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砂漠の情熱 - 豊島 与志雄 ( とよしま よしお )

  • 新品VHS 5本組☆新世界紀行「大砂漠編」タクラマカン砂漠,他 TBS
  • 春の砂漠 上下 平岩弓枝 北アフリカの砂漠に束ぬまの春を・・
  • ◇ ≪歌の切手 B12≫ 月の砂漠
  • 即決 LD // シルクロード/第七集 砂漠の民
  • 月の砂漠をさばさばと  北村薫  新潮文庫
  • ◆CD◆fra-foa フラホア「月と砂漠 」 三上ちさこ
  • 【沖縄米軍】海兵隊砂漠用GORE-TEX デザート ブーツ24cm W 
  • モーリーン・チャイルド ■ 砂漠の逃亡者 ■ d-990
  • 絶版★『デューン砂漠の神皇帝』全3巻★フランク・ハーバート
  • ★大藪春彦 砂漠の狩人/処刑軍団/その他計4冊 【売切り】
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 バルザックは「」という短篇のなかで、砂漠をさ迷う一兵士が一頭の雌豹に出逢い、生命を賭したふざけ方をしながら数日過すことを、描いている。描いているというよりも寧ろ、恐らく何か聞きかじった話を元にして、いろいろ空想している。――それは砂漠のなかに於ける情熱であって、砂漠それ自体の情熱ではない。
 ところで、砂漠それ自体の情熱というものも、想像されないことはない。そしてつまりそれは、砂漠精神情熱ということになる。
 話はちょっと飛ぶが、後楽園スタジアムはあまり恵まれた場所ではない。後楽園の深い木立は後方は隠れて見えず、前方は省線電車高架それから雑多な建物スタジアム内部芝生の色も褪せ、風吹けば黄塵が渦巻く。だが、不思議なことに、天気の日には殆ど常に、前方の空中を或は高く或は低く、二羽か三羽かの鳶がゆったりと舞っている。野球観戦に疲れた眼をあげて、その鳶の飛翔を眺める楽しみを、多くの観客は体験していることであろう。――これを逆に云えば、鳶の見えない後楽園スタジアムは佗しい。
 このイメージを発展さして、そして考えてみるに、鳶の見えない後楽園スタジアム存在すると同様に、一羽の小鳥もいない心理風景存在しよう。そしてこの心理風景砂漠精神に属するものである。
 また、同じような話であるが、市内の四辻などに設けてあるロータリー区劃の中には、如何にも風流気に、芝生が植えられ、灌木があしらわれている。そして多くの雑草が芽生えて、思わぬ時に思わぬ花を咲かせている。この雑草可憐な花が、時あって人の心を惹くことがある。これは自然の恵みだ。――だが逆に、塵埃をかぶり、ガソリン悪臭をあび、日光に乾ききって、雑草の花一つ咲かぬロータリーは、如何に佗しいものであろうか。
 このイメージから、一茎の花もない心理風景というものが想像される。そしてこの心理風景砂漠精神に属するものである。
 砂漠精神、そこには一羽の小鳥もいず、一茎の花もないが、然しそれでも情熱はあり得る。――そういう精神のことを、今私は考えてみるのである。眼前に浮ぶのは、ジョゼフフーシェなる人物である。
 フランス大革命からナポレオン帝政を経て王政復古に至る時代の、影の人物、謎の人物としてのフーシェのことは、いろいろの人に取上げられているが、最も面白いのはステファンツワイクフーシェ伝である。そしてここで私は一種の砂漠情熱に出逢った。
 ジョゼフフーシェの事を想う時、何かしら冷い戦慄を背筋に感ずるのは、彼と同時代の人々ばかりとは限らない。決して表面には立たず、裏面に隠れて策謀を事とし、変貌に変貌を重ね、裏切り裏切りを重ね、ロベスピエールを陥れ、ナポレオン悲鳴をあげさせた、この冷血で無節操で無性格な男は、常に疑惧と嫌悪との対象となり得る。
 三十幾歳の血気盛りなるべき頃からして既に彼は――ツワイクの描くところに依れば――殆ど亡霊のように痩せこけて骨と皮ばかりの肉体、角ばった線の見えるいやらしい細面、鼻は尖り、閉じたっきりの口は薄く狭く、重くて眠そうな眼瞼の下には魚のような冷い眼があり、猫のような灰色瞳孔硝子球のようであり、この顔の一切の道具、この男の一切のものが、いわば栄養不良で、まるで瓦斯灯に照らされたように蒼ざめて見える。彼に会った者は皆、此男には赤い血が循ってはいないという印象を受けるし、実際彼は精神的にも一種の冷血動物である……。
 だが、彼にもただ一つの情熱があった。諜報機関によって世の中のいろいろな秘密を探ること、影の中で策謀の糸を操ること、権勢を握って黙々と周囲を冷笑すること、即ち何等の理想も熱血もない冷かな打算とからくりに、全精神を傾注したのである。
 こういうのを指して、砂漠情熱と云ってはいけないであろうか。――彼の精神のなかには、空高く翔ける猛鳥はおろか、一羽の小鳥さえいないし、馥郁たる濃艶な花はおろか、一茎の野草の花さえ咲かさないのであって、謂わば不毛の地、砂漠にも等しいのである。而もそれ自身のなかに、やむにやまれぬ欲望冷血動物的な情熱、凡そ人間的な欲望とか情熱とかには縁遠いそれを持っているのである。
 連想は飛ぶが、夏の真昼、熱くやけた石の上に、亀が甲羅を干してるのは普通のことである。それは亀の習性であり、はがゆいような愛嬌がないでもない。また、日のあたった石垣の上などに、蜊蜴がじっと蹲まって、そのぎらぎらした色彩で息づいてる事がある。それもまあよかろう。――更に、ふだんは木蔭にでも潜んでいる筈の蛇が、草と土の匂いがむーっと漂ってる場所に、日光の直射を受けながら、とぐろを巻いてることが時折ある。その、草と土の匂いの中で日光に照らされてる蛇のうちには、如何なる夢想がはぐくまれることであろうか。その夢想情熱にまで熱せられる時には、如何なるものとなるであろうか。
 私は蛇は嫌いではない。だがフーシェは嫌いだ。――それはそれとして、ここで他のことに想い走るのである。
 吾々の眼前には今、真の大衆と称して誤りない支那民衆がある。新時代の空気に浴した比較的インテリな人々ではなく、何等かの政治色彩に染められた人々ではなく、大地から豊饒に生れ出るといわれる一般民衆のことである。数々の戦乱苦難や被征服の苦渋を嘗めつくし、もはやそれらのことに或る程度麻痺してしまった、そういう伝統を肌身につけてる人々なのである。或は水牛の如く黙々として田畑を耕やし、或は騾馬の如く唯々として荷を運び、或は家鴨の如く騒々しく群れてる人々なのである。
 彼等はその粗服と風雨に曝された皮膚以外、何等の表情をも持ってはいない。顔面の表情のみならず、身体全部の表情を持っていない。


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