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津下四郎左衛門 - 森 鴎外 ( もり おうがい )

  • 古書≪森鴎外集≫7 青年、舞姫他 【 森鴎外】河出書房 貴重 初版
  • 「森鴎外私論」吉野俊彦 森鴎外評論-批評-書籍・10冊 N21681
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  • ◆◇ 森鴎外著「青年」(新潮文庫) ◇◆  名著! 
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 (つげしらうざゑもん)は私の父である。(私とは誰(たれ)かと云ふことは下に見えてゐる。)しかし其名は只(たゞ)聞く人の耳に空虚なる固有名詞として響くのみであらう。それも無理は無い。世に何の貢献もせずに死んだ、艸木(さうもく)と同じく朽(く)ちたと云はれても、私はさうでないと弁ずることが出来ない。
 かうは云ふものの、若(も)し私がここに一言を附け加へたら、人が、「ああ、さうか」とだけは云つてくれるだらう。其(その)一言はかうである。「津下四郎左衛門は横井平四郎(よこゐへいしらう)の首を取つた男である。」
 丁度(ちやうど)世間の人が私の父を知らぬやうに、世間の人は皆横井平四郎を知つてゐる。熊本の小楠(せうなん)先生を知つてゐる。
 私の立場から見れば、横井氏が栄誉あり慶祥(けいしやう)ある家である反対に、津下氏は恥辱あり殃咎(あうきう)ある家であつて、私はそれを歎かずにはゐられない。
 此(この)禍福とそれに伴ふ晦顕(くわいけん)とがどうして生じたか。私はそれを推(お)し窮(きは)めて父の冤(ゑん)を雪(そゝ)ぎたいのである。
 徳川幕府の末造(ばつざう)に当つて、天下の言論は尊王佐幕とに分かれた。苟(いやしく)も気節を重んずるものは皆尊王に趨(はし)つた。其時尊王には攘夷(じやうい)が附帯し、佐幕には開国が附帯して唱道せられてゐた。どちらも二つ宛(づゝ)のものを一つ/″\に引き離しては考へられなかつたのである。
 私は引き離しては考へられなかつたと云ふ。是(これ)は群集心理の上から云ふのである。
 歴史の大勢から見れば、開国は避くべからざる事であつた。攘夷不可能の事であつた。智慧(ちゑ)のある者はそれを知つてゐた。知つてゐてそれを秘してゐた。衰運の幕府最後打撃を食(くら)はせるには、これに責むるに不可能攘夷を以てするに若(し)くはないからであつた。此秘密群集心理の上には少しも滲徹(しんてつ)してゐなかつたのである。
 開国は避くべからざる事であつた。其の避くべからざるは、当時|外夷(ぐわいい)とせられてゐたヨオロツパ諸国アメリカは、我に優(まさ)つた文化を有してゐたからである。智慧のあるものはそれを知つてゐた。横井平四郎は最も早くそれを知つた一人である。私の父は身を終ふるまでそれを暁(さと)らなかつた一人である。
 弘化四年に横井の兄が病気になつた。横井は福間某(ふくまぼう)と云ふ蘭法医(らんぱふい)に治療を託した。当時|元田永孚(もとだながざね)などと交(まじは)つて、塾を開いて程朱(ていしゆ)の学を教へてゐた横井が、肉身の兄の病を治療してもらふ段になると、ヨオロツパの医術にたよつた。横井が三十九歳の時の事である。
 嘉永五年に池辺啓太(いけべけいた)が熊本和蘭(おらんだ)の砲術を教へた時、横井は門人を遣(や)つて伝習させた。池辺は長崎高島秋帆(たかしましうはん)の弟子で、高島が嫌疑を被(かうむ)つて江戸に召し寄せられた時、一しよに拘禁せられた男である。兵器とそれを使ふ技術ともヨオロツパが優つてゐたのを横井は知つてゐた。横井が四十四歳の時の事である。
 翌年横井が四十五歳になつた時、Perry が横浜に来た。横井は早くも開国の必要を感じ始めた。安政元年には四十六歳で、ロシアの使節に逢(あ)はうとして長崎へ往(い)つた。其留守には吉田松陰が尋ねて来て、置手紙をして帰つた。智者と智者との気息(きそく)が漸(やうや)く通ぜられて来た。翌年四十七歳の時、長崎に遣(や)つてゐた門人が、海軍の事を研究しに来た勝義邦(かつよしくに)と識合(しりあひ)になつて、勝と横井とが交通し始めた。これも智者の交(まじはり)である。慶応二年五十八歳の時横井は左平太(さへいた)、太平(たへい)の二人の姪(てつ)を米国に遣つた。海軍の事を学ばせるためであつた。此洋行者は皆横井が兄の子で、後に兄を伊勢太郎(いせたらう)と曰(い)ひ、弟を沼川三郎(ぬまがはさぶらう)と曰つた。横井は初め兄の家を継いだものなので、其家を左平太の伊勢太郎に譲つた。
 智者は尊王家の中にも、佐幕家の中にもあつた。


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