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橡の花 - 梶井 基次郎 ( かじい もとじろう )

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  • ▼ちくま文庫 梶井基次郎 / 梶井基次郎全集 全1巻 ▼
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橡(とち)の花 ――或る私信――   一  この頃の陰鬱な天候に弱らされていて手紙書く気にもなれませんでした。以前京都にいた頃は毎年のようにこの季節に肋膜(ろくまく)を悪くしたのですが、此方(こちら)へ来てからはそんなことはなくなりました。一つは酒類を飲まなくなったせいかも知れません。然しやはり精神が不健康になります。感心なことを云うと云ってあなたは笑うかも知れませんが、学校へ行くのが実に億劫(おっくう)でした。電車に乗ります。電車四十分かかるのです。気持が消極的になっているせいか、前に坐っている人が私の顔を見ているような気が常にします。それが私の独(ひと)り相撲だとは判っているのです。と云うのは、はじめは気がつきませんでしたが、まあ云えば私自身そんな視線を捜しているという工合なのです。何気ない眼附きをしようなど思うのが抑ゝ(そもそも)の苦しむもとです。
 また電車のなかの人に敵意とはゆかないまでも、棘々(とげとげ)しい心を持ちます。これもどうかすると変に人びとのアラを捜しているようになるのです。学生の間に流行(はや)っているらしい太いズボン、変にべたっとした赤靴。その他その他。私の弱った身体(からだ)にかなわないのはその悪趣味です。なにげなくやっているのだったら腹も立ちません。必要に迫られてのことだったら好意すら持てます。然しそうだとは決して思えないのです。浅はかな気がします。
 女の髪も段々|堪(たま)らないのが多くなりました。――あなたにお貸しした化物の本のなかに、こんな絵があったのを御存じですか。それは女のお化けです。顔はあたり前ですが、後頭部に――その部分がお化けなのです。貪婪(どんらん)な口を持っています。そして解(ほぐ)した髪の毛の先が触手の恰好に化けて、置いてある鉢から菓子をつかみ、その口へ持ってゆこうとしているのです。が、女はそれを知っているのか知らないのか、あたりまえの顔で前を向いています。――私はそれを見たときいやな気がしました。ところがこの頃の髪にはそれを思い出させるのがあります。わげがその口の形をしているのです。その絵に対する私の嫌悪(けんお)はこのわげを見てから急に強くなりました。
 こんなことを一々気にしていては窮屈で仕方がありません。然しそう思ってみても逃げられないことがあります。それは不快の一つの「型」です。反省が入れば入る程尚更その窮屈がオークワードになります。ある日こんなことがありました。やはり私の前に坐っていた婦人服装が、私の嫌悪誘い出しました。私は憎みました。致命的にやっつけてやりたい気がしました。そして効果的に恥を与え得る言葉を捜しました。ややあって私はそれに成功することが出来ました。然しそれは効果的に過ぎた言葉でした。やっつけるばかりでなく、恐らくそのシャアシャアした婦人を暗く不幸にせずにはおかないように思えました。私はそんな言葉を捜し出したとき、直ぐそれを相手に投げつける場面想像するのですが、この場合私にはそれが出来ませんでした。その婦人、その言葉。この二つの対立を考えただけでも既に惨酷でした。私のいら立った気持は段々冷えてゆきました。女の人の造作をとやかく思うのは男らしくないことだと思いました。もっと温かい心で見なければいけないと思いました。


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