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現代の主題 - 宮本 百合子 ( みやもと ゆりこ )

  • 絶版/大江健三郎【現代伝奇集】岩波現代選書/80年初版/中短編3篇
  • 古書!【現代日本文学史】吉田精一著 現代文学大系別冊昭和38年
  • 国語・現代文*新 精選現代文*明治書院
  • 大学受験必読の本 高田瑞穂 現代文読解の根底 新釈現代文 2冊
  • 現代ウィグル語辞典+現代ウィグル語四週間 2冊で!
  • 大学受験必読の本 高田瑞穂 現代文読解の根底 新釈現代文 2冊
  • ●600円 岩波現代選書【現代伝奇集】大江健三郎(プチソフト1)
  • 谷崎精二★放浪の作家・葛西善蔵評伝・現代社現代新書・潤一郎
  • @「新技法*現代木版画*伝統的制作から現代技法」1979年2刷@
  • ◆【 現代伝奇集 】大江健三郎◆岩波現代選書◆定価¥1200◆
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 民主日本出発ということがいわれてから一年経過した。日本の旧い支配者たちがポツダム宣言受諾しなければならなくなって、日本民衆はこれまでの時々刻々、追い立てられていた不安戦争の脅威から解放された。戦争不条理に拡げられ、欺瞞がひどくなるにつれて、日本じゅうの理性沈黙させ、それをないものにしていた治安維持法が撤廃された記念すべき日も、近くふたたびめぐり来ようとしている。
 わたくしたちは、こうして営々と三百六十五日を生きとおして今日に至っているのだが、さて、平和民主一周年を迎えたという晴々とした歓喜の表情は、おたがいの眼の裡にきらめいているだろうか。旧軍支配権力の無条件降伏は、考える葦働く蟻であったわたしたち日本人民すべてに、人間らしい歩み出しの一歩を約束するものであったことを、確認して、この一年を生きてきたものの、明るいまなざしが街路にみちているだろうか。
 率直にいって、日本の初々しい民主精神は苦しんでいる。わたしたち一人一人のうちに、日本の全精神現象のうちに、民主精神は、唐突なその目覚まされかたと同時に感じていた混乱、疑惑を、今日まだ十分に整理できずにいると思える。しかも、おくれた日本の覚醒をめぐる情勢の流れは迅くて、内部にちぐはぐなものを感じ、善意焦点を見いだしかねているままに、現実は、むき出しな推移で私たちの日常をこづいて、ゆっくり考えてみるために止まる時間さえ与えない。体が、混んだプラットフォームに揉まれるばかりか、精神も押され押されて一つの扉口をいや応なく通過させられる状態にある。この場合、私たちの肉体乱暴つめこみにたいしてつねにいやさを感じるとおり、精神ラッシュにたいしてつよい不服を感じ抗議を抱いている。精神ラッシュにまぎれて、いかがわしい種々の操作が、今日では法律上の名目も失い、行政上の格式も失いながら、なお最下等動物のように執拗に、ぬけめない陋劣さで活躍していることも、人々が直感しているところである。
 日本にとって、本当にすがすがしい光であるはずの民主精神が、かげをもっている理由第一は、一種独特な日本心理過剰の現状ではないだろうか。
 明治からの歴史に、私たちは市民社会経験をもたなかった。悲しい火花のような自由民権思想の短い閃きをもったまま、それが空から消されたあとは、半封建のうすくらがりの低迷のうちに、自我を模索し、この自然社会との見かたに科学のよりどころを発見しようとしてきた。われらの故国のおくれた資本主義経済の事情は、時間の上で、西欧諸国から三百年おくれていたというに止らなかった。やすいものを早く、どっさりこしらえて、できるだけあっちこっちに売りさばかなければならず、その原料仕入れに気も狂わんばかりあせり立って、あらゆる国際間の利害にからんで、戦争ばかりしつづけてきた。
 西欧精神日本近代精神を比較して、日本現代精神の皮相性、浅薄な模倣性を憎悪する人がある。それを厭うこころもちは、すべての思慮ある人の心のうちに、強く存在しているけれども、その厭わしさを、とりあげてよくよく調べてみれば、日本人精神本質がそういうものであるというよりは、近代国際資本競争におくれて立ちまじった日本資本主義支配者たちが、世界の間に自立的な伝統立場とを確立していず、いつも、うすら寒いすばしこさや拙速漁夫の利で、その場その場を打開し糊塗してきた、その影響である。明治から大正初頭にかけて、日本知性確立を欲することの熱烈であった作家一人夏目漱石も、イギリスへ行ってからはとくに個々人の見識、人格としてそれをはっきり主張した。しかし、支配権力の歴史的な性格が、国の文化知性との基盤にあって、どう作用するかということには理解を及ぼさせなかった。そこに、あの時代ブルジョアインテリゲンツィア限界もあったのである。
 併行して、日本の若き人道主義たち、「白樺」の人々は、彼らの青春の祝福されるべき反逆性の頭上に一撃を加えられた。当時大逆事件と呼ばれたテロリストのまったく小規模な天皇制への反抗があらわれ、幸徳秋水などが死刑に処せられた。自由民権を、欽定憲法によってそらした権力は、この一つの小規模な、未熟な、社会主義思想のあらわれを、できるだけおそろしく、できるだけ悪逆なものとして扱って、封建風のみせしめにした。みせしめは、近代日本が法治国であるという一応のたて前から、いつも法律によって、裁判所において、公判廷で行われている。「白樺」の人々は、この事件の扱いかたで、権力者が期待したとおりの影響を蒙った。彼らは、当時の日本をいっぱいにしていたやぼな社会的・階級的ごたごたからは目をそらして、世界人類能力の輝やかしい可能とそのおどろくべき発露に関心を集めた。これは、日本知性歴史にとって忘られない明るさ、つよい憧憬、わが心はこの地球を抱く思いをさせたのであったが、その胸のふくらみにくらべて脚はよわく、かつ光栄ある頭蓋骨をのせるべき頸っ骨も案外によわかった。日本のいく久しい封建社会歴史にもたらされて、日本知性は、強靭な知的探求力とその理づめな権威力をもつより、いつも感性的である。その日本感性的な知性西欧ルネッサンスおよびそれ以後の人間開花の美に驚異したのが「白樺」の基調であった。
 繋がれているものにとって、翔ぶという思いの切なさは、いかばかりだろう。低くあらしめられて、思いの鬱屈している精神にとって、高まり伸び達しようとする翹望は、どんなに激情をゆするだろう。昭和初頭から、それがわずか十年たらずの短い間に八つ裂にされてしまったまでの日本左翼運動とその思想が、今日かえりみて、多くの人々に未熟であり、機械的であり、模倣であり、主観的であったと批判される根本原因は、一方に日本が、どんなに封建的専制支配の下におかれていたかという事実を見ずには説明されないことである。左翼思想や行動は、ついこの間までは非合法とされていた。このことは、思想そのものが非合法であり、行動そのものが非合法本質をもっているということとはまったく異っている。人間思想行動とが、ほんとうに非合法であるといえるのは、それが健全人間理性の判定する合理性に反したときだけである。一人将軍戦争時流に乗じたあまり、諸君地球引力否定した武器発明すべきである、と呼号したりした場合、その言動は人間非合法なのである。封建専制支配を堅めるために作られた日本治安維持法は、制定されるとき、山本宣治の血を流したばかりではすまなかった。はじめから理において勝つべき根拠を失っていて、三宅正太郎によってさえも悪法として警戒されていた治安維持法は、過去十数年間の日本から、知性殺戮しつくしたのであった。そのあまりの無法さは、直接その刃の下におかれた人々の正気を狂わせたし、その光景全般の恐ろしさから、すべての知識人勤労者農民精神判断と発言とを萎縮させた。徳川時代のとおり、ご無理ごもっともと、ばつを合わせつつ、今日私たちの面している物質精神破壊にまで追われてきたのであった。
 この時期、人々はできるだけ自分というものを目立たせないように努力した。個性性格をきわだたせることさえおそれた。そして、低く低くと身をかがめたのであったが、このひどい屈伏が、一九三〇年以後におこったところに、今日文化にとって重大な問題がひそんでいる。山の彼方の空を眺め、山の頂をはるかに通じる一筋の道を眺めたものにとって、窓をしめ、地球の円さは村境できれているように思いこみ、この村ばかりの優秀を誇るというのは、不自然で息苦しく愚劣にたえがたいしまつであった。徳川時代の民が土下座したとき、その埃のふかい土は素朴で、けっして現代ドライヴ・ウェイをもたず、全波ラジオをもたなかった。封建生活そのものとしての統一があり、封建の枠の内でつつましいおのれは分裂していなかった。自我分裂の苦悩を封建人は知らないで生き、そして死んだのであった。最近十数年の間、日本自覚あるすべての人々は、この深刻な自我分裂に苦悩してきたし、人間理性への信頼を毒されてきた。精神を低く屈しさせられれば屈しるほど、その息づきのせわしさが自覚される三分の魂をもって、自身のうちに疼(うず)く内部反抗を自覚した。


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