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物売りの声 - 寺田 寅彦 ( てらだ とらひこ )

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  • 【ちくま日本文学034】寺田寅彦 1878-1935
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 毎朝床の中でうとうとしながら聞く豆腐屋のラッパの音がこのごろ少し様子が変わったようである。もとは、「ポーピーポー」というふうに、中に一つ長三度くらい高い音をはさんで、それがどうかすると「起きろ、オーキーロー」と聞こえたものであるが、近ごろは単に「ププー、プープ」というふうに、ただひと色の音の系列になってしまった。豆腐屋が変わったのか笛が変わったのかどちらだかわからない。
 昔は「トーフイ」と呼び歩いた、あの呼び声がいったいいつごろから聞かれなくなったかどうも思い出せない。すべての「ほろび行くもの」と同じように、いつなくなったともわからないようにいつのまにかなくなり忘れられ、そうして、なくなり忘れられたことを思い出す人さえも少なくなりなくなって行くのであろう。
 納豆屋の「ナットナットー、ナット、七色唐辛子(なないろとうがらし)」という声もこの界隈(かいわい)では近ごろさっぱり聞かれなくなった。そのかわりに台所へのそのそ黙ってはいって来て全く散文的に売りつけることになったようである。
「豆やふきまめー」も振鈴の音ばかりになった。このごろはその鈴の音もめったに聞かれないようである。ひところはやった玄米パン売りの、メガフォーンを通して妙にぼやけた、聞くだけで咽喉(のど)の詰まるような、食欲を吹き飛ばすようなあのバナールな呼び声も、これは幸いにさっぱり聞かなくなってしまった。
 つい二三年前までは毎年初夏になるとあの感傷的な苗売りの声を聞いたような気がする。「ナスービノーナエヤーア、キュウリノーナエヤ、トオーガン、トオーナス、トオーモローコシノーナエ」という、長くゆるやかに引き延ばしたアダジオの節回しを聞いていると、眠いようなうら悲しいようなやるせのないような、しかしまた日本初夏自然に特有なあらゆる美しさの夢の世界を眼前に浮かばせるような気のするものであった。
 これで対照されていいと思うものは冬の霜夜の辻占(つじうら)売りの声であった。明治三十五年ごろ病気になった妻を国へ帰してひとりで本郷(ほんごう)五丁目の下宿の二階に暮らしていたころ、ほとんど毎夜のように窓の下の路地を通る「花のたより、恋のつじーうら」という妙に澄み切った美しく物さびしい呼び声を聞いた。その声が寒い星空に突き抜けるような気がした。声の主は年の行かない女の子らしかった。それの通る時刻前後して隣の下宿の門の開く鈴音がして、やがて窓の下から自分呼びかける同郷の悪友TとMの声がしたものである。悪友と言っても藪蕎麦(やぶそば)へ誘うだけの悪友であった。「あいつ、このごろ弱っているから引っぱり出して元気をつけてやれ」と言って引っぱり出してくれる悪友であったのである。
「あんま上下(かみしも)二百文」という呼び声も古い昔になくなったらしいが、あのキリギリスの声のようにしゃがれた笛の音だけは今でもおりおりは聞かれる。洋服に靴(くつ)をはいた姿で、昔ながらの笛を吹いて近所の路地を流して通るのに出会ったのは、つい数日前のことであった。
 盛夏の朝早く「ええ朝顔あさがお」と呼び歩くのは去年も聞いた。買ってくれそうな家の付近では繰り返し往復して、それでも買わないとあきらめて行ってしまったのは昔のことで、今ではやはり裏木戸から台所へはいって来て、主人や主婦を呼び出すのが多いようである。
「ええ鯉(こい)や鯉」というのも数年以来聞かないようである。「ええ竿竹(さおだけ)や竿竹」というのをひと月ほど前に聞いたのは珍しかった。
 こういうふうに、旋律的な物売りの呼び声が次第になくなり、その呼び声の呼び起こす旧日本の夢幻的な情調もだんだんに消えうせて行くのは日本全国共通の現象らしい。
 郷里で昔聞き慣れた物売りの声も今ではもう大概なくなったらしいが、考えてみるとずいぶんいろいろのものがあった。その中には子供の時分の親しい思い出に密接に結びついて忘られないものもかなり多数にある。
 夏になると徳島(とくしま)からやって来た千金丹(せんきんたん)売りの呼び声もその一つである。渡り鳥のように四国の脊梁山脈(せきりょうさんみゃく)を越えて南海の町々村々をおとずれて来る一隊の青年行商人は、みんな白がすりの着物の尻(しり)を端折った脚絆草鞋(きゃはんわらじ)ばきのかいがいしい姿をしていた。明治初期を代表するような白シャツを着込んで、頭髪は多くは黙阿弥(もくあみ)式にきれいに分けて帽子はかぶらず、そのかわりに白張りの蝙蝠傘(こうもりがさ)をさしていた。その傘に大きく、たしか赤字で千金丹と書いてあったような気がする。小さな、今で言えばスーツケースのような格好をした黒塗りの革鞄(かわかばん)に、これも赤く大きく千金丹と書いたのをさげていたと思う。せんだんの花のこぼれる南国の真夏の炎天の下を、こうした、当時の人の目にはスマートな姿でゆっくり練り歩きながら、声をテノルに張り上げて歌う文句はおおよそ次のようなものであった、「エーエ、ホンケーワーア、サンシューノーオー、コトヒーラーアヨ。(休)。マツシーマーア、カデンーノーオー、センキーンーンタン」というふうに全く同じ四拍子アンダンテ旋律を繰り返しながら、だんだんに薬の効能書きを歌って行くのである。「そのまた薬の効能は、疝気疝癪(せんきせんしゃく)胸痞(むねつか)え」までは覚えているがその先は忘れてしまった。
 子供らはこの薬売りの人間を「ホンケ」と呼んでいた。「ホンケが来たホンケが来た」と言って駆け出して行っては、この「ホンケ」を取り巻いて、そうして口々に「ホンケ、オーセ、オーセ」と言ってねだった。「オーセ」は「ちょうだい」という意味であるが、ここの「ホンケ」はこの薬売り自身をさすのではなくて、薬売りの配って歩く広告のビラ紙のことである。この人間の「本家」がまき歩くビラの「ホンケ」は、鼻紙を八つ切りにしたのに粗末な木版で赤く印刷したものであったが、その木版の絵がやはり蝙蝠傘(こうもりがさ)をさして尻端折(しりはしお)った薬売りの「ホンケ」の姿を写したものであった。いっしょに印刷してあった文字などは思い出せない。子供らにとってはこのビラ紙も「ホンケ」であり、それをくれる人間も「ホンケ」であったわけである。とにかく、このビラ紙をもらうのが当時のわれわれ子供には相当な喜びであった。今になって考えると実に不思議である。少年雑誌おとぎ話の本などというもののまだ一つもなかった時代では、こんな粗末な刷り物でも子供には珍しかったのであろう。ずいぶん俗悪な木版刷りではあったが、しかし現代子供絵本のあくどい色刷りなどに比較して考えるとむしろ一種稚拙にひなびた風趣のあるものであったようにも思われる。
 同じく昔の郷里の夏の情趣と結びついている思い出の売り声の中でも枇杷葉湯(びわようとう)売りのそれなどは、今ではもう忘れている人よりも知らぬ人が多いであろう。朱漆で塗った地に黒漆でからすの絵を描いたその下に烏丸(からすまる)枇杷葉湯と書いた一対の細長い箱を振り分けに肩にかついで「ホンケー、カラスマル、ビワヨーオートー」と終わりの「ヨートー」を長く清らかに引いて、呼び歩いていたようにも思うし、また木陰などに荷をおろして往来の人に呼びかけていたようにも思う。その声が妙に涼しいようでもあり、また暑いようでもあった。


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