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猫の穴掘り - 寺田 寅彦 ( てらだ とらひこ )

  • N100601 萬華鏡☆寺田寅彦著☆岩波書店刊
  • 柿の種★寺田寅彦★岩波文庫
  • 寺田寅彦随筆集第一巻~五巻セット★岩波文庫
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  • 寺田寅彦随筆集/岩波文庫/全5冊組/函■昭和48年
  • 【望星2008年11月号】寺田寅彦に会いたい!
  • 【ラク】FZ0501026●古書/岩波書店/寺田寅彦全集 文学編 第15巻
  • ◆新品DVD★『NHK 名作の風景 4』岡本かの子 寺田寅彦★1円
  • 【ちくま日本文学034】寺田寅彦 1878-1935
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 猫が庭へ出て用を便じようとしてまず前脚で土を引っかき小さな穴を掘起こして、そこへしゃがんで体の後端部をあてがう。しかしうまく用を便ぜられないと、また少し進んで別のところへ第二の穴を掘って更に第二の試みをする。それでもいけないと更に第三、第四と、結局目的を達するまでこの試みをつづけるのである。工合(ぐあい)の悪いのが自分の体のせいでなくて地面の不適当なせいだと思うらしい。
 どこへ住居を定めあるいは就職しても何となく面白く行かないで、次から次へと転宅あるいは転職する人のうちにはこの猫のようなのもあるいはあるかもしれない。
 永らく坐りつづけていたあとで足がしびれて歩けなくなる。その時、しびれた足の爪先をいくら揉(も)んでもたたいてもなかなか直らない。また、夜中に眼が覚めてみると、片腕から手さきがしびれて泣きたいよう歯がゆいような心持がすることがある。これもその、しびれた手さきや手首を揉んでも掻いてもなかなか直らない。これらの場合にはそのしびれた脚や腕の根元に近いところに着物のひだで圧迫された痕跡が赤く印銘されているのでそこを引っかき摩擦すればしびれはすぐに消散するのである。病気にもこんな風に自覚症状の所在とその原因の所在とがちがうのがあるらしい。
 人間の心の病や、社会国家の病にもこんなのがある。異常を「感じる」ところをいくら療治してもその異常は直らない。それを「感じさせる根原」の所在を突き止めなければ病は直せないのである。しかしこの病原を突きとめて適当治療を加えることの出来るような教育者為政者は古来稀である。
 喧嘩ばかりしていて、とうとうおしまいに別れてしまう夫婦がある。聞いてみると到底性格一致せぬからだという。しかしよくよく詮議してみるとやはり貧乏総て究極原因であったという場合もかなり多いようである。紳士紳士主義の相違で仲違いをしたというのが、その背後に物質問題のかくれていることもある。
 世の中が妙に騒々しくて、青いX事件があるかと思うと黒いY事件黄色いZ事件などが続出する。ある人はこれを社会経済状態欠陥のせいだと信じ、またある人は唯物論思想流行による国民精神の廃頽のせいだと思い込む。しかしこれらの動揺の真因は必ずしもそう手近な簡単なものではないかもしれないと思われる。
 いろいろ考えられる原因の中での一つのかなり重要因子として次のようなものが考えられる。それは、理化学進歩結果としてあらゆる交通機関異常発達したのはよいが、その発達空間時間的に不均整なために、従来は接触し得なかったような甚だしい異質的なものの接触が烈しくなり、異質間の異性質のグレディエントが大きくなった。そうして、そういう接触人間が馴れ得るためにはそういう接触時間変化があまりに急激過ぎるか、ないしは人間の頭の適応性があまりに遅鈍であり過ぎるか、とにかくそのために接触界面現象として色々異常現象が頻出するかと思われるふしも少なくないようである。
 例えば熱鉄を氷片に近づける場合を考えてみる。近づける速度非常にゆっくりしていれば、近づいて行く間に鉄はだんだん冷却し、氷はだんだんに解け、解けた水は暖まり、それでいよいよ接触する瞬間にはもう両方の温度の差はわずかになっているから、接触しても別にじゅっともすうとも云わない。しかし両者の近づくのが早くて摂氏六百度、七百度の鉄がいきなり零度の氷に接触すると騒動が起る。
 水の中に濃硫酸をいれるのに、極めて徐々に少しずつ滴下していれば酸は徐々に自然に水中に混合して大して間違いは起らないが、いきなり多量に流し込むと非常な熱を発生して罎(びん)が破(わ)れたり、火傷(やけど)したりする危険発生する。
 汽車飛行機電話無線電信はいわば氷の中へ熱鉄を飛び込ませ、水の中へ濃硫酸を酌み込むような役目をつとめるものである。
 交通機関の拡がるのは、風の弱い日の火事の拡がるように全面的ではなくて、不規則な線に沿うて章魚(たこ)の足のごとく菌糸のごとく播(ひろ)がり、又てづるもづるの触手のごとく延びるのである。それがために暗黒アフリカの真只中にロンドン製品の包紙がちらばるようなことになる。提燈(ちょうちん)とネオン燈とが衝突することになる。それが騒動のもとになるのである。
 こういう騒動をなくするにはあらゆる交通機関をなくしてしまうか、ただしはこれらの機関を万遍なく発達させるか、どちらかによる外はない。
 精神交通機関についてもやはり同様で、皆無か具足か、どちらかを選ぶことにしなければ面倒は絶えない。
 教育にしても子供から青年までの教育機関はあっても中年老年教育機関一向にととのっていない。しかし、人間二十五、六歳まで教育受ければそれで十分だという理窟はどこにもない。死ぬまで受けられる限りの教育受けてこそ、この世に生れて来た甲斐があるのではないかと思われる。現在ある限りの学校卒業したところで、それで一人前になれるはずがない。
 中年学校老年学校を設置して中年老年生徒を収容し、その教授助教授には最も現代的な模範的ボーイやガールを任命するのも一案である。
 子供教育するばかりが親の義務でなくて、子供教育されることもまた親の義務かもしれないのである。
 新しい交通機関、例えば地下鉄高架線が開通すると、誰よりも先に乗ってみないと気のすまないという人がある。つい近ごろ、上野公園西郷銅像の踏んばった脚の下あたりの地下停車場出来て、そこから成田行、千葉行の電車が出るようになった。その開通式の日にわざわざ乗りに行った人の話である。千住大橋(せんじゅおおはし)まで行って降りてはみたが、道端の古物市場の外に見るものはないので、すぐに「転向」してまた上野行に乗込み、さて車内の乗客を見渡すと、先刻行きに同乗した見覚えの顔がいくつも見つかったそうである。多分みんな狐につままれたような顔をしていたことと想像される。
 地味科学者の中でさえも「新しいもの好き」がある。新しいもの好きが新しい長所を取るべきは当り前であるが、いわゆる「新し好き」は無批判無評価にただその新しさだけに飛びつくのである。新しい電車に飛び乗ってうれしくなってしばらく進行していると「三河島(みかわしま)の屋根の上」に出る。


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