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環礁 ――ミクロネシヤ巡島記抄―― - 中島 敦 ( なかじま あつし )

  • 古書≪森鴎外集≫7 青年、舞姫他 【 森鴎外】河出書房 貴重 初版
  • 「森鴎外私論」吉野俊彦 森鴎外評論-批評-書籍・10冊 N21681
  • 岩波文庫1675昭和41年/阿部一族他二編森鴎外 岩波書店
  • 600円~ 岩波文庫【青年】森鴎外 (プチソフト1)
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  • ◆◇ 森鴎外著「青年」(新潮文庫) ◇◆  名著! 
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環礁 ――ミクロネシヤ巡島記抄――    寂しい島  寂しい島だ。  島の中央タロ芋田が整然と作られ、その周囲を蛸樹(たこ)やレモンや麺麭(パン)樹やウカルなどの雑木の防風木が取巻いている。その、もう一つ外側に椰子(ヤシ)林が続き、さてそれからは、白い砂浜――海――珊瑚礁(さんごしょう)といった順序になる。美しいけれども、寂しい島だ。
 島民の家は西岸の椰子林の間に散らばっている。人口は百七、八十もあろうか。もっと小さい島を幾つも私は見て来た。全島珊瑚の屑ばかりで土が無いために、全然タロ芋(これが島民にとっての米に当るのだ)の出来ない島も知っている。虫害のためにことごとく椰子を枯らしてしまった荒涼たる島も知っている。それだのに、人口僅か十六人のB島を別にすれば、此処(ここ)ほど寂しい島は無い。何故(なぜ)だろう? 理由は、ただ一つ。子供がいないからだ。
 いや、子供もいることはいる。たった一人いるのだ。今年五歳になる女の児が。そうして、その児の外に二十歳以下の者は一人もいない。死んだのではない。絶えて生れなかったのだ。その女の児(外に子供はいないのだから、言いにくい島民名前などは持出さずに、ただ、女の児とだけ呼ぶことにしよう)が生れる前の十数年間、一人赤ん坊もこの島に生れなかった。女の児が生れてから今に至るまで、まだ一人も生れない。恐らく、今後も生れないのではなかろうか。少くとも、この島の年老い連中はそう信じている。それ故、数年前この女の児が生れた時は、老人連が集まって、この島の最後人間――女になるべき赤ん坊を拝んだということである。最初の者が崇められるように、最後の者もまた崇められねばならぬ。最初の者が苦しみを嘗(な)めたように、最後の者もまたどんなにか苦しみを嘗めねばならぬであろう。そう呟(つぶや)きながら、黥(いれずみ)をした老爺や老婆たちが、哀しげに虔(つつし)み深く、赤ん坊礼拝したという。但し、それは老人だけの話で、若い者は、何年にも見たことのない人間赤ん坊というものが珍しさに、ワイワイ騒ぎながら見物に来たと聞いている。ちょうど女の児が生れる二年前に、戸口調査があり、その時の記録には人口三百と記されているのに、今ではもう百七、八十しか無い。こんな速やかな減少率があろうか。死ぬ者ばかりで生れる者が皆無だと、別に疫病に見舞われた訳でなくとも、こんなに速く減るものだろうか。当時女の赤ん坊を拝んだ老人たちはもはや一人残らず死んでしまっているに違いない。それでも、老人たちの残した訓(おし)えは固く守られていると見えて、今でも、この島の最後の者たるべき女の児は、喇嘛(ラマ)の活仏(いきぼとけ)のように大事にされている。成人(おとな)ばかりの間にたった一人子供では、可愛がられるのが当り前のようだが、この場合は、それに多分の原始宗教的な畏怖(いふ)と哀感とが加わっているのである。
 何故、この島には赤ん坊が生れないのか。性病の蔓延(まんえん)や避妊事実は無いか、と誰もが訊ねる。なるほど、性病も肺病も無いことはないが、それは何も、この島に限ったことではない。というよりむしろ、他の島々に比べて少い位なのだ。避妊に至っては己の島の絶滅予感してその前に戦(おのの)いているものが、そんな事をする訳が無いのである。また、女性身体一部に不自然な施術をする奇習が原因だろうという者もあるが、この習慣本家たるトラック地方の諸離島では人口減少の現象が見られないのだから、この推測は当らない。他の島々に比べてタロ芋の産出は豊かだし、椰子麺麭樹も良く実り、食料は余る位だ。別に天災地変に見舞われた訳でもない。では、何故(なぜ)だ。何故、赤ん坊が生れないか。私には判らない。恐らく、神がこの島の人間を滅ぼそうと決意したからでもあろう。非科学的と嗤(わら)われても、そうでも考えるより外、仕方が無いようである。よく手入された芋田と、美しい椰子林とを真昼の眩(まぶ)しい光の下に見ながら、この島の運命を考えた時、あらゆる重大なことは凡(すべ)て「にもかかわらず(トロッツデム)」起る、といった誰かの言葉思い出した。ものが亡びる時は、こんなものなのかと思った。科学者たちはその滅亡の跡を見て数々の原因を指摘しては得々(とくとく)としているが、その原因と称する所のものは、何ぞ図らん、原因ではなくて結果に過ぎないことが多いのである。
 秋の終りの最後薔薇(ばら)に、思いがけなく大輪の花が咲くことがあるように、この島の最後の娘もあるいは素晴らしく美しく怜悧(れいり)な子(もちろん島民の標準においてではあるが)ではあるまいかと、甚(はなは)だ浪漫的な空想を抱いて、私はその女の児を見に行った。


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