模倣と独立 - 夏目 漱石 ( なつめ そうせき )
今日は図(はか)らず御招きに預(あずか)りまして突然参上致しました次第でありますが、私は元この学校で育った者で、私にとってはこの学校は大分|縁故(えんこ)の深い学校であります。にもかかわらず、今日までこういう、即ち弁論部の御招待に預って、諸君の前に立った事は御座いませんでした。尤(もっと)も御依頼も御座いませんでした。また遣(や)る気もありませんでした。ただ今私を御紹介下さった速水(はやみ)君は知人であります。昔は御弟子で今は友達――いや友達以上の偉い人であります。しかし、知り合(あい)ではありますけれども、速水さんから頼まれた訳でもありません。今度私が此処(ここ)に現われたのは安倍能成(あべよししげ)という――これも偉い人で、やはり私の教えた人でありますが――その人が何でも弁論部の方と御懇意(ごこんい)だというので、その安倍能成君を通じての御依頼であります。その時私は実は御断りをしたかった。というのは、近来頭の具合が悪い。というよりも、頭の働き方がこういう所へ参って、組織立った御話をするに適しないようになっております。――一口に言えば、面倒臭(めんどうくさ)いので、一応は御断りを致したのであります。けれども私の断り方がよほど正直だったので、――是非遣らなければならないならば出るが、まあどうか許してもらいたい――こういう風に返辞をした。ところが是非遣らなければならんから出ろ、というのです。後から考えると、余り私が正直過ぎたと思います。尤(もっと)も、是非遣らなければならんというのはどういう訳だ、といって問い詰めるほどの問題でもありませんから、遣らなければならんものとして出て参りました。安倍君は君子であります。頼んだ事は引き受けさせようという方の君子。速水君も君子であります。これは頼まない方の君子、遠慮された方の君子でありますが。そういう訳で今日は出ましたので、演説をする前に言訳(いいわけ)がましい事をいうのは甚(はなは)だ卑怯なようでありますけれども、大して面白い事も御話は出来ないと思いますし、また問題があっても、学校の講義見たように秩序の立った御話は出来|兼(か)ねるだろうと思います。安倍君|曰(いわ)く、何を言ったって構いません、喜んで聴いているでしょう。
それに、私は此校(ここ)で教師をしていたことがあります。その時分の生徒は皆恐らく今|此所(ここ)には一人もいないでしょう、卒業したでしょうけれども、しかし貴方がたはその後裔(こうえい)といいますか、跡続(あとつ)ぎ見たような子分見たような者で、その親分をこの教場で度々|虐(いじ)めていた事などがあるから、その子か孫に当るような人などは何とも思っておらんので、チャンと準備をして出て来るほど旨(うま)く行かなかった。
私は教師としてこの学校に四年間おりました。のみならずその以前には、貴方がたのように、生徒としてこの学校に――何年間おりましたか知らん――落第したと思っちゃいけません。元々私は此所(ここ)へ這入(はい)って来たのじゃない。この学校が予備門といって丁度一ツ橋|外(そと)にありました。今の高等商業のある界隈(かいわい)一面がこの学校兼大学であった。明治十七年、貴方がたがまだ生れない先、私は其所(そこ)へ這入ったのです。それから――実は落第しております。落第して愚図愚図(ぐずぐず)している内にこの学校が出来た。この学校が出来て最も新らしい所へいの一番に乗り込んだ者は私――だけではないが、その一人は確かに私である。われわれの教室は本館の一番北の外(はず)れの、今食堂になっている、あそこにありました。文科の教室で。それが明治二十二年位でした。その時分の事を今の貴方がたに比べると、われわれ時代の書生というものは乱暴で、よほど不良少年という傾き――人によるとむしろ気概(きがい)があった。天下国家を以て任じて威張(いば)っておった。われわれの年配の人は、いつも今の若い者はというような事をいっては、自分たちの若い時が一番偉かったように思っているけれども、私はそうは思わない。今でもそうは思わない。貴方がたの前に立ってこうして御話をするときは、なおそう思わない。貴方がたの方がわれわれ時代の者よりよほど偉い。先刻(さっき)から偉い偉いということを速水君が言われましたが、貴方がたの方が遥(はる)かに大人(おとな)しい、能(よ)く出来ていると思います。われわれは実に乱暴であった。その悪戯(いたずら)の例はいくらもあります。それを御話するために此処へ登ったんじゃないが、如何にわれわれが悪かったかということを懺悔(ざんげ)するために御話するのであるから、その真似をしちゃいけませんよ。現に彼処(あすこ)に教場に先生の机がある。先ず私たちは時間の合間(あいま)合間に砂糖わりの豌豆豆(えんどうまめ)を買って来て教場の中で食べる。その豌豆豆が残るとその残った豌豆豆を先生の机の抽斗(ひきだし)の中に入れて置く。歴史の先生に長沢市蔵という人がいる。
それに、私は此校(ここ)で教師をしていたことがあります。その時分の生徒は皆恐らく今|此所(ここ)には一人もいないでしょう、卒業したでしょうけれども、しかし貴方がたはその後裔(こうえい)といいますか、跡続(あとつ)ぎ見たような子分見たような者で、その親分をこの教場で度々|虐(いじ)めていた事などがあるから、その子か孫に当るような人などは何とも思っておらんので、チャンと準備をして出て来るほど旨(うま)く行かなかった。
私は教師としてこの学校に四年間おりました。のみならずその以前には、貴方がたのように、生徒としてこの学校に――何年間おりましたか知らん――落第したと思っちゃいけません。元々私は此所(ここ)へ這入(はい)って来たのじゃない。この学校が予備門といって丁度一ツ橋|外(そと)にありました。今の高等商業のある界隈(かいわい)一面がこの学校兼大学であった。明治十七年、貴方がたがまだ生れない先、私は其所(そこ)へ這入ったのです。それから――実は落第しております。落第して愚図愚図(ぐずぐず)している内にこの学校が出来た。この学校が出来て最も新らしい所へいの一番に乗り込んだ者は私――だけではないが、その一人は確かに私である。われわれの教室は本館の一番北の外(はず)れの、今食堂になっている、あそこにありました。文科の教室で。それが明治二十二年位でした。その時分の事を今の貴方がたに比べると、われわれ時代の書生というものは乱暴で、よほど不良少年という傾き――人によるとむしろ気概(きがい)があった。天下国家を以て任じて威張(いば)っておった。われわれの年配の人は、いつも今の若い者はというような事をいっては、自分たちの若い時が一番偉かったように思っているけれども、私はそうは思わない。今でもそうは思わない。貴方がたの前に立ってこうして御話をするときは、なおそう思わない。貴方がたの方がわれわれ時代の者よりよほど偉い。先刻(さっき)から偉い偉いということを速水君が言われましたが、貴方がたの方が遥(はる)かに大人(おとな)しい、能(よ)く出来ていると思います。われわれは実に乱暴であった。その悪戯(いたずら)の例はいくらもあります。それを御話するために此処へ登ったんじゃないが、如何にわれわれが悪かったかということを懺悔(ざんげ)するために御話するのであるから、その真似をしちゃいけませんよ。現に彼処(あすこ)に教場に先生の机がある。先ず私たちは時間の合間(あいま)合間に砂糖わりの豌豆豆(えんどうまめ)を買って来て教場の中で食べる。その豌豆豆が残るとその残った豌豆豆を先生の机の抽斗(ひきだし)の中に入れて置く。歴史の先生に長沢市蔵という人がいる。
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