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父の手帳 - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

  • ■レプリカ新型警察手帳(証票・手帳カバー・手帳紐)の付属品付
  • 【デネット社】お好みシステム手帳2/オリジナル手帳作成!!
  • エバンゲリオン2011年カレンダー、手帳、手帳カバー 2 入手困難
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 父は建築家の中でも、書斎勉強するたちの人でなく、人間の住む家を、様々なその必要の条件にしたがって、事務的に、家族的に、趣味的に建ててゆくという現実の進行を愛したたちでした。そういう気質はいかにも設計家にふさわしい特徴をもっていて、西洋の諺に弁護士作家建築家の妻にはなるな、とある、そういう几帳面さを、一面にもっていました。
 仕事事務所で、というのが終生の暮しかたでした。事務所では忙しがっているからというわけか、事務所仕事に直接関係のある用事のかたが、夜や朝早く、日曜の朝など早く来られると、事務所の用事は事務所で伺うことにしていますからと、おことわり申しました。押しかえし、一寸でよかったらと云われても、譲歩しない。やはり何度でも事務所でと答え、後年は、そういう習慣世間一般にも少なくなったので、早朝お客様との押し問答が稀れになりました。
 夕刻事務所から早く帰った日には、皆でテーブルを囲んで夕飯をたべ、後は談笑したり、音楽をきいたり、興に乗じると、昔ロンドンアーヴィングが演(や)ったハムレットの真似だと云って、芝居の真似をしたり、賑やかでした。喋っても、癇癪を起しても陽性でした。いつも活気があり、流動があり、些の感傷と常套もあって、父は親密な温い父でした。
 私が九つか十位から十年間ばかり、私がまだ父と一緒の家に暮していた間、朝父の出がけの身仕度をするのが私の楽しい任務でした。お洒落ではなかったが、髭は必ず毎朝剃り、カラアは毎朝とりかえ、ホワイト・シャツも一日おき位にとりかえ、そのホワイト・シャツのカフス・ボタンをはめるのが私の役でした。その頃は今のようにソフトをつかわず、西洋洗濯から糊がごわごわについてテラリと艷出しをしたのが運ばれます。そのカフスに、指の跡をつけないよう、ボタン穴のところをくずさないよう、小さい私は目玉に力を入れてボタンをつけかえる。それを着ると父はカラアをつけるのですが、そのカラアも今思うと、よくあのように堅いものを頸のまわりに立てていたとおどろくような堅いのでした。ずっとダブル・カラアをつかい、前をとめるときには、ボタンの頭に、先の尖って柄の長い添えボタンをつかってはめておりました。それからおきまりの七つ道具をわたします。平べったい金時計、その片方の先にナイフがついている、虫眼鏡の度のちがうのがいくつも重って出て来るようになっているもの。紙入、そして一冊の平凡手帳ハンカチーフ其他――。
 この手帳こそ、父の生涯を通じての動く書斎であり、秘書のようなものであったと思います。誰かと会見する約束が生じる。すると父はすぐ内ポケットから手帳を出して、それを書きこみます。百合子、あさってひる飯に事務所へ来ないかい? ありがとう、行くわ。そのような内輪のメモにもなり仲通りの何処かで何か陶器の気に入ったのが目につくと、その場所、見つけた日づけ、時にはその陶器スケッチなどもこの手帳にされました。
 一日のうちに、父は幾度、手帳を出しかけたことでしょう。実にまめに、何でもかきつけましたが、書いてしまうと安心するのか、それを見ないと、それっきりつい忘れてしまうことなどあり、いつかなど、ああ草臥れた、きょうは早くかえれて儲けものだとよろこび、すっかり平常着にくつろいでしまいました。やがてふと用を思い出したと見え、手帳をおくれともって来させ、頁をくっていたと思うと、やアこれはしまった、今夜はどこそこだった! という次第です。だから、お帰りになる前一遍よく手帳を御覧なさいというのにと云いながら母も手伝って、今度はモウニングか何かに改まって再び出かけたことなどもあります。
 父の手帳について一番なつかしく思うのは、自分仕事を心から好いている者としての父の姿に結びついて思い浮ぶ様々場面です。夕飯がすんで夜の九時頃、私が自分勉強一休みしようと部屋から食堂に出てゆくと、質素な、別に似合うでもないどてらを着た父がテーブルの横のところに坐って帳面をひろげ、鉛筆をもって頻りにプランを描いております。草案をねるという工合のようでした。小さく、いろいろに案配をかいて、いくつも、飽きることなく描いている。母は父の横でしずかに手の先の仕事をするか本を読んでいるのでしたが、母には面白いことにエレヴェーションは分ってもプランは会得出来ませんでした。三十六年建築家の妻であったが、父より三年早く没した迄プランは駄目でした。そこで私をつかまえて、父は自分が描いているプランの一つ一つを説明し、一つよりは他の一つが改良されている点を教え、非常想像力を刺激するリアリスティック言葉の描写で、そこが出来上った時の有様を目に見えるように話しました。この戸からすぐ庭へ出ると、庭は芝生で、薔薇の植込みがあり、ここの石の腰架のところでは小噴水が眺められる、夏なんぞ涼しいよ。今度は家の内から出て、まるで庭を歩いているように具象的に話しました。こういう晩は父の機嫌は元より上々です。従って私も父の想像自分空想を綯い合わせ、二人で家と人間とを合作して喋ったりしました。二人の話をきいていると、まるで雲の上だね、これは母が傍からの批評です。今日、私の貧弱な常識の中に、ほんの少しばかりでも建築美術についての内容が加えられているのは殆ど皆、こういう父の手帳中心にしてこの団欒遺産です。
 晩年になってから、父は夕飯後の食堂手帳をひろげることが追々少くなりました。仕事に対する父の愛が減ったのではなく、仕事について父の分担が年を経るままに変って来たのでした。そのことを、私は一度も父には直接申しませんでしたが、自分の心の中では或る避けがたい悲しみとして鋭く感じていました。文学建築という仕事の質の相異というものを強く感じました。事務所出来た時父は四十一二歳でしたでしょう。それから二十年ばかりの歳月が経つと、娘は益々建築家としての父の業績を愛し、理解しようと欲することが激しくなって来たのですが、父の側では、事務所内部的組立が経営的に分化し、組織化され、父自身は元のように最初のスケッチから細部のプランまで自身が主としてやらないでよろしいことになった模様です。別の云いかたで表現すると、父は依然として忙しく、活気に充ちているが、その忙しさの内容が変り、手帳内容から、興味ふかいプランの成長過程の快い眺め、そういう労作の面が縮少されて来たのでした。
 六十九年の生涯に、父は何冊の手帳をもったでしょうか、きょう、食堂のヌックに置いて生前父が使っていた書物机の奥をしらべていたらば、一冊のスケッチ帳形の手帳が出て来ました。茶色クローズ表紙鼠色紙の扉にノート風の細かいペン字で、
  (1) 大学図書館公開スル事
  (2) 東洋美術発行ノ事
とあり、別行に、これは鉛筆で「電燈タングステン燈よろし」続けて、「木彫専門」「襖紙一式」等各建築関係専門店の名と所書きが並べられている。


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