深夜の電話 - 小酒井 不木 ( こさかい ふぼく )
第一回
一
木の茂れば、風当たりの強くなるのは当然のことですが、風当たりが強くなればそれだけ、木にとっては心配が多くなるわけです。
少年科学探偵|塚原俊夫(つかはらとしお)君の名がいよいよ高くなるにつれて、俊夫君を妬(ねた)んだり、俊夫君を恐れたりする者が増え、近頃では、ほとんど毎日といってよいくらい、脅迫状が舞い込んだり脅迫の電話がかかってきたりします。
たとえば俊夫君がある事件の解決を依頼されると、解決されては困る立場の者から、脅迫状を送って俊夫君に手を引かせようとします。あるいは俊夫君がある事件を解決して多額の報酬を貰うと、それを羨(うらや)んで、金員を分与せよなどという虫のいい要求を致してきます。
俊夫君は、それらの脅迫状や脅迫電話を少しも気にはしておりませんが、俊夫君の護衛の任に当たる私は気が気ではありません。皆さんは多分、私が「塵埃(ほこり)は語る」という題目の下に記述した事件を記憶していてくださるでしょうが、あの事件があって以来、私はできるだけ注意して、俊夫君と一刻も離れないように警戒しているのであります。
まったく、こんなに心配が増しては、有名になるのも考え問題ですが、それかといってどうにも致し方がありません。ことに、解決を望む人々が事件の解決を見て喜ぶ有様に接するたびごとに、私は、俊夫君がいかなる場合にも成功するよう祈ってやまないのであります。
これから、私が皆さんにお伝えしようとする話も、いわば俊夫君の名声の高いのが基となって起こった奇怪な事件です。世の中にはずいぶん物好きな人間もありますが、この事件に出てくる人物のような人間に出会ったことは初めてです。いや、こんな前置きに時間を費やすよりも、早く事件の本筋に入りましょう。
それは年の暮れも差し迫った十二月下旬のことです。諸官庁や諸会社のボーナスが行き渡って、盗賊(とうぞく)たちが市中や郊外を横行しようとする時分のある夜、ふと私は電話のベルに眼をさましました。見ると、隣のベッドで寝ている俊夫君が、すでに起きようとしておりましたので、
「まあ、寝ていたまえ、僕が出るから」
と言いますと、俊夫君は、
「それじゃ、一緒に行こう。こんな時分にかかってくる電話は、どうせ僕に用があるに違いないから」
で、二人は、寝衣(ねまき)の上に外套(がいとう)を羽織って事務室に行きました。かねて私は、こういう場合の準備として、寝室に卓上電話を設けて、寝ていながら話せるようにしてはどうかと、俊夫君に勧めるのでしたが、俊夫君は、
「僕に用事のある人はみな重大な立場にいるのだから、寝ていて話すべきではない」
と言って聞き入れません。私はいささか寒さに身震いしながら、受話器を取りあげました。
「もしもし、あなたが俊夫さんですか」
と言ったのは、たしかに男の声です。
「いいえ、僕は大野というものです。俊夫君の代理です」
「では恐縮ですが、俊夫さんに出てもらってください。重大事件ですから」
ここでちょっと申しあげておきたいのは、私たちのところにある電話は、受話器が二つに別れていて、聞くだけは二人で聞けるように装置してあります。俊夫君は、先方のこの言葉を聞くなり、直ちに私と代わって、
「僕、俊夫です。あなたはどなたです?」
「ああ、俊夫さんですか。たいへんです。今、こちらに人殺しがあったのです」
「何? 人殺しが? 誰が、どこで殺されたのです?」
「殺されたのは東京じゅうの人が誰でも知っている有名な人です」
「誰ですか?」
「誰だかあててごらんなさい」
この言葉を聞くなり、俊夫君は私と顔を見合わせました。重大な殺人事件を報告するに、「当ててごらんなさい」とは、たしかにこちらを侮辱した言い方です。俊夫君はしばらくのあいだ返事することを躊躇(ちゅうちょ)しました。と、突然、
「あはははは」
と、先方の男は笑いだして、
「俊夫君、いかに君でも、こればかりは分かるまい」
がらりと変わった言葉の調子に、俊夫君はむっとしました。
「何? 君は僕を侮辱するのか」
「まあまあ、そんなに怒るなよ。君を有名にしてやろうと思って、わざわざこの夜中に電話をかけたのだよ。この事件を解決するなら、君は、日本は愚か、世界一の探偵になれるぜ。しっかりしてくれよ。いいか」
「君は誰だ?」
「俺か、俺は、君たちのいわゆる犯人なんだ。東京じゅうの人が誰でも知っている、その有名な人を殺した犯人だよ。分かったかい。だから、この俺を捕まえれば、君は世界一の名探偵になれるということだ。だが、おそらく、君の腕じゃ俺を捕まえることはむずかしかろう」
「何?」
「まあ、そのように憤慨するなよ。もう四五時間のうちに、君のところへ、その殺人事件の報告が行くよ。そうしたら、この俺を一生懸命に捜しにかかるんだよ。分かったかい、しっかりやれよ。じゃ、さようなら」
こう言って、先方の男は電話を切ってしまいました。
二
俊夫君は、このからかい半分の電話をも、真面目に解釈して、すぐさま、中央局に電話をかけ、今の電話がどこからかかってきたかを尋ねました。するとそれは、「小石川、八八二九」だと分かりましたので、すぐさま、その番号を呼びだしました。
が、どうしても通じませんでした。
そこで、今度は、その番号の持ち主が誰であるかを検(しら)べました。すると、それは小石川区春日町二丁目の「近藤つね」という美容術師であることが分かりました。
「とにかく、根気よく呼びだしてみよう」
こう言って俊夫君は、約五分おきに呼びだしました。そうしておよそ二時間を経た午前三時十分頃、やっと、こちらの呼びだしに応じました。電話口へ出たのは女です。
「もしもし近藤さんですか」
と、俊夫君は言いました。
たとえば俊夫君がある事件の解決を依頼されると、解決されては困る立場の者から、脅迫状を送って俊夫君に手を引かせようとします。あるいは俊夫君がある事件を解決して多額の報酬を貰うと、それを羨(うらや)んで、金員を分与せよなどという虫のいい要求を致してきます。
俊夫君は、それらの脅迫状や脅迫電話を少しも気にはしておりませんが、俊夫君の護衛の任に当たる私は気が気ではありません。皆さんは多分、私が「塵埃(ほこり)は語る」という題目の下に記述した事件を記憶していてくださるでしょうが、あの事件があって以来、私はできるだけ注意して、俊夫君と一刻も離れないように警戒しているのであります。
まったく、こんなに心配が増しては、有名になるのも考え問題ですが、それかといってどうにも致し方がありません。ことに、解決を望む人々が事件の解決を見て喜ぶ有様に接するたびごとに、私は、俊夫君がいかなる場合にも成功するよう祈ってやまないのであります。
これから、私が皆さんにお伝えしようとする話も、いわば俊夫君の名声の高いのが基となって起こった奇怪な事件です。世の中にはずいぶん物好きな人間もありますが、この事件に出てくる人物のような人間に出会ったことは初めてです。いや、こんな前置きに時間を費やすよりも、早く事件の本筋に入りましょう。
それは年の暮れも差し迫った十二月下旬のことです。諸官庁や諸会社のボーナスが行き渡って、盗賊(とうぞく)たちが市中や郊外を横行しようとする時分のある夜、ふと私は電話のベルに眼をさましました。見ると、隣のベッドで寝ている俊夫君が、すでに起きようとしておりましたので、
「まあ、寝ていたまえ、僕が出るから」
と言いますと、俊夫君は、
「それじゃ、一緒に行こう。こんな時分にかかってくる電話は、どうせ僕に用があるに違いないから」
で、二人は、寝衣(ねまき)の上に外套(がいとう)を羽織って事務室に行きました。かねて私は、こういう場合の準備として、寝室に卓上電話を設けて、寝ていながら話せるようにしてはどうかと、俊夫君に勧めるのでしたが、俊夫君は、
「僕に用事のある人はみな重大な立場にいるのだから、寝ていて話すべきではない」
と言って聞き入れません。私はいささか寒さに身震いしながら、受話器を取りあげました。
「もしもし、あなたが俊夫さんですか」
と言ったのは、たしかに男の声です。
「いいえ、僕は大野というものです。俊夫君の代理です」
「では恐縮ですが、俊夫さんに出てもらってください。重大事件ですから」
ここでちょっと申しあげておきたいのは、私たちのところにある電話は、受話器が二つに別れていて、聞くだけは二人で聞けるように装置してあります。俊夫君は、先方のこの言葉を聞くなり、直ちに私と代わって、
「僕、俊夫です。あなたはどなたです?」
「ああ、俊夫さんですか。たいへんです。今、こちらに人殺しがあったのです」
「何? 人殺しが? 誰が、どこで殺されたのです?」
「殺されたのは東京じゅうの人が誰でも知っている有名な人です」
「誰ですか?」
「誰だかあててごらんなさい」
この言葉を聞くなり、俊夫君は私と顔を見合わせました。重大な殺人事件を報告するに、「当ててごらんなさい」とは、たしかにこちらを侮辱した言い方です。俊夫君はしばらくのあいだ返事することを躊躇(ちゅうちょ)しました。と、突然、
「あはははは」
と、先方の男は笑いだして、
「俊夫君、いかに君でも、こればかりは分かるまい」
がらりと変わった言葉の調子に、俊夫君はむっとしました。
「何? 君は僕を侮辱するのか」
「まあまあ、そんなに怒るなよ。君を有名にしてやろうと思って、わざわざこの夜中に電話をかけたのだよ。この事件を解決するなら、君は、日本は愚か、世界一の探偵になれるぜ。しっかりしてくれよ。いいか」
「君は誰だ?」
「俺か、俺は、君たちのいわゆる犯人なんだ。東京じゅうの人が誰でも知っている、その有名な人を殺した犯人だよ。分かったかい。だから、この俺を捕まえれば、君は世界一の名探偵になれるということだ。だが、おそらく、君の腕じゃ俺を捕まえることはむずかしかろう」
「何?」
「まあ、そのように憤慨するなよ。もう四五時間のうちに、君のところへ、その殺人事件の報告が行くよ。そうしたら、この俺を一生懸命に捜しにかかるんだよ。分かったかい、しっかりやれよ。じゃ、さようなら」
こう言って、先方の男は電話を切ってしまいました。
二
俊夫君は、このからかい半分の電話をも、真面目に解釈して、すぐさま、中央局に電話をかけ、今の電話がどこからかかってきたかを尋ねました。するとそれは、「小石川、八八二九」だと分かりましたので、すぐさま、その番号を呼びだしました。
が、どうしても通じませんでした。
そこで、今度は、その番号の持ち主が誰であるかを検(しら)べました。すると、それは小石川区春日町二丁目の「近藤つね」という美容術師であることが分かりました。
「とにかく、根気よく呼びだしてみよう」
こう言って俊夫君は、約五分おきに呼びだしました。そうしておよそ二時間を経た午前三時十分頃、やっと、こちらの呼びだしに応じました。電話口へ出たのは女です。
「もしもし近藤さんですか」
と、俊夫君は言いました。
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