熱海線私語 - 牧野 信一 ( まきの しんいち )
一
一九三四年、秋――伊豆、丹那トンネルが開通して、それまでの「熱海線」といふ名称が抹殺された。そして「富士」「つばめ」「さくら」などの特急列車が快速力をあげて、私達の思ひ出を、同時に抹殺した。帝国鉄道全図の上から見るならば、僅々十哩? 程度の距離であるが、生れて四十年、東京と小田原、小田原と熱海の他は滅多に汽車の旅を知らぬ蛙のやうな私たちにとつては、憶ひ出の夢は全図の旅の夢よりも深く長かつた。私たちは旧熱海線の小田原町に生れ、私の最も古い記憶に依ると、小田原ステーシヨンの広場のあたりが祖父母や母と共に私が育つてゐた家の竹藪に位ひした。私は未だ小学校へも通つてゐなかつた。
「近頃は、どうも人車(ジンシヤ)つてえ便利なものが出来たんで熱海行はすつかり楽になつたが。」
熱海行の朝(私の記憶では、蜜柑の穫収れが済んだ頃だけがあざやかであるが――)といふと、私たちは暗いうちに起きて竹筒ランプの傍らで朝餉に向ひ、祖父は自家製の酒を一本傾けながら、
「つい此間までは駕籠か草鞋がけだつたんだからな。それが何うも芝居見物にでも行くようなこしらへで、上等の箱か何かで居眠りをしながらでもお午時分には着いて仕舞はうつてんだから大層なものさ。」
と得意さうだつた。得意といふのは、人車(ジンシヤ)鉄道株式会社といふものゝ祖父は相談役か何かであつたゝめに、私たちが人車なんか……と、うつかり軽んじようとすると、不機嫌であつた。飽くまでも文明の利器として、認識しなければ面白くなかつたのであるが、母や私は鉄道馬車で国府津へ赴き、煙りを吐く汽車に乗り慣れたので、従令線路の上を走るとは云ふものゝ人間が後おしをして滑走する人車などゝいふ鉄道に驚くわけには行かなかつた。居眠りをしながらでも――などと祖父は極めて安楽さうに吹聴するものゝ、おそらく十人乗りぐらひの箱車を四五人の被布姿の運転手が力を合せて後おしするのであつたから、ちよつとした勾配に差しかゝつても、歩く人よりも遥かに鈍くなり、降りとなれば、運転手達は虫籠にとまつた蝉のやうに踏台に吸ひつき、その間こそは正に一瀉千里、「つばめ」か「さくら」のやうに実に猛烈な勢ひで砂塵を巻いて、滑り落ちるのであつたから、母は私を抱きすくめて震へて居り、あんなことを云つてゐた祖父にしろ思はず婆さんと声を合せて御題目を唱へるやうな始末だつたから、凡そ安楽な気遣ひは絶無だつたのだ。登りとなれば、大概の乗客がその速力の遅さに業を煮して、先へ立つて歩いたり、中には後おしの弥次馬に成る者さへあるのだから、そんな車の中で居眠りなどして居られる不人情家は見当らなかつた。
町端れの停車場まで、私は爺さんと合乗りし、そして婆さんと私の若い阿母が、浅黄ちりめんの高祖頭巾を被り、毛布のやうに大幅の流行肩掛をかけて二人乗の俥に並んだ。姑と嫁がさも/\仲睦しいといふ、さういふ示威行為が流行したのださうである。私のいでたちはといふと、いつもそれで爺さんと母との間に一悶着が起りかゝるのであつたが、母は外国にゐる亭主が、息子(わたし)のために贈つて寄す洋服を着せ、どうせ途中で歩くのだからとボタンの長靴を穿かせようとするし、爺さんは、
「俺あ、メリケンは強(きつ)い嫌ひだよ。」
と身震ひした。「歩くつたつて、人車ぢやないか。加(おま)けに岩吉がゐるんだし……」
「これは岩吉におぶさるのは嫌ひぢやありませんか。」
と阿母は反対するのであつたが、洋服などを着た姿を友達に見られると、あとが怕いといふ当人の陳述も出て、大概爺さんの主張が通つた。私としては他所行の穿物といふのが、これがまた苦手の畳付の駒下駄であつたり、雪駄であつたりするために、加けに黄色い棒縞の厭に光つた袴など穿き、むかふに降りてから梅林のちかくの家まで行く間、転んだりするので、岩吉におぶさるのが常例だつた。岩吉は以前、小田原の俥夫であつたが、今時人力なんて曳いて居られるものかと発憤して人車の運転手に乗り換へたが、バクチを打つたとかの廉で間もなく免職になり、熱海で遊んでゐた。危く懲役へ行くところを、爺さんの口利きで救かつたとかで、恩に着てゐるさうであつた。(私は、そんな幼年の癖にして、そんな類ひの話を漏れ聞いてゐたなど――事実、記憶してゐるところを見ると、我ながら小癪な小僧と思ふのである。)
「岩吉は石川五衛門見たいだから、嫌ひだよ。」
私は自分ながら、動ともすれば自分を子供の折から厭なやつだと秘かに思つて憂鬱になる癖があつたが、例へばそんな冬の朝など肌ざわりの違ふ冷たく光つた着物などを着せられると、妙に魂までが悲しいような嬉しいような女の甘つたれのやうな生体のないものになつて、人の悪くちを云ふのが愉快だつた。
「あたしも嫌ひさ。おぢいさんが贔屓などする気が知れやしない。ほんとうに岩吉となんか遊んぢやいけないよ。」
と母も、子の甘つたれをとがめもせずに同意した。私は、絵本で見る石川五右衛門が釜うでにされながら子供をさしあげてゐる顔つきが、その盗賊の偉さなどゝいふものは全く別にして、単に毒々しく獰猛気な拙劣な絵の顔つきと、笑つても苦味走つてゐる見度いな角頤の具合や、頬骨の感じなどが、おそらく懲役などゝいふ恐るべき言葉からの連想があつたからには相違ないのであるが、岩吉を髣髴させるのであつた。ところが、口では嫌ひだと云つて居りながら、二人ぎりになると子供を相手に云ふべからざる卑猥なことを、低いふつきれ声で、さも/\秘密の相談でも交すやうにさゝやく彼の容子に魅力を覚えるのであつた。
「ちよつと双六を持つて来て御覧なさいよ。あつしがとても面白い賽の振り方を教へてあげますからさ。」
彼は台所の囲炉裡端で、茶を喫むやうな振りで酒をあふりながら、私に賽コロを持つて来さすと、器用な手つきでそれを振つては独りで考へ込んだ。そして人の気はひがすると慌てゝ私と双六の勝負を争つた。私も実は、彼とそんな勝負事を争ふよりも、温泉場へ来ると皆なが何となく呑気になつてゐて別段に早寝を強ひもしないので、智慧の輪や達磨落しなどを運んで、さも/\無邪気な遊びに屈托してゐる態にして夜を更したがつたのであるが、そんな遊びよりも、合間々々の岩吉の途方もない戯談の方が面白かつたのである。――私が未だに、母さんと一処に寝るさうだが、それはとても可笑しいことだとか……母さんが何んな夢を見るか当てゝ見ようか――とかと云つて私を気味悪がらせたり、憤らせたかとおもふと、
「もう、そろ/\蒲団部屋を覗きに行つても好い時分ですぜ。」
と誘ふのであつた。爺さんが旅館の酒を好んで、つい滞留しがちなので山の家から岩吉が迎へに来てゐるのであつたが、私たちにしろ華やかな宿屋の方が珍らしいので容易に引上げたがらなかつた。私は、岩吉と遊ぶのはたしかに悪事だといふ気はしてゐたので、嫌ひだとでも云はなければ不首尾になりさうで悪口を云ふ傾きでもあつた。然し、面白くはあつたが、彼の人物を好いてゐないのは確かでもあつた。
「屹度もう居眠りがはぢまつてゐますよ。」
と彼は私をそゝのかすのであつた。私は、空呆けてはゐたものゝ内心彼の、その勧誘を期待してゐるのであつた。そつと跫音を忍ばせて、土蔵寄りの蒲団部屋を窺ふと、大概は二人か三人の若い女中が居眠りどころか前後不覚に寝倒れて居た。激しい労働の疲れで、熟睡を盗んでゐる者の、仮の寝姿は、わずかに廊下のランプに明るんでゐる障子の内で蒲団の山々の合間に、恰度「波の戯れ」と題するベツクリンの作画に見るかのやうな怪奇美に溢れてゐた。否、単に戦慄すべき醜悪と云ふべきが至当であつたらう。私は絵草紙の中の惨憺たる殺人の光景を眼のあたりにする大そうな滑稽感で、声でもあげておどろかしてやらうとすると、岩吉の八ツ手のやうな掌が私の鼻と口をおさへた。
二
小田原を出発する私達は主に明方の一番車であつたが、停車場の前の入木亭といふ待合茶屋へ乗り込んで、天候の次第を待たなければならなかつた。
「近頃は、どうも人車(ジンシヤ)つてえ便利なものが出来たんで熱海行はすつかり楽になつたが。」
熱海行の朝(私の記憶では、蜜柑の穫収れが済んだ頃だけがあざやかであるが――)といふと、私たちは暗いうちに起きて竹筒ランプの傍らで朝餉に向ひ、祖父は自家製の酒を一本傾けながら、
「つい此間までは駕籠か草鞋がけだつたんだからな。それが何うも芝居見物にでも行くようなこしらへで、上等の箱か何かで居眠りをしながらでもお午時分には着いて仕舞はうつてんだから大層なものさ。」
と得意さうだつた。得意といふのは、人車(ジンシヤ)鉄道株式会社といふものゝ祖父は相談役か何かであつたゝめに、私たちが人車なんか……と、うつかり軽んじようとすると、不機嫌であつた。飽くまでも文明の利器として、認識しなければ面白くなかつたのであるが、母や私は鉄道馬車で国府津へ赴き、煙りを吐く汽車に乗り慣れたので、従令線路の上を走るとは云ふものゝ人間が後おしをして滑走する人車などゝいふ鉄道に驚くわけには行かなかつた。居眠りをしながらでも――などと祖父は極めて安楽さうに吹聴するものゝ、おそらく十人乗りぐらひの箱車を四五人の被布姿の運転手が力を合せて後おしするのであつたから、ちよつとした勾配に差しかゝつても、歩く人よりも遥かに鈍くなり、降りとなれば、運転手達は虫籠にとまつた蝉のやうに踏台に吸ひつき、その間こそは正に一瀉千里、「つばめ」か「さくら」のやうに実に猛烈な勢ひで砂塵を巻いて、滑り落ちるのであつたから、母は私を抱きすくめて震へて居り、あんなことを云つてゐた祖父にしろ思はず婆さんと声を合せて御題目を唱へるやうな始末だつたから、凡そ安楽な気遣ひは絶無だつたのだ。登りとなれば、大概の乗客がその速力の遅さに業を煮して、先へ立つて歩いたり、中には後おしの弥次馬に成る者さへあるのだから、そんな車の中で居眠りなどして居られる不人情家は見当らなかつた。
町端れの停車場まで、私は爺さんと合乗りし、そして婆さんと私の若い阿母が、浅黄ちりめんの高祖頭巾を被り、毛布のやうに大幅の流行肩掛をかけて二人乗の俥に並んだ。姑と嫁がさも/\仲睦しいといふ、さういふ示威行為が流行したのださうである。私のいでたちはといふと、いつもそれで爺さんと母との間に一悶着が起りかゝるのであつたが、母は外国にゐる亭主が、息子(わたし)のために贈つて寄す洋服を着せ、どうせ途中で歩くのだからとボタンの長靴を穿かせようとするし、爺さんは、
「俺あ、メリケンは強(きつ)い嫌ひだよ。」
と身震ひした。「歩くつたつて、人車ぢやないか。加(おま)けに岩吉がゐるんだし……」
「これは岩吉におぶさるのは嫌ひぢやありませんか。」
と阿母は反対するのであつたが、洋服などを着た姿を友達に見られると、あとが怕いといふ当人の陳述も出て、大概爺さんの主張が通つた。私としては他所行の穿物といふのが、これがまた苦手の畳付の駒下駄であつたり、雪駄であつたりするために、加けに黄色い棒縞の厭に光つた袴など穿き、むかふに降りてから梅林のちかくの家まで行く間、転んだりするので、岩吉におぶさるのが常例だつた。岩吉は以前、小田原の俥夫であつたが、今時人力なんて曳いて居られるものかと発憤して人車の運転手に乗り換へたが、バクチを打つたとかの廉で間もなく免職になり、熱海で遊んでゐた。危く懲役へ行くところを、爺さんの口利きで救かつたとかで、恩に着てゐるさうであつた。(私は、そんな幼年の癖にして、そんな類ひの話を漏れ聞いてゐたなど――事実、記憶してゐるところを見ると、我ながら小癪な小僧と思ふのである。)
「岩吉は石川五衛門見たいだから、嫌ひだよ。」
私は自分ながら、動ともすれば自分を子供の折から厭なやつだと秘かに思つて憂鬱になる癖があつたが、例へばそんな冬の朝など肌ざわりの違ふ冷たく光つた着物などを着せられると、妙に魂までが悲しいような嬉しいような女の甘つたれのやうな生体のないものになつて、人の悪くちを云ふのが愉快だつた。
「あたしも嫌ひさ。おぢいさんが贔屓などする気が知れやしない。ほんとうに岩吉となんか遊んぢやいけないよ。」
と母も、子の甘つたれをとがめもせずに同意した。私は、絵本で見る石川五右衛門が釜うでにされながら子供をさしあげてゐる顔つきが、その盗賊の偉さなどゝいふものは全く別にして、単に毒々しく獰猛気な拙劣な絵の顔つきと、笑つても苦味走つてゐる見度いな角頤の具合や、頬骨の感じなどが、おそらく懲役などゝいふ恐るべき言葉からの連想があつたからには相違ないのであるが、岩吉を髣髴させるのであつた。ところが、口では嫌ひだと云つて居りながら、二人ぎりになると子供を相手に云ふべからざる卑猥なことを、低いふつきれ声で、さも/\秘密の相談でも交すやうにさゝやく彼の容子に魅力を覚えるのであつた。
「ちよつと双六を持つて来て御覧なさいよ。あつしがとても面白い賽の振り方を教へてあげますからさ。」
彼は台所の囲炉裡端で、茶を喫むやうな振りで酒をあふりながら、私に賽コロを持つて来さすと、器用な手つきでそれを振つては独りで考へ込んだ。そして人の気はひがすると慌てゝ私と双六の勝負を争つた。私も実は、彼とそんな勝負事を争ふよりも、温泉場へ来ると皆なが何となく呑気になつてゐて別段に早寝を強ひもしないので、智慧の輪や達磨落しなどを運んで、さも/\無邪気な遊びに屈托してゐる態にして夜を更したがつたのであるが、そんな遊びよりも、合間々々の岩吉の途方もない戯談の方が面白かつたのである。――私が未だに、母さんと一処に寝るさうだが、それはとても可笑しいことだとか……母さんが何んな夢を見るか当てゝ見ようか――とかと云つて私を気味悪がらせたり、憤らせたかとおもふと、
「もう、そろ/\蒲団部屋を覗きに行つても好い時分ですぜ。」
と誘ふのであつた。爺さんが旅館の酒を好んで、つい滞留しがちなので山の家から岩吉が迎へに来てゐるのであつたが、私たちにしろ華やかな宿屋の方が珍らしいので容易に引上げたがらなかつた。私は、岩吉と遊ぶのはたしかに悪事だといふ気はしてゐたので、嫌ひだとでも云はなければ不首尾になりさうで悪口を云ふ傾きでもあつた。然し、面白くはあつたが、彼の人物を好いてゐないのは確かでもあつた。
「屹度もう居眠りがはぢまつてゐますよ。」
と彼は私をそゝのかすのであつた。私は、空呆けてはゐたものゝ内心彼の、その勧誘を期待してゐるのであつた。そつと跫音を忍ばせて、土蔵寄りの蒲団部屋を窺ふと、大概は二人か三人の若い女中が居眠りどころか前後不覚に寝倒れて居た。激しい労働の疲れで、熟睡を盗んでゐる者の、仮の寝姿は、わずかに廊下のランプに明るんでゐる障子の内で蒲団の山々の合間に、恰度「波の戯れ」と題するベツクリンの作画に見るかのやうな怪奇美に溢れてゐた。否、単に戦慄すべき醜悪と云ふべきが至当であつたらう。私は絵草紙の中の惨憺たる殺人の光景を眼のあたりにする大そうな滑稽感で、声でもあげておどろかしてやらうとすると、岩吉の八ツ手のやうな掌が私の鼻と口をおさへた。
二
小田原を出発する私達は主に明方の一番車であつたが、停車場の前の入木亭といふ待合茶屋へ乗り込んで、天候の次第を待たなければならなかつた。
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