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疑惑 - 南部 修太郎 ( なんぶ しゅうたろう )

  • LS-67◆疑惑の標的◆キャスリン・クレイトン
  • ◆波◆山本有三◆新潮社◆生まれた子供への疑惑◆絶版
  • 【2206】 疑惑の幻影(字)メラニーグリフィストムベレンジャー
  • 折原一「疑惑」☆初版帯
  • 【疑惑のベストセラー】ダイアナ・モーガンメールオーダー
  • ☆シルエットラブストリーム/疑惑の標的☆qlc1204036
  • グイン・サーガ77 疑惑の月蝕 栗本薫 ハヤカワ文庫
  • 長澤まさみ【流出疑惑/パンチラ/乳ポロ/スジ/ブラチラ】切抜P20
  • ◆名探偵コナン GBソフト*セット*疑惑の豪華列車*地下遊園地殺人
  • カイリー・ブラント ■ 愛という名の疑惑 ■ ls-117
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――水野敬三より妻の藤子に宛てた手記――  昨日、宵の内から降り出したしめやかな秋雨が、今日硝子戸の外にけぶつてゐる。F――川の川音も高い。町を挾んだ丘の斜面の黄ばんだ木の葉の色も急に濃くなつたやうだ。J――峠から海の方へ展がる山坡に沿うて、雨を含んだ灰色の雲が躍るやうに千切れては飛び、飛んでは千切れて行く。海の沖には風が騷いでゐるのかも知れない。とに角私が此處へ來てから暗い空模樣が今日で五日も續いてゐるのだ。著いた日の夜出した繪葉書はもうお前の手に屆いたことと思ふ。が、夏の終りに病後の一月餘りを過した時の事を思ひ浮べて、此處の晴れ晴れしい秋空を想像してはいけない。ほんとに陰氣な、物寂しい日ばかりなのだから‥‥‥‥。
 藤子、もうすべてをお前に打ち明けてしまひたい。
 この長い手紙、と云ふよりもこの部厚な手記を前觸れもなく突然私の手から受け取つた時、お前がどんなに怪しんで胸を轟かすか、そして、またこの手記の一句一節を次第に辿つて行く時に、お前の心がどんなに痛み、どんなに悶えるか、それは私によく分つてゐる。が、この手記に書かれてゐる事柄をお前に打ち明けようとして、私が四月餘りをどんなに苦しみ、どんなに惱んで來たか、それはこの手記を讀んでみれば自然お前にも分るだらうと思ふが、きつとお前の痛み悶えと、その強さは少しも變らないに違ひない。全く、今かうして筆を持ちながらもその心持は私を息苦しくさへするのだ。
 此處へくる日の朝、私は『研究論文の想を纒めに、また體の疲れ休めに‥‥‥』と、かうお前に斷りを云つた。が、それは詐りだつた、口實だつた。全く、これだけは許して貰ひたい。私には纒むべき論文の想もない、また體の疲れ休めやうなどと云ふ心持もない。ただ暫くなりともお前から離れて、すべてを深く靜に省みて、そして、この手記をお前に書き與へよう爲めに此處へ來たのだつた。お前と始終顏を合せながら、それをとうとう詞では云ひ出す事の出來ない自分の弱さを、臆病さを知り盡したから‥‥‥‥。
 私はこの手記を庭に向いた靜かな自分部屋の縁先で、或は私の書齋の搖り椅子に凭りながら、一人讀み續けて行くお前の姿を想像する。きつとお前の指先は顫へるだらう、お前の胸の動悸は高まるだらう、お前の顏色は青白く變るだらう、若しかしたらお前の眼から涙が抑へても抑へきれぬやうに染み出すだらう。それを思ふと私の心は暗くなる、筆を動かす手先もすくんでしまふ。何故なら私が此處に書かうとする事柄に就いて、お前は何にも知らないのだから、いや、例へ知つてゐても、恐らく今のお前の胸からは美しく忘れ去られてゐる事なのだから‥‥‥。それをお前にかうして打ち明ける、お前の心を亂だす、お前の胸を苦しめる。その自分の殘酷さ、男らしい堅い沈默に堪へ得ない自分の薄志、私は決してそれを知つてゐないのではない。知つてゐるからこそ今まで苦しんで來たのだ。
 が、藤子、私を堅く信じてくれ。
 きつとこの手記はお前を苦しめ惱ますに違ひないのだ。然し、この手記を書く私は、決してお前を憎んではゐない。恨んではゐない、怒つてはゐない。またお前を責める心や、苦しめる心は少しもないので。そして私を堅く信じてくれ――と云ふやうに、私もお前を堅く信じてゐる。お前が、結婚後の私に對するお前が、私に捧げてくれた心と體、その中に籠められた愛の至純さを私はよく知つてゐる。そのすべてを信じ、且つ知つてゐるだけに、私はこの手記をお前に書き與へずにはゐられないのだ。自分の薄志と云つた、自分の弱さと云つた。が、私は決してこれをぢつと胸に包んで置けない事はない。飽くまでもお前に秘め隱す、そしてお前を苦しめず惱ませずに置く事も出來る。然し、それは夫婦生活の何と云ふ虚僞だらう。何と云ふ堪へ難い隙間だらう。その虚僞と隙間の意識が何物よりも私に苦痛なのだ。私はその虚僞を碎きたい、その隙間をしつくりと埋めてしまひたい。その爲めに私はこの手記をお前に書き與へようとするのだ。
 お前はただこれを讀んでくれれば好い。そして、心に堅く頷いてくれれば好い。お前自身がこの手記に答へたくなかつたら、別に答へを待つ事も私はしない。また答へてくれたら、私は快くそれを受けるだらう。が、例へこの手記を讀んでどんなに苦しみ悶えようとも、それは直ぐに忘れてくれ。ただ、この中に書く事柄を心に堅く頷いてさへくれれば私は滿足なのだから‥‥‥。それだけで私とお前の夫婦生活は眞實の上に成り立つに違ひないのだから‥‥‥‥。
 繰り返して言ふ、飽くまでも堅く私を信じてゐてくれ。


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