片信 - 有島 武郎 ( ありしま たけお )
A兄
近来|出遇(であ)わなかったひどい寒さもやわらぎはじめたので、兄の蟄伏期(ちっぷくき)も長いことなく終わるだろう。しかし今年の冬はたんと健康を痛めないで結構だった。兄のような健康には、春の来るのがどのくらい祝福であるかをお察しする。
僕の生活の長い蟄眠期(ちつみんき)もようやく終わりを告げようとしているかに見える。十年も昔僕らがまだ札幌にいたころ、打ち明け話に兄にいっておいたことを、このごろになってやっと実行しようというのだ。自分ながら持って生まれた怯懦(きょうだ)と牛のような鈍重さとにあきれずにはいられない。けれども考えてみると、僕がここまで辿(たど)り着くのには、やはりこれだけの長い年月を費やす必要があったのだ。今から考えると、ようこそ中途半端で柄にもない飛び上がり方をしないで済んだと思う。あのころには僕にはどこかに無理があった。あのころといわずつい昨今まで僕には自分で自分を鞭(むちう)つような不自然さがあった。しかし今はもうそんなものだけはなくなった。僕の心は水が低いところに流れて行くような自然さをもって僕のしようとするところを肯(がえ)んじている。全く僕は蟄虫が春光に遇っておもむろに眼を開くような悦(よろこ)ばしい気持ちでいることができる。僕は今不眠症にも犯されていず、特別に神経質にもなっていない。これだけは自分に満足ができる。
ただし蟄眠期を終わった僕がどれだけ新しい生活に対してゆくことができるか、あるいはある予期をもって進められる生活が、その予期を思ったとおりに成就してくれるか、それらの点に行くとさらに見当がつかない。これらについても十分の研究なり覚悟なりをしておくのが、事の順序であり、必要であるかもしれないけれども、僕は実にそういう段になると合理的になりえない男だ。未来は未来の手の中にあるとしておこう。来たるべきものをして来たるべきものを処置させよう。
結局僕の今度の生活の展開なり退縮なりは、全く僕一個に係(かかわ)った問題で、これが周囲に対していいことになるか、悪いことになるかはよくわからない。だけれども僕の人生哲学としては、僕は僕自身を至当に処理していくほかに、周囲に対しての本当に親切なやり方というものを見いだすことができない。僕自身を離れたところに何事かを成就しうると考える軽業のような仕事はできない。僕の従来の経験から割り出されたこの人生哲学がどこまで立証されるかは、僕の経験をさらに続行することによってのみ立証されることで、そのほかには立証のしようがないのだから仕方がない。
さて僕の最近の消息を兄に報じたついでに、もう一つお知らせするのは、僕がこの一月の「改造」に投じた小さな感想についてである。兄は読まなかったことと思うが「宣言一つ」というものを投書した。ところがこの論理の不徹底な、矛盾に満ちた、そして椏者(あしゃ)の言葉のように、言うべきものを言い残したり、言うべからざるものを言い加えたりした一文が、存外に人々の注意を牽(ひ)いて、いろいろの批評や駁撃(ばくげき)に遇うことになった。その僕の感想文というのは、階級意識の確在を肯定し、その意識が単に相異なった二階級間の反目的意識に止まらず、かかる傾向を生じた根柢に、各階級に特異な動向が働いているのを認め、そしてその動向は永年にわたる生活と習慣とが馴致(じゅんち)したもので、両階級の間には、生活様式の上にも、それから醸(かも)される思想の上にも、容易に融通しがたい懸隔のあることを感じ、現在においてはそれがブルジョアとプロレタリアの二階級において顕著に現われているのを見るという前提を頭に描いて筆を執ったものだ。そして僕の感ずるところが間違っていなければ、プロレタリアの人々は、在来ブルジョアの或るものを自分らの指導者として仰いでいる習慣を打破しようとしている。これは最近に生活の表面に現われ出た事実のうち最も注意すべきことだ。ところが芸術にたずさわっているものとしての僕は、ブルジョアの生活に孕(はら)まれ、そこに学び、そこに行ない、そこに考えるような境遇にあって今日まで過ごしてきたので不幸にもプロレタリアの生活思想に同化することにほとんど絶望的な困難を感ずる。生活や思想にはある程度まで近づくことができるとしても、その感情にまで自分をし向けていくことは不可能といって差し支えない。しかも僕はブルジョアは必ず消滅して、プロレタリアの生活、したがって文化が新たに起こらねばならぬと考えているものだ。ここに至って僕は何処に立つべきであるかということを定める立場を選ばねばならぬ。僕は芸術家としてプロレタリアを代表する作品を製作するに適していない。だから当然消滅せねばならぬブルジョアの一人として、そうした覚悟をもってブルジョアに訴えることに自分を用いねばならぬ。これがだいたい僕の主張なのである。僕にとっては、これほど明白な簡単な宣言はないのだ。本当をいうと、僕がもう少し謙遜(けんそん)らしい言葉遣いであの宣言をしたならば、そしてことさら宣言などいうたいそうな表現を用いなかったら、あの一文はもう少し人の同情を牽(ひ)いたかもしれない。しかし僕の気持ちとしては、あれ以上謙遜にも、あれ以上大胆にも物をいうことができなかったのだ。この点においては反感を買おうとも、憐(あわ)れみを受けようとも、そこは僕がまだ至らないのだとして沈黙しているよりいたしかたがない。
僕の感想文に対してまっ先に抗議を与えられたのは広津和郎氏と中村星湖氏とであったと記憶する。中村氏に対しては格別答弁はしなかったが、広津氏に対してはすぐに答えておいた(東京朝日新聞)。その後になって現われた批評には堺利彦氏と片山伸氏とのがある。また三上於菟吉(みかみおときち)氏も書いておられたが僕はその一部分より読まなかった。平林初之輔氏も簡単ながら感想を発表した。そのほか西宮藤朝氏も意見を示したとのことだったが、僕はついにそれを見る機会を持たなかった。
そこでこれらの数氏の所説に対する僕の感じを兄に報ずることになるのだが、それは兄にはたいして興味のある問題ではないかもしれない。僕自身もこんなことは一度言っておけばいいことで、こんなことが議論になって反覆応酬されては、すなわち単なる議論としての議論になっては、問題が問題だけに、鼻持ちのならないものになると思っている。しかし兄に僕の近況を報ずるとなると、まずこんなことを報ずるよりほかに事件らしい事件を持ち合わさない僕のことだから、兄の方で忍耐してそれを読むほかに策はあるまい。
僕の言ったことに対してとにかく親切な批評を与えたのは堺氏と片山氏とだった。
僕の生活の長い蟄眠期(ちつみんき)もようやく終わりを告げようとしているかに見える。十年も昔僕らがまだ札幌にいたころ、打ち明け話に兄にいっておいたことを、このごろになってやっと実行しようというのだ。自分ながら持って生まれた怯懦(きょうだ)と牛のような鈍重さとにあきれずにはいられない。けれども考えてみると、僕がここまで辿(たど)り着くのには、やはりこれだけの長い年月を費やす必要があったのだ。今から考えると、ようこそ中途半端で柄にもない飛び上がり方をしないで済んだと思う。あのころには僕にはどこかに無理があった。あのころといわずつい昨今まで僕には自分で自分を鞭(むちう)つような不自然さがあった。しかし今はもうそんなものだけはなくなった。僕の心は水が低いところに流れて行くような自然さをもって僕のしようとするところを肯(がえ)んじている。全く僕は蟄虫が春光に遇っておもむろに眼を開くような悦(よろこ)ばしい気持ちでいることができる。僕は今不眠症にも犯されていず、特別に神経質にもなっていない。これだけは自分に満足ができる。
ただし蟄眠期を終わった僕がどれだけ新しい生活に対してゆくことができるか、あるいはある予期をもって進められる生活が、その予期を思ったとおりに成就してくれるか、それらの点に行くとさらに見当がつかない。これらについても十分の研究なり覚悟なりをしておくのが、事の順序であり、必要であるかもしれないけれども、僕は実にそういう段になると合理的になりえない男だ。未来は未来の手の中にあるとしておこう。来たるべきものをして来たるべきものを処置させよう。
結局僕の今度の生活の展開なり退縮なりは、全く僕一個に係(かかわ)った問題で、これが周囲に対していいことになるか、悪いことになるかはよくわからない。だけれども僕の人生哲学としては、僕は僕自身を至当に処理していくほかに、周囲に対しての本当に親切なやり方というものを見いだすことができない。僕自身を離れたところに何事かを成就しうると考える軽業のような仕事はできない。僕の従来の経験から割り出されたこの人生哲学がどこまで立証されるかは、僕の経験をさらに続行することによってのみ立証されることで、そのほかには立証のしようがないのだから仕方がない。
さて僕の最近の消息を兄に報じたついでに、もう一つお知らせするのは、僕がこの一月の「改造」に投じた小さな感想についてである。兄は読まなかったことと思うが「宣言一つ」というものを投書した。ところがこの論理の不徹底な、矛盾に満ちた、そして椏者(あしゃ)の言葉のように、言うべきものを言い残したり、言うべからざるものを言い加えたりした一文が、存外に人々の注意を牽(ひ)いて、いろいろの批評や駁撃(ばくげき)に遇うことになった。その僕の感想文というのは、階級意識の確在を肯定し、その意識が単に相異なった二階級間の反目的意識に止まらず、かかる傾向を生じた根柢に、各階級に特異な動向が働いているのを認め、そしてその動向は永年にわたる生活と習慣とが馴致(じゅんち)したもので、両階級の間には、生活様式の上にも、それから醸(かも)される思想の上にも、容易に融通しがたい懸隔のあることを感じ、現在においてはそれがブルジョアとプロレタリアの二階級において顕著に現われているのを見るという前提を頭に描いて筆を執ったものだ。そして僕の感ずるところが間違っていなければ、プロレタリアの人々は、在来ブルジョアの或るものを自分らの指導者として仰いでいる習慣を打破しようとしている。これは最近に生活の表面に現われ出た事実のうち最も注意すべきことだ。ところが芸術にたずさわっているものとしての僕は、ブルジョアの生活に孕(はら)まれ、そこに学び、そこに行ない、そこに考えるような境遇にあって今日まで過ごしてきたので不幸にもプロレタリアの生活思想に同化することにほとんど絶望的な困難を感ずる。生活や思想にはある程度まで近づくことができるとしても、その感情にまで自分をし向けていくことは不可能といって差し支えない。しかも僕はブルジョアは必ず消滅して、プロレタリアの生活、したがって文化が新たに起こらねばならぬと考えているものだ。ここに至って僕は何処に立つべきであるかということを定める立場を選ばねばならぬ。僕は芸術家としてプロレタリアを代表する作品を製作するに適していない。だから当然消滅せねばならぬブルジョアの一人として、そうした覚悟をもってブルジョアに訴えることに自分を用いねばならぬ。これがだいたい僕の主張なのである。僕にとっては、これほど明白な簡単な宣言はないのだ。本当をいうと、僕がもう少し謙遜(けんそん)らしい言葉遣いであの宣言をしたならば、そしてことさら宣言などいうたいそうな表現を用いなかったら、あの一文はもう少し人の同情を牽(ひ)いたかもしれない。しかし僕の気持ちとしては、あれ以上謙遜にも、あれ以上大胆にも物をいうことができなかったのだ。この点においては反感を買おうとも、憐(あわ)れみを受けようとも、そこは僕がまだ至らないのだとして沈黙しているよりいたしかたがない。
僕の感想文に対してまっ先に抗議を与えられたのは広津和郎氏と中村星湖氏とであったと記憶する。中村氏に対しては格別答弁はしなかったが、広津氏に対してはすぐに答えておいた(東京朝日新聞)。その後になって現われた批評には堺利彦氏と片山伸氏とのがある。また三上於菟吉(みかみおときち)氏も書いておられたが僕はその一部分より読まなかった。平林初之輔氏も簡単ながら感想を発表した。そのほか西宮藤朝氏も意見を示したとのことだったが、僕はついにそれを見る機会を持たなかった。
そこでこれらの数氏の所説に対する僕の感じを兄に報ずることになるのだが、それは兄にはたいして興味のある問題ではないかもしれない。僕自身もこんなことは一度言っておけばいいことで、こんなことが議論になって反覆応酬されては、すなわち単なる議論としての議論になっては、問題が問題だけに、鼻持ちのならないものになると思っている。しかし兄に僕の近況を報ずるとなると、まずこんなことを報ずるよりほかに事件らしい事件を持ち合わさない僕のことだから、兄の方で忍耐してそれを読むほかに策はあるまい。
僕の言ったことに対してとにかく親切な批評を与えたのは堺氏と片山氏とだった。
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リーグ戦第4節:5月24日(日) - scswave08 @ ウィキ - scswave08 @ ウィキ
15 澁谷 武郎 SH,SB 30 30 沖 尚子 MG -- 7 加藤 美奈 MG

