白塔の歌 ――近代伝説―― - 豊島 与志雄 ( とよしま よしお )
白塔の歌
――近代伝説――
方福山といえば北京でも有数な富者でありました。彼が所有してる店舗のなかで、自慢なものが二つありました。一つは毛皮店で、虎や豹や狐や川獺などをはじめ各種のものが、一階と二階の広間に陳列されていまして、北京名物の一つとして見物に来る旅行者もあるとのことでした。他の一つは茶店でありまして、昔は帝室の茶の御用を務めていたという由緒が伝えられていました。
この方福山が、四十日ばかり南方に旅して、そして帰ってきましてから、自邸で、十名ほどの人々を招いて小宴を催しました。
方福山は賑かな交際が好きで、人を招いて宴席を設けることはよくありましたし、またそういう口実はいつでも見出せるものでありますが、然し、此度の招宴には何か特殊な気配が感ぜられました。方家の執事ともいうべき何源が口頭で伝えましたところでは、旅行中御無沙汰を致したからというのでしたが、方福山の帰来後既に一ヶ月たってのことでありましたし、また、呂将軍も御出席の筈ですと何源はいい添えたのでした。
呂将軍というのは北京の警備司令でありましたが、その頃、彼について種々の風説が伝えられていました。近いうちに彼は済南方面へ転出するという噂もありましたし、また、省政府筋と常に反目しがちで、急激な武断政略を計画してるとの噂もありました。勿論こうした噂は、ある一部の人々の間にひそかに囁かれただけでありまして、事の真偽は定かでありませんけれども、それが原因でか、或は他に何かあったのか、一般市民の間に不安動揺の空気が次第に濃くなりつつありました。
そういうわけで、方福山の招宴は、人々に一種の印象を与えました。
招待を受けた荘太玄は、その子の一清にいいました。
「私は身体不和ということにして、お断りしようと思う。方さんからは時折、南方各地の銘茶の御厚志にあずかっているが、近頃、あの人の行動には私の心に添わないものがあるようだ。けれども、お前は行ったがよかろう。青年にとっては、いろいろなことを見聞するのが精神の養いになるものだ。」
「それでは、私がお父さんの代理をも兼ねて行きましょう。」と一清は気軽に答えました。
「いや、お前個人として行くので、代理を兼ねるというわけにはいくまい。」と太玄は考え深そうな眼付をしていいました。
ところで、荘一清にとっては、父のことよりも寧ろ、友人の汪紹生の方が問題でありました。
荘太玄は今では、あまり世間のことに関係したがらず、家居しがちでありましたが、その見識徳望の高さを以て巍然として聳えてる観がありました。それ故、呂将軍と共に方家へ招かれるのも不思議でなく、また荘一清は青年ながら、太玄の令息として招かれても不思議ではありませんでした。だが汪紹生はちと別でした。汪紹生は家柄も低く貧しく、ただ荘一清と刎頸の交りを結んでることだけで、方家からわざわざ招待を受ける理由とはなりませんでした。
彼は怒ったような調子で、荘一清にいったのであります。
「僕は万福山さんとは、君のところで紹介されて、それから二三回逢ったきりだ。特別な識りあいでもない。極言すれば、方福山が旅行しようと、旅行から無事に帰って来ようと、旅行中に野たれ死にしようと、そんなことは僕に何等の関係もないんだ。招待される理由が分らん。」
荘一清はなにか曖昧な微笑を浮べて答えました。
「だから、気まぐれな思いつきの招待だろう。ただ御馳走になってくればいいんだ。高賓如大佐も招かれてるそうだ。高大佐とは君は暫く逢わないだろう。僕の父は行かないそうだから、気兼ねする者はないし、高大佐と三人で、勝手に飲み食いし饒舌りちらしてくればいいさ。」
「高大佐も来るのかい。」
「そうだよ。」
「おかしいね。」
「おかしいことはないさ。高大佐は呂将軍の参謀で、帷幄の智能だから、一緒に来てもよかろうじゃないか。」
然し、汪紹生は他のことを考えてるのでありました。それは、彼等の所謂新ヒューマニズム運動の小さなグループに関してでありました。数名の青年を中心に、新新文芸という小雑誌が発行されていまして、そこでは、人類意識のなかに於てではなく民族意識のなかに於けるヒューマニズムが提唱されていました。それが文芸の上では種々の形となって現われ、風俗習慣の方面での解放革新が叫ばれると共に、東洋的自然観の探求などもなされていまして、例えば詩を見ましても、※和園の輪奐を醜悪とするもの、天壇の圜丘を讃美するもの、中央公園の円桶に飼育されてる金魚を憐れむもの、太廟の林に自然棲息してる鷺を羨むものなどがありました。或る詩には、紫金城の堂宇が黄金色の甍で人目をくらましながら、その投影で北京全市を蔽っていることを描いて、それを時の政府への痛烈な諷刺としていました。そしてこの一派は、青年知識層の一部から共鳴されると共に、政府筋の注意を惹き、内々の警告が発せられたこともありました。この新新文芸一派のなかでの最も有力なのが、荘一清と汪紹生だったのであります。荘一清は評論も小説も詩もその他あらゆるものを書き得る自信を持っていて、しかもいつも懶けてばかりいました。汪紹生は真面目な詩人で、生活のため図書館に勤めながら孜々として勉強していました。
この方福山が、四十日ばかり南方に旅して、そして帰ってきましてから、自邸で、十名ほどの人々を招いて小宴を催しました。
方福山は賑かな交際が好きで、人を招いて宴席を設けることはよくありましたし、またそういう口実はいつでも見出せるものでありますが、然し、此度の招宴には何か特殊な気配が感ぜられました。方家の執事ともいうべき何源が口頭で伝えましたところでは、旅行中御無沙汰を致したからというのでしたが、方福山の帰来後既に一ヶ月たってのことでありましたし、また、呂将軍も御出席の筈ですと何源はいい添えたのでした。
呂将軍というのは北京の警備司令でありましたが、その頃、彼について種々の風説が伝えられていました。近いうちに彼は済南方面へ転出するという噂もありましたし、また、省政府筋と常に反目しがちで、急激な武断政略を計画してるとの噂もありました。勿論こうした噂は、ある一部の人々の間にひそかに囁かれただけでありまして、事の真偽は定かでありませんけれども、それが原因でか、或は他に何かあったのか、一般市民の間に不安動揺の空気が次第に濃くなりつつありました。
そういうわけで、方福山の招宴は、人々に一種の印象を与えました。
招待を受けた荘太玄は、その子の一清にいいました。
「私は身体不和ということにして、お断りしようと思う。方さんからは時折、南方各地の銘茶の御厚志にあずかっているが、近頃、あの人の行動には私の心に添わないものがあるようだ。けれども、お前は行ったがよかろう。青年にとっては、いろいろなことを見聞するのが精神の養いになるものだ。」
「それでは、私がお父さんの代理をも兼ねて行きましょう。」と一清は気軽に答えました。
「いや、お前個人として行くので、代理を兼ねるというわけにはいくまい。」と太玄は考え深そうな眼付をしていいました。
ところで、荘一清にとっては、父のことよりも寧ろ、友人の汪紹生の方が問題でありました。
荘太玄は今では、あまり世間のことに関係したがらず、家居しがちでありましたが、その見識徳望の高さを以て巍然として聳えてる観がありました。それ故、呂将軍と共に方家へ招かれるのも不思議でなく、また荘一清は青年ながら、太玄の令息として招かれても不思議ではありませんでした。だが汪紹生はちと別でした。汪紹生は家柄も低く貧しく、ただ荘一清と刎頸の交りを結んでることだけで、方家からわざわざ招待を受ける理由とはなりませんでした。
彼は怒ったような調子で、荘一清にいったのであります。
「僕は万福山さんとは、君のところで紹介されて、それから二三回逢ったきりだ。特別な識りあいでもない。極言すれば、方福山が旅行しようと、旅行から無事に帰って来ようと、旅行中に野たれ死にしようと、そんなことは僕に何等の関係もないんだ。招待される理由が分らん。」
荘一清はなにか曖昧な微笑を浮べて答えました。
「だから、気まぐれな思いつきの招待だろう。ただ御馳走になってくればいいんだ。高賓如大佐も招かれてるそうだ。高大佐とは君は暫く逢わないだろう。僕の父は行かないそうだから、気兼ねする者はないし、高大佐と三人で、勝手に飲み食いし饒舌りちらしてくればいいさ。」
「高大佐も来るのかい。」
「そうだよ。」
「おかしいね。」
「おかしいことはないさ。高大佐は呂将軍の参謀で、帷幄の智能だから、一緒に来てもよかろうじゃないか。」
然し、汪紹生は他のことを考えてるのでありました。それは、彼等の所謂新ヒューマニズム運動の小さなグループに関してでありました。数名の青年を中心に、新新文芸という小雑誌が発行されていまして、そこでは、人類意識のなかに於てではなく民族意識のなかに於けるヒューマニズムが提唱されていました。それが文芸の上では種々の形となって現われ、風俗習慣の方面での解放革新が叫ばれると共に、東洋的自然観の探求などもなされていまして、例えば詩を見ましても、※和園の輪奐を醜悪とするもの、天壇の圜丘を讃美するもの、中央公園の円桶に飼育されてる金魚を憐れむもの、太廟の林に自然棲息してる鷺を羨むものなどがありました。或る詩には、紫金城の堂宇が黄金色の甍で人目をくらましながら、その投影で北京全市を蔽っていることを描いて、それを時の政府への痛烈な諷刺としていました。そしてこの一派は、青年知識層の一部から共鳴されると共に、政府筋の注意を惹き、内々の警告が発せられたこともありました。この新新文芸一派のなかでの最も有力なのが、荘一清と汪紹生だったのであります。荘一清は評論も小説も詩もその他あらゆるものを書き得る自信を持っていて、しかもいつも懶けてばかりいました。汪紹生は真面目な詩人で、生活のため図書館に勤めながら孜々として勉強していました。
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