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石川啄木と小奴 - 野口 雨情 ( のぐち うじょう )

  • A16『石川啄木』著者加藤悌三[古本・古書
  • (青春新書) 若き日の悩み 石川啄木 送料無料!!
  • ★雲は天才である/石川啄木★
  • ●朗読日本詩歌全集●カセットテープ全6本組石川啄木島崎藤村与
  • 一握の砂 著・石川啄木 函館版
  • ◇単行本 井上ひさし 5冊/腹鼓記/泣き虫なまいき石川啄木/他人の
  • 611石川啄木全集13『性急な思想』昭和26初版
  • 610石川啄木全集『雲は天才である』昭和24初版
  • 文芸臨時増刊 石川啄木読本 S30年 状態下
  • ◆本◆現代日本文学全集15 S29発行 与謝野晶子/寛/石川啄木/北原
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 石川啄木が歿(なくな)つてからいまだ二十年かそこらにしかならないのに、石川伝記が往々誤り伝へられてゐるのは石川のためにも喜ばしいことではない、況(いは)んや石川が存生中の知人は今なほ沢山あるにも拘はらず、その伝記たまたま誤り伝へられてゐるのを考へると、百年とか二百年とかさきの人々の伝記なぞは随分信をおけない杜撰なものであるとも思へば思はれます。ですから一片の記録によつてその人の一生を速断するといふことは、考へてみれば早計なことではないでせうか。
 私の思ふには石川最後上京して朝日新聞在社時代前後や、晩年生活環境については石川の恩人であつた金田一京助氏が一番正確に知つてゐるはずで、同氏によつてその時代のことを書かれたものが、正確なものだと考へられるが、北海道時代、ことに釧路時代石川のことについては全く知る人が少いやうに思ふのでそれをここで述べてみよう。
 石川の歌集を繙(ひもと)く人は、その作品の中に小奴(こやつこ)といふ女性が歌はれてゐることを気づくであらう。
 小奴といふのは釧路芸者で、石川とは相思の仲であつたともいへよう。私は小奴に逢つたのは石川釧路を去つて約一年後であつた。その動機といふのは、大正天皇皇太子のころ北海道行啓されたことがあつた。その時私は、東京有楽社のグラフイツクを代表して御一行に扈従(こせう)して函館から、札幌小樽旭川帯広と順々に釧路へ行つた。その時東京からの扈従記者新聞では国民新聞坂本氏、通信社では電報通信小山氏日本通信吉田氏らであつた、その時の新聞班の係長はつい先ごろまで、千葉県群馬県県知事をしてゐた県忍氏で県氏はその当時北海道庁事務官であつたため新聞班の係長に選定されたのである。
 そこで我等|扈従(こせう)記者一行が県氏の案内釧路へ着くと、釧路第一料理亭、○万楼(まるまんろう)で土地の官民の有志が我我のために歓迎会を開いてくれた。私も勿論その席に出席して招待を受けたのであつた。
 時は丁度灯ともしごろ、会場は○万楼の階上の大広間支庁長始め、十数名の官民有志出席して、釧路一流の芸妓(げいしや)も十数名酒間を斡旋した。その時私がふと思ひだしたのは、嘗て石川から聞いてゐた芸者小奴のことであつた。私はこの席に小奴がゐるかどうかを女中に尋ねてみると、女中のいふには
支庁長さんの前にゐるのが小奴さんです。』
 見ると小奴は今支庁長の前で、徳利を上げて酌をしてゐるところである。齢(とし)は二十二、三位、丸顔で色の浅黒い、あまり背の高くない、どつちかといへば豊艶な男好きのする女であつた。その中に小奴は順々に酌をしながら私の前に来た。そこで私は
『小奴とは君かい。』
と聞いてみた。すると
『ええ、わたしですが何故ですか。』
不思議さうに私の顔をみる、私は
『君は石川啄木君を知つてゐるだらう。』
といふと小奴は
石川さん?』と小声に云つて、ぽつと頻を染めながら伏目勝ちになつて
『どうしてそんなことをおききなさるのですか。』
『いいや、君のことは石川君からよく聞いてゐたものだから……』
『あら、あなたは東京のお方でせう、それにどうして石川さんを知つてらつしやるのですか。』
『私は、今は東京にゐるが一、二年前までは小樽札幌にゐたからそんなことはよく知つてゐるよ。』
 実は私は札幌石川を始めて知つて、それから小樽小樽日報へ一緒に入社したのであつた。小奴は
『あなたのお名前は何とおつしやいますか。』
と、不安さうな瞳をみはつて尋ねるのであつた。
『私は野口といつて石川君とは札幌からの懇意だもの。』
『まあ、あなたが野口さんでしたか、それでは石川さんから始終あなたのお噂を聞いてゐました。それにしても今石川さんは何処(どこ)にゐらつしやるのでせうか。』
 小奴は石川釧路を去つてからの後は石川のくはしい消息は全く知らないらしかつた。
『いまは東京にゐるが、君はそれを知らないのか。』
『ええ、東京へ行つてゐるといふことはうすうす聞いてゐましたが、東京の何処にゐらつしやるのかその後音信がないので存じません。』といふ。
 さうしてゐる中に酒席は酣になつて、一同のかくし芸が始まる。小山氏手品坂本氏の詩吟等と主客共愉快になつて、大はしやぎにはしやいだ。私は小奴と石川のことを話し合つてゐたために、同行の某君は、けしからんけしからんといひながら傍へよつて来て、たうとう私と小奴との話をさへぎつてしまつた。そこで小奴はまた支庁長の方へ行つて三味線をひきだした。私も大分酔つて来て一行と共に出来ないかくし芸なぞしてはしやいだ。
 やがて宴会が終つて芸者連は帰つてしまつた。私達も旅館へ引きあげようとして階段下りて来ると、女中が一通の手紙私に渡した。封筒には唯、野口様と書いただけで誰からの手紙ともわからなかつたが、開けてみると鉛筆の走り書きで、
石川さんのお話もお伺ひしたうございますから、お帰りに私の家によつて下さい、人力車でいらつしやればすぐでございます。  小奴』
とあるのでその手紙が小奴からであることがわかつた。そこで私は帰りに小奴の家に寄つてみた。家は○万楼から四五丁位の処でその辺は花柳街で、小奴の家は格子戸のはまつた、下が三畳に六畳の二間、二階も一間位はあつたらしい、小じんまりした家であつたやうに記憶してゐる。
 小奴は私の行くのを待つてゐたらしく直(す)ぐに六畳の部屋に迎へて呉れた。壁には三味線が二梃ばかりかかつて本箱の上には稽古本が二冊位のつてゐた。左の方の柱に石川の書いた短冊が一枚かかつてゐた。短冊にかかれた歌の文句は忘れてしまつたが、歌の意味は、『小奴ほど人なつかしい女はない』といふやうなことであつた。全く小奴は人なつかしい温和しい女性でまた正直な女であつた。


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