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死剣と生縄 - 江見 水蔭 ( えみ すいいん )

  • 古書≪森鴎外集≫7 青年、舞姫他 【 森鴎外】河出書房 貴重 初版
  • 「森鴎外私論」吉野俊彦 森鴎外評論-批評-書籍・10冊 N21681
  • 岩波文庫1675昭和41年/阿部一族他二編森鴎外 岩波書店
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  • ◆◇ 森鴎外著「青年」(新潮文庫) ◇◆  名著! 
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       一  武士の魂。大小の二刀だけは腰に差して、手には何一つ持つ間もなく、草履突掛けるもそこそこに、磯貝竜次郎(いそがいりゅうじろう)は裏庭へと立出(たちいで)た。
「如何(いか)ような事が有ろうとも、今日こそは思い切って出立致そう」
 武者修行としても一種特別の願望を以て江戸を出たので有った。疾(と)くに目的を達して今頃は江戸に帰り、喜ぶ恩師の顔を見て、一家相伝の極意秘伝を停滞(とどこおり)なく受けていなければ成らぬのが、意外な支障(さわり)に引掛(ひきかか)って、三月余りを殆ど囚虜(とらわれ)の身に均(ひと)しく過ごしたのであった。
 常陸(ひたち)の国、河内郡(こうちごおり)、阿波(あんば)村の大杉(おおすぎ)明神の近くに、恐しい妖魔が住んでいるので有った。それに竜次郎は捕って、水鳥が霞網に搦(からま)ったも同然、如何(いかん)とも仕難くなったのであった。一と夏を其妖魔の家に心成らずも日を過して、今朝の秋とは成ったので有った。
 大杉明神常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん)を祀るともいう。俗に天狗(てんぐ)の荒神様。其附近に名代の魔者がいた。生縄(いきなわ)のお鉄(てつ)という女侠客がそれなのだ。
 素(もと)より田舎の事とて泥臭いのは勿論(もちろん)だが、兎(と)に角常陸から下総(しもうさ)、利根川(とねがわ)を股に掛けての縄張りで、乾漢(こぶん)も掛価無しの千の数は揃うので有った。お鉄の亭主の火渡(ひわた)り甚右衛門(じんえもん)というのが、お上から朱房の十手に捕縄を預った御用聞きで、是れが二足の草鞋(わらじ)を穿いていた。飯岡(いいおか)の助五郎(すけごろう)とは兄弟分で有った。
 その火渡り甚右衛門が病死しても、後家のお鉄が男まさりで、まるで女の御用聞きも同然だという処から、未だ朱房の十手を預っているかのように人は忌み恐れていた。
「生縄のお鉄は男の捕物に掛けては天下一で、あれに捕ったら往生だ。罪の有る無しは話には成らぬ。世にも不思議拷問で、もう五六人は殺されたろう。阿波の高市(たかまち)に来た旅役者の嵐雛丸(あらしひなまる)も殺された。越後(えちご)の縮売(ちぢみうり)の若い者も殺された。それから京(きょう)の旅画師に小田原(おだわら)の渡り大工浮島(うきしま)の真菰大尽(まこもだいじん)の次男坊も引懸ったが、どれも三月とは持たなかった。あれが世にいう悪女の深情けか。まさか切支丹(きりしたん)破天連(ばてれん)でも有るまいが、あの眼で一寸睨まれたら、もう体が痺れて如何(どう)する事も出来ないのだそうな」
 斯(こ)うした噂(うわさ)は至る処に立っていた。
 とは知らぬ磯貝竜次郎武者修行に出て利根の夜船に乗った時に、江戸帰りのお鉄と一緒で有った。年齢(とし)は既に四十近く、姥桜も散り過ぎた大年増。重量二十貫の上もあろう程の肥満した体。色は浅黒く、髪の毛には波を打ったような癖が目立って、若(しか)も生端(はえぎわ)薄く、それを無造作に何時(いつ)も櫛巻きにしていた。鼻は低く、口は大きく、腮(あご)は二重に見えるので有ったが、如何にも其眼元に愛嬌が溢(あふ)れていた。然(そ)うして云う事|為(す)る事、如才無く、総てがきびきびとして気が利いていた。若い時には斯うした風のが、却(かえ)って男の心を動かしたかも知れぬのだ。
大杉様へ御参詣なら、是非手前共へお立ち寄りを」
 押砂河岸(おしすながし)で夜船を上って、阿波村に行く途中蘆原(あしはら)で、急に竜次郎腹痛を覚えた時に、お鉄は宛如(まるで)子供でも扱うようにして、軽々と背中に負い、半里足らずの道を担いで吾家に帰り、それから親身も及ばぬ介抱をして呉(く)れたまでは好かったが、其儘(そのまま)一歩も外に踏出させぬには、此上も無い迷惑なので有った。
 竜次郎腹痛は直ぐ治ったが、折角元の健康に復したのも、二日か三日で又衰え始めて、されば、何処が不良という事無しに、唯ぶらぶらの病に均しく、腑抜けのように日を暮らしていた。月代毛(さかやき)も延びた。顔色も蒼白く成った。眼の窪んだのが自分ながら驚かれるので有った。正しく妖魔の囚虜(とりこ)と成ったので有った。
 今日こそはと大勇猛心を出して、お鉄の不在を幸いに、裏庭から崖を降りて稲田伝いに福田(ふくだ)村の方へ出ようと考えたので有った。

       二

 良心の呵責(かしゃく)は一歩毎に強く加わるので有った。年上で、身分|賤(いや)しく、格別美しくも無い一婦人の為に、次男ながらも旗本五百石の家に産まれた天下の直参筋、剣道には稀有(けう)の腕前、是|天禀(てんぴん)なりとの評判を講武所(こうぶしょ)中に轟かした磯貝竜次郎が、まるで掌の内に円め込められて三月の間は玩具(おもちゃ)の如く扱われて了(しま)ったのだ。
 講武所学びては、主として今堀摂津守(いまぼりせっつのかみ)の指南受けていたが、其他に、麻布(あざぶ)古川端(ふるかわばた)に浪居して天心独名流(てんしんどくめいりゅう)から更に一派を開きたる秋岡陣風斎(あきおかじんぷうさい)に愛され、一師一弟の別格稽古受け八方巻雲(はっぽうまきぐも)の剣法の極意を相続する位地にまで進んだので有った。
「その伝授の前に、必ずそれは武者修行に出て、一度は廻国して来なければ相成らぬ。と云った処で、普通(ただ)の道場破りをして来いと申すのでは無い。先ず香取(かとり)鹿島(かしま)及び息栖(いきす)の三社、それに流山(ながれやま)在の諏訪(すわ)の宮、常陸阿波村大杉明神立木村(たつきむら)の蛟※(みずち)神社、それ等の神々に詣で、身も心も二つながら清めて、霊剣一通り振り納め、全く邪心を去って来れば好い。其他の神詣では追々の事として苦しゅう無い」
 秋岡陣風斎から一師一弟、八方巻雲剣法を授かる為に、竜次郎の廻国は始ったので有った。処が大杉明神で停滞したので有った。それは併し如何(どう)考えても不思議というより他は無かった。
 押砂河岸に上る前に、木下(きおろし)河岸で朝早く売りに来た弁当を買った。それの刻み鯣(するめ)に中(あた)って腹痛を感じたとのみは思えなかった。其前に船中の人いきれに、喉の乾きを覚えた時、お鉄が呉れた湯冷しというに、何やら異臭が有った。


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