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松江印象記 - 芥川 竜之介 ( あくたがわ りゅうのすけ )

  • 宅X3901◇ゼンリン住宅地図 島根県(東部)9冊◇松江市他
  • 初版★松江に於ける小泉八雲★八雲会★昭和5
  • [公有財産]大規模緑地公園に隣接する一団の住宅地 「松江厚...
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芥川龍之介        一  松江へ来て、まず自分の心をひいたものは、この市(まち)を縦横(じゅうおう)に貫いている川の水とその川の上に架(か)けられた多くの木造の橋とであった。河流の多い都市はひとり松江のみではない。しかし、そういう都市の水は、自分の知っている限りでたいていはそこに架けられた橋梁(きょうりょう)によって少からず、その美しさを殺(そ)がれていた。なぜといえば、その都市の人々は必ずその川の流れに第三流の櫛形(くしがた)鉄橋を架けてしかもその醜い鉄橋を彼らの得意なものの一つに数えていたからである。自分はこの間(かん)にあって愛すべき木造橋梁松江のあらゆる川の上に見いだしえたことをうれしく思う。ことにその橋の二、三が古日本版画家によって、しばしばその構図に利用せられた青銅擬宝珠(ぎぼうし)をもって主要なる装飾としていた一事は自分をしていよいよ深くこれらの橋梁を愛せしめた。松江へ着いた日の薄暮雨にぬれて光る大橋擬宝珠を、灰色を帯びた緑の水の上に望みえたなつかしさは事新しくここに書きたてるまでもない。これらの木橋(もくきょう)を有する松江に比して、朱塗りの神橋に隣るべく、醜悪なる鉄のつり橋を架けた日光町民の愚は、誠にわらうべきものがある。
 橋梁に次いで、自分の心をとらえたものは千鳥城の天主閣であった。天主閣はその名の示すがごとく、天主教の渡来とともに、はるばる南蛮から輸入された西洋築城術の産物であるが、自分たちの祖先の驚くべき同化力は、ほとんど何人(なんぴと)もこれに対してエキゾティックな興味を感じえないまでに、その屋根と壁とをことごとく日本化し去ったのである。寺院堂塔王朝時代建築代表するように、封建時代表象すべき建築物を求めるとしたら天主閣を除いて自分たちは何を見いだすことができるだろう。しかも明治維新とともに生まれた卑しむべき新文明の実利主義全国にわたって、この大いなる中世の城楼を、なんの容赦もなく破壊した。自分は、不忍池(しのばずのいけ)を埋めて家屋建築しようという論者をさえ生んだわらうべき時代思想を考えると、この破壊もただ微笑をもって許さなければならないと思っている。なぜといえば、天主閣は、明治の新政府参与した薩長土肥(さっちょうどひ)の足軽(あしがる)輩に理解せらるべく、あまりに大いなる芸術作品であるからである。今日に至るまで、これらの幼稚なる偶像破壊者(アイコノクラスト)の手を免がれて、記憶すべき日本騎士時代後世に伝えんとする天主閣の数は、わずかに十指を屈するのほかに出ない。自分はその一つにこの千鳥城の天主閣を数えうることを、松江の人々のために心から祝したいと思う。そうして蘆(あし)と藺(い)との茂る濠(ほり)を見おろして、かすかな夕日の光にぬらされながら、かいつぶり鳴く水に寂しい白壁の影を落している、あの天主閣の高い屋根がわらがいつまでも、地に落ちないように祈りたいと思う。
 しかし、松江の市(まち)が自分に与えたものは満足ばかりではない。自分天主閣を仰ぐとともに「松平直政(まつだいらなおまさ)公銅像建設之地」と書いた大きな棒(ぼう)ぐいを見ないわけにはゆかなかった。否、ひとり、棒ぐいのみではない。そのかたわらの鉄網(かなあみ)張りの小屋の中に古色を帯びた幾面かのうつくしい青銅の鏡が、銅像鋳造材料として積み重ねてあるのも見ないわけにはゆかなかった。梵鐘(ぼんしょう)をもって大砲を鋳(い)たのも、危急の際にはやむをえないことかもしれない。しかし泰平の時代に好んで、愛すべき過去美術品破壊する必要がどこにあろう。ましてその目的は、芸術価値において卑しかるべき区々たる小銅像建設にあるのではないか。自分はさらに同じような非難を嫁が島の防波工事にも加えることを禁じえない。防波工事目的が、波浪の害を防いで嫁が島の風趣を保存せしめるためであるとすれば、かくのごとき無細工な石がきの築造は、その風趣を害する点において、まさしく当初の目的矛盾するものである。「一幅淞波(いっぷくのしょうは)誰剪取(たれかせんしゅせん) 春潮痕(しゅんちょうのあとは)似嫁時衣(にたりかじのい)」とうたった詩人|石※(せきたい)翁をしてあの臼(うす)を連ねたような石がきを見せしめたら、はたしてなんと言うであろう。
 自分松江に対して同情と反感と二つながら感じている。ただ、幸いにしてこの市(まち)の川の水は、いっさいの反感に打勝つほど、強い愛惜(あいじゃく)を自分の心に喚起してくれるのである。松江の川についてはまた、この稿を次ぐ機会を待って語ろうと思う。

       二

 自分が前に推賞した橋梁天主閣とは二つながら過去の産物である。しかし自分がこれらのものを愛好するゆえんはけっして単にそれが過去に属するからのみではない。いわゆる「寂(さ)び」というような偶然的な属性を除き去っても、なおこれらのものがその芸術価値において、没却すべからざる特質を有しているからである。このゆえに自分はひとり天主閣にとどまらず松江の市内に散在する多くの神社と梵刹(ぼんさつ)とを愛するとともに(ことに月照寺における松平家廟所(びょうしょ)と天倫寺の禅院とは最も自分の興味をひいたものであった)新たな建築物の増加をもけっして忌憚(きたん)しようとは思っていない。不幸にして自分城山(じょうざん)の公園に建てられた光栄ある興雲閣に対しては索莫(さくばく)たる嫌悪(けんお)の情以外になにものも感ずることはできないが、農工銀行をはじめ、二、三の新たなる建築物に対してはむしろその効果(メリット)において認むべきものが少くないと思っている。
 全国都市の多くはことごとくその発達規範東京ないし大阪に求めている。しかし東京ないし大阪のごとくになるということは、必ずしもこれらの都市が踏んだと同一な発達の径路によるということではない。否むしろ先達(せんだつ)たる大都市が十年にして達しえた水準へ五年にして達しうるのが後進たる小都市の特権である。東京市民が現に腐心しつつあるものは、しばしば外国旅客に嗤笑(ししょう)せらるる小人(ピグミイ)の銅像建設することでもない。ペンキと電灯とをもって広告と称する下等なる装飾を試みることでもない。ただ道路の整理と建築改善とそして街樹の養成とである。自分はこの点において、松江市は他のいずれの都市よりもすぐれた便宜を持っていはしないかと思う。堀割に沿うて造られた街衢(がいく)の井然(せいぜん)たることは、松江へはいるとともにまず自分を驚かしたものの一つである。しかも処々に散見する白楊(ポプラア)の立樹は、いかに深くこの幽鬱(ゆううつ)な落葉樹水郷の土と空気とに親しみを持っているかを語っている。そして最後建築物に関しても、松江はその窓と壁と露台(バルコン)とをより美しくながめしむべき大いなる天恵――ヴェネティアをしてヴェネティアたらしむる水を有している。
 松江はほとんど、海を除いて「あらゆる水」を持っている。椿(つばき)が濃い紅(くれない)の実をつづる下に暗くよどんでいる濠(ほり)の水から、灘門(なだもん)の外に動くともなく動いてゆく柳の葉のように青い川の水になって、なめらかなガラス板のような光沢のある、どことなく LIFELIKE な湖水の水に変わるまで、水は松江を縦横に貫流して、その光と影との限りない調和を示しながら、随所に空と家とその間に飛びかう燕(つばくら)の影とを映して、絶えずものういつぶやきをここに住む人間の耳に伝えつつあるのである。この水を利用して、いわゆる水辺建築企画するとしたら、おそらくアアサア・シマンズの歌ったように「水に浮ぶ睡蓮(すいれん)の花のような」美しい都市が造られることであろう。水と建築とはこの町に住む人々の常に顧慮すべき密接なる関係にたっているのである。けっして調和を一松崎水亭にのみゆだぬべきものではない。


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