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病院風景 - 寺田 寅彦 ( てらだ とらひこ )

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 東京××大学医学部附属病院整形外科病室第N号室。薄暗い廊下のドアを開けて、室へはいると世の中が明るい。南向きの高い四つの窓から、東京の空の光がいっぱいに流れ込む。やや煤(すす)けた白い壁。婦人雑誌の巻頭挿画らしい色刷の絵が一枚貼ってある。ベッドが八つ。それがいろいろ様式がちがう。窓の下に一列のスチームヒーター色々手拭やタオルの洗濯したのがその上に干し並べてある。それらがみんな吸えるだけの熱量を吸って温かそうにふくれ上がっている。
 コキコキ。コキコキ。コキコキコキッ。
 ブリキを火箸でたたくような音が、こういうリズムで、アレグレットのテンポで、単調に繰返される。兎唇(みつくち)の手術のために入院している幼児の枕元の薬瓶台の上で、おもちゃのピエローがブリキの太鼓を叩いている。
 ブルルル。ブルルル。ブルブルブルッ。
 窓の下から三|間(げん)とはなれぬ往来で、森田屋の病院御用自動車が爆鳴する。小豆色(あずきいろ)のセーターを着た助手が、水道のホーズから村山貯水池の水を惜気(おしげ)もなく注いで、寝台自動車に冷たい行水を使わせている。流れた水が、灰色アスファルト道路に黒くくっきりと雲の絵をかいている。
 またある日。
 窓の下の森田屋の前で、運転手助手とが羽根をついている。十くらいの女の子も二人でついている。子供の方が大人より上手である。若い丸髷(まるまげ)の下町式マダムが弁慶縞の上っぱりで、和装令嬢式近代娘を相手に、あでやかにつややかに活躍している。
 またある日。
 糸のような雨が白い空から降る。右手車庫のトタン屋根に雀が二羽、一羽がちょんちょんと横飛びをして他の一羽に近よる。ミーラヤ、ラドナーヤとでも囀(さえず)っているのか。相手は逃げて向うの電柱の頂へ止まる。追いかけてその下の電線へ止まる。頂上のはじっとして動かない。下のは絶えず右に左にからだを振り動かしている。いつまでも動かしている。
 その電柱の辺に、学生時代クラスメートTMの家がある。彼は今はW大学数学先生である。三十年前にはよくTMと一緒に本郷神田下谷(したや)と連立(つれだ)って歩いた。壱岐殿坂(いきどのざか)教会海老名弾正(えびなだんじょう)の説教を聞いた。池(いけ)の端(はた)のミルクホールで物質エネルギーと神とを論じた。
 TMの家の前が加賀様の盲長屋(めくらながや)である。震災焼けなかったお蔭で、ぼろぼろにはなったが、昔の姿の名残を止めている。ここの屋根の下に賄(まかな)いの小川食堂があって、谷中(やなか)のお寺下宿していた学生時代に、時々昼食を食いに行った。オムレツと焼玉子の合の子のようなものが、メニューの中にあった。「味つき」と「味なし」と二通りあった。「オイ、味なし」。「味つき」。そういうどら声があちらこちらに聞こえた。今は雑使婦か何か宿舎になっているらしい。そのボロボロ長屋柿色萌黄の蛇(じゃ)の目(め)の傘が出入りしている。


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