瀑布 - 林 芙美子 ( はやし ふみこ )
橋の上も、河添ひの道も、群集が犇めきあつてゐる。群集の後から覗いてみたが、澱んだ河の表面が、青黒く光つて見えるだけで、何も見えない。そのくせ群集は、折り重なるやうにして、水の上を覗いてゐる。何だらうと云ひあひながら、前の方へ押し出されたものは、見てしまつた安堵で、後から押される人間の力を振り切つて、犇めく人の間を、ぐんぐんと外側へ出て来てゐる。「何です?」いやにおもねるやうな尋づねかたで、訊くものもある。直吉も、人の切れ目のなかに肩を入れて、ぐいぐいと押されて、前の方へ吸ひ込まれて行つた。埃に汚れた八ツ手の葉が胸元へばらばらと葉を弾き寄せる。それを掻き分けて、ぐつと木柵に凭れるやうにして、河底を覗き込むと白つぽいものが、汚れた水の上に浮いてゐた。靄のかゝつた水の上に、人間が腕組みをして、ぽかりと浮いてゐた。よく見ると、大柄な男が、眼をつぶつて、浮袋の上に身動きもしない。男の様子が妙だつたので、突差には、その場のありさまが判然と呑みこめなかつたが、浮袋のわきに、酒場の名前をペンキで書いた、白い板が浮いてゐるのを眼にして、直吉は、なるほど、生きてゐる人間の商売なのかと、吻つとすると同時に、その男の悠々とした、たゞよひかたが、ひどく気に入つた。向ひ側のA新聞社の窓々からも、人の顔が覗いてゐた。狭い河底の一点は、ぐるりに群集を置いたまゝ、森閑と静まりかへつてゐる。宣伝の為に、水の上に寝転んでゐる男は、蒼い化粧をしてゐた。まるで死人のやうに見えた。孤独で寄辺のない生きながらの骸は、ゆつくり水の上で動いてゐる。細長い浮袋には、長い縄がついてゐて、石崖の杭に結びつけてある。久しぶりに外出して、直吉はすさまじい世相を見たが、その水の上の生ける骸に対して、直吉は、誘はれるやうな反射を受けた。四囲に、わあつと広告塔や、電車や自動車の音がけたゝましく響かなかつたら、その河底の骸は、深い谷川を流れてゆく姿にも見えて、惨酷な風趣だつた。直吉は、すぐにも立ち去る気にはなれなかつた。何時までも眼を閉ぢてゐるので、見降ろしてゐる方で退屈だつたが、群集は仲々散つて行かない。S橋の上では、進駐軍の兵隊も、驚いて何人も河底を覗き込んでゐる。石油臭い河水の匂ひが、四囲にこもつてゐた。割合大きい顔をした男だつた。白いY襯衣の胸を拡げて、黒い洋袴をはき、素足だつた。眠つてゐる。おだやかな表情である。直吉の後の方で、日当が五百円から、千円位ださうだねと云つてゐるものがあつた。それにしても、水の上に寝転ぶ芸当はよういな仕事ではない。見てゐるものゝ眼に、この河底の人生は、異様に写らないではなかつた。直吉は暫く木柵に凭れて、男の動き出すのを待つてゐたが、男は仲々起きる気配もなかつた。捨て身な構へでもある。時々唇のあたりに、微笑の表情が浮きあがつたが、水の上の男は、衆人環視のなかの己れの姿に、冷笑してゐるのかも知れない。時々、河底から饐えた臭ひが吹き上げて来た。
直吉は、群集を押し返へして、その場所から、やつと抜け出る事が出来た。歩き出すと、四囲の騒音が、さつきの河底の人生とは、何のかゝはりもない。とらへどころなく茫漠としてゐる。知己にめぐりあつた親近さで、その男の生活の背景を空想してみた。大胆で、捨て身な考へになつて行く。勇気さへあれば、どんな事をしても生き抜けるのだらう。なるべく四囲は見ない方がいゝ。そのくせ、直吉は、路上の、現実の流れに、喰ひ入るやうな視線を向けずにはゐられなかつた。文明的なものと原始的なものが、不安もなく交流してゐる。不思議な世界に変り果てた、都会の夕景を眺めて、直吉は、呆んやりと足の向くまゝに歩いた。ネオン・サインが方々の建物にきらめき、忙はしさうに人々は流れてゐる。若い女も喜々として歩いてゐる。光つた自動車が、しゆんしゆんと直吉のそばを滑つた。よろめきかしいで、荷車を曳いて行く男もゐる。それぞれが、夜のねぐらに急いでゐるのだ。――直吉は時計を見た。
直吉は、群集を押し返へして、その場所から、やつと抜け出る事が出来た。歩き出すと、四囲の騒音が、さつきの河底の人生とは、何のかゝはりもない。とらへどころなく茫漠としてゐる。知己にめぐりあつた親近さで、その男の生活の背景を空想してみた。大胆で、捨て身な考へになつて行く。勇気さへあれば、どんな事をしても生き抜けるのだらう。なるべく四囲は見ない方がいゝ。そのくせ、直吉は、路上の、現実の流れに、喰ひ入るやうな視線を向けずにはゐられなかつた。文明的なものと原始的なものが、不安もなく交流してゐる。不思議な世界に変り果てた、都会の夕景を眺めて、直吉は、呆んやりと足の向くまゝに歩いた。ネオン・サインが方々の建物にきらめき、忙はしさうに人々は流れてゐる。若い女も喜々として歩いてゐる。光つた自動車が、しゆんしゆんと直吉のそばを滑つた。よろめきかしいで、荷車を曳いて行く男もゐる。それぞれが、夜のねぐらに急いでゐるのだ。――直吉は時計を見た。
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瀑布 (ばくふ) のリンク元
- [[Yahoo]] 河添芙美子
- [[Google]] 瀑布 林芙美子
- http://home.search.biglobe.ne.jp/cgi-bin/search-web?loc_host=www.zaq.home.ne.jp&loc_flg=1&b=%8C%9F%8D%F5&q=%97%D1%81@%95%87%94%FC%8Eq%81@%8F%AC%90%E0&x=39&y=16
- http://atpedia.jp/word/%E6%B5%AE%E8%88%9F
- [[Google]] ez@ѕq
- [[ezweb]] モカの森 採掘
- [[Google]] 仙田拳大
- [[Google]] 孤島のキノコ集め ソロ
- http://search.nifty.com/websearch/search?cflg=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&select=1&chartype=1&lang_all=&q=%E5%B9%B2%E3%81%97%E3%82%A4%E3%83%A2%E3%81%AE%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%81%8B%E3%81%9F&xargs=&otype=web_nifty&web.Unique=doc%2Chost+2&web.Format=&stpos=30&num=10
- [[Yahoo]] 林芙美子ー「狐物語」の背景
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名刀「林」とは伝説の刀である。概要大業物13工の1つ。片刃剣。木材程度のものなら一瞬で斬ることができる。クリスマス会でFがもらった。イリュージョンが重宝している。 -
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単行本:あ行-9 - 古書 吉祥寺書店 - 古書 吉祥寺書店
一巻角川書店 1961.04.05初900 月報付 Aa0991有吉 佐和子 小説林芙美子 花のいのち中央公論社 1958.04.05初2,500 題字:町春草 Aa0992有吉 佐和子 ずいひつ新潮社 1958.09 -
山北 - 【架空鉄道ネットワーク】BRTネットワーク - 【架空鉄道ネットワーク】BRTネットワーク
/h列車本数山北NT~山北間 18往復橋本 ~山北間 10往復山北 ~西山間 30往復西山 ~林 間 5往復山北NT~西山間 18往復橋本 ~西山間 8往復山北 ~西山間 10往復山北NT
