盆踊り - 田畑 修一郎 ( たばた しゅういちろう )
東京に住んで十一年になるが、ずつと郊外だつたから私は東京の夏祭がどんなものかまるで知らない。私には東京の夏は暑くて殺風景だ。ごくまれに、手拭と黒褌とを入れた袋をぶら下げて神宮のプールに出かけ、歸りに新宿の不二屋あたりで濃い熱い珈琲をのんだり、冷房裝置のある映畫館へ涼みがてら出かけたりするのが、東京の夏の樂しみといへば樂しみだつた。
しかし、殺風景に感ずるのは私が田舍育ちだからで、東京生れの人にはもつと身についた微妙な樂しみがあるのだらう。私は生れ故郷と殆ど縁がなくなつた今でも、漠然と田舍の夏を豐富なものに感ずるのは、子供の時からそこに馴染んで來たからにちがひあるまい。
市内に住んでゐたこともなくはないが、學生時分のことで、夏休になるとさつさと田舍へ歸つて行つたから、東京の夏祭を知らないのも無理はない。私の田舍では、住吉神社といふ郷社の祭を「祇園さま」と呼んでゐた。まる一週間だから、隨分永い祭だつた。町の本通りを上(かみ)から下(しも)まで十四五町か、或ひはもつと長いだらう、家ごとに柳の枝に薄い日本紙を四角に切つて造つた花をくつゝけ、樽だの桶だのゝ中に立てゝ家の前に飾つた。それには皆盆灯をつけたから、夜になると白い紙の花が明りを受けて浮き立ち、どこまでもつゞいた。
盆灯には雜誌の口繪か何かを切り拔いて貼りつけたのもあつたが、大抵はそれぞれ繪を描いたもので、子供だつた私達は一つ一つ見て歩いた。今思ふと、一體あんな繪を誰が描いたんだらうといふ氣がする。繪心があるわけでもあるまいのに、とにかくそれは妙なものは妙なものなりに子供を樂しませるに足りる繪だつた。きつと、その拙い變てこなところが面白がらせたのだらう。川柳を書いた漫畫もあれば、古池や蛙とびこむ水の音と記して傍に小さく蛙らしいのが逆立ちしてゐたり、小野道風苅茅道心、うらみ葛の葉などを現した繪もあつた。さうかと思ふと、そこの家の子供がお習字風に書いた字もあるし、智慧がなく日の丸と軍艦旗を描いたのもあつたし、多分山水畫のつもりだらうが墨が滲んで眞黒になり、何だかさつぱり判らないのもあつた。私達はそれを一々、まづいだのうまいだの、笑ひ聲を立てたりして町を上から下まで飽きずに見て歩いた。
さういふ一週間もつゞくのは、お祭りはお祭りだが客寄せの意味もあつたことに、ずつと後で氣がついた。そこは一寸した町だが、昔から近在のお百姓達を得意にして成立つた所で、町の繁榮策として近在から人を引きつけるためだつたらしい。例の紙の花は、それを田に差して置くと蟲がつかぬといふ云ひつたへがあつて、祭の最後の日には近在のお百姓達が勝手にそれを持ち歸つてもいゝことになつてゐた。浴衣がけで尻からげにし、團扇を腰にさしたお百姓が、何だか氣まり惡げに手を伸ばして紙の花の枝を拔きとり、扱ひにくさうに持つて歸るのを私はよく見た。その云ひつたへはお百姓からではなく町の側から出したものだらう。恐く徳川時代からのことだらうが、隨分狡いことを考へたものだ。今はどうなつたらう、やはりあれを水田の傍にさし立てゝゐるだらうか。
このお祭が濟んでしばらくすると舊暦のお盆だ。そして、盆踊りがはじまるのだつた。夕方になると町のどこかゝら前觸れの太鼓の音が聞えて來る。まだ明い青味のある空を見上げて、その音のする方角を確めながら、今夜は染羽ではじまるさうだ、とか、新丁だとかいふやうなことを話し合ふ。ビラが町の所々に貼り出されることもあるが、さうでなくとも町中にすぐ知れ渡つてしまふ。
そゝくさと夕食を喰べると、私達子供はまだ暗くならないうちから踊りの場所へ出かける。それはお寺の境内のこともあるし、一寸した曲り角の廣場や、通りのまん中でやることもあつた。若い者が四五人でやけに太鼓をたゝいてゐる。まだ人が集らないのだ。間もなく咽喉自慢の男が、たいてい四十か五十の年配だつたが、臺の上に立つて、番傘をひろげて、片手にふるまひ酒の入つた茶碗を持つて、音頭をうたひはじめるのであつた。
最初のうちはちよろちよろした七つだの八つ位の女の子達が鼻筋にお白粉をつけて、音頭臺のまはりをうろ覺えに踊つてゐるだけだ。暗くなると、どこからか顏をかくして誰だか判らない踊り手が、女だの男だの老人だのがぞろぞろと出て來る。その頃にはまはりは見物人で一杯になる。
どういふわけか、私が物心ついた頃には變裝が盛んで男は女に化け、女は男の格好をするのがはやつた。股引に袢纒、頬被りといふ凝つた職人姿は藝者が多かつた。
中には男物の白絣で、いかつく見せるためか肩をまくつたのもゐたが、さうすると白いふくらんだ腕がよけいに露れてすぐ女だと知れる結果になるのもあつた。男が女の姿をしたのは、背がいやに高かつたり、いかにも女らしくやさしい踊りの所作をする腕が眞黒で筋張つてゐたりした。いづれにしても頬被りをしたのや、更にその上に深い千鳥型の編笠を被つてゐるのやで、踊り手の方から見物人は判つても、見物の側からは踊り手が皆目判らなかつた。見てゐる方では、眼の前を踊りながら過ぎる人を、あれは誰らしいと云ひ合ひ、判らないとぐるぐるついて※つて顏をのぞきにかゝるのだが、踊り手はなほのこと隱すやうにする、それが面白かつた。時々ぽかんと見てゐると、踊り手の中から急にこちらの鼻をつまみにかゝつたり、肩をついたりする。知つてる奴にちがひないが、判らない。
が、時間がたつうちにはそれも大半は見當がついてしまふ。何しろ、見物人は踊り手を見分けるのに夢中なのだから。凝つた奴は、一度さとられたとなると、急いで家にひきかへして又姿を變へて出て來るのがあつた。
或る夏、私の町に東京の大相撲が巡業に來たことがある。その取的らしいのが二三人めづらしさうに見物してゐたが、踊り手の中には私達のよく行く理髮店の若い主人が女の姿でゐた。
しかし、殺風景に感ずるのは私が田舍育ちだからで、東京生れの人にはもつと身についた微妙な樂しみがあるのだらう。私は生れ故郷と殆ど縁がなくなつた今でも、漠然と田舍の夏を豐富なものに感ずるのは、子供の時からそこに馴染んで來たからにちがひあるまい。
市内に住んでゐたこともなくはないが、學生時分のことで、夏休になるとさつさと田舍へ歸つて行つたから、東京の夏祭を知らないのも無理はない。私の田舍では、住吉神社といふ郷社の祭を「祇園さま」と呼んでゐた。まる一週間だから、隨分永い祭だつた。町の本通りを上(かみ)から下(しも)まで十四五町か、或ひはもつと長いだらう、家ごとに柳の枝に薄い日本紙を四角に切つて造つた花をくつゝけ、樽だの桶だのゝ中に立てゝ家の前に飾つた。それには皆盆灯をつけたから、夜になると白い紙の花が明りを受けて浮き立ち、どこまでもつゞいた。
盆灯には雜誌の口繪か何かを切り拔いて貼りつけたのもあつたが、大抵はそれぞれ繪を描いたもので、子供だつた私達は一つ一つ見て歩いた。今思ふと、一體あんな繪を誰が描いたんだらうといふ氣がする。繪心があるわけでもあるまいのに、とにかくそれは妙なものは妙なものなりに子供を樂しませるに足りる繪だつた。きつと、その拙い變てこなところが面白がらせたのだらう。川柳を書いた漫畫もあれば、古池や蛙とびこむ水の音と記して傍に小さく蛙らしいのが逆立ちしてゐたり、小野道風苅茅道心、うらみ葛の葉などを現した繪もあつた。さうかと思ふと、そこの家の子供がお習字風に書いた字もあるし、智慧がなく日の丸と軍艦旗を描いたのもあつたし、多分山水畫のつもりだらうが墨が滲んで眞黒になり、何だかさつぱり判らないのもあつた。私達はそれを一々、まづいだのうまいだの、笑ひ聲を立てたりして町を上から下まで飽きずに見て歩いた。
さういふ一週間もつゞくのは、お祭りはお祭りだが客寄せの意味もあつたことに、ずつと後で氣がついた。そこは一寸した町だが、昔から近在のお百姓達を得意にして成立つた所で、町の繁榮策として近在から人を引きつけるためだつたらしい。例の紙の花は、それを田に差して置くと蟲がつかぬといふ云ひつたへがあつて、祭の最後の日には近在のお百姓達が勝手にそれを持ち歸つてもいゝことになつてゐた。浴衣がけで尻からげにし、團扇を腰にさしたお百姓が、何だか氣まり惡げに手を伸ばして紙の花の枝を拔きとり、扱ひにくさうに持つて歸るのを私はよく見た。その云ひつたへはお百姓からではなく町の側から出したものだらう。恐く徳川時代からのことだらうが、隨分狡いことを考へたものだ。今はどうなつたらう、やはりあれを水田の傍にさし立てゝゐるだらうか。
このお祭が濟んでしばらくすると舊暦のお盆だ。そして、盆踊りがはじまるのだつた。夕方になると町のどこかゝら前觸れの太鼓の音が聞えて來る。まだ明い青味のある空を見上げて、その音のする方角を確めながら、今夜は染羽ではじまるさうだ、とか、新丁だとかいふやうなことを話し合ふ。ビラが町の所々に貼り出されることもあるが、さうでなくとも町中にすぐ知れ渡つてしまふ。
そゝくさと夕食を喰べると、私達子供はまだ暗くならないうちから踊りの場所へ出かける。それはお寺の境内のこともあるし、一寸した曲り角の廣場や、通りのまん中でやることもあつた。若い者が四五人でやけに太鼓をたゝいてゐる。まだ人が集らないのだ。間もなく咽喉自慢の男が、たいてい四十か五十の年配だつたが、臺の上に立つて、番傘をひろげて、片手にふるまひ酒の入つた茶碗を持つて、音頭をうたひはじめるのであつた。
最初のうちはちよろちよろした七つだの八つ位の女の子達が鼻筋にお白粉をつけて、音頭臺のまはりをうろ覺えに踊つてゐるだけだ。暗くなると、どこからか顏をかくして誰だか判らない踊り手が、女だの男だの老人だのがぞろぞろと出て來る。その頃にはまはりは見物人で一杯になる。
どういふわけか、私が物心ついた頃には變裝が盛んで男は女に化け、女は男の格好をするのがはやつた。股引に袢纒、頬被りといふ凝つた職人姿は藝者が多かつた。
中には男物の白絣で、いかつく見せるためか肩をまくつたのもゐたが、さうすると白いふくらんだ腕がよけいに露れてすぐ女だと知れる結果になるのもあつた。男が女の姿をしたのは、背がいやに高かつたり、いかにも女らしくやさしい踊りの所作をする腕が眞黒で筋張つてゐたりした。いづれにしても頬被りをしたのや、更にその上に深い千鳥型の編笠を被つてゐるのやで、踊り手の方から見物人は判つても、見物の側からは踊り手が皆目判らなかつた。見てゐる方では、眼の前を踊りながら過ぎる人を、あれは誰らしいと云ひ合ひ、判らないとぐるぐるついて※つて顏をのぞきにかゝるのだが、踊り手はなほのこと隱すやうにする、それが面白かつた。時々ぽかんと見てゐると、踊り手の中から急にこちらの鼻をつまみにかゝつたり、肩をついたりする。知つてる奴にちがひないが、判らない。
が、時間がたつうちにはそれも大半は見當がついてしまふ。何しろ、見物人は踊り手を見分けるのに夢中なのだから。凝つた奴は、一度さとられたとなると、急いで家にひきかへして又姿を變へて出て來るのがあつた。
或る夏、私の町に東京の大相撲が巡業に來たことがある。その取的らしいのが二三人めづらしさうに見物してゐたが、踊り手の中には私達のよく行く理髮店の若い主人が女の姿でゐた。
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