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死について - 原 民喜 ( はら たみき )

  • 古書≪森鴎外集≫7 青年、舞姫他 【 森鴎外】河出書房 貴重 初版
  • 「森鴎外私論」吉野俊彦 森鴎外評論-批評-書籍・10冊 N21681
  • 岩波文庫1675昭和41年/阿部一族他二編森鴎外 岩波書店
  • 600円~ 岩波文庫【青年】森鴎外 (プチソフト1)
  • ◆◇森鴎外著「舞姫・山椒大夫  他四篇」(旺文社文庫)◇◆
  • ◆◇ 森鴎外著「青年」(新潮文庫) ◇◆  名著! 
  • ◆◇森鴎外著「舞姫・うたかたの記  他三篇」(岩波文庫)◇◆
  • ◆新品DVD★『NHK 名作の風景 8』森鴎外 正岡子規 夏目漱石1円
  • 森鴎外 高瀬舟・高瀬舟縁起・寒山捨得・寒山捨得縁起 CD 未開封
  • 森鴎外 舞姫 雁 井上靖 訳編 明治の古典8 初版
 お前が凍てついた手で  最後のマツチを擦つたとき  焔はパツと透明球体をつくり  清らかな優しい死の床が浮び上つた  誰かが死にかかつてゐる  誰かが死にかかつてゐる と、  お前の頬の薔薇は呟いた。  小さなかなしい アンデルゼンの娘よ

 僕が死の淵にかがやく星にみいつてゐるとき、
 いつも浮んでくるのはその幻だ

 広島の惨劇は最後の審判の絵か何かのやうにおもはれたが、そこから避れ出た私は死神の眼光から見のがされたのではなかつた。死は衰弱した私のまはりに紙一重のところにあつた。私は飢ゑと寒さに戦きながら農家の二階でアンデルゼンの童話を読んだ。人の世に見捨てられて死んでゆく少女イメージの美しさが狂ほしいほど眼に沁みた。蟋蟀のやうに瘠せ衰へてゐる私は、これからさきどうして生きのびてゆけるのかと訝りながら、真暗な長い田舎路をよく一人とぼとぼ歩いた。私も既に殆ど地上から見離されてゐたのかもしれないが、その暗い地球にかぶさる夜空には、ピタゴラス恍惚とさせた星の宇宙が鳴り響いてゐた。
 その後、私は東京に出て暮すやうになつたが、死の脅威は更にゆるめられなかつた。滔々として押寄せてくる悪い条件が、私から乏しい衣類剥ぎ書籍を奪ひ、最後には居住する場所まで拒んだ。
 だが、死の嵐はひとり私の身の上に吹き募つてゐるのでもなささうだ。この嵐は戦前から戦後へかけて、まつしぐらに人間存在を薙ぎ倒してゆく。嘗て私は暗黒絶望の戦時下に、幼年時代青空の美しさだけでも精魂こめて描きたいと願つたが、今日ではどうかすると自分の生涯とそれを育てたものが、全て瓦礫に等しいのではないかといふ虚無感に突落されることもある。悲惨と愚劣なものがあまりに強烈に執拗にのしかかつてくるからだ。もともと私のやうに貧しい才能と力で、作家生活を営もうとすることが無謀であつたのかもしれない。もし冷酷が私から生を拒み息の根を塞ぐなら塞ぐで、仕方のないことである。だが、私は生あるかぎりやはりこの一すぢにつながりたい。
 それから「死」も陰惨きはまりない地獄絵としてではなく、できれば静かに調和のとれたものとして迎へたい。現在の悲惨に溺れ盲ひてしまふことなく、やはり眼ざしは水平線の彼方にふりむけたい。死の季節を生き抜いて来た若い世代真面目作品がこの頃読めることも私にとつては大きな慰藉である。人間不安と混乱と動揺はいつまで続いて行くかわからないが、それに抵抗するためには、内側にしつかりとした世界を築いてゆくより外はないのであらう。
 まことに今日不思議で稀れなる季節である。殆どその生存を壁際まで押しやられて、飢ゑながら焼跡を歩いてゐるとき、突然、眼も眩むばかりの美しい幻想清澄雰囲気微笑みかけてくるのは、私だけのことであらうか。


底本:「日本原爆文学1」ほるぷ出版
   1983(昭和58)年8月1日初版第一刷発行
初出:「日本評論
   1951(昭和26)年5月号
   遺稿
※「人の世に見捨てられて死んでゆく少女イメージの美しさが狂ほしいほど眼に沁みた。」の文は他の本では次のようになっている。
「定本原民喜全集II」(青土社 1978年9月20日発行)では「人の世に見捨てられて死んでゆく少女最後イメージの美しさが狂ほしいほど眼に沁みた。」とされており、「最後の」という言葉が入っている。
原民喜全集第二巻」(芳賀書店 初版発行 昭和40年8月15日)でも同様に、「最後の」という言葉が入っている。
※冒頭の「お前が凍てついた手で」は、底本第1刷では2字下げになっていますが、第2刷と第3刷、及び「定本 原民喜全集II」(青土社 1978年9月20日発行)、「原民喜全集 第二巻」(芳賀書店 初版発行 昭和40年8月15日)では1字下げになっていますので本ファイルでも1字下げにしました。
入力ジェラスガイ
校正砂場清隆
2002年9月20日作成
青空文庫作成ファイル
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