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牧野さんの死 - 坂口 安吾 ( さかぐち あんご )

  • 原色牧野和漢薬草大図鑑 昭和63年10月初版 本体35,000円
  • 初版▲美品送料込み500円▲『呪禁官』牧野修
  • 牧野修「屍の王」日本SF大賞作家☆初版帯
  • 牧野修「傀儡后」日本SF大賞☆初版帯 
  • ② 文庫 牧野修 黒娘 アウトサイダー フィメール
  • 【初版・帯】記憶の食卓◆牧野修◆角川書店◆
  • 【初版・サイン本】記憶の食卓◆牧野修◆角川書店
  • @牧野修『月光とアムネジア』ベストSF★文庫本4冊まで送料160円
  • 手にとるように経済用語がわかる本 牧野 昇
  • 牧野修★少年テングサのしょっぱい呪文 初版
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 牧野さんの自殺の真相は彼の生涯の文章が最もよく語つてゐる。牧野さんの文学自殺約束したところの・自殺と一身同体の・文学だつた。
 牧野さんは理窟の言へない人で、自分血族血族にあらざる者とを常にただ次のやうな言葉によつて区別してゐた。「あれはほんとの蒼ざめた悲しさの分る人だよ」牧野さんが僕の小説をほめる言葉「ねえ、ほんとに、なんとも言へない蒼ざめた君の姿があの中にあるんだよ」彼が私に今にも縋りつきさうな情熱燃えて語る時、それは「蒼ざめた悲しさ」に就て語る時のほかになかつた。「ゲーテはたいへんな大法螺吹きだ。なんにも知らないくせに学者ぶつた顔をしやうとひどい苦労をしてよ、わははははは。あいつは大変助平爺いだ!」酔つてゲーテを語る時、牧野さんの生き生きとした時間がそこにもあつた。ゲーテがさうであつたやうに、風景のよい隠棲の部屋で、窓によつて森や小川のせせらぎにとりまかれながら、彼も静か死ぬのではないかと考へたこともないではなかつた。

 牧野さんは貧乏だつたが、使ひ切れない分量の収入があるならとにかく、純文学最大流行作家程度の収入なら、恐らく同じ程度に貧乏だつたに違ひない。彼は宰相にならうとか人心を高めやうといふ野心や理想はなかつたが(作家のうちで最もなかつた)然し、「貧乏でなければならなかつた」。牧野さんは人生を夢に変へた作家である。彼の最大の夢は文学であり、我々にとつて人生と呼ばれるものが彼にとつては文学の従者となり、そのための特殊の設計受けなければならなくなる。彼自身はいつぱし人生を生きてゐた気で、実は彼の文学を生き、特殊の設計受け人生をしかも自らは気附かずして生きてゐた。彼の自殺すら、自らは気附かざる「自己の文学」に「復帰」した使徒行為であつたのだらう。彼の文学設計した人生によれば、彼は貧困でなければならず、けれども明るくなければならない。そこで彼は或日銀座で泥酔女房への土産には陸上競技投槍を買ひ、これを担ひ高らかにかちどきをあげながら我家の門をくぐるのである。明日の米はないのだ。細々と明日の米に生きるよりは、米を投槍に換えなければ「ならなかつた」のである。そして翌朝奥さんにどやされ、あはてふためいて友達の家に雑誌社に助力をもとめに駈けつけなければならないのである。友達に厭な顔をされ、てめえなぞとはもう絶交だなぞと言はれ、あるひは美事な義侠心にふれなければならなかつたのである。
 同じやうに、彼は「助平でなければならず(ゲーテのやうに)女房にかくれ仇な女によこしまな思ひを寄せなければならず」、然し彼は人に許された最も高度純潔を持つた紳士であつた。彼が常に愛用した言葉をかりれば、ラ・マンチャの紳士のやうに、紳士であつた。
 設計しすぎた人生のために同時代友人を失ひ、多感な青年ばかりが彼の親友になつた。同時代の人と言へば歌舞伎座鈴木君ぐらゐのもので、そのほかの友人群に僕以上の年配の人は殆んどない。中戸川吉二氏と絶交の顛末なぞと言ふものは珍中の珍で、なんでも深夜泥酔のあげく、牧野さんは数名の青年を率ひ中戸川氏叩き起したものらしい。その翌日私のところへ牧野さんから電話がきて、すぐ遊びに来てくれないかと言ふので駆けつけると、彼はひどく悄気(しよげ)てゐた。即ち中戸川氏から宛名に敬称すら記さない葉書がきて、以後絶交だ、とたつたそれだけ書いてあつたと言ふのだ。滑稽で莫迦々々しくて仕方がなかつた。芸術家はもつと図太く自分勝手に生きていい、それを容れない友達なんてこつちからつきあはない方がいいなぞと慰めると元気をとりもどして酔つたやうだが、一週間ぐらゐは怏々(おうおう)として楽しまなかつたやうである。同時代友情に飢ゑてゐたのだ。牧野さんの稚気愛すべき生活は、爵位とか名門といふ世俗的な栄光に完全に批判のない尊敬の念を懐いてゐて、ひところ若い男爵文学青年が彼のもとに出入りしてゐたが、すつかり堅くなつてつきあつてゐた。大学教授とか勲一等とか大将とか富豪とか、凡そ世俗の尊敬するところは彼のそつくり尊敬するところで、英雄英雄であり従卒は従卒であつて一切の批判を容れる余地がないのである。神社仏閣を素通りせず必ず何事か祈りながら敬々(うやうや)しく頭を下げて通過するといふ風で、この人ほど世俗をそつくり肯定した生き方は最も世俗的な文盲人にあつてすら有り得ない場合のやうに思はれる。彼は最も俗人的であつた。そして最も俗人でなかつた。
 バイロン極めて稚気愛すべき名誉心を持つた男で、ある時人が彼をルッソーに比較した。ところがロード・バイロンはルッソーが下男の子供であるといふ一点に於て彼と同等に論ぜられることがひどく不機嫌だつたといふ。ことほど左様に自己に憑かれ彼は「芝居ができなかつた」ことほど左様に純粋にして高潔な心の持主だつたとスタンダール批評を加へてゐるのである。これと全く同じことを私は詩人牧野信一に就て言ふことができる。

 私は近年牧野さんと文学上の見解を異にしあまり往来しなかつた。私は詩人から小説家になつた。すくなくとも、ならうとしてゐた。私達は詩と小説の食ひ違ひで会へば必ず啀(いが)みあつた。然し牧野さんは理論を持たない人だから単に悪罵になるばかりでお互に気まづい思ひをするばかりだから、自然会ふことも少くなり、会つても最近文学を談じたことは全くなかつた。それでも今年になつてから私は三度牧野さんを訪れた。牧野さんは普段と変らぬ元気だつた。むしろ奥さん若干ヒステリイ気味で、牧野さんの居ない時を見はからつて、近頃彼の神経衰弱のひどいこと、酒に酔ふと乱暴昨日も先日も椅子をふりあげて殴ぐられた、などと訴へられたのである。又周期的にやつてゐるな、と思つただけで、時間経過するうちに再び健康平和がもどるものだと思つてゐた。
 私が始めて牧野さんを知つたのは二十六歳の夏で、その時牧野さんは三十六だつた。その春私は自分のやつてゐた「青い馬」といふ同人雑誌に「風博士」といふのを書いた。


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