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歌行灯 - 泉 鏡花 ( いずみ きょうか )

  • ■□ 泉鏡花 著 「歌行燈・高野聖」(新潮文庫)
  • 新潮文庫437泉鏡花『歌行燈・高野聖』平成10
  • 鏑木清方装丁 鏡花選集4『白鷺・歌行燈』昭和24年初版函
  • 岩波文庫 泉 鏡花『歌行燈』 絶版・良好本!
  • ★泉 鏡花 男文庫a279「歌行燈」★
  • 歌行燈/泉鏡花/岩波文庫
  • 高野聖・歌行燈 他櫛巻/泉鏡花/旺文社文庫
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歌行燈        一  宮重(みやしげ)大根のふとしく立てし宮柱は、ふろふきの熱田の神のみそなわす、七里のわたし浪(なみ)ゆたかにして、来往の渡船難なく桑名につきたる悦(よろこ)びのあまり……  と口誦(くちずさ)むように独言(ひとりごと)の、膝栗毛(ひざくりげ)五編の上の読初め、霜月十日あまりの初夜。中空(なかぞら)は冴切(さえき)って、星が水垢離(みずごり)取りそうな月明(つきあかり)に、踏切桟橋を渡る影高く、灯(ともしび)ちらちらと目の下に、遠近(おちこち)の樹立(こだち)の骨ばかりなのを視(なが)めながら、桑名停車場(ステエション)へ下り旅客がある。
 月の影には相応(ふさわ)しい、真黒(まっくろ)な外套(がいとう)の、痩(や)せた身体(からだ)にちと広過ぎるを緩く着て、焦茶色の中折帽、真新しいはさて可(い)いが、馴(な)れない天窓(あたま)に山を立てて、鍔(つば)をしっくりと耳へ被(かぶ)さるばかり深く嵌(は)めた、あまつさえ、風に取られまいための留紐(とめひも)を、ぶらりと皺(しな)びた頬へ下げた工合(ぐあい)が、時世(ときよ)なれば、道中、笠も載(の)せられず、と断念(あきら)めた風に見える。年配六十二三の、気ばかり若い弥次郎兵衛(やじろべえ)。
 さまで重荷ではないそうで、唐草模様の天鵝絨(びろうど)の革鞄(かばん)に信玄袋を引搦(ひきから)めて、こいつを片手。片手に蝙蝠傘(こうもりがさ)を支(つ)きながら、
「さて……悦びのあまり名物の焼蛤(やきはまぐり)に酒|汲(く)みかわして、……と本文(ほんもん)にある処(ところ)さ、旅籠屋(はたごや)へ着(ちゃく)の前に、停車場前の茶店か何かで、一本傾けて参ろうかな。(どうだ、喜多八(きだはち)。)と行きたいが、其許(そのもと)は年上で、ちとそりが合わぬ。だがね、家元の弥次郎兵衛どの事も、伊勢路では、これ、同伴(つれ)の喜多八にはぐれて、一人旅のとぼとぼと、棚からぶら下った宿屋を尋ねあぐんで、泣きそうになったとあるです。ところで其許は、道中松並木出来た道づれの格だ。その道づれと、何(な)んと一口|遣(や)ろうではないか、ええ、捻平(ねじべい)さん。」
「また、言うわ。」
 と苦い顔を渋くした、同伴(つれ)の老人は、まだ、その上を四つ五つで、やがて七十(ななそじ)なるべし。臘虎(らっこ)皮の鍔(つば)なし古帽子を、白い眉尖(まゆさき)深々と被(かぶ)って、鼠の羅紗(らしゃ)の道行(みちゆき)着た、股引(ももひき)を太く白足袋雪駄穿(せったばき)。色|褪(あ)せた鬱金(うこん)の風呂敷、真中(まんなか)を紐で結(ゆわ)えた包を、西行背負(さいぎょうじょい)に胸で結んで、これも信玄袋を手に一つ。片手に杖(つえ)は支(つ)いたけれども、足腰はしゃんとした、人柄の可(い)いお爺様(じいさま)。
「その捻平は止(よ)しにさっしゃい、人聞きが悪うてならん。道づれは可(よ)けれども、道中松並木出来たと言うで、何とやら、その、私(わし)が護摩(ごま)の灰ででもあるように聞えるじゃ。」と杖を一つとんと支くと、後(あと)の雁(がん)が前(さき)になって、改札口を早々(さっさ)と出る。
 わざと一足|後(うしろ)へ開いて、隠居意見に急ぐような、連(つれ)の後姿をじろりと見ながら、
「それ、そこがそれ捻平さね。松並木出来たと云って、何もごまのはいには限るまい。もっとも若い内は遣ったかも知れんてな。ははは、」
 人も無げに笑う手から、引手繰(ひったく)るように切符を取られて、はっと駅夫の顔を見て、きょとんと生真面目(きまじめ)。
 成程、この小父者(おじご)が改札口を出た殿(しんがり)で、何をふらふら道草したか、汽車はもう遠くの方で、名物焼蛤の白い煙を、夢のように月下に吐いて、真蒼(まっさお)な野路を光って通る。……
「やがてここを立出(たちい)で辿(たど)り行(ゆ)くほどに、旅人の唄うを聞けば、」
 と小父者、出た処で、けろりとしてまた口誦(くちずさ)んで、
「捻平さん、可(い)い文句だ、これさ。……

時雨蛤(しぐれはまぐり)みやげにさんせ
   宮(みや)のおかめが、……ヤレコリャ、よオしよし。」

旦那(だんな)、お供はどうで、」
 と停車場(ステエション)前の夜の隈(くま)に、四五台|朦朧(もうろう)と寂しく並んだ車の中から、車夫が一人、腕組みをして、のっそり出る。
 これを聞くと弥次郎兵衛、口を捻(ね)じて片頬笑(かたほえ)み、
「有難(ありがて)え、図星という処へ出て来たぜ。が、同じ事を、これ、(旦那衆戻り馬乗らんせんか、)となぜ言わぬ。」
「へい、」と言ったが、車夫は変哲もない顔色(がんしょく)で、そのまま棒立。

       二

 小父者(おじご)は外套の袖をふらふらと、酔ったような風附(ふうつき)で、
「遣(や)れよ、さあ、(戻馬乗らんせんか、)と、後生(ごしょう)だから一つ気取ってくれ。」
「へい、(戻馬乗らせんか、)と言うでございますかね、戻馬乗らんせんか。」
 と早口で車夫は実体(じってい)。
「はははは、法性寺入道前(ほうしょうじのにゅうどうさき)の関白(かんぱく)太政大臣(だじょうだいじん)と言ったら腹を立ちやった、法性寺入道前の関白太政大臣様と来ている。」とまたアハハと笑う。
「さあ、もし召して下さい。」
 と話は極(きま)った筈(はず)にして、委細構わず、車夫は取着(とッつ)いて梶棒(かじぼう)を差向ける。
 小父者、目を据えてわざと見て、
「ヤレコリャ車なんぞ、よオしよし。」
「いや、よしではない。」
 とそこに一人つくねんと、添竹(そえだけ)に、その枯菊(かれぎく)の縋(すが)った、霜の翁(おきな)は、旅のあわれを、月空に知った姿で、
「早く車を雇わっしゃれ。手荷物はあり、勝手知れぬ町の中を、何を当(あて)にぶらつこうで。」と口叱言(くちこごと)で半ば呟(つぶや)く。
「いや、まず一つ、(よヲしよし、)と切出さんと、本文に合わぬてさ。処へ喜多八が口を出して、(しょうろく四銭(しもん)で乗るべいか。)馬士(うまかた)が、(そんなら、ようせよせ。)と言いやす、馬がヒインヒインと嘶(いば)う。」
「若いもの、その人に構うまい。車を早く。川口の湊屋(みなとや)と言う旅籠屋(はたごや)へ行(ゆ)くのじゃ。」
「ええ、二台でござりますね。


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