋(みはし)の角で出会いました。
旦「おい師匠々々」
三「これは旦那………何方(どちら)へ」
旦「此処(こゝ)で君に遇(あ)おうとは思いきやだ」
三「先達(せんだっ)ては誠に有難う、あの時旦那がお帰りになったのを知らないで、御酒(ごしゅ)を戴き過して、気を許して寝てしまい、お帰りになった後(あと)で目が覚めて驚きましたが、二度目にお目にかゝった時、寝たの寝の字もおっしゃらないなぞてえのは、実に貴方(あなた)のような苦労をなすったお方は沢山(たんと)無(ね)えって、蔭でのろけて居りますんで」
旦「君に惚(ほれ)られちゃア有難てえフヽヽ」
三「からかっちゃアいけませんが、何方へ入らっしゃいました、此の間お宅(うち)へお寄り申そうと思いまして参ると、番頭さんが何とか云いましたっけ、治平(じへい)さんかえ、武骨真面目なお方で、※(うん)とお店に坐っている様子てえものは、実に山が押出(おしだ)したような姿で、何となく気がつまりましたから、裏口から這入ってお内儀(かみ)さんにお目通りを致しましたが、坊ちゃんは大層大きくお成(な)んなさいましたな」
旦「彼(あれ)は坊じゃない嬢だよ」
三「へえお嬢さんでげすか、そう仰しゃれば何処かお優しい品の宜(よ)いところが有りましたよ」
旦「何うも君は押付けたような事をいうのが面白い……君に出会ってこのまゝ別れるのは戦争(いくさ)の法には無(ね)えようだから、何(どう)だえ何処かでお飯(まんま)を喰(た)べてえが付合わねえか」
三「これは恐れ入りやすな、私(わたくし)の腹の空(へ)った顔が貴方ちゃんと解るなんてえのは驚きやしたなア、何うか頂戴致したいもので」
旦「君何処へ往ったのだえ」
三「なに少し大茂へちょいと」
旦「周旋かえ」
三「いえ然(そ)うじゃア無いんですが、方々へ種々(いろん)な会がありますと、ビラなんぞを誂(あつら)えられてるんでげすが、御飯(ごはん)を召上るてえなら是非此処じゃア松源(まつげん)さんでげしょう」
旦「松源てえば彼処(あすこ)で五六|度(たび)呼んだ小(こ)しめだのおいとだのと云う好(い)い芸者の中(うち)で、年若の何とか云ったッけ、美代(みよ)ちゃんかえ」
三「えゝ美代ちゃん、へえ美代吉(みよきち)」
旦「彼(あれ)は好い娘(こ)だね、品が有って実にお嬢さん然として居るね」
三「成程|彼(あれ)は旦那お気に入りましょうよ、旦那は種々(いろん)な真似をなすって諸方で食散(くいちら)かして居らっしゃるから、却(かえ)ってあんなうぶなお嬢さん筋で無くちゃアいけますまい、彼は極(ごく)温順(おとなし)くって宜うございますから、お浮(うか)れなすっちゃアどうです」
旦「君は直(すぐ)に然(そ)う取持口(とりもちぐち)をいうから困るよ、併(しか)し色気余所(よそ)にして何となく何うも己(おれ)は彼(あれ)が慕(した)わしいね」
三「美代ちゃんも然ういって居ますよ、美代ちゃんも旦那の事ばかり蔭で褒めてまして、あんな好(よ)い旦那は無い、あの旦那に会うと何となく心嬉しいてッてます」
旦「なにお幇間(たいこ)を云っちゃアいけない、あれは抱えか又娘分かえ」
三「あれは娘分なんでげすが、彼処(あすこ)の婆(ばゝあ)ほど運の好(よ)い奴はありません、無闇に金ばかり溜めて高利を取って貸すんでげすが、二|月(つき)縛りで一割の礼金で貸しやアがって、彼(あ)の位の者は沢山(たんた)ア有りませんね、それが何うもあゝいう奴は娘(こ)を抱えると、直(すぐ)に美代ちゃんのお母(っかあ)が死んでしまうと、往(い)き所の無(ね)えのを幸(さいわい)にずる/\べったりに娘に為(し)ちまッたんでげすが、あんな運の好(い)い人はありやせん」
旦「何か情夫(いろ)でも有るのかえ」
三「なにそんな者はありません、只|温順(おとな)しい一方で、本当(ほんと)にまだ色気の味も知らない位でげす、付合(つきあい)で何処(どこ)かへ往(い)けなんてえと御免なさい、お母(っか)さんに叱られると云っている位なんで」
旦「何うかして彼(あ)の娘(こ)を呼出工夫をして居るんだが、お母(っかあ)に取入ってお母と付合になっちまってから、其の後(のち)彼の娘をお貸しな、上手(うわて)へ往(い)くとか、一晩|泊(どまり)で多摩川の鮎漁へ往こうと云っても、若い者(もん)じゃア婆さん油断はしめえが、此方(こっち)は最う四十の坂を越えて居るから安心するだろう」
三「貴方上手なんぞへ連れてって何うなさるんで」
旦「いやさ、彼の娘を連れてッて、情夫(いろ)がある種を知って居るから両人(ふたり)しっぽり会わして遣(や)ろうッてんだが何うだえ」
三「こりゃア恐れ入りやしたね、何うもこれは出来ない業(わざ)でげすな、ちょいと玉(ぎょく)を付けて、祝儀を遣った其の上で、情夫(いゝひと)に会わして遣るなんてえ事は中々出来る事(こッ)ちゃア有りやせん、間夫(まぶ)が有るなら添わして遣りたいてえ七段目浄瑠璃じゃアねえが、美代ちゃんに然う云ったらどんなに悦ぶか知れやアしませんよ、旦那のことだから往渡(ゆきわた)り宜く家(うち)へ往って然う云ったら、美代ちゃんの母親(おふくろ)さんも何(ど)んなにか悦びましょう、併(しか)し彼の婆(ばゝあ)は何うも慾が深(ふけ)えたッてなんて、彼(あ)んなのも沢山(たんと)はありません、慾の国から慾を開(ひら)きに来て、慾の学校出来たら直(すぐ)に教員に為(な)るてえ位な慾張で、あの肥(ふと)ってるのは慾が肉と筋の間へからんで、慾肥りてえのは彼(あれ)から初まったでげす……じゃア美代ちゃんの家へ入らっしゃいまし」
 と三八が先に立ち数寄屋町へ這入り、又細い横町へ曲り、
旦「此方(こっち)へ曲るのかえ」
三「此方(こちら)へ入らっしゃい……えゝ此処で、有松屋(ありまつや)という提灯(ちょうちん)の吊してある処で」
旦「法華宗(ほっけしゅう)なのかえ」
三「何でも金にさえなれば摩利支天様(まりしてんさま)でもお祖師様(そしさま)でも拝むんで、それだから神様の紋散(もんじら)しが付いて居るんで……母親(おふくろ)さん今日(こんち)は、お留守でげすか……美代ちゃん今日は」
婆「あい誰だえ、安(やす)どんかえ」
三「あれが婆(ばゝあ)の慾から出る声でげすが、酷(ひど)いもんで……えゝ三八でげすよ」
婆「いやだよ何だねえ、ずっとお這入りな表からお客様振ってさ」
三「御免なせえまし、ヘヽヽ今日は……」
婆「此の間はあれっきり来ないもんだから、わたしは本当に困ったよ、皆さんから後(あと)で話が有って………これからは持って一々来て見せなくちゃア困るじゃアねえか」
三「ところが梅素(ばいそ)さんの処へ往(い)くと、びらが一ぺえ来てえるので、待って書いて貰いましたんで、大きに遅くなったんでげすが、その代り美代ちゃんはちゃんと中軸(なかじく)にして、そこらは抜目無くして置いた事は、後で御覧なすっても解りますが、時に今ね母親さん美土代町の奧州屋(おうしゅうや)の旦那がね、ほんとに粋(すい)な苦労人で、美代ちゃんを呼んで度々(たび/\)お座敷も重なると、家(うち)で案じるといけないから、ちょいとお母さんにあかして仲好(なかよし)に成りてえと仰しゃるから、お連れ申して来ましたんで」
婆「あれまア何うもまア表に居らっしゃるの……何うぞ此方(こっち)へお上り遊ばして下さい、まことに思い掛けない事で、何うぞ此方(こちら)へ……師匠|此方(こちら)へ案内してお上げ申しておくれよ」
三「ヘヽヽ此方(こちら)へお上んなさいまし」
旦「はい御免……お母さんお初にお目にかゝります、毎度美代ちゃんを呼んで世話を焼かしますが、何うぞ心安く……」
婆「まア何うも宜く入らっしゃいました、毎度また彼(あれ)を御贔屓(ごひいき)に遊ばして有難う存じます、宜くまア此様(こん)な狭い汚ない所へ入らっしゃいました、何時も蔭でおうわさばかり致して居ますの、何うかして一度お目にかゝって置きたいと思いまして、師匠にも然う申しましたら、その内に案内をしようと云ってくれましたが、またお楽(たのし)みの処へ出ましてもお邪魔だろうからと存じて控えて居ましたが、毎度御贔屓様になりまして有難う存じます、あんな結構な袂持(たもともち)や合切袋(がっさいぶくろ)や金の指環など見たこともない物を下すって、あれがお湯などに箝(は)めて参りますから、そんな結構な物を箝めてお湯に這入るのじゃア無いよ、金より其の上に善い物は無いからと云いましても、今の若い者は開化とか何とかいう事を知って居りまして、人のいう事をば些(ちっ)とも聞かないで矢張箝めてお湯に這入りましたりして、ぞんざいに致しまして、何うも持(もち)ざっぺいが悪くて仕方がございません、お客様が折角のお志で下すった物を、粗末にしたり落しちゃア済まないよ、お志を無にするからと申しましても、あの通り頑是(がんぜ)がございませんから、何時までも子供のようでございまして仕方が有りませんが、何うぞお見捨なく何時までも御贔屓願います、此の間もあなた遅く帰って来まして、お母さんお案じでないよ、奧州屋の旦那様が外(ほか)に何(ど)んな無理なお客が有っても、十二時を打ったらずん/\帰れと云って下すったが、そんなお客様は無いてッて何時も旦那様のお噂ばかり申して居りますので」
三「何(なん)しろ美代ちゃんをちょいと」
婆「今お湯から帰って、ちょいと二階で身化粧(みじまい)をして居ますよ」
旦「それは丁度|好(い)い所だった……師匠お母さんに其のオイお土産を………」
三「左様で………母親さんには是だけ……女中は慥(たし)か両人(ふたり)でしたねえ……これは旦那から」
婆「まア何うも有難う存じます、何(どう)ぞ旦那様へ宜しくお礼を仰しゃって下さいまし……旦那これからは何うぞ何方(どちら)へ往らっしゃいまして、御膳を上りましても詰らない御散財でございますから、美代吉の所へ往(ゆ)って惣菜で安く食べて往(い)こうと云うようにお心易(こゝろやす)く、ちょい/\入らっしゃッて下さいまし、然うすると此方(こちら)でも誠に気が置けませんで宜しゅうございますから、これを御縁として何うかちょい/\入らしって下さいまし………お前方|皆(みん)な此方(こっち)へ来てお礼を申しな」
下「誠にどうも有難う存じます」
旦「いや何うもお礼では痛み入ります」
三「お母(っか)さん何か一寸(ちょいと)お飯物(まんまもの)を色取りして何うか……」
婆「はい畏(かしこま)りました……ちょいとあの美代吉や下りてお出で、美土代町の旦那様が入らっしったよ」
美「はい」
 と返事をいたし、しと/\階子(はしご)を下りて参り、長手の火鉢の前に坐りましたが髪が、結(い)い立(たて)でお化粧(しまい)の為立(した)てで、年が十九故|十九(つゞ)や二十(はたち)という譬(たと)えの通り、実に花を欺くほどの美くしい姿で、にやりと笑い顔をしながら物数(ものかず)云わず、
美「よくお出でなさいました」
旦「今広小路師匠に会ったからちょいとお母さんにお近附(ちかづき)に成ろうと思って来たのさ」
三「美代吉さん、何うも私の方は慾でげすが、旦那の方は御厄介になって余り感心しないが、それを一緒に往(ゆ)くと仰しゃるのでお供をして此方(こちら)へ来たのてえのは、其処(そこ)に種々(いろ/\)御親切な話が有るんで、本当に後(あと)でお聞(きか)せ申したい事が有るんでげすぜ」
美「それはほんとに嬉しい事ねえ」
婆「今お土産を戴いたよ」
美「毎度有難う存じます」
三「何か旦那の召上り物を何うかお早く」
婆「此処らでは鳥八十(とりやそ)さんが早いから、彼処(あすこ)へ往って何か照り焼か何かで、御飯(ごはん)を上るのだから色取をして然う云って来なよ、宜(よ)いかえ、御飯は家(うち)のは冷たいから暖(あった)かいのを三人前に、お香物(こう/\)の好(い)いのを持って来るように然う云ってくんな、あれさ家のは臭くていけないから、これさ人のいう事を宜く聞きなよ、それからお菓子を、なに落雁じゃアないよ、お客様だから蒸菓子の好いのを」
 と下女に云附け、誂(あつら)え物の来る内、何か有物(ありもの)でちょいとお酒が出ました。この奧州屋の新助(しんすけ)は一体お世辞の善(よ)い人で、芸者何かを喜ばせるのが嗜(す)きな人だから、何か褒めようと思って方々(ほう/″\)見廻したが、何も有りません。三尺の壁床(かべどこ)に客の書いたものが余り宜い手では無く、春風春水一時来(しゅんぷうしゅんすいいちじにきたる)と書いてあり、紙仕立(かみじたて)の表装で一|幅(ぷく)掛けてありますが、余り感心致しません。其の傍(そば)の欄間石版画の額が掛けてありますが、葡萄(ぶどう)に木鼠(きねずみ)の画(え)で何も面白い物がありません、何か有ったら褒めよう/\と思って床の間の前を見た処が古銅(こどう)の置物というわけでもなし、浅草中見世(なかみせ)で買って来たお多福の人形が飾って有り、唐戸(からど)を開けると、印度物(いんどもの)の観世音(かんのん)の像に青磁香炉があるというのでなし、摩利支天様の御影(みえい)が掛けて有り、此方(こっち)には金比羅様のお礼お狸さま、招き猫なぞが飾って有るので、何も褒めようが有りませんから、二枚|折(おり)の屏風の張交(はりまぜ)を褒めようと思って見ると、團十郎(だんじゅうろう)の摺物(すりもの)や会の散(ちら)しが張付けて有る中に、たった一枚肉筆の短冊(たんざく)が有りましたから、その歌を見ると「背くとも何か怨みん親として教えざりけんことぞ口惜(くや)しき」という歌が書いて有ったのを見て、奧州屋新助は恟(びっく)り致しましたと云うのは、自分二十四歳の時に放蕩無頼(ほうとうぶらい)で父も呆れ、勘当をすると云った時に、此の短冊を書いて僕に渡し、汝(おのれ)の様な親に背いた放蕩無頼の奴は無いが決して貴様怨みん、己(おれ)の教えが悪いによって左様な道楽の者に成ったのだ、此の短冊は己(わ)が形見で有るから、是を持って何処(どこ)へでも往(い)けと云って、流石(さすが)の父も涙を含んで私(わし)の手に渡した時に、若気(わかげ)の至りとは云いながら手にだに受けず、机の上に置去りにし、家(うち)を出た此の短冊が何うして茲(こゝ)に有ったかと、余り思い掛ない事だから驚いたが、素知らぬ体(てい)で、
旦「美代ちゃん、屏風に張って有るあの短冊は何処から貰ったのかえ」
美「なに、あれはいけないのですよ、張交(はりまぜ)が足りないから何でも安どんが出せと云いましたから、反古(ほご)の中に皺くちゃになって居たのですが、あれは私(わちき)のお父(とっ)さんが書きましたので」
旦「え…お前(めえ)のお父さんが……何かえお前(まえ)のお父さん会津様の御家来で、松山久馬(まつやまきゅうま)様と云って七百石取ったお方だろうね」
美「あれまア旦那何うして私(わちき)の親父(おやじ)を御存じなの」
旦「いえなに……わしは若い時分から歌俳諧が好きであったが、風流の道というものは長崎の果(はて)の先生でも、奥州の人とも手紙の遣り取りをして交際(つきあい)をするものだがね、久馬様はおなくなりになって、惣領のお兄(あに)いさまは上野戦争で討死(うちじに)をなすったということを聞いたが、お母さん未だ御存生(ごぞんしょう)かえ」
美「何もかも旦那はよく御存じですが、私(わちき)は母と一緒に上野の先の箕(み)の輪(わ)という処へ参りましたは、前々(ぜん/\)勤めていた家来の家(うち)で有りますから、そこへ往って暫く厄介になって居ます内に、母が煩(わずら)い付きましたが、長煩い病院へ入れる事も出来ませんようになったので、仕方なく私はこんな処へ這入りましたが、その甲斐もなく一昨年(おとゝし)の十一月なくなりましたよ」
旦「え、おかくれかい、それじゃアまアお母さんを救うためにお前は芸者になって、云いつけもしない世辞をお客に云って居るのだろうが、宜くまア親のために苦労をして居るねえ」
美「はい、私(わちき)は外(ほか)に親戚(みより)頼りも有りませんが、只(たっ)た一人|仲(なか)の兄のある事を聞いて居ましたが、若い時分道楽で、私が生れて間もなく勘当になって家出をしましたそうですが、随分気性な人ゆえ戦争(いくさ)にでも出て討死もしかねない気性ですから、大方死んでゞもしまったろうと常々|母親(おふくろ)が申して居りましたが、その兄さえ達者なれば会う事も有りましょうが、尤(もっと)も小さい時に分れたのでございますから、途中で会っても顔は知れませんけれども、何卒(どうぞ)して生きて居るなら、その兄に会いたいと思いまして弁天様へ願掛(がんがけ)を致して居りますけれども、いまだに知れませんから、本当に私は独りぼっちでございます」
旦「然うかえ、お前が生れて間もなく分れた兄(にい)さんだから、顔形も知れまいが親身の兄と思えばこそ然うやって神信心(かみしんじん)をして会いたいと願掛までして居ればこそ、ふといやなに…屹度(きっと)会うような事になるに違いないが、その事を兄(あに)さんが聞いたら嘸(さぞ)悦ぶだろう、然うかえ……どう云うわけだか松源へ初めてお前を呼んだ時から、何となく私(わし)の子のように思われて可愛いと思ったが、妙なものさね」
三「へえ美代ちゃんは久馬様のお嬢さんなんでげすか、道理で初めから久馬様の相が有りましたよ、何かその遊ばせ言葉などの所は違(ち)げえねえ、成程七百石のお嬢さまなんで……」
旦「私(わし)はお前のお父さんには歌俳諧の道で御贔屓になったこともあり、十九年振でお前に会うとは誠に妙だ……師匠何うも妙だな」
三「まことに妙でげすね………併(しか)し何だか大変に陰気になったじゃア有りませんか」
旦「どうか此の娘(こ)を身請(みうけ)を致し度(た)いものだ」
 と是から美代吉の身請の相談に及ぶ。これが一つの間違いに相成るお話でございます。

        二

 奧州屋新助が、美代吉を我が実の妹(いもと)と知りまして身請の相談に及びましたが、娼妓の身請はよく有りますけれども、芸妓の身請は深川ばかりで、町芸妓の身請という事は余り昔は無かったものでございますが、開(ひら)けて来るので当時は身請が流行でございます。
新「おい師匠々々」
三「へえ」
新「ちょいとお母(っかあ)に君から相談して貰いてえな、何と此の娘(こ)を身請えしてえんだが、馬鹿な事を云われちゃア困るんだ、大概(てえげえ)相場も有るもんだが、何うだろう、身請をするには何(ど)のくらいのものだろう」
三「それは何うも大変芝居が大きくなって来ましたね、この娘(むすめ)を身請え為(な)すっても御妻君(ごさいくん)の方は」
新「なに僕がこの娘を受出して権妻(ごんさい)にしようてえ訳じゃアねえが、あの娘のお父(とっ)さんには、昔風流の道で別懇にして御恩受けたこともあるし、親戚(みより)頼りもねえという事だから、あの娘(こ)を身請して、好いた男と添わしてやって松山という暖簾(のれん)でも掛けさせて、何処かへ別家を出して遣りたいのだ、そして久馬様の御位牌を立てさせたいと思うが何うだろう」
三「恐入りやしたねえ、何うも御親切の事で、へえ…併(しか)し貴方の御親切を先方で買うと宜(い)いけれども、彼(か)の婆アが中々慾が深いから買いませんて、大きな声じゃア云えませんが、あの通り慾で肥(ふと)ってるくらいなんですから、身請となると何(ど)んな事を云出すか知れませんよ」
新「だからサ、親類|交際(づきあい)でおめえから話をしておくれな」
三「へえ、兎に角一つ話をして見ましょう……お母(っか)さん/\」
婆「はい」
三「ちょいと少し此方(こっち)へお出でなすって、ヘヽヽヽ旦那の前では話し難(にく)いんで」
婆「厭だよ三八さん、こんな婆(ばゝあ)を蔭へ呼んで何をするんだよ」
三「ときにお母さん、外(ほか)じゃ有りませんが、今旦那がね、美代ちゃんのお父さんと心安くして、むかし御恩になった事もあるてえので、美代ちゃんを身請して松山とか久馬様とかいう暖簾を掛けさせ度(た)いッてんで、何も色に惚れて権妻にするてえような訳では無いので、親類交際の身請てえのでげすが、これは私も思うのにお前の為になると考えます、あの方の事だから身請を為(し)ッ放(ぱな)してえ訳じゃア無いのだからお前も思い切ってお仕舞いなさい、併(しか)し盛りの娘を手放すってえのだから無理だが、後(あと)の為を考えるとね、実は私もちょいと旦那と打合わした処も有るから、思い切って美代ちゃんを手放して下さいな、娘が出世すると思えば否(いや)という訳は有りやすめえ」
婆「まことにどうも有難うございますね……旦那ア本当でございますか……、何だか三八さんは時々おかしな事を言出しますが」
新「実は今師匠にも話したんだが、あんまり贅沢のようでお母さんきまりが悪いが、初めて会った時から何(な)んとなく美代ちゃんが可愛くって仕様が無いから云出したのだが、併し話をするのは今日が初(はじめ)てゞ、何うかしてお父さんのお位牌でも立てさせたいと思い、また私(わし)は別に兄弟も何もないから、此の娘を請出して私(わたし)の妹分(いもとぶん)に為(し)たいというは、此の娘の様な真実者なら、私(わし)の死水(しにみず)も取ってくれようとこういう考えなんだが、親類交際で身請を為てしまったからッて、何も是(これ)ッ切(きり)お前の処へ来ないという訳でも無く盆暮には屹度(きっと)顔を出させるようにします、差支(さしつかえ)は有りますまいが、また斯(こ)ういう雛妓(こども)を抱え度(た)いとか、あゝいう出物(でもの)の著物(きもの)が有るから買いたいと云う様な時にも、お前さんの事だから差支も有るまいが、然(そ)ういう時には金円(きんえん)…また私(わたし)が御相談をしても善いのだがねえ」
三「旦那が只何うも美代ちゃんが可愛くって、娘か妹のように思われて、丸めて喰ッちまい度(た)い位なんで」
婆「誠に何うもそれは有難い事でございます、実に彼(あれ)の身の出世でございます、彼も何時までも芸妓をして居ては詰りませんから、能(よ)い加減な時分に何うか身を固めさせなければならないと申して居たのでございますが、昔は芸妓を受出すにも造作も無い事でございましたが、今では身請というと実に方々(ほう/″\)さまの相場大変な事で……」
三「ほうらそろ/\始まった、これだからうっかりした事は云われない……お母さん然う前置から詞(ことば)を振(ふら)ずに前文無しで結著(けっちゃく)の所を云って下さらなくっちゃア困りやすで……旦那あなたの思召(おぼしめし)は」
 と袂(たもと)の中へ手を入れて、指を握り合って相談をする。
三「えゝ、成程……お母さんちょいと手を私の袂の中へ突込(つっこ)んで下さい、これが流行物(はやりもの)だから何うでげしょう、このくらいでは」
婆「はい……誠に有難い事でございますけれども、お師匠さん、私どもは外に宜(い)い抱えも無いのでございます、今美代吉が出てしまえば、何(いず)れ誰か外(ほか)に宜(よ)い抱えを為(し)なければなりませんが、そんならばと云って出たから直(すぐ)にお客が附くという訳でもなし為(し)ますから、それでも何うも少し話が折合いませんねえ」
新「じゃアお母さん何うぞ五百円ぐらいの所で話を極めておくんなさいな」
三「お母さん、そんなら宜うございましょう、こんな相場は有りませんから」
婆「誠に何うも有難い事でございます」
新「僕も少し頼まれた事が有ってその実は横浜まで買物に往(ゆ)かなければならんから、それでは明後日(あさって)という事に極めましょう、何が無くとも赤の御飯ぐらい炊いて、目出度い事だから平常(ふだん)馴染(なじみ)の芸妓|衆(しゅ)でも招(よ)んでね」
婆「誠に何うも有難い事で、然(そ)んなれば是非明後日はお待ち申します……美代吉や、ほんとに御親切なんて、何うもこんな有難い事は有(あり)ゃアしないよ……お間違い有りますまいね」
新「間違える所(どこ)じゃない、お母さんの方でさい違わなけりゃア、此方(こっち)で約を違(たが)える気遣いは無いのだから」
婆「実に何うも有難い事で、左様なら明後日は何時頃(なんじごろ)に入らっしゃいます」
新「二時少し廻った時分迄には屹度来るから、其の積りで約定(やくじょう)を極めてさえ置けば宜(い)いのだ」
三「美代ちゃん大変に宜(よ)い事が有るんで」
 と幾ら傍(そば)で云っても美代吉は少しも嬉しい顔付が無いというは、本所割下水(ほんじょきたわりげすい)に旗下(はたもと)の三男で、藤川庄三郎(ふじかわしょうざぶろう)という者と深くなって居ますが、遣い過ぎて金が廻らなくなったので、有松屋へ行っても不挨拶(ぶあいさつ)をするゆえ来にくゝなり、何うも都合が悪いと見えて、茶屋小屋から口を掛ける事もなし、此の頃では打絶(うちた)えて逢いませんので、美代吉も気を揉んで居る処へ身請の話になり、胸が痛く、
「はい」
 と忌(いや)アな返事をしました。所へ来ましたのは藤川庄三郎で、此の頃では深川六間堀(ふかがわろっけんぼり)へ蟄息(ちっそく)致して居ましたが、駿府(すんぷ)から親族の者が出て来まして、金策出来商法目的を附け、何(ど)んな所へでも開店|為(し)ようという事に成りましたので、美代吉に悦ばせる心算(つもり)ゆえ大(おお)めかしで、其の頃|散髪(ざんぎり)になりましたのは少なく、明治五年頃から大して散髪(ざんぱつ)が出来ましたが、それでも朝臣(ちょうしん)した者は早く頭髪(あたま)を勧められて散髪(ざんぎり)に成立(なりたて)でございますが、また散髪に成って見ますると、この撫付けた姿を見せたいと、惚れている女には尚変った所が見せたく、黒の羽織に白縮緬(しろちりめん)の兵児帯(へこおび)で格子の外へ立ち、家(うち)の中を覗(のぞ)きながら小声にて、
庄「美代ちゃん宅(うち)かえ」
 と声を掛けると、美代吉は庄三郎の事ばかり思っています処へ、想う男に声を掛けられ、飛立つばかりいそ/\しながら、
美「あい」
 と立上るを引き止め
婆「何だよ、お止しよ、お前お客様が来て入らっしゃる処で、藤川さんだろう、止しなよ、お客様が入らっしゃるから余計な事を云いなさんなよ、出なくっても宜(い)いんだアね」
新「お母さん宜(い)いじゃアないか、前に贔屓で呼んでくれたお客なれば、今美代ちゃんを請出せば私(わし)の妹分にも為(し)ようと思っている、その妹を贔屓にしてくれたお客なら私もお近付になりたいから、お上げ申した方が宜(よ)い」
 美代吉は逢いたいと思う処へこう云われたから、
美「はい」
 と直(すぐ)に二畳の上(あが)り口へ出て来まして、障子を開けるとて格子の外に立って居まする庄三郎を見て、莞爾(にっこ)と笑いながら、
美「おや宜くおいでなさいました」
庄「今日はね、少しお前に悦ばせようと思って来ました。」
美「余(あん)まりおいでなさらんから何うなすったかと思ってましたよ」
庄「なにね深川の方の知己(ちき)の処に蟄息して居たが、遠州(えんしゅう)の親族の者が立帰って来て、何か商法を始めようと思うのだ、それに就いて蠣売町(かきがらちょう)に宜(よ)い家(うち)が有るから、その家を宿賃で借(かり)る積(つもり)で、品は送ってくれると云うから、その家で葉茶屋(はぢゃや)を始める事になったので、実は母親(おふくろ)に打明(ぶちあ)けました、云い難(にく)かったが思い切って、実は斯々(これ/\)の芸妓が有りますが、あれは腹から芸人じゃア無い事は会津藩の斯々という者の娘でと、すっかりお前の身の上を明した処が、そういう身柄の者なら宜しい、何うせ一人嫁を貰わなければならんから、早く儲けて金が出来たら、お前を貰うように約束して置くが宜(い)いとまでの話になったから、お前に悦ばせようと思って来たのさ」
美「それはまア嬉しい事……種々(いろ/\)お話も有りますから、ちょいとお上んなさいよ」
庄「お客かえ」
美「なに私(わちき)のお父さんと心安い人なんで、四五|度(たび)私を呼んでくれた人ですが、宅(うち)のお母さんと近付に成りたいって来てえるんですよ」
 奥から声を掛けまして、
新「何方(どなた)ですか此方(こちら)へお上りなさい、お客でも何でも有りませんよ、親類のもので………おい師匠お前ちょいと彼(あ)のお方を此方(こっち)へ」
三「へえ……先(まず)此方(こちら)へお上りなさいまし、一切親類付合で、今ちょいとお酒が始まった処で、これから美代ちゃんのお兄(あにい)さまになるお方で、へゝゝ何うぞ此方へ入らっしゃいまし…………へえ何うも是は玉柄(たまがら)で、このくらいなステッキは有りませんな、何うも一切違いやすね…………さア此方へ/\」
庄「はい何方も暫く………えーお母(っか)ア誠に御無沙汰をしましたが、少し訳が有って深川の方に引込(ひっこ)んでいたので、存じながら御無沙汰になりましたが、今ちょいと御近辺まで参ったから、お訪ね申しましたが、生憎(あいにく)な処へ来てお邪魔をしました」
婆「えゝお茶を上げな……あなたにも此の娘(こ)が度々(たび/\)御贔屓で呼んでおくれなすった事も有りますが、明後日(あさって)から美代吉は宅(うち)にいませんよ、こゝに入らっしゃいます美土代町の洋物屋(とうぶつや)の旦那様が身請をして下さいますので、こんな子供の様なものでございますけれ共、可愛がって身請して下さり、大金を出して引かして下さるので、貴方のような何(なん)じゃ有りませんが、随分中には風(ふう)の悪いお客が、玉(ぎょく)の五つ六つも附けて祝儀の少しも出すとね、上手(うわて)へでも連出して色男振って、ほんとにあなた然うじゃア有りませんか、私も心配した事も有りますよ、明後日からおいでなすった処が婆アばかりで面白くも何とも有りませんよ」
 と云い放たれ、庄三郎顔の色を変え、
庄「むゝ左様(そう)か…」
 と云ったぎり、ぐいと癇癖(かんぺき)に障りました、これが奧州屋新助の大難と相成ります。

        三

 藤川庄三郎は、あれ程深く云い交して置きながら、身請をされるというに今まで一言の言葉もなく、手紙一本送らんで、無沙汰に身請をされるというは不実な女だと思いますと、そこは旗下の若様だけ腹に据兼(すえか)ね、ぐいと込上げて来ると額(ひたえ)に青筋が二本|許(ばか)り出まして、唇がぶる/\震え出し、顔の色を少し変え、息遣いも荒く、
庄「お母(っか)ア、何も然(そ)んなに云わないでも宜(い)い、余(あん)まり久しく無沙汰になったから訪ねたのだが、お客様が入らっしってお邪魔になったら帰りますよ、何も然んなに薄情な事を云わないでも宜い……美代吉お前(めえ)が身請になる事は少しも知らなかったが恐悦だねえ」
美「あれさ身請たって、まだ今話があったばかりで決りもしないのに、あんな事を云って」
庄「なに宜しい、まことに恐悦だ、洋物屋(とうぶつや)だか乾物屋だか知らねえが、誠に結構だ……何方(どなた)も甚だ失敬」
新「まア宜しいじゃアございませんか、お母(っかあ)の云いようが悪いから誰でも怒(おこ)らア、美代吉|種々(いろ/\)是には話の有る事だから、後で私(わし)から話をするから、お前往ってあの方の機嫌を直して帰すが宜(い)い」
美「はい/\」
 とおど/\しながら庄三郎の出かゝる上り口まで参りまして、
美「ちょいと藤川さん」
庄「なぜ出て来た」
美「出て来たって今身請の話が始まったばかりで、何だか訳も解らないのに、あんな事を云って、色でも恋でも有りゃアしませんよ、私(わちき)のお父さんを歌俳諧の交際(つきあい)で知って居るから、身請をして妹分にして、松山の姓を立てさせて遣り度いって今話があったばかりなんですのに、気前(きぜん)を悪くして腹を立ってはいけませんよ」
庄「なに僕は悪い処(とこ)へ来ましたよ、他の芸妓と違ってお前は会津藩でも大禄(たいろく)を取った人の娘だから、よもや己を騙(だま)すような事は有るまいと思ったから、一昨日(おとゝい)母にも親族にも打明(ぶちあ)けたのは僕が過(あや)まりました、お前はよく今まで己を騙したね」
美「騙す訳も何も無いんです、今急に身請の話が出たのですもの」
庄「身請に成るなら本当に手紙一本位よこしてもいゝんだ、もう親族にまで打明(うちあ)け、此方(こっち)で身請をしようという話がつけば何(ど)の位金を出すか知れんが、手前(てまい)だって親族も有るからそれだけに為(し)ねえことはない」
婆「何だえ、その音は、何うしたんだえ、そんなに機嫌を取るから悪いんだ、機嫌を取りゃア宜(い)い気になって、色男振りやアがって、人の家(うち)の娘を打(ぶ)ったり叩いたりしやアがる、全体おかしな奴だ、他人(ひと)の家へつか/\這入(へい)って、お茶ア飲んで菓子を喰倒しやアがって、ほんとに風の悪い奴だ」
新「師匠美代ちゃんが泣いて居るから見て遣んなよ、お母の云いようも悪い」
三「旦那心配なさいますな、彼(あれ)じゃアちょいとグーッとちん/\が込上(こみあ)げて来ます、ぽかりとステッキで打(ぶ)ったんでげすが、本当に素敵(すてっき)もないことで」
新「ムン何んだ洒落どこじゃアねえ……美代ちゃん泣いたって仕様がない、こゝへお出で、泣かないでも宜(い)い/\、藤川さんだろう、聴いて知って居るから後で兄(にい)さんが挨拶を……今から兄さんと云うのは可笑しいが、会って話をすれば、屹度藤川さんの心持も解けようから」
婆「なに宜(い)い、あんな者に上手(じょうず)を遣(つか)うからいけねえ……あなた本当に此の娘(こ)はお客の前へ出るとはら/\する性質(たち)でいけません、あんな小悪(こにく)らしいぎす/\した奴は有りません」
新「お母さんの云いようも悪かったよ……お前(めえ)泣いたりしちゃアいけない、ムウ大層降出して来たな、雨の音が聞えるが、こいつア困ったな。浜まで明日(あした)往(い)くにしても、帰らなければ都合が悪いから、人力を一挺|云附(いいつ)けておくれな」
婆「はい……併(しか)しまア宜(よ)いじゃア有りませんか」
新「いや少し頼まれた事も有るので、是非浜へ往って買物を為(し)なければならんから」
婆「然(そ)うでございますか、それじゃアはるや、大急ぎで車を誂(あつら)えなよ、仕立は高いから四つ角へ往って綺麗そうな車を見つけて来な、幌(ほろ)の漏らないようなのを、大急ぎで早く往って来な」
下女「はい/\」
 と下女有松屋と云うぶら提灯を提(さ)げて人力を雇いに往(い)きますと、向うからがた/\帰り車と見えて引いて参るを見付け、
下「ちょいと車屋さん/\」
車夫「へい」
下女「あの神田の美土代町まで幾許(いくら)だえ」
車夫「へい一朱と二百で」
下女「高いよ、そんな事を云ったッて余(あん)まり高いよ」
車夫「高いたって降って来ましたから」
下女「降って来たって、お負けよ、一朱ぐらいに」
車夫「ヘエ何うでも宜うございます」
 とフランケットを身体に巻附け、ずぶ濡になっている車夫が、下女の後からびしょ/\附いてまいる所を、藤川庄三郎は丁字風呂(ちょうじぶろ)の蔭に隠れていたは、愚痴な女に男の未練で、腹立紛れに美代吉を打(ぶ)ん殴って出たが、まだ腹が癒えず、何うも身請をされては男の一|分(ぶん)が立たんと、旧(もと)の士族さんの心が出ましたから、小蔭に隠れて様子を立聞くと、奧州屋新助が美土代町へ帰るようだから。
庄「ムウ彼奴(あいつ)が美土代町へ帰るならば宜しいたゞア置くものか」
 と煙管筒(きせるづゝ)に合口(あいくち)を仕込んだのを持って居ます。今新助が車に乗る様子を見ていると、表までどろ/\送り出し
皆々「左様ならば、左様ならば」
婆「何うぞ明後日(あさって)はお待ち申して居りますが、何時頃(なんどきごろ)おいでになりますか」
新「二時頃には来る積りだよ」
婆「是非おいでを……ちゃんと掃除をして置きまして、皆(みんな)子供たちにも話を致して置きます、左様ならば御機嫌宜しゅう……車夫(くるまや)さん気を附けて成りったけ早くお頼み申しますよ」
車夫「早くたって歩くだけにしか歩けません」
婆「人の悪い車夫だよ、ぶら/\歩かれちゃア仕様がない」
車夫「そんなに急がなくっても車が廻るから自然(ひとりで)に往(い)かれるんで」
婆「それじゃア車を引くのじゃアない、車に引かれて往(ゆ)くのだ」
新「そんな野暮なことを云うな……ムーン破けてるひどい前掛だなア、愛敬の無(ね)え車夫だね……車夫さん幌は漏りゃアしないか」
車夫「大丈夫で」
 と是から梶棒の先を掴まえて慣れない奴が持上げて、ごろ/\引出したが、何うも思うように走りません。
車夫「はい/\」
 幾らか頂戴したら早く引きますと云わぬばかりに故意(わざ)と鈍(のろ)く引出し、天神の中坂下(なかざかした)を突当って、妻恋坂(つまごいざか)を曲って万世橋(よろずばし)から美土代町へ掛る道へ先廻りをして、藤川庄三郎は、妻恋坂下一万石の建部内匠頭(たてべたくみのかみ)というお大名が有ります、その長家(ながや)の下に待って居ましたが、只今と違ってお巡りさんという御役が有りません、邏卒(らそつ)とか云って時々廻る方(かた)が有った時分で、雨はどっと降出して来ましたから、往来はぱったり止って淋しい秋の雨で、どん/\降る中をのた/\やってまいる所を、待伏(まちぶせ)をして居りました庄三郎が、いきなり飛出して提灯を斬って落す。
車夫「あッ」
 と梶棒を放して車夫(くるまや)が前へのめったから、急に車の中から出られません、車夫は逃げようとして足を梶棒に引掛(ひっか)け、建部の溝(みぞ)の中へ転がり落ちる。庄三郎は短刀を振翳(ふりかざ)し、
庄「覚えたか」
 と突掛けて来ますると、覗(ねら)い違(たが)わず奧州屋新助の脇腹へ合口を突き通すという一時(いちじ)に手違いになりますお話でございます、一寸(ちょっと)一息継ぎまして後(あと)を申上げましょう。

        四

 えいさて私(わたくし)は夏休みの中(うち)、相州(そうしゅう)箱根から京阪の方へ廻って、久しゅう筆記を休んで居りましたが、申続きの美代吉庄三郎の身の上、奧州屋新助の事が大分に後(あと)が残って居りますこれは明治四年のお話でございます。明治四五年頃は御案内通り頓と未だ開けない世の中では有りますが、漸(ようや)くに明治五年に此の散髪(さんぱつ)が流行(はや)りまして、頭を刈る時にも厭がって年を老(と)った人などが「何うか切りたく無い、切るくらいなら、寧(いっ)そぐり/\と剃(そり)こぽって坊主になった方が善(よ)かろう」それを取ッ攫(つか)まえて無理に切るなぞという、実に厭がりましたものであります。ところが只今では切らんければ恥のような訳で、実に昔切り立てには何故いやな彼(あ)んな頭をするか、厭らしい延喜(えんぎ)のわりい、とよく笑いましたものであったが、散髪(ざんぎり)が縁起が悪い頭だか、野郎頭の方が縁起が悪いのかとんと分りませんが、先達(せんだっ)て博識(ものしり)の方に聞いたら、前を剃りましたのは首実検の為に剃ったので、大将首実検いたさするに指を髻(もとゞり)に三本入れた時に(右の手にて攫む)斯(こ)う髻を取って大将の前に備える時に死顔(しにがお)が柔かに見える、前が剃って有ると又|髻(たぶさ)を掴(つか)むにも掴み易いと云うので、前髪(まえ)を剃上げて見せたということだから、以前(せん)の頭は余(あんま)り縁起の好(よ)い頭じゃアございません、首実検のための頭だと云います、それから追々剃りまして糸鬢奴(いとびんやっこ)が出来ましたが、清元本多(きよもとほんだ)と申して幇間(たいこもち)やなんかは石垣蜻蛉(とんぼ)の止ったような頭に結いましたもの、只今では散髪(ざんぎり)に成ったから、風(ふう)の変え様が有りませんが、此方(こちら)(右)に曲(まげ)るとか、或(あるい)は左の方に撫付けたが宜かろう、中央(まんなか)から取って矮鶏(ちゃぼ)の尾(おしり)の様な形(なり)に致して粋(すい)だという、團十郎刈(だんじゅうろうがり)が宜(よ)いとか五分刈(ごぶがり)が彼(あれ)が宜しいと、粋(いき)な様だが團十郎が致したから團十郎刈と云うと、大層名が善(よ)いが、よく/\見れば毬栗(いがぐり)坊主だから悪く云ったら仕方の無いもんだが、あれが流行(はやり)と成ると粋に見えます。今では前の方にばらりッと下(さが)ったのが流行ります、あれはまア乱れて下ったのかと思うと結髪床(かみいどこ)での誂(あつら)えです、西洋床の親方なんぞは最(も)う心得て居りますから、先方(むこう)から、
床「どの位に………」
客「前の方に五十六本」
 なんて申したって分りません、仮令(たとえ)長く下げまして、末には目の上にまで被(かぶ)さって、向うが見えないように成って、向うから人が来て、
甲「今日(こんち)は」
乙「へい(髪を両手にて掻上げ右左と顧(かえりみ)る)え、何方(どなた)です」
 なんてえ訳で、両方の手で分けて見たり何(なん)かするのは可笑(おか)しゅうございますが、其の頃は散髪(ざんぎり)に成っても洋服を召しても、未だ懐中(ふところ)には煙管筒(きせるづゝ)の様にして、合口の短刀一本ずつ呑んで居(お)ったもの、されば徳川の禄を食(は)んだ藤川庄三郎、ことには若様育ち、あれ程にまで云いかわし、惚れた美代吉を身請をされては何うも友達へ外聞が悪い、親や親戚に打明けて身請までにと思った処を他(た)へ買取られては一分(いちぶん)立たん………と云う血気にはやって分別も無く、妻恋坂下の建部内匠頭の窓下に待って居るとも知らぬ奧州屋新助が、十九ケ年振りで真実の妹(いもと)に遇(あ)い何うか身請をして松山の家を立てさせて、思う男の藤川庄三郎に添わしてやりたいと腹で種々(いろ/\)に考えて、明後日(あさって)は身請をする心持で車夫(しゃふ)を急がしても、車夫(くるまや)は成りたけのろ/\挽(ひ)いて、困ると酒手が出たらそれから早く挽こうという、辻車は始末にいかない。幌が少し破れて、雨がぽたり/\と漏ります。梶棒の尖端(とっさき)を持ってがた/\揺(ゆる)がせて、建部の屋敷裏手までまいると、藤川庄三郎曲り角の所から突然(だしぬけ)に車夫(しゃふ)の提灯を切って落した。車夫は驚いて、どーんと筋斗(もんどり)を打って溝の中へごろ/\と転がり落ちましたが、よい塩梅(あんばい)に車が反(かえ)りません、機(はず)みで梶棒が前に下りたから、前桐油(まえどうゆ)を突き破って片足踏み出すと、
庄「思い知ったか」
 と組附くように合口を持って突ッ掛りまして、ちょうど奧州屋新助の左の脇腹のところをぷつうりと貫いた。
新「うゝん」
 と云いさま、此方(こちら)も元は会津の藩中|松山次郎(まつやまきゅうじろう)…聊(いさゝ)か腕に覚(おぼえ)が有りまするから、庄三郎の片手を抑(おさ)えたなり、ずうンと前にのめり出し。
新「暫く/\逸(はや)まっちゃア成りませんぞ」
庄「なに宜く先程は失敬を致したな、一分(いちぶん)立たんから汝(てまい)を殺し、美代吉をも殺害(せつがい)して切腹いたす心得だ」
奧「暫く/\何うぞ………逸まった事をして下されたなア藤川氏……手前は美代吉の色恋に溺れて身請を致すのではござらん、美代吉の真実の兄で松山次郎と申す者でござるぞ」
庄「へい、なに松山…――美代吉の兄とはそれは又何ういう訳」
奧「フムそれは………まだ/\/\………あッあ斯(か)く成り行(ゆ)くは皆(みん)な不孝の罰(ばち)である……手前(てまい)二十四歳の折に放蕩無頼で、元の会津屋敷を出る折に、父が呆れて勘当を致す時に一首の歌を書いて、その短冊を此の久次郎に渡された………それより青森へ参って、北海道へ渡って、暫く函館地方に居ったが、時治まって横浜に出て参って只今では聊か活計の道を立て……これから僕も世に出ようという心得であった……先達(さきだっ)て五六|度(たび)呼んだ美代吉が、何となく温順(おとな)しやかな身柄の宜しい者である、武士の娘と云う事を聞いたが、時世(ときよ)とて芸者の勤め、皆な斯様に成り果てた者も多かろうと存じて………手前(てまえ)妹と知らず、贔屓にして五六度呼びました………すると美代吉はあなた様と深く云い交してある事を他(た)の芸者から聞きましたゆえ、何うぞして配(あ)わして遣りたいと、今日美代吉の宅(たく)へ参ってふと見たる屏風の貼交(はりま)ぜ、その短冊を見れば、父が勘当の折に書いてくれました自筆の……歌でございます……その短冊から段々問い合せますると、松山久馬の娘である、父も兄も相果て、母が病中斯様な処に這入って芸者を致すとの物語を聞き、あゝ己は不孝で、二十四歳の折家出をして、両親(ふたおや)に聊かも報恩(おんがえし)を致さんで、年はもいかぬ女の身で斯様の処へ這入って芸者を致して居(い)るか、如何にも不便(ふびん)な事であると存じました故に、何うぞ美代吉を身請致して別家を為し、松山名跡(みょうせき)を立てさせたい、殊(こと)には貴方様と何うか御相談の上で、不束(ふつゝか)な妹では有るが、女房(にょうぼ)に持って貰いたいと存じて、今日(こんにち)身請を致し、明後日(みょうごにち)は貴方様をお招き申して、何うぞ妹の身の上をも善(よ)きに願おうと心得て居ったところが、貴方様がお出でになっても、有松屋の婆(ばゝあ)が居(お)るから何一つ御相談出来無い、貴方が思い違いを致して御腹立(ごふくりゅう)でお帰りの時も、私(わし)は心配して居ったが、まさか手前に、はアッはア………斯様な荒々しい事をなさろうとは思わなかった………併(しか)しそれ程までに妹を思召(おぼしめ)して下さる御心底(ごしんてい)はアッはア……誠に忝(かたじ)けない、手前(てまい)此処(こゝ)に金円(きんえん)を所持して居(お)る……此の五百円の金を差上げるから、わが亡(な)い後(あと)に妹をお身請なされて、他(ほか)に親戚(みより)兄弟も無い奴と何うかお見捨て無くはアッはア……末々まで女房に持って遣って下さるように願いたい、こゝに金(きん)が有るからお渡し申す……エお分りに成りましたか」
 聞く事ごとに庄三郎、
庄「はあア左様な事で有ったか」
 と。只茫然といたして、どっどと降る中にべた/\/\と坐った。
庄「左様とは心得ませんで……どうも誠に失敬(失敬たって殺しちまっては間に合いませんねえ)何うかお助かりは……」
奧「えいや助からん」
 と苦しい中で懐から金(かね)を取り出し、
新「……五百円、それに此の金側(きんがわ)の時計も別して記(しるし)のある訳でない、お持料(もちりょう)になされて下さい、他(ほか)の物は記が有りますから………此処にあなた様が居ると、もし夜廻りの者が参っては相成りませんから、お早く往って、何うぞ早く往って下さい……急にお身請になると感付かれると成りません、一二ケ月経ってからでございますぜ、お早く/\」
 早く/\という声も最う息も急(せわ)しゅうなりまする様子。此の頃は巡査という役もございませんけれども折々は邏卒という者が廻りました時分で、雨は降りますけれども妻恋坂下、何う成るか此方(こちら)も怖いのに心急(こゝろせ)くから、其の儘に藤川庄三郎は、五百円と時計と持って御成街道(おなりかいどう)の方(かた)に参りますと、見送った新助は血(のり)に染ったなりひょろ/\出て、向うの中坂下(なかざかした)について、あの細い横町(よこちょう)の方(ほう)に参り、庄三郎に突かれたなり右の手を持ち添えて、左から一文字にぐうッと掛けて切った、此方(こっち)(左)の疵口(きずぐち)から逆に右の方へ一つ掻切(かっき)って置いて、気丈な新助、咽喉(のど)を一つぷつうりと突いて倒れました。左様なことは些(ちっ)とも知りませんのは奧州屋新助の女房、昨夜(ゆうべ)は新助が帰らんと云うので、
女「旦那さまがお帰りが無いから、早くお前店を開けて、万事気を附けておくれ」
 福松(ふくまつ)という店を預かっている若者が指図をして、店の飾り附をして居ると、門口へ来ました男は穢(きた)ないとも穢なく無いとも、ぼろ/\とした汚れ切った毛布(けっとう)を巻き附けて、紋羽(もんぱ)の綿頭巾を被って、千草(ちくさ)の汚れた半股引を穿(は)き、泥足|草鞋穿(わらじばき)の儘|洋物屋(とうぶつや)の上(あが)り端(はな)に来て、
男「御免を蒙(こう)むる」
福「今|其処(そこ)へ来ちゃアいけない…来ちゃアいけない……今店を出す処だに、何だい」
男「何だって人間だい」
福「冗談云うねえ、今店を明けたばかりの処で其処へ突立(つッた)って邪魔して居ちゃアいかん、何だア銭貰い
男「失敬極まる事をいうな……これ銭貰いとは何だ


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