獄中への手紙 02 一九三五年(昭和十年) 関連リンク

宮本 百合子 のオススメ作品

作家別索引

作品別索引

獄中への手紙 02 一九三五年(昭和十年) - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

  • 【手紙文】◆◆若い人の手紙文◆◆淡路まもる◆◆文進堂◇◆◆
  • ◎R-23751 ふみの日切手帳 ぞうと手紙 花と手紙 ゆうペーン1点
  • ◎R-23750 ふみの日切手帳 ぞうと手紙 花と手紙 ゆうペーン1点
  • ◎R-23748 ふみの日切手帳 ぞうと手紙 花と手紙 ゆうペーン1点
  • ◎R-23749 ふみの日切手帳 ぞうと手紙 花と手紙 ゆうペーン1点
  • ふみの日シール式切手帳 (ネコと手紙・妖精と手紙) 未使用1
  • 絵手紙☆たのしい絵手紙・年賀状 谷口眞仙編☆
  • No.4211 十二人の手紙…手紙だけが物語る迫真の人間喜劇
  • 新潮文庫 若き詩人への手紙 若き女性への手紙 リルケ
  • ☆ふみの日/ゆうペーン/ぞうと手紙&花と手紙 シート☆
次のページ
獄中への手紙 一九三五年(昭和十年)  一月五日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 上落合より(封書)〕  あけましてお目出度う。私たちの三度目の正月です。元日は、大変暖かで雨も朝はやみ、うららかでしたが、そちらであの空をご覧になりましたろうか。去年の二十八日には、私が家をもったおよろこびをしてくれるといって、健坊の両親、栄さん夫婦徳ちゃん夫婦があつまり、一つお鍋をかこんで大変愉快に大笑いをしました。その晩は安心してのんびり出来るよう、朝六時までかかって私は到頭バルザックを六十八枚書き上げ、一層心持ちがよかったわけです。バルザックが卑俗であり、悪文であるということを同時代人からひどく云われたし、現代でも其は其として認めざるを得まいが、そのようになった矛盾をつきつめて行ったので、例により扱いかたは生活的であり、私は大して不満ではない心持です。これでそういう種類のかきたいものは書いたから小説です。スーさん[自注1]の兄さんが「第一章」をかいて、健坊の父さんとは又違った意気ごみを示して居るのも面白うございます。文章を簡明――直截にしようということをこころみていて、そのことのなかには又いろいろの気持がこめられているのでしょうと思われます。
 三十一日には、近年にない大雨で、私は、こんな大晦日ってあるものかと思い目をさましました。あなたも雨ふりの東京大晦日何かふさわしくなくお感じになったでしょう。雪ならわかるけど、ね。
 夕方四時頃からいねちゃんのとこへ出かけようとしたら島田の母上からの書留何かとびっくりしたらお手紙戸籍抄本とが入って居りました。安心したといっておよろこびでした。又あなたからのお手紙もついた由。今度のお手紙には、初めて「母より」と書いてあって、私は様々の感慨に打たれました。そして、又、島田へ行ってお手紙というのをも大変見たく感じました。
 話はあとへ戻るが、今年は父ひとりになって初めての正月迎え云々ということはこの前の手紙で申しあげましたとおり。それで様子を見に、二十九日でしたか、雪の中を林町へ行く前、グレタ・ガルボがクリスチナ女王という写真をとり、大変立派だという評判はもうずっときいていたが、机にかじりついていて、もう昭和館とかでいねちゃんが見たときいたので、私はバカネ、それが戸塚にあるキネマだと思って高田馬場で降りたら、あるのは戸塚チャンバラ。しかし、何か見たいので本郷座へ行って、下らぬ漫画を見て、下らぬ映画はかくも下らぬ。駄作小説の如しと感じて林町へ行きました。父はしっかりしているし、がんばりなのに、そして若々しいのにびっくりし、私は自分の思いやりが常識的であるのを感じた次第ですが、父はちゃんと自分でのんきに、正月をおくるプログラムを立てていて、私の心配はそれはありがたかった、というところで終りました。どこへか古い友だち二三人と小旅行に行く由。これで私ものんきに大晦日を迎えたわけでした。(ただあなたのところへ味の素その他もうないに違いない日用品を入れてさし上げるのが間にあわなかったので相すまなく存じましたが)大晦日は大層賑やかでした。
 元日、急に夕刻になって思い立って、健坊づれ私といねちゃんと三人で国府津へ出かけました。汽車の都合がわるくてあちらについたのは一時頃でした。今あの往還は海浜プロムナード国道になるので幅をひろくし、コンクリートにする下拵えですっかり掘りかえされて居ます。もし門がしまっていたら、私が押すからいねちゃん崖をのぼって下さいと云い云い行ったらいい塩梅(あんばい)に門はあいていて、白く浮んだ建物の上に、松のかげの上に空一杯の星。
 マア何て沢山の星なんだろ。気味がわるいくらいだね、そういいながら仰ぎ見ました。東京とちがうねえ。それからその晩はすぐ眠って、次の二日の日は、三人で海岸ではなく山の間を散歩しました。そして私は美しい梅もどきの枝を見つけて折ったり、紅葉した木苺の葉を見つけたり、いね子は「いいねエ、何ていいんだろ」、あなたこなた眺めつつ二時間も歩き、健坊は臆病もので、いかにも町育ちらしく、山の小路が坂になっていたり、崖だったりすると尻ごみして「かアちゃん、あぶないよ!」と後を振りかえって云うの。「何だ健坊よわむしだね、百合ちゃんはこわくないよ、ホラ、何でもないじゃないか!」そういう工合。帰って、その晩はストーヴの前でいろいろ夜ふけまで二人の話せるあらゆる話題について話し、少しくたびれると、いねちゃんがタバコをのみながら(この頃のむようになった)詩集月下の一群』を棚からおろしてよんだりし、又いろいろ話した。
 今日になれば去年になったが、夏四日ばかりその時はター坊から父さんから一家づれで、毎日潮浴びをやって暮したことはまだお話ししませんでしたね。私はあのストーヴの前へ坐ったり、ソファへ横(よこた)わったりする毎に、常に一定の内容をもった思い出にだけとらわれるのは苦痛であるし、一方から考えれば決して健康と云えぬし、又其のような状態をおよろこびにならないこともわかるので、新しい、今日生活としての内容をつけ加えてゆこうと思い、それもあってあの一家に大いに活躍して貰ったのでした。二日の晩は、随分二人の女房がいろいろ話し合いました。やっぱり車の両輪です。細君というものはなかなかむずかしいという話が彌生子さんの「小鬼の歌」につれて出て話し合いました。
 知識人生活のことについて舟橋は何もしないのはわるい、何でもやれという気になって来て、あっちこっちで云われているが、そのことにしろ、やはり女の利口さというものが抽象的に云われないように、宙では内みが何になるか、やはり手ばなしには云えないことです。三日は午後から外が明るい中にかえろうといいつつ、いね公がグーグーひるねをしてしまっておくれて八時すぎに汽車にのり、かえったのは十一時頃。私は自分の二階に横になって吻(ほ)っとしたような心持ちをつよく感じ、自分がこのわれらの家をどんなに愛しているかということをはっきり自覚しました。
 あなたは勿論一度手紙を二通おかけになることは御存知でしょうね。
 きょうは本当に寒い。栄さんが、かけていらっしゃる布団と同じ布の坐布団を縫ってくれたのできょうはそれの敷き初めをしました。これを書いているのは五日の午後四時前。障子を新しく張り代えたので、室内は明るくテーブルの上には赤い梅もどきの一枝がさしてある。


次のページ

宮本 百合子 (みやもと ゆりこ) 以外のオススメ作品

獄中への手紙 02 一九三五年(昭和十年) のリンク元

「獄中への手紙 02 一九三五年(昭和十年)-宮本 百合子」の関連ページ


関連ページ
Web Services by Yahoo! JAPAN