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柳原※[#「火へん+華」]子(白蓮) - 長谷川 時雨 ( はせがわ しぐれ )

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  • 柳原陽一郎(柳原幼一郎/たま) CD 長いお別れ 帯付
  • ★柳原陽一郎☆長いお別れ★柳原幼一郎☆廃盤★
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  • 山口瞳/梔子の花◆柳原良平・イラスト/初版帯
  • 電電公社:日本丸/柳原良平/帆船・Ⅲ:100度数・未使用
  • 開高健★フィッシュ・オン・世界釣り歩き・新潮文庫柳原良平
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柳原※子(白蓮)        一  ものの真相はなかなか小さな虫の生活でさえ究(きわ)められるものではない。人間人間との交渉など、どうして満足にそのすべてを見尽せよう。到底及びもつかないことだ。
 微妙な心の動きは、わが心の姿さえ、動揺のしやすくて、信実(まこと)は書きにくいのに、今日(こんにち)の問題の女史(ひと)をどうして書けよう。ほんの、わたしが知っている彼女の一小部分を――それとて、日常|傍(かたわ)らにある人の、片っぽの目が一分間見ていたよりも、知らなすぎるくらいなもので、毎朝彼女の目覚(めざめ)る軒端(のきば)にとまる小雀(こすずめ)のほうが、よっぽど起居を知っているともいえる。ただ、わたしの強味は、おなじ時代に、おなじ空気呼吸しているということだけだ。
 火の国筑紫(つくし)の女王白蓮(びゃくれん)と、誇らかな名をよばれ、いまは、府下中野の町の、細い小路のかたわらに、低い垣根と、粗雑な建具とをもった小屋(しょうおく)に暮している※子(あきこ)さんの室(へや)は、日差しは晴やかな家(うち)だが、垣の菊は霜にいたんで。古くなったタオルの手拭(てぬぐい)が、日当りの縁に幾本か干してあるのが、妙にこの女人(ひと)にそぐわない感じだ。
 面(おも)やせがして、一層美をそえた大きい眼、すんなりとした鼻、小さい口、鏝(こて)をあてた頭髪(かみ)の毛が、やや細ったのもいたいたしい。金紗(きんしゃ)お召の一つ綿入れに、長じゅばんの袖は紫友禅モスリン。五つ衣(ぎぬ)を剥(は)ぎ、金冠をもぎとった、爵位も金権も何もない裸体になっても、離れぬ美と才と、彼女の持つものだけをもって、粛然としている。黒い一閑張(いっかんばり)の机の上には、新らしい聖書が置かれてある。仏の道に行き、哲学を求め、いままた聖書に探(たず)ねるものはなにか――やがて妙諦(みょうてい)を得て、一切を公平に、偽りなく自叙伝に書かれたら、こんなものは入(い)らなくなる小記だ。
 ※子さんは、故伯爵|前光卿(さきみつきょう)を父とし、柳原二位のお局(つぼね)を伯母(おば)として生れた、現伯爵貴族院議員柳原義光氏の妹で、生母柳橋芸妓だということを、ずっと後(のち)に知った女(ひと)だ。夜会ばやり、舞踏ばやりの鹿鳴館(ろくめいかん)時代明治十八年に生れた。晩年こそ謹厳いやしくもされなかった大御所(おおごしょ)古稀庵(こきあん)老人でさえ、ダンス熱に夢中になって、山県の槍(やり)踊りの名さえ残した時代上流の俊髦(しゅんぼう)前光卿は沐猴(もくこう)の冠(かん)したのは違う大宮人(おおみやびと)の、温雅優麗な貴公子を父として、昔ならば后(きさき)がねともなり得(う)る藤原氏の姫君に、歌人としての才能をもって生れてきた。
 実家だと思っていたほど、可愛がられて育った、養家(さと)親の家(うち)は、品川漁師だった。その家でのびのびと育って年頃のあまり違わない兄や、姉のある実家に取られてから、漁師言葉あらくれたのも愛敬(あいきょう)に、愛されて、幸福に、華(はな)やいだ生涯の来るのを待っていたが、花ならばこれから咲こうとする十六の年に、暗い運命の一歩にふみだした。ういういしい花嫁|君(ぎみ)の行く道には、祝いの花がまかれないで、呪(のろ)いの手が開(ひろ)げられていたのか、京都|下加茂(しもがも)の北小路家へ迎えられるとほどもなく、男の子一人を産んで帰った。その十六の年の日記こそ、涙の綴(つづ)りの書出しであった。

 芸術の神は嫉妬(しっと)深いものだという。涙に裂くパンの味を知らない幸福なものには窺(うかが)い知れない殿堂だという。
 だが、※子さんは明治四十四年の春、廿七歳のとき、伯爵母堂とともに別居していた麻布|笄町(こうがいちょう)の別邸から、福岡炭鉱伊藤伝右衛門氏にとつぐまで、別段文芸に関心はもっていられなかったようだった。竹柏園(ちくはくえん)に通われたこともあったようだったが、ぬきんでた詠があるとはきかなかった。しかし、その結婚から、※子さんという美しい女性存在が世に知られて、物議をも醸(かも)した。それは、伝右衛門氏が五十二歳であるということや、無学な鉱夫あがりの成金(なりきん)だなぞということから、胡砂(こさ)ふく異境に嫁(とつ)いだ「王昭君(おうしょうくん)」のそれのように伝えられ、この結婚には、拾万円の仕度金が出たと、物質問題までが絡(から)んで、階級差別もまだはなはだしかったころなので、人身御供(ひとみごくう)だとまでいわれ、哀れまれたのだった。
 人身売買と、親戚(しんせき)補助とは、似ていて違っているが、犠牲心の動きか、強(し)いられたためか、父と子のような年のちがいや醜美はともかくとして、石炭掘りから仕上げて、字は読めても書けない金持ちと、伝統と血統を誇るお公卿(くげ)さまとの縁組みは、嫁(とつ)ぐ女(ひと)が若く美貌(びぼう)であればあるだけ、愛惜と同情とは、物語りをつくり、物質が影にあるとおもうのは余儀ないことで、それについて伯爵家からの弁明はきかなかった。
 だが、そのままでは、※子さんはありふれた家庭悲劇の女主人公になってしまう。甘んじて強いられた犠牲となったのかどうか。それは彼女の後日が生きて語ったではないか。

 この手紙は今年の春(大正十一年)中野隠れ家(が)からうけた一節で、

只今お手紙ありがたく拝見いたしました。実はわたくし、二、三日前からすこし気分がすぐれませんので床(とこ)についております。急に脈がむやみと多くなって、頭がいやあな気持ちになる、なんとも名のつけられない病気が時たま起りますので。でも今日大分(だいぶ)よろしゅう御座いますから、早速御返事申上げて置こうと、床の中での乱筆よろしく御判読願い上げます。(中略)仰せの通り世間のとかくの噂(うわさ)の中にはずい分、いやなと思う事もないでも御座いませんけど、これも致方(いたしかた)がないなり行きだと、今までもあまり気にかけたことも御座いません。

 私信の一部を公にしては悪いが、わたしの筆に幾万言を費(ついや)して現わそうとするよりも、この書簡の断片の方がどれだけ雄弁に語っているか知れない。はじめからそういうふうに冷淡に、噂(うわさ)を噂として聞流す女性はすくない。
 いつぞや九条武子(くじょうたけこ)さんと座談のおり、旅行のことからの話ついでに、

別府(べっぷ)には※(あき)さまの御別荘がおありですから、それはよろしう御座いますの。随分前から御一緒に行くお約束になっていて、やっと参りましたのよ。伊藤さんがお迎えながらいらっしゃるはずでしたところ、風邪(かぜ)をおひきになったって電報が来たものですから、※さまは急いでお帰りになりましたの。だから残念でしたわ。」

 語る人のあでやかな笑顔(えがお)。それよりも前に、わたしはかなり重く信用してよい人から、こういうふうにも聞いていた。

白蓮さんは伝右衛門氏のことを、此方(このかた)が、此方がといわれるので、何となく御主人へ対して気の毒な気がして返事がしにくかった。それに、あの人の歌は、どこまでが芸術で、どこまでが生活なのか――あの生活が嫌(いや)なのだとはどうしても思われない。

 手紙のことといい、武子さんの話の断片といい、この歌の評といい、突然なので、知らない読者には解しかねるであろうが、この間には、例の白蓮女史|失踪(しっそう)事件があり、彼女生活の豪華であったことが、知らぬものもないというほどであり、和歌集踏絵(ふみえ)』を出してから、その物語りめく美姫(びき)の情炎に、世人は魅せられていたからだ。
 この結婚は、無理だというのが公評になっていた。作品を通して眺めた夫人は、キリスト教徒のためされた、踏絵や、火刑よりも苦しい炮烙(ほうらく)の刑にいる。けれど試(ため)す人は、それほど惨虐な心を抱いているのではない。それどころか、宝として確(しっ)かりと握っていたのだとも思われる。


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