板ばさみ - チリコフ オイゲン ( チリコフ オイゲン )
オイゲン・チリコフ Evgenii Nikolaevich Chirikov
森林太郎訳
プラトン・アレクセエヰツチユ・セレダは床の中でぢつとしてゐる。死んでゐるかと思はれる程である。鼻は尖つて、干からびた顔の皮は紙のやうになつて、深く陥つた、周囲(まはり)の輪廓のはつきりしてゐる眼窩(がんくわ)は、上下(うえした)の瞼が合はないので、狭い隙間を露(あらは)してゐる。その隙間から、これが死だと云ふやうに、濁つた、どろんとした、硝子(ガラス)めいた眼球(めだま)が見える。
室内は殆ど真暗である。薄板を繋いだ簾(すだれ)が卸してあるので、そこから漏れて来る日の光が、琥珀のやうな黄を帯びて、一種病的な色をしてゐる。人を悲しませて、同時に人を興奮させる色である。暗い片隅には、聖像の前に燈明が上げてある。このちら/\する赤い火があるために、部屋が寺院にある龕(がん)か、遺骨を納める石窟かと思はれる。
黒い服を着た、痩せた貴婦人が、苦痛を刻み附けられた顔をして、抜足をして、出たり這入つたりする。これが病人の妻グラフイラ・イワノフナである。女は耳を澄まして、病人の寐息を開く。それから仰向いて、燈明の小さい星のやうに照つてゐる奥の聖像を見る。それから痩せて、骨ばかりになつてゐる両手で、胸をしつかり押へて、唇を微かに動かす。
折々は大学の制服を着た青年が一人、不安らしい顔をして来て、二三分間閾の上に立つて、中の様子を窺つてゐて、頭を項垂(うなだ)れて行つてしまふ。
こん度来たのは、脚の苧殻(をがら)のやうに細い、六歳の娘である。お父うさんを見ようと云ふので、抜足をして、そつと病人の足の処まで来て、横目で見た。常は慈愛、温厚、歓喜の色を湛へてゐた父の目が、例の※(まぶた)の隙間から、異様に光つてゐるのを見て、娘は本能的に恐怖心を発した。そしてニノチユカの小さい胸は波立つた。ニノチユカは跡から追ひ掛けられるやうに、暗い室から座鋪(ざしき)へ出た。そこには冬の朝の寒い日が明るく照つてゐて、黄いろいカナリア鳥が面白げに、声高く啼いてゐて、もうこはくもなんともなくなつた。
「お父うさんはまだお目が醒めないかい。」と、母が問うた。
「いゝえ。」
「もう一遍行つて見てお出。」
「こはいわ。お父うさんがこはい顔をしてゐるのだもの。」おもちやにしてゐた毬の手を停めてかう云つたとき、娘の顔は急に真面目になつて、おつ母さんそつくりに見えた。
「馬鹿な事をお言ひなさい。」
「だつて、お父うさんの目丈があたいを見てゐて、お父うさんは動かずにゐるの。」
子供のかう云ふのを聞いて涙ぐんだので、母は顔を背(そむ)けた。娘はもう父の事を忘れてしまつてゴム毬を衝いてゐる。
午後一時頃に、門口のベルがあら/\しい音を立てた。誰も彼も足を爪立てて歩いて、小声で物を言つてゐる家の事だから、此音は不似合に、乱暴らしく、無情に響いた。グラフイラ夫人はびつくりして、手で耳を塞ぎさうにした。耳を塞いだら、ベルの方で乱暴をしたのを恥ぢて黙つてしまふだらうとでも思ふらしく、そんなそぶりをした。それから溜息を衝いて、玄関の戸を開けに立つた。来たのが医者だと云ふことは知つてゐるのである。併し学生が一足先きに出て、戸を開けた。
「先生です。」学生は隕星(ゐんせい)のやうに室内を、滑つて歩きながら、かう云つた。
学生は学士シメオン・グリゴリエヰツチユを信頼してゐる。学生の思ふには、今此家で抜足をせずに歩いて、声高に物を言つて、どうかすると笑つたり、笑談を言つたりすると云ふ権利を有してゐるものは、此学士ばかりである。
学士は玄関でさう/″\しい音をさせてゐる。ゴム沓(ぐつ)がぎい/\鳴る。咳払の音がする。それからいつもの落ち着いた、平気な、少々不遠慮な声で、かう云ふのが聞えた。
「どうですな。新聞に祟(たゝ)られた御病人は。」
「眠つてゐますが。
室内は殆ど真暗である。薄板を繋いだ簾(すだれ)が卸してあるので、そこから漏れて来る日の光が、琥珀のやうな黄を帯びて、一種病的な色をしてゐる。人を悲しませて、同時に人を興奮させる色である。暗い片隅には、聖像の前に燈明が上げてある。このちら/\する赤い火があるために、部屋が寺院にある龕(がん)か、遺骨を納める石窟かと思はれる。
黒い服を着た、痩せた貴婦人が、苦痛を刻み附けられた顔をして、抜足をして、出たり這入つたりする。これが病人の妻グラフイラ・イワノフナである。女は耳を澄まして、病人の寐息を開く。それから仰向いて、燈明の小さい星のやうに照つてゐる奥の聖像を見る。それから痩せて、骨ばかりになつてゐる両手で、胸をしつかり押へて、唇を微かに動かす。
折々は大学の制服を着た青年が一人、不安らしい顔をして来て、二三分間閾の上に立つて、中の様子を窺つてゐて、頭を項垂(うなだ)れて行つてしまふ。
こん度来たのは、脚の苧殻(をがら)のやうに細い、六歳の娘である。お父うさんを見ようと云ふので、抜足をして、そつと病人の足の処まで来て、横目で見た。常は慈愛、温厚、歓喜の色を湛へてゐた父の目が、例の※(まぶた)の隙間から、異様に光つてゐるのを見て、娘は本能的に恐怖心を発した。そしてニノチユカの小さい胸は波立つた。ニノチユカは跡から追ひ掛けられるやうに、暗い室から座鋪(ざしき)へ出た。そこには冬の朝の寒い日が明るく照つてゐて、黄いろいカナリア鳥が面白げに、声高く啼いてゐて、もうこはくもなんともなくなつた。
「お父うさんはまだお目が醒めないかい。」と、母が問うた。
「いゝえ。」
「もう一遍行つて見てお出。」
「こはいわ。お父うさんがこはい顔をしてゐるのだもの。」おもちやにしてゐた毬の手を停めてかう云つたとき、娘の顔は急に真面目になつて、おつ母さんそつくりに見えた。
「馬鹿な事をお言ひなさい。」
「だつて、お父うさんの目丈があたいを見てゐて、お父うさんは動かずにゐるの。」
子供のかう云ふのを聞いて涙ぐんだので、母は顔を背(そむ)けた。娘はもう父の事を忘れてしまつてゴム毬を衝いてゐる。
午後一時頃に、門口のベルがあら/\しい音を立てた。誰も彼も足を爪立てて歩いて、小声で物を言つてゐる家の事だから、此音は不似合に、乱暴らしく、無情に響いた。グラフイラ夫人はびつくりして、手で耳を塞ぎさうにした。耳を塞いだら、ベルの方で乱暴をしたのを恥ぢて黙つてしまふだらうとでも思ふらしく、そんなそぶりをした。それから溜息を衝いて、玄関の戸を開けに立つた。来たのが医者だと云ふことは知つてゐるのである。併し学生が一足先きに出て、戸を開けた。
「先生です。」学生は隕星(ゐんせい)のやうに室内を、滑つて歩きながら、かう云つた。
学生は学士シメオン・グリゴリエヰツチユを信頼してゐる。学生の思ふには、今此家で抜足をせずに歩いて、声高に物を言つて、どうかすると笑つたり、笑談を言つたりすると云ふ権利を有してゐるものは、此学士ばかりである。
学士は玄関でさう/″\しい音をさせてゐる。ゴム沓(ぐつ)がぎい/\鳴る。咳払の音がする。それからいつもの落ち着いた、平気な、少々不遠慮な声で、かう云ふのが聞えた。
「どうですな。新聞に祟(たゝ)られた御病人は。」
「眠つてゐますが。
チリコフ オイゲン (チリコフ オイゲン) 以外のオススメ作品
- 階段 - 海野 十三
- 半七捕物帳 09 春の雪解 - 岡本 綺堂
- 今度の出し物について - 岸田 国士
- 級長の願い - 小林 多喜二
- がちょうの たんじょうび - 新美 南吉
板ばさみ (いたばさみ) のリンク元
- [[Google]] オイゲンサヴァリッシュ
- http://jiqoo.jword.jp/search?q=%A5%B5%A5%E2%A5%F3%A5%CA%A5%A4%A5%C8%BE%AE%C0%E2%A5%EB%A5%A4%A5%BA&Language=all&page=2
- [[Google]] オイゲン 軍師
- [[biglobe]] ちりばさみ
- [[Google]] フアイアーエムブレム暁の女神小説
- [[Yahoo]] ファイアーエムブレム ミスト イラスト
- [[Yahoo]] 板きりばさみ
- [[Google]] 板ばさみ 強力
- [[Google]] 板ばさみ 物理
- [[Google]] ティーエ リチャード SS
「板ばさみ-チリコフ オイゲン」の関連ページ
-
◆ccqXAQxUxI - SRPGBR @ ウィキ - SRPGBR @ ウィキ
◆ccqXAQxUxI【執筆SS一覧】 013 作者さんタイトル入れて 朝 オイゲン、ガフガリオン【キャラクター登場率】 2/51(参加者) ティアリングサーガ 1/7 オイゲン -
右メニュー - SRPGBR @ ウィキ - SRPGBR @ ウィキ
更新履歴2010-01-09メニューリュナンオイゲン希望の先へと死を恐れぬ者ネスティそれぞれの思い2010-01-08お絵 -
桜庭春人 - スラムダンク原作限定強さ議論@ wiki - スラムダンク原作限定強さ議論@ wiki
2年 SG 186cm 72kg 超人気アイドルとして注目される一方で、バスケ選手としてはなかなか芽が出ず、理想と現実の板ばさみに悩んでいた。 進と -
マサラー - MapleStoryOnBrowser2@VIP - MapleStoryOnBrowser2@VIP
剣 140 35 40 彗星斬 260 26 100 大雪斬 240 15 70 雷撃剣 380 20 125 マッスル 140 35 40 板ばさみ -
リュナン - SRPGBR @ ウィキ - SRPGBR @ ウィキ
を復活させ自身に光臨させたグエンカオスを聖剣で打ち倒したあとは、相思相愛であったエンテことリーヴェ王国のメーヴェ王女をとある貴族との結婚式の中で、武力にモノをいわせて(笑)奪い取り、国王となった。オイゲンの計らいで、ホームズ達と船旅をしていた。【人称】 一人称→僕 -
竜崎 空子 - お前らが考えたキャラを立ち絵にするスレ @ ウィキ - お前らが考えたキャラを立ち絵にするスレ @ ウィキ
竜崎 空子 キャラ設定内容 名前 竜崎 空子 性別 女の子 設定 18歳。遥か昔、天空を支配していた竜族と人間とのハーフ。復活した竜族と人間との間で板ばさみになる。 性格 冷静 -
アークライズファンタジア - Ocarina用コードまとめwiki - Ocarina用コードまとめwiki
ブに反映されます キャラ 00ラルク 01リフィア 02サージュ 03オイゲン 04セシル 05レスリー 06アルス 07アデール 08ニコル 09クライド 0Aディノス 0Bアデール2 FF×4なし -- (名無 -
キャスト - テイルズ オブ グレイセス まとめwiki - テイルズ オブ グレイセス まとめwiki
大樹 - ダヴィド・パラディ (大統領) 石塚運昇 デール 矢田耕司 - エメロード 平田絵里子 オイゲン (総統) / ガリード・オズウェル 金尾哲夫 - コーネル 阪脩 カーツ・ベッ -
オイゲン - SRPGBR @ ウィキ - SRPGBR @ ウィキ
オイゲンラゼリア公国の軍師。グラナダを落ち延びたリュナンに守り役として付き従い、年若い騎士たちの指南役も務める。時折的外れに思える指摘を口にしたり、失言 -
連載 - 首塚-28q - 「都市伝説と戦う為に、都市伝説と契約した能力者達……」 - 「都市伝説と戦う為に、都市伝説と契約した能力者達……」
るみたちの統制が取れなくなっている …いや、これは 恐らく、支配者が変わったのだろう 着ぐるみは前支配者からの指令と今の支配者からの想いに板ばさみになり、苦しんでいる『…………て』 ゆっくりと 着ぐるみたちが、言葉を紡ぐ『こ ろ し て
